星物語

秋長 豊

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第1章 蛙里の日常

10、禁じられた池

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「おーい、エシルバ。ボードゲームしようぜ」

 やけに上機嫌のエルマーニョが強制的にユリフスを引き連れて、部屋の中に入って来た。

 彼は最近一気に五センチも背が伸びた。手や脚も棒みたいに長く、高い所にある物を手に取るのには困らない。ラッパのように突き出た唇に、真っすぐ生える髪はカリィパム叔母さんゆずりだという。

「僕はやらない」エシルバは宣言した。
「いいだろう? 外を走り回るわけじゃないんだ。頭脳戦だよ」
「やらないったら」

 エシルバは布団に潜り込んで知らんぷりしたが、エルマーニョがあまりにしつこく誘うので根負けして一ゲームだけすることにした。

「女王ゲームって知っているか? 今さ、俺の学年ではやっているボードゲーム」

 エルマーニョは床に折り畳み式のマス目板を広げ、白と黒の小さな駒をそれぞれ振り分けた。ボードの中心部分には対になった白と黒の四角い駒を置いた。

「いいか? 黒と白は両方女王様だ。んで、真中に置いた四角の駒が領土権。ここにサイコロが三つある。赤のサイコロに黒二つ。四角の駒のへこみに赤と黒のサイコロを入れて付け合わせシャッフルする。そしてどっちに何色のサイコロがあるのか分からないままマスに戻すんだ。あとは、サイコロを順番に振って、出た目の数だけ自分の小さな駒をマス目に置いていく。同じ色で挟んだ駒は自分のものになる。駒がなくなり、多く残った方が領土権を選べる」エルマーニョは得意げに説明した。

「でもこのゲーム、領土権なんて単なるオマケ付きみたいなものだよ」エシルバは言った。

「ある意味占いなんだぜ、面白いだろう?」
「これを見て」

 ユリフスはボードに刻まれた文字を指差した。

〈赤のサイコロ―太陽の領土権―〉
一 目標を見失う
二 足元を見ないと転んで大けが
三 一日中静電気に襲われる
四 つまらない話を永遠に聞かされる夢
五 ついていない一日
六 失くしたものが見つからない

〈黒のサイコロ―月の領土権―〉
一 本当に大切なものが見つかる
二 スリルある冒険と思わぬ秘密の到来
三 気持ちの良い音色でうっとり
四 これまで経験したことのない幸福
五 周囲から頼りにされてリーダーシップを発揮
六 能力の開花

「赤のサイコロだけは当たりませんように」エシルバは繰り返してつぶやいた。

「それじゃあ、始めるか」エルマーニョが言った。

 ゲームは順調に進んでいった。女王ゲームは一対一のゲームなので、最初はエルマーニョ対ユリフスでユリフスが負けた。エルマーニョは白の領土権を選び、黒のサイコロ、三の目を当てた。エシルバはエルマーニョと対戦し、今度はエルマーニョを押さえて勝ち残った。

「さぁ、選べよ。白か黒か」

 最後の領土権を選ぶ場面で、エシルバは不思議な感覚に襲われた。それはデジャビュで目の前にあるたかが白と黒の駒に動揺してしまった。

「どうした」

 エシルバは黒の駒を選んだ。

「一、本当に大切なものが見つかる」エシルバは読み上げた。
「良かったわね! 赤のサイコロじゃなかった。一日中静電気に襲われるなんて冗談でも嫌だわ」

 それから数日後、里は祝日が続く大型連休に突入した。島の外へ旅行に出る家族がいれば、島の海辺でバカンスを楽しむ者もいた。一方、ガーマアスパル家は違った。

 診療所を二十四時間体制で管理しなければならなかったため、たいていこういう休みの日は子どもたちだけで出掛けることが多いのだ。

 前日から「釣りに行こう」と言っていたエルマーニョは、日が昇る前にエシルバとユリフスの布団をひっくり返して回った。

「おい、朝だぞ。釣りだぞ!」

 強制的に起こされたエシルバはだるそうに身支度を開始した。ユリフスの髪はライオンのたてがみみたいに逆立っていて、ひどく眠たそうだった。

「エルマーニョ、あまり遠くに行くんじゃないぞ」

 リビングでエプロン姿のアソワール叔父さんがくぎを刺すように言った。

「いつもの釣り堀に行くだけだよ。里の外には出ないさ」

 エルマーニョは面倒くさそうに答えた。

 アソワール叔父さんはいつも三人が遠くへ外出しないよう口酸っぱく言う。それはガーマアスパル家の「おきて」で、三人が未成年で危険だからという理由からだった。

 釣り具とお昼を持って家を出た三人は、途中で約束していたアルと合流した。エルマーニョはこの間のゲーム談議に夢中だったが、ふと何かを思いついたように足を止めた。そして、目的の釣り堀とは反対方向に歩き出した。

「ちょっとエルマーニョ? 釣り堀はあっちよ」

 すかさずユリフスが言うと、エルマーニョは急に全員の肩を持った。「禁じられた池に行くんだ」

 その言葉にアルが身震いした。

「あそこは誰であろうと入っちゃ駄目な所です! おじいちゃんにばれたらこっぴどく叱られる」
「だいたい魚なんているわけがないわ」

 ユリフスは必死に表情を取り繕って言った。

「聞けば、あそこは出るらしいんだ」エルマーニョは意地悪な声で言った。

 エシルバはゴクリと生唾を飲み込んだ。「なにが?」

「幻の魚だよ」

 エルマーニョはケロッと楽しむように言った。
「駄目よ」ユリフスがアソワール叔父さんより怖い口調で言った。「誰も責任なんて取れないくせに行くべきではないわ」
「じゃあ、お前はここでお留守番だな」
「チクるわよ」
「それだけは勘弁してくれ」

 手をヒラヒラさせてエルマーニョが言った。

「僕、一緒に行くよ」

 ユリフスとアルのトゲトゲした視線を食らいながらエシルバは主張した。エルマーニョ側についたエシルバを見て、残る二人も信念が揺らいだようだ。

「分かったわよ。でも、いい? 少しだけよ」
「あぁ、もちろん。少し見たらいつもの釣り堀に行くさ」

 禁じられた池はヒューモ合の外れにある人目につかない薄暗い場所にあった。大人が中腰になってやっと入れるサイズの穴が岩肌にあいていた。入り口は木の板でふさがれていた。

「入れないじゃない」余裕の笑みでユリフスが言った。
「裏道を知っている」

 ユリフスの顔から笑顔が消えた。
 エルマーニョは里の食料庫に忍び込むと、大きなつぼの下敷きになっている秘密のはしごを指差した。

「行ったことがあるのね?」

 ユリフスは隣の確信犯ににらみを利かせた。

「風だ」
「え?」ユリフスが眉をひそめた。
「ほら、風を感じる。もしかして外につながっているのかな?」

 エシルバはサラサラと揺れる自分の前髪を見ながら言った。

「抜け道なんて聞いたことないわ。あるとしたら地下深くにつながっている洞窟」
「さあな、そこまでは俺も知らない」

 そのとき、誰かが近づいてくる足音がした。

「誰か来るぞ、早く下りよう!」

 エルマーニョの掛け声とともに、エシルバたちははしごになだれ込んだ。光一つない真っ暗な洞窟の中でアルとユリフスは半泣き状態だった。

「電灯ならあるぞ」

 エルマーニョは持ってきた電灯に明かりをつけた。洞窟の中はとても静かで四人の声が反響するほか、水が滴り落ちる音しか聞こえなかった。

「もう少し進んでみよう」

 エルマーニョを先頭に、一行は曲がりくねった道をゆっくりと歩き始めた。二分ほど歩いたところで広い池に着いた。

「不気味な所」

 ユリフスが気分悪そうに大きな岩に腰を下ろしながら言った。しかし、せっかく来たのだから釣りをしないわけにはいかない。エルマーニョはとりあえず釣り糸を垂らした。魚は見る影もなかったが、さっきエビの群れを見た気がした。

「なんか、あれだな。人面魚とかいそうじゃない?」とエルマーニョ。
「やめてよ!」ユリフスは池に着いてから随分とヒステリック気味だ。
「なにも引っ掛からないな」

 釣り糸を垂らしてから三十分はたっただろう。エルマーニョはようやく諦めて釣り糸を回収し帰る準備を始めた。エシルバは小石を拾っては水面に投げ入れる遊びに熱中していたのだが、ふと拾った石がネックレスであることに気が付いて手を止めた。もう何年も土に埋もれていたのか、泥がこびり付いて石のように硬くなっていた。水で泥をゴシゴシこすり、汚れを洗い流すときれいな薄桃色の宝石が光を取り戻した。

「見て、誰のだろう」
「そんなもの拾うなよ」エルマーニョが言った。

 エシルバは、不思議とこのネックレスに心を引かれた気がして、捨てるフリをしてポケットにしまい込んだ。

「でも、どうしてわざわざ、はしごなんてあったのかしら。頻繁に誰かが行き来しているのかもしれないわね」
「でも、大した秘密はなかった」

 エルマーニョは残念そうに言って来た道を帰り始めた。しかし、エシルバは先の見えない洞窟の暗闇をじっと見つめながら、不思議な思いにとらわれていた。それが何なのかは分からなかったが、人間には到底あらがえないような大きな力が全身をのみ込もうとしている気がした。

 ユリフスに手を握られてわれに返った。

「エシルバ、大丈夫?」
「なにか聞こえない?」

 その言葉に全員が固まった。

「なにかって、なによ」
「女の人の声……みたい」
「冗談よせよ」エルマーニョが周囲を警戒しながら言った。
「早くここを出ましょう」アルが言った。

 四人は禁じられた池を急いで抜け出して、いつもの釣り堀に向かった。

 いつもの釣り堀に着いた途端、4人は恐怖から解放されたかのように思い切り笑った。特別面白いわけでもないのに、みんな、ひたすらおなかを抱えて笑っていたのだ。
 すると、エルマーニョが目尻を拭いてエシルバに「やっと笑ったな!」とニンマリした。

 その晩、エシルバは悪夢にうなされた。世界が滅び、真っ暗な宇宙の中心で、膝を抱えて一人ぼっちになってしまった自分が見える。ユリフス、エルマーニョ、アル、叔父さんもいなくなっていた。エシルバは汗ビッショリになって目覚め、リビングに駆け下りて彼らがいるのかを確かめずにはいられなかった。

「どうした? そんな真っ青な顔をして。悪い夢でも見たのか」

 アソワール叔父さんが配して駆け寄ってきた。

「よかった! みんないるじゃないか」
 エシルバはすっかり安心してリビングのソファに倒れ込むようにして横になった。世話を焼いてくれるアソワール叔父さんの横顔を眺めながら、エシルバは何げなく目に入った異変に気が付いた。

「わっ!」
 まるで虫でも踏みつぶしたような声を上げたエシルバに、アソワール叔父さんは目を丸々と見開いた。
「どうした」
 怖くなったエシルバは首を振った。
「見せなさい」アソワール叔父さんは鬼のような形相で言った。
 エシルバは自分の右手をそっと差し出した。右手の甲に、黒いあざのようなものができていた。元々うっすらとしたあざはあったのだが、これほどまでに濃くなったことはなかった。

 
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