星物語

秋長 豊

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第2章 シクワ=ロゲンへ

11、三人組の男

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 ある夜、エシルバは自分の部屋でアルから借りたノートの写しをとっていた。ひどい湿気のせいで窓は開けっぴろげだったが、風らしい風は入ってこなかった。だから、風鈴が何の前触れもなく鳴った時には手が止まるほど驚いた。

 奇妙な現象に疑問を抱いたエシルバは見慣れた里の風景をじっくり眺めた。蛙里は巨大な洞窟の中にある集落の集合体で、天井は分厚い透明な石によって覆われている。そのため外の天気にはあまり影響を受けず、風が吹くこともめったにない。

 窓を閉めて寝ようとしたとき、空気が振動するような音が聞こえた。夜中の11時だったがエシルバは真っ先にエルマーニョの部屋に駆け込んだ。

「変な音が聞こえたんだ、起きてよ!」
「明日は早いんだ」

 エルマーニョは気絶さながらの早さで眠りに戻ってしまった。今度はユリフスの所に行って同じように呼び掛けた。彼女は眠たそうにしながらも部屋まで来てくれた。しかし、十秒後には「なにも聞こえないわ」と言うだけだった。

 エシルバは心の中で「おかしいのは僕の耳なんだ」と言い聞かせて寝ることにした。どのくらい時間がすぎたのかは分からないが、次に目を覚ましたのは強烈な光がまぶたの裏に焼きついたときだった。

 よろけながら窓に近寄ってみると、フェードアウトしていく光の中から大きな飛行物体が姿を現した。エシルバにはそれがアマクで一般的に普及している空飛ぶ車ロラッチャーに見えた。でも、このロラッチャーはプラチナコガネのように見事な黄金色をしていた。

 そうこうしているうちに、ロラッチャーからスーツケースを持った包帯姿の男と長いローブに身を包んだ二人の男が降りてきた。

 エシルバは急に恐ろしくなって窓から離れ、工事用のヘルメットを頭にかぶり、両手にグローブをはめて、巨大なハエたたき棒を握り締めた。

 刑務所にいる父親に恨みを持った人間が復讐で一家もろとも殺そうという算段かもしれない。とにかく、エシルバは思いつく限りの最悪なシナリオを頭の中に浮かべた。

 3人の男がアソワール叔父さんに襲い掛かったところをエシルバはハエたたき棒で勇敢に立ち向かい、テーブルの下に逃げ込んで相手の隙を狙う。それから大きな声で叫んで……

 ところが、この安易な妄想は突然のチャイム音とともに幕切れした。エシルバは驚きのあまり破裂した風船のように飛び上がった。

 一階にはアソワール叔父さんの寝室がある。このことを早く知らせるため、エシルバは忍び足で階段を下りた。先に玄関の鍵がかかっていることを念入りに確認し、いびきをかくアソワール叔父さんを起こして玄関まで連れて来た。
「一体何事だ」アソワール叔父さんは言った。

 玄関の前で様子をうかがうエシルバたちの目の前でまたチャイムが鳴った。
その音で目を覚ましたのか、エルマーニョとユリフスまで下に来た。

「泥棒か?」エルマーニョが言った。「エシルバ、なんだその格好」
 エシルバはずれたヘルメットを手で直し、緊急事態を知らせるジェスチャーをした。
「部屋に戻っていなさい」
 アソワール叔父さんは冷静に言って窓の隙間から恐る恐る外を確認した。
「警察に連絡しよう」
 エルマーニョが急いで電話を取りに行こうとしたときドアがコンコンッとたたかれた。

「シクワ=ロゲンです」
「シクワ=ロゲンだって?」エシルバは驚きのあまりヘルメットを床に投げ捨てた。
 
 アソワール叔父さんは急に息を詰まらせた。「こんな時間に役人が来るわけないだろう。これは新手の詐欺だ。国家組織を名乗ってわれわれをだまそうというのだな? そうはいかんぞ。本物の役人を今すぐ呼びつけて連行してもらおうか」

 エルマーニョは思い当たる節でもあるような顔でアソワール叔父さんの肩をつかんだ。

「出ろというのか? なんにしろ、こんな常識外れの時間に訪ねて来る人間などまともではない。エルマーニョ、警察を呼んでくれ」
「ねぇ、シクワ=ロゲンって警察よりも上の組織よ」ユリフスはピシャリと言った。
「関係あるものか! 秩序を乱す者は役人であろうとも捕まるべきだ」
エシルバはアソワール叔父さんと同じように窓から外を見た。彼らの腰には銀色のベルトがキラリと輝いて見えた。

「俺にも見せろ」
エルマーニョが横からぐいっと顔を出し、ユリフスが隣に顔を並べた。
 またノックの音がした。

「エシルバ! なにをやっている」
 アソワール叔父さんの怒号もお構いなしにエシルバはパッとドアを開けた。そこにはやや垂れ目の優しそうな男が手をノックポーズに固めたまま立っていた。

「シブーなの?」と聞くと男は「そうだよ」と答えた。
 後ろから大慌てでやって来たアソワール叔父さんはエシルバを隠すように前に立った。

「こんな時間になんのご用で?」
先ほどまでの悪態などお構いなしに、アソワール叔父さんは腰を低くして言った。

 3人の中で年長と思われる男が宙に浮かぶシクワ=ロゲン証を見せた。エシルバはこの場面を映画やドラマでよく見たことがあった。何か事件があった所へさっそうと現れたシブーが役人の証として見せるものだ。

 それに、3人の身なりはテレビや雑誌で見るシブーそのものだ。シブーの証である漆黒の制服、銀のベルト、外套……。

「私はシクワ=ロゲンから派遣されて来たジグ|コーカイス。そして、この二人は特別監視官のアムレイとジオノワーセン。単刀直入に申しますと、この家に住んでいるエシルバ|スーという男の子を連行しに来たのです」ジグは物おじせず言ってから3人の子どもを見比べた。

 ジグの名前を聞いてエシルバはさらに驚いた。なぜなら、彼はある時世界中で有名になり、死んだといわれていたシブーだったからだ。しかし、ここで何かを追及するなどできそうもない雰囲気だ。

「そんな」アソワール叔父さんは言葉を失った。
 ジグは真っすぐエシルバを見つめるとその場にひざまずいた。
「君がエシルバ|スーだね」
「はい」
 エシルバはそう返事をすることしかできなかった。
 あの、憧れのシブーが目の前にいる。信じられない思いだった。

「申し訳ないけど、帰ってくれ」
 エルマーニョが怒りをあらわにして言い放った。こんなにくしみのこもった彼の声を、エシルバは一度も聞いたことがなかった。

「われわれも無理強いはしたくありませんが、どうもそうはいかない事情がはらんでおりまして、事は一刻を争うのです」アムレイは淡々と言った。

「父さん、この人たちの言うことをきいては駄目だ。分かるだろう? 俺たちはさんざん役人たちに苦労してきたじゃないか。こんなの罠に決まってる」 

 エルマーニョは言い掛けてからハッとしてエシルバを見た。

「一体どういうことなの」エシルバは言った。「苦労?」

 グッと口を閉ざしたままのアソワール叔父さん。このままでは話がもつれると思ったのか、アムレイは立派な一枚の紙を取り出して高々と掲げて見せた。そこにはなんと、「強制送還令状」と書かれてあり、女王直筆のサインと国印が押されていたのだ。

 ユリフスはエルマーニョの陰に隠れながら、宇宙人でも見るような目で三人の男をにらんでいた。

「それ、よく見せてよ」

 エシルバはアムレイから強制送還令状を受け取り、自分の名前と住所が記されているのを確認した。電流が頭の先から足の先までほとばしるような衝撃に、持っている令状が燃えてなくなる気さえした。

「僕、なにも悪いことなんかしていないよ」
 エシルバは焦ってアソワール叔父さんのことを見た。
「そうとも、お前はなにも悪いことをしていない」

 アソワール叔父さんは首を横に振りながら小さな声で言った。

「エシルバは誘拐された行方不明者として長年捜索されていました。彼はアマクの国籍を持っていますから、強制送還令状による退去が可能になります」アムレイは言った。

「誘拐?」エシルバは眉をひそめた。
「ふざけるな」エルマーニョは顔を真っ赤にして怒鳴った。「俺たちを誘拐犯扱いだなんて」

 アソワール叔父さんもかなり怒っているようだったが、エルマーニョのように怒鳴ることはなかった。しかし、彼の目には明らかな怒りの炎がメラメラと燃えているのをエシルバは見逃さなかった。

「ここはブルワスタック領です。アマクの役人であるあなた方の管轄ではないはず」
 アソワール叔父さんは知識を武器にして言った。
「この令状があれば、特例としてわれわれの任務は認められるのです」

 アムレイの鋭い眼光ににらまれてアソワール叔父さんはうなだれた。大層な武器を腰に掲げた3人の男に勝てる確率は限りなく少ないと悟ったのか、子どもたちを振り返ったのちに仕方なくうなずいた。

「10年前、役人たちが働く大樹堂で起こった大反乱をご存じですね? 反乱の収束後に赤ん坊のエシルバが誘拐されました。しばらく彼を捜していましたが手掛かりが見つかったのはここ数年の話です」

 アムレイの話にアソワール叔父さんはぐにゃりと眉をひそめ、急いでリビングの固定電話に走っていった。

「叔父さん、誰に電話をするの?」
 エシルバが尋ねると、叔父さんは冷静さを半分失いながら震える手で番号を打った。

「私たちははめられた」
「なにを言ってるんだよ、父さん。誰が!」
「まだ分からんか」そう言ってアソワール叔父さんはいつまでたってもつながらない電話をそっと置いた。「エシルバの訪問医だ」
「はめられたって何? 僕らはなにも悪いことしてないよ」
「誘拐犯というのは、この私のことなんだ」

 エルマーニョの顔がサッとショックで真っ青になり、エシルバは言葉を失った。
「だが、すべてはお前を救うだめだった。エシルバ」

 エシルバは動揺した勢いで棚にぶつかり、花瓶がガッシャーンと割れた。

「うそだよね?」エシルバが聞いても叔父さんは首を横に振るだけだった。「一体なにがあったの?」
「すべては10年前のアマクで起こった内部大反乱から始まる。君の両親はシクワ=ロゲンの中でも特に優秀な役人たちが集う、使節団と呼ばれるチームにいた。そう、シブーだったんだ」アムレイは包み隠さずそう告げた。

「そんな」

 状況の整理もつかずエシルバはつぶやいたが、話には続きがあった。

「君の父親は変わった」

 アムレイの言葉に不吉さを感じたのはエシルバだけではなかった。ユリフスも結論を聞く前から怖い顔をして身構えていた。ただ、どういうわけかエルマーニョとアソワール叔父さんはちっとも同様した様子を見せなかった。

「名前を言ったらきっとびっくりするだろう」
「誰なの?」

 ごくりと唾をのんで問いただすと、アムレイは少しためらってからこう述べた。

「ゴドランだ」
 答えたのはジグだった。

 その瞬間、心の中で何かが音を立てて崩れ落ちていく音がした。そのせいでアソワール叔父さんはすっかり取り乱し、髪の毛をかきむしった。「やめてくれ、お願いだ」

「ゴドランは反乱を起こした首謀者なんだ」ジグはさらに追い打ちをかけるように言った。

「それが、僕のお父さん?」
少し時間を置いてからアムレイは言った。「そうだ」
途端に興奮は冷めやみ、エシルバは崖の上から突き落とされたような絶望感を味わった。これが夢ならどれだけいいか。しかし、壁掛け時計を見ても針は動いているし、手の皮を少しつねってみてもチクリと痛むだけだった。

「本当なの?」ユリフスも初耳らしく悲しそうな声で言った。

「ゴドランは裏切り、シクワ=ロゲンの宿敵ガンフォジリー軍の統領になりました。皆さんもご存じでしょう? 彼は新たな王となったのです。もはや、われわれの知るかつての英雄ゴドランはいません。その新たな名前こそ」ジグは恐れよりも悲しみのこもった言葉で続けた。「そう、ガンフォジリーです」
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