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●第一話
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***0.0***
ボクヲ見テ
ボクヲ感ジテ
救ッテアゲル
◇
ふと気づいたら、ここにいた。
地球の一角に、自分は立っていた。
ここは『国』。ここは『町』。生まれ育った『場所』。
でも、自分が生存しているのだと、いま初めて「気がついた」。
人の役になど立っていないのに。誰からも愛されていないのに。
──なのに、
あたしはなぜ、ここにいるの?
●序章『試合』の始まり
がしゃんと音がして、静は顔を上げた。
レポートに熱中していて気づかなかったが、時刻はすでに明け方近い。
静は立ち上がる。
自室を出ると、同じような扉がずらりと並んでいた。だがどの部屋で音がしたのか、静には分かっていた。
いくつか扉が開き、ねぼけまなこの同僚たちが心配そうに音の方向を見つめていたが、やがて静に気がついた。
「また、あいつですよ」
「ねえ静さん、もう出て行ってもらったほうがいいんじゃないですか?」
静は黙ったまま廊下を進んで行く。ひとつの部屋の前で立ち止まると、ノックした。
「おれだ。入るぞ」
返答はないが、扉は開いていた。
静が入室すると、中にいた男は座りこんで半分ベッドに突っ伏していた。
床の上には硝子の破片が散乱している。水差しか何かを割ったのだろう。よく見れば男の手も血まみれになっていた。
「傷を見せろ、忍武」
忍武はしかし、親友である静の手を振り払った。
振り向いたその顔は苦しみに歪んでいた。
「あいつがまた馬鹿にした──おれの母親を罵った。あんな純粋な人を売女だと言った!」
その言葉を、静は予想していた。
忍武の母親は政治家と不倫した末に彼を産んだのだが、それはマスコミ界でも大々的に取り上げられた。そのため、彼ら親子はどこにいても冷たい視線を浴びることになったのだ。
この研究所に入るまでも様々なことがあった。静の親友であることと、彼自身の成績が非常に良かったことでようやく認められたのだが、それでも内部で彼を馬鹿にする者は多い。
彼の父である政治家は認知もしなかったうえ、取材では彼の母を、「妄想に駆られた哀れな女」だと笑いながら言う「相当」な人物だ。
今でも彼の父親は、「その女」のことをあちこちで笑い話にしている。
いつまでも言い続けているから、当事者である忍武もまた周りから棘のある言葉を聞かされることになるのだ。
「あいつらとは誰だ? また所長か」
「そいつとその下にいるやつだ! 伊田村だ! あんな奴らがいなければおれの母親は死ななくて済んだ!」
忍武の拳が震える。血が滴り落ち、シーツに赤い染みを作った。
静はハンカチを取り出し、とりあえずの処置としてそれを巻いてやる。
「母さんはあいつらに殺されたんだ……あの男と、あの男に踊らされている人間たちに……」
彼の目には、恐らくまだまざまざと残っている。家に戻ってきたそのとき、自殺していた母の姿が。
忍武はしばらく荒い息をついていたが、やがて静かな声で言った。
「──静。お前だけは分かってくれる。お前の力を貸してくれ」
瞳は殺意に燃えている。今までより遥かに強いその輝きに、しかし静はかぶりを振った。
「駄目だ。殺めるのはいけない」
「おれは今まで我慢してきた。ずっと耐えてきた。それはお前のためだ。お前が駄目だというから耐えてきた。でも限界だ! ただ殺すだけじゃない、その前に復讐してやる。あの男を、その周りの人間を社会的に抹殺してやるんだ。この研究所の子供たちを使えばそれが可能になる──おれの管轄区とお前の管轄区の子供たち全員を使えば、そして何よりお前自身が力を貸してくれれば可能になる。いや、お前がいなければおれは駄目なんだ!」
彼はいくつになったのだろう、と静はふと思う。同級生だから二十八か二十九、考えるまでもない。
しかし彼の成長は学生時代の当時で止まっているように思えた。
当時──母親が自殺したその日から、憎しみが心の成長を止め、それだけが増大してきているようだった。
「おれは協力しない。忍武、お前のためだ」
静ははっきり断った。忍武の喉がやるせなさにぐっと鳴る。
「救急箱を持ってくる。待っていろ」
静が部屋を出て行ったあと、忍武は何度も唇を噛みしめた。
いつでも忍武のまぶたには母の姿がやきついている。
優しかった母。
いつも笑っていた母。
でも、いつも苦しんでいたんだ。死を選ぶ瞬間まで、ずっと。
(許さない)
再び顔を上げた忍武の、水差しのかけらに映る瞳は、ぞっとするほど冷たかった。
◇
救急箱を手に静が戻ってくると、親友の姿はなかった。
まさかと思う間もなく、悲鳴が聞こえてくる。
「忍武!?」
救急箱を置いて走り出す。今度こそ研究員全員が起き出してくる。何度も呼びかけられたが構う余裕はない。
迷わず所長室に駆け込んだ静の瞳に映ったものは、血塗れたナイフを持ってたたずんでいる親友の姿だった。
「忍武──」
顔を歪めたままこときれている、寝間着姿の所長。それを薄笑いで見下ろしていた忍武は、静に気づかないのか、両手を広げて窓外の闇へとささやいた。
「ひとり、地獄へ送ったよ。ちゃんと見ててくれた、……母さん?」
まるで、劇の一場面のように。
ボクヲ見テ
ボクヲ感ジテ
救ッテアゲル
◇
ふと気づいたら、ここにいた。
地球の一角に、自分は立っていた。
ここは『国』。ここは『町』。生まれ育った『場所』。
でも、自分が生存しているのだと、いま初めて「気がついた」。
人の役になど立っていないのに。誰からも愛されていないのに。
──なのに、
あたしはなぜ、ここにいるの?
●序章『試合』の始まり
がしゃんと音がして、静は顔を上げた。
レポートに熱中していて気づかなかったが、時刻はすでに明け方近い。
静は立ち上がる。
自室を出ると、同じような扉がずらりと並んでいた。だがどの部屋で音がしたのか、静には分かっていた。
いくつか扉が開き、ねぼけまなこの同僚たちが心配そうに音の方向を見つめていたが、やがて静に気がついた。
「また、あいつですよ」
「ねえ静さん、もう出て行ってもらったほうがいいんじゃないですか?」
静は黙ったまま廊下を進んで行く。ひとつの部屋の前で立ち止まると、ノックした。
「おれだ。入るぞ」
返答はないが、扉は開いていた。
静が入室すると、中にいた男は座りこんで半分ベッドに突っ伏していた。
床の上には硝子の破片が散乱している。水差しか何かを割ったのだろう。よく見れば男の手も血まみれになっていた。
「傷を見せろ、忍武」
忍武はしかし、親友である静の手を振り払った。
振り向いたその顔は苦しみに歪んでいた。
「あいつがまた馬鹿にした──おれの母親を罵った。あんな純粋な人を売女だと言った!」
その言葉を、静は予想していた。
忍武の母親は政治家と不倫した末に彼を産んだのだが、それはマスコミ界でも大々的に取り上げられた。そのため、彼ら親子はどこにいても冷たい視線を浴びることになったのだ。
この研究所に入るまでも様々なことがあった。静の親友であることと、彼自身の成績が非常に良かったことでようやく認められたのだが、それでも内部で彼を馬鹿にする者は多い。
彼の父である政治家は認知もしなかったうえ、取材では彼の母を、「妄想に駆られた哀れな女」だと笑いながら言う「相当」な人物だ。
今でも彼の父親は、「その女」のことをあちこちで笑い話にしている。
いつまでも言い続けているから、当事者である忍武もまた周りから棘のある言葉を聞かされることになるのだ。
「あいつらとは誰だ? また所長か」
「そいつとその下にいるやつだ! 伊田村だ! あんな奴らがいなければおれの母親は死ななくて済んだ!」
忍武の拳が震える。血が滴り落ち、シーツに赤い染みを作った。
静はハンカチを取り出し、とりあえずの処置としてそれを巻いてやる。
「母さんはあいつらに殺されたんだ……あの男と、あの男に踊らされている人間たちに……」
彼の目には、恐らくまだまざまざと残っている。家に戻ってきたそのとき、自殺していた母の姿が。
忍武はしばらく荒い息をついていたが、やがて静かな声で言った。
「──静。お前だけは分かってくれる。お前の力を貸してくれ」
瞳は殺意に燃えている。今までより遥かに強いその輝きに、しかし静はかぶりを振った。
「駄目だ。殺めるのはいけない」
「おれは今まで我慢してきた。ずっと耐えてきた。それはお前のためだ。お前が駄目だというから耐えてきた。でも限界だ! ただ殺すだけじゃない、その前に復讐してやる。あの男を、その周りの人間を社会的に抹殺してやるんだ。この研究所の子供たちを使えばそれが可能になる──おれの管轄区とお前の管轄区の子供たち全員を使えば、そして何よりお前自身が力を貸してくれれば可能になる。いや、お前がいなければおれは駄目なんだ!」
彼はいくつになったのだろう、と静はふと思う。同級生だから二十八か二十九、考えるまでもない。
しかし彼の成長は学生時代の当時で止まっているように思えた。
当時──母親が自殺したその日から、憎しみが心の成長を止め、それだけが増大してきているようだった。
「おれは協力しない。忍武、お前のためだ」
静ははっきり断った。忍武の喉がやるせなさにぐっと鳴る。
「救急箱を持ってくる。待っていろ」
静が部屋を出て行ったあと、忍武は何度も唇を噛みしめた。
いつでも忍武のまぶたには母の姿がやきついている。
優しかった母。
いつも笑っていた母。
でも、いつも苦しんでいたんだ。死を選ぶ瞬間まで、ずっと。
(許さない)
再び顔を上げた忍武の、水差しのかけらに映る瞳は、ぞっとするほど冷たかった。
◇
救急箱を手に静が戻ってくると、親友の姿はなかった。
まさかと思う間もなく、悲鳴が聞こえてくる。
「忍武!?」
救急箱を置いて走り出す。今度こそ研究員全員が起き出してくる。何度も呼びかけられたが構う余裕はない。
迷わず所長室に駆け込んだ静の瞳に映ったものは、血塗れたナイフを持ってたたずんでいる親友の姿だった。
「忍武──」
顔を歪めたままこときれている、寝間着姿の所長。それを薄笑いで見下ろしていた忍武は、静に気づかないのか、両手を広げて窓外の闇へとささやいた。
「ひとり、地獄へ送ったよ。ちゃんと見ててくれた、……母さん?」
まるで、劇の一場面のように。
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