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媚気
しおりを挟むそれから数日間、架鞍くんとはごく普通に接していた。
架鞍くんが何を考えているのか分からなかったけど、ぎこちない雰囲気になることだけは避けたかったから、わたしはほっとしていた。
やっぱり、わたしの感覚はおかしいのかもしれない。最近ずっと、架鞍くんのことばかり考えている。
ひどいことしかされていないのに、変だ。
◇
「よし、出来た! たまには夕食、自分で作るのも気持ちいいもんだよね」
ある昼下がり、わたしは三人が部屋にいる間にキッチンに立っていた。今日はビーフシチューが無性に食べたい気分だったから、霞と代わってもらったのだ。
「えーとお皿お皿……あっ!」
食器棚からお皿を取り出そうとしたところ、手が滑ってしまった。派手な音を立ててお皿が割れる。
「あ~、慣れないことするもんじゃないか」
「まったくだね」
いつのまにやら、架鞍くんがキッチンの入り口に立っている。
「いつからそこにいたの?」
わたしはびっくりしながら、それでもしゃがんで割れた皿の破片を片付け始める。
「ビーフシチューを煮込み始めた頃から」
そんなに前からいたのか……全然気づかなかったよ。
「一言、声かけてくれればよかったのに」
架鞍くんは黙って、かがみこんで破片を片付けるのを手伝い始める。
「あ、いいよ、自分でやるから。怪我でもしたら、」
わたしは言葉を止めた。早くも架鞍くんは破片で指先を切っていたのだ。
「架鞍くん、血! 怪我! 血が出てる!」
「こんなの怪我のうちには、」
言いかける架鞍くんの腕をつかみ、わたしはその指先を自分の口に入れていた。
あれ、舐めるのって傷に悪いんだっけ?
疑問が浮かびつつもぺろぺろと犬のように血を舐め取るわたしを、架鞍くんはじっと見つめる。
「しょっぱ……」
「……舐めると却って傷口に不衛生なの知ってる?」
「えっあっやっぱり……ゴメン! じゃあバンソーコー……」
架鞍くんの腕を離したわたしの腕を、今度は架鞍くんがつかむ。
「……俺が恐くないの?」
「? なんで恐いの?」
架鞍くんはそれには答えず、つぶやく。
「あんたも怪我してる」
「うそ!?」
わたしがしたように、わたしの指をくわえる架鞍くん。ぴく、とそれだけでなぜか微かな快感が走る。それを知ってか知らずか、架鞍くんは丹念に指を舐め始める。
ただ、舐めているだけなのに。その舌の動きは妙に艶めかしく美しく、そして普段の架鞍くんからは想像も出来ないほど優しかった。
出かかる声をぐっと喉につまらせると、架鞍くんは敏感に尋ねてきた。
「気持ちいいの?」
うつむき気味だった架鞍くんの視線が、ふいにこちらを見る。どきりとして、わたしの頬が火照る。
「う、うん……それに、」
「それに?」
「いつもの架鞍くんじゃないみたい……」
架鞍くんは黙って、舌を指先からゆっくり指の間に移動させる。微かな快感が強くなり、わたしはぎゅっと目を閉じた。
心臓が高鳴り始めたとき、
「食事終わり」
ぱっとわたしの手を離し、架鞍くんは立ち上がる。
「しょく……じ?」
きょとんとするわたしに、架鞍くんは意地悪そうな微笑みを浮かべた。あの、プラネタリウムの時のような。
「いい【媚気】だった。甘くて美味しかったよ」
【媚気】というのがなんなのか具体的には分からなかったけど、それが【鬼精王】の「食べ物」なのだということは理解できた。
呆然とするわたしを置いて去っていく、架鞍くん。
あ、とわたしは気づいて自分の指先を見つめる。
わたしは怪我なんて、していなかった。
……なのになんで架鞍くん、こんなことしたんだろう……。
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