2 / 8
●第一話 しゃべる壺、ノーラ・ウィンストン その1
しおりを挟む
●第一話 しゃべる壺、ノーラ・ウィンストン
今日もリーシアは、ぼーっと過ごしていた。
姉、ノーラが旅先で事故死したと聞かされてから、もう一週間になる。
以来リーシアは、ずっとこうして自分の家であるアトリエ「ファルム」の工房に座り込み、ぼーっとしていた。
姉から「一週間後に帰る」という手紙とともに、郵便配達のお兄さんはもう一通の手紙をリーシアに渡した。
それは姉ノーラの依頼人からで、短く「依頼した竜剣を作ろうとしたところ、ノーラは失敗して亡くなった」と事務的に書かれてあった。
なにも知らない郵便配達のお兄さんがさらに渡してくれたちいさな壺は、唯一遺ったノーラの遺品だった。差出人はどこにも書いていなかったけれど、依頼人が慌てていたのだろう。送ってくれただけ感謝しなくてはいけない。
リーシアたちの両親は、ふたりとも錬金術師だった。十歳としの離れたノーラは早くから頭角を現し、両親の手伝いをし、両親が事故死してからはふたりの跡を継いでこのアトリエ「ファルム」を守ってきた。
両親もノーラも腕のいい錬金術師で、だからアトリエも王宮のある華やかな都会、アレクシアに建てることができた。王宮からの依頼も多く、国じゅうの人間がアトリエ「ファルム」のことを知っていた。
だから今回ノーラの死を知ると、近所の人たちは嘆き悲しみ、王宮からも使者がきて国を挙げてお葬式をしてくれた。リーシアが手配する手間はなにも必要なく終わった。
だからリーシアは、なおさらぼーっとしてしまっているのかもしれない。
やることがあれば、少しは気持ちも動いたのかもしれない。
お葬式には王様も王子さまたちも、じきじきに参列してくれた。ノーラは本当に信頼され、愛されていたのだと思う。
近所の人たちはリーシアのことも心配してくれ、毎日のようにお料理やお菓子の差し入れをしてくれる。
「リーシアは、アトリエを継がないの?」
「リーシアは昔から努力してきたから、やればできるかもしれないわよ」
リーシアを元気づけようとしてか、近所の人たちはそうも言った。
けれど、リーシアはとてもそんな気にはなれなかった。
リーシアがなにかを作ろうとすると、それがとても簡単なもの──たとえば目玉焼きだとしても、失敗してしまうのだ。
フライパンで作るぶんには、ちゃんと成功する。
けれど、できるのは当たり前のことだが、至って普通の目玉焼きだ。食べてもなにも効果はない。
錬金術師に求められる「目玉焼き」といえば、たとえば「食べるとすぐに一時的に満腹になる」とか「すぐに一時的に筋力がつく」とか、そういうものだ。
そしてそういったものは、専用の壺でないと作ることができない。
リーシアがアトリエにある専用の壺で作ろうとしても、きちんと勉強したとおり、そしてレシピを見ながらやっても黒焦げになり、失敗に終わる。何十回、何百回と試してきたが、みな結果はおなじだ。目玉焼きでなくとも、それはほかのレシピでもおなじだった。
リーシアには、才能がないのだ。錬金術師の才能が。
きっと錬金術ができない呪いでもかけられているのだと、いつからかそう思うようになっていた。
これだけ勉強しているのに、努力しているのに、できないなんておかしすぎだ。
錬金術には危険がつきものだ。高級なものを作ろうとすればするほど、素材や食材も手に入りにくくなる。
そしてそれらは基本的に自給自足するものであり、できないものは錬金術師は自らとりにいく。
素材は魔物の卵だったり魔物そのものだったりするから、その時点ですでに危険なのだ。
兵士や魔法使いを雇ってもいいのだが、うまく斃さないと肝心の素材の部分に傷がついたりして使い物にならなくなる場合が多い。
だから錬金術師たちは、多くの場合、自分の力でとりに行く。そのために錬金術師たちは、ちいさなころから魔法を習ってもいるのだ。
リーシアももちろん、ノーラに魔法を習っていた。
けれど結果はやっぱり、だめだった。
リーシアはいくらがんばっても、簡単な魔法のひとつも発動できたことがない。いまのいままで一度もだ。
だからやっぱりリーシアは、わたしは呪われているんじゃないかな、なんて思うのだ。
ぼーっとしていると、コンコン、とノックの音がした。
もう時刻は夕方すぎだが、夏のいまはまだ昼間のように明るい。
リーシアはぼーっと立ち上がり、ぼーっと扉を開けた。
そこには護衛の兵士を連れた王子さまが立っていた。
金髪に青い瞳のイケメンなこの王子さまはリーシアのふたつ年上で、ちいさなころからアトリエに通っては動くおもちゃや力の出る食べ物なんかをお小遣いで依頼していた。依頼の品ができあがるまではリーシアと、よく遊んでいた。おもちゃが出来上がればそのおもちゃで、一緒に遊んだ。
第三王子ということもあり、気軽に王宮の外に出ることができるらしい。
リーシアにとって、ほぼ幼なじみのような感覚だった。おそらく、この王子さまもそう思っているに違いない。
王子さま──ユリウス・ラドラグールはいつも元気いっぱいなのに、今日は表情が暗かった。ノーラのお葬式にも参列していたが、そこでも静かに涙を流していた記憶がある。
「リーシア。すぐ来てやれなくてごめんな」
リーシアは、ゆっくりとかぶりを振る。
ユリウスだって王子だ。十八になった彼はこの国では立派に成人とみなされ、執務をするようにもなっている。いくら自由がきくとはいえ、忙しいことに変わりはない。
「こうしてきてくれただけで──きてくださっただけで、ありがたいです」
十六になったら、この国では女性はもうおとなよ。だからいままでみたいにユリウスさまにタメ口なんてきいちゃだめよ──
今年の春、リーシアが十六の誕生日を迎えたその日に届いたノーラの手紙には、お祝いの言葉とともにそう書いてあった。
リーシアも、それもそうだとそのときから言葉遣いに気をつけるようにしている。
ユリウスも特別そのことに突っ込むこともなかったが、少し哀しそうな表情になった。
「少しやせたんじゃないか? ろくに食べていないんだろう」
「近所のおばさんたちが、毎日のようにお料理を持ってきてくださるので……食べてはいます」
「持ってきたものだけだろう? 三食作って持ってきてくれたりするわけじゃないだろう。これを食べて、少しは元気を出せ」
ユリウスは兵士のひとりに持たせていた包みを取り、差し出してきた。
受け取ると、ほのかにバニラのいい香りがする。包みもほかほかと、まだあたたかい。
「これは……」
「バニラパンケーキだ。おまえ、好物だっただろう」
泣きたくなった。
バニラパンケーキはノーラがまだ旅に出る前、毎年リーシアの誕生日に焼いてくれたものだった。「幸せになれますように」と願いをこめて、わざわざ錬金専用の壺で作ってくれた。
あの「幸せのバニラパンケーキ」は、もう食べることができないのだ。
出かかる涙をこらえていると、ユリウスはそっと問いかけてきた。
「リーシア。おまえ、アトリエを開業しないか?」
「ユリウスさままで、そんなこと仰るんですか」
つい恨みがましくそう返すと、横から冷たい声が割って入った。
「後継者のいないアトリエを、いつまでも王都に置いておくわけにはいかない。哀しみの象徴となり、人々の気持ちも暗くなる可能性がある。国王陛下はそう判断を下されたのだ。おまえの両親もノーラにも、それくらいの影響力があった。このアトリエをなくさないためには、リーシア。おまえが跡を継ぐしかない。ユリウスさまのお気持ちくらいお察ししろ」
護衛騎士のひとりであり、ユリウス直属の側近である、リュート・リングウェイだった。
黒髪に青い瞳の彼はユリウスのふたつ年上で、今年二十歳になる。彼も美しい顔をしているのに昔からこんな調子だったから、リーシアとは喧嘩友だちのようなものだった。
だけど、……いまなんて?
「アトリエが……このアトリエが、なくなっちゃうの?」
両親が建てた、この思い出の家がなくなってしまうの?
「だからおまえ、アトリエをやってみないか? 俺だってここがなくなってしまうのは惜しいんだ」
ユリウスのひと押しに、リーシアはどうしよう、と戸惑った。
確かに、リーシアもこの家がなくなってしまうのはいやだ。
けれど、このままにしておいては人々の哀しみの象徴になってしまうというのもわかる。それだけ両親もノーラも人々に頼られていたし、ノーラたちがつくる依頼の品々は人々の希望だった。
願ったものを作ってくれる。願ったものが現実にあらわれる。
この国の魔法使いは希少だったし、だから彼らはプライドも高く、めったなことではそんなことはしてくれない。
そのぶん、ノーラたちが築いてきたものは大きかった。
両親は遠い国で錬金術を学び、この国に取り入れた。弟子も取らなかったし、だからアトリエはこの国でここひとつしかない。
リーシアが跡を継がなければ、アトリエはこの国からなくなってしまうのだ。
両親と姉ノーラが築いてきたものを、途絶えさせてしまっていいのだろうか。
ううん、それよりも。
この思い出の家がなくなってしまうのは、絶対にいやだ──!
「わたし、……やってみます。アトリエをまた開業できるように、なんとかします」
「うん。でも無理はしちゃだめだぞ。おまえが無理をするのは、きっとご両親もノーラも望んでいない」
「はい! ありがとうございます!」
ぐっとお腹に力をこめて返事をすると、ユリウスは少しだけ微笑んだ。リーシアの表情に、生気が戻ったのを確認できたのだろう。
ユリウスたちが去っていくと、まずは腹ごしらえ、とリーシアはいただいた包みをほどいた。
テーブルの上にお皿を載せ、その上にほかほかと湯気が立ったバニラパンケーキを載せる。
つけあわせにチョコレートシロップがついていて、それをかけていただいた。
ノーラがつくってくれたものとは味が違ったが、ふわふわしていてほっこり甘くてこれはこれですごくおいしい。目的がはっきりしたこともあるのだろう、しばらくぶりに満ち足りた気分になった。
工房の両端に山と積み上げられている書物の中からいちばん簡単なレシピ本を出し、開いてみる。
これはちいさなころからずっとリーシアが勉強してきたもので、その前にも両親やノーラが使ってきたから、もうぼろぼろな状態だった。字もなんとか読めるくらいだ。
「えっと……やっぱり最初は目玉焼きかなぁ」
レシピ本をぺらぺらめくりながら悩んでいると、「ちょっと」とどこからか声がした。
ユリウスが戻ってきたのだろうか?
いや、だけどいまのは女の声だったような──
きょろきょろと見てみるけれど、工房の中には誰もいない。
気のせいかとレシピ本に向き直るリーシアの耳に、今度ははっきりと声が聞こえてきた。
「ちょっとリーシア! さっきから何度も呼んでいるでしょう! こっち向きなさい!」
「えっ!?」
その声には、聞き覚えがあった。
ものすごく聞き覚えがある──そう、間違いなく姉、ノーラのものだ。
もしかして、お姉ちゃんが戻ってきたの!?
お姉ちゃんは死んでいなかったの!?
リーシアは工房のあちこちを探し回った。壺の中、テーブルの下、書物の山をかきわけてもみた。
だが、姉の姿はどこにもない。
やっぱり空耳だったのだろうか──肩を落としかけたところへ、
「そこじゃない! ここ!」
と、またどこからか姉の声がする。
「ここよ、ここ! 早く見つけろー!」
怒っているような必死なその声は、よく聞いてみると一方向からする。
一方向──工房のすみに置いてある、ノーラの形見の壺から聞こえてくる。
歩み寄ったリーシアは、壺の中をのぞき見ようと手に取った。
ところへ、
「やっと見つけたわね、もう!」
と怒られた。──壺に。
「え、壺?」
思わず聞き返してしまうリーシアに、壺はきっぱりと、
「そうよ! いまはこんな姿になっちゃったけど、元はちゃんとノーラよ! ノーラ・ウィンストンよ!」
と断言した。
壺が……しゃべった?
というか。
「お姉ちゃん……?」
「だからそうだって言ってるじゃない!」
まさかのまさかだった。
リーシアは、叫んだ。
「お姉ちゃん、壺になっちゃったの!?」
まさか姉が壺に生まれ変わってしまったとは!
けれど、それはちょっと違うようだった。
今日もリーシアは、ぼーっと過ごしていた。
姉、ノーラが旅先で事故死したと聞かされてから、もう一週間になる。
以来リーシアは、ずっとこうして自分の家であるアトリエ「ファルム」の工房に座り込み、ぼーっとしていた。
姉から「一週間後に帰る」という手紙とともに、郵便配達のお兄さんはもう一通の手紙をリーシアに渡した。
それは姉ノーラの依頼人からで、短く「依頼した竜剣を作ろうとしたところ、ノーラは失敗して亡くなった」と事務的に書かれてあった。
なにも知らない郵便配達のお兄さんがさらに渡してくれたちいさな壺は、唯一遺ったノーラの遺品だった。差出人はどこにも書いていなかったけれど、依頼人が慌てていたのだろう。送ってくれただけ感謝しなくてはいけない。
リーシアたちの両親は、ふたりとも錬金術師だった。十歳としの離れたノーラは早くから頭角を現し、両親の手伝いをし、両親が事故死してからはふたりの跡を継いでこのアトリエ「ファルム」を守ってきた。
両親もノーラも腕のいい錬金術師で、だからアトリエも王宮のある華やかな都会、アレクシアに建てることができた。王宮からの依頼も多く、国じゅうの人間がアトリエ「ファルム」のことを知っていた。
だから今回ノーラの死を知ると、近所の人たちは嘆き悲しみ、王宮からも使者がきて国を挙げてお葬式をしてくれた。リーシアが手配する手間はなにも必要なく終わった。
だからリーシアは、なおさらぼーっとしてしまっているのかもしれない。
やることがあれば、少しは気持ちも動いたのかもしれない。
お葬式には王様も王子さまたちも、じきじきに参列してくれた。ノーラは本当に信頼され、愛されていたのだと思う。
近所の人たちはリーシアのことも心配してくれ、毎日のようにお料理やお菓子の差し入れをしてくれる。
「リーシアは、アトリエを継がないの?」
「リーシアは昔から努力してきたから、やればできるかもしれないわよ」
リーシアを元気づけようとしてか、近所の人たちはそうも言った。
けれど、リーシアはとてもそんな気にはなれなかった。
リーシアがなにかを作ろうとすると、それがとても簡単なもの──たとえば目玉焼きだとしても、失敗してしまうのだ。
フライパンで作るぶんには、ちゃんと成功する。
けれど、できるのは当たり前のことだが、至って普通の目玉焼きだ。食べてもなにも効果はない。
錬金術師に求められる「目玉焼き」といえば、たとえば「食べるとすぐに一時的に満腹になる」とか「すぐに一時的に筋力がつく」とか、そういうものだ。
そしてそういったものは、専用の壺でないと作ることができない。
リーシアがアトリエにある専用の壺で作ろうとしても、きちんと勉強したとおり、そしてレシピを見ながらやっても黒焦げになり、失敗に終わる。何十回、何百回と試してきたが、みな結果はおなじだ。目玉焼きでなくとも、それはほかのレシピでもおなじだった。
リーシアには、才能がないのだ。錬金術師の才能が。
きっと錬金術ができない呪いでもかけられているのだと、いつからかそう思うようになっていた。
これだけ勉強しているのに、努力しているのに、できないなんておかしすぎだ。
錬金術には危険がつきものだ。高級なものを作ろうとすればするほど、素材や食材も手に入りにくくなる。
そしてそれらは基本的に自給自足するものであり、できないものは錬金術師は自らとりにいく。
素材は魔物の卵だったり魔物そのものだったりするから、その時点ですでに危険なのだ。
兵士や魔法使いを雇ってもいいのだが、うまく斃さないと肝心の素材の部分に傷がついたりして使い物にならなくなる場合が多い。
だから錬金術師たちは、多くの場合、自分の力でとりに行く。そのために錬金術師たちは、ちいさなころから魔法を習ってもいるのだ。
リーシアももちろん、ノーラに魔法を習っていた。
けれど結果はやっぱり、だめだった。
リーシアはいくらがんばっても、簡単な魔法のひとつも発動できたことがない。いまのいままで一度もだ。
だからやっぱりリーシアは、わたしは呪われているんじゃないかな、なんて思うのだ。
ぼーっとしていると、コンコン、とノックの音がした。
もう時刻は夕方すぎだが、夏のいまはまだ昼間のように明るい。
リーシアはぼーっと立ち上がり、ぼーっと扉を開けた。
そこには護衛の兵士を連れた王子さまが立っていた。
金髪に青い瞳のイケメンなこの王子さまはリーシアのふたつ年上で、ちいさなころからアトリエに通っては動くおもちゃや力の出る食べ物なんかをお小遣いで依頼していた。依頼の品ができあがるまではリーシアと、よく遊んでいた。おもちゃが出来上がればそのおもちゃで、一緒に遊んだ。
第三王子ということもあり、気軽に王宮の外に出ることができるらしい。
リーシアにとって、ほぼ幼なじみのような感覚だった。おそらく、この王子さまもそう思っているに違いない。
王子さま──ユリウス・ラドラグールはいつも元気いっぱいなのに、今日は表情が暗かった。ノーラのお葬式にも参列していたが、そこでも静かに涙を流していた記憶がある。
「リーシア。すぐ来てやれなくてごめんな」
リーシアは、ゆっくりとかぶりを振る。
ユリウスだって王子だ。十八になった彼はこの国では立派に成人とみなされ、執務をするようにもなっている。いくら自由がきくとはいえ、忙しいことに変わりはない。
「こうしてきてくれただけで──きてくださっただけで、ありがたいです」
十六になったら、この国では女性はもうおとなよ。だからいままでみたいにユリウスさまにタメ口なんてきいちゃだめよ──
今年の春、リーシアが十六の誕生日を迎えたその日に届いたノーラの手紙には、お祝いの言葉とともにそう書いてあった。
リーシアも、それもそうだとそのときから言葉遣いに気をつけるようにしている。
ユリウスも特別そのことに突っ込むこともなかったが、少し哀しそうな表情になった。
「少しやせたんじゃないか? ろくに食べていないんだろう」
「近所のおばさんたちが、毎日のようにお料理を持ってきてくださるので……食べてはいます」
「持ってきたものだけだろう? 三食作って持ってきてくれたりするわけじゃないだろう。これを食べて、少しは元気を出せ」
ユリウスは兵士のひとりに持たせていた包みを取り、差し出してきた。
受け取ると、ほのかにバニラのいい香りがする。包みもほかほかと、まだあたたかい。
「これは……」
「バニラパンケーキだ。おまえ、好物だっただろう」
泣きたくなった。
バニラパンケーキはノーラがまだ旅に出る前、毎年リーシアの誕生日に焼いてくれたものだった。「幸せになれますように」と願いをこめて、わざわざ錬金専用の壺で作ってくれた。
あの「幸せのバニラパンケーキ」は、もう食べることができないのだ。
出かかる涙をこらえていると、ユリウスはそっと問いかけてきた。
「リーシア。おまえ、アトリエを開業しないか?」
「ユリウスさままで、そんなこと仰るんですか」
つい恨みがましくそう返すと、横から冷たい声が割って入った。
「後継者のいないアトリエを、いつまでも王都に置いておくわけにはいかない。哀しみの象徴となり、人々の気持ちも暗くなる可能性がある。国王陛下はそう判断を下されたのだ。おまえの両親もノーラにも、それくらいの影響力があった。このアトリエをなくさないためには、リーシア。おまえが跡を継ぐしかない。ユリウスさまのお気持ちくらいお察ししろ」
護衛騎士のひとりであり、ユリウス直属の側近である、リュート・リングウェイだった。
黒髪に青い瞳の彼はユリウスのふたつ年上で、今年二十歳になる。彼も美しい顔をしているのに昔からこんな調子だったから、リーシアとは喧嘩友だちのようなものだった。
だけど、……いまなんて?
「アトリエが……このアトリエが、なくなっちゃうの?」
両親が建てた、この思い出の家がなくなってしまうの?
「だからおまえ、アトリエをやってみないか? 俺だってここがなくなってしまうのは惜しいんだ」
ユリウスのひと押しに、リーシアはどうしよう、と戸惑った。
確かに、リーシアもこの家がなくなってしまうのはいやだ。
けれど、このままにしておいては人々の哀しみの象徴になってしまうというのもわかる。それだけ両親もノーラも人々に頼られていたし、ノーラたちがつくる依頼の品々は人々の希望だった。
願ったものを作ってくれる。願ったものが現実にあらわれる。
この国の魔法使いは希少だったし、だから彼らはプライドも高く、めったなことではそんなことはしてくれない。
そのぶん、ノーラたちが築いてきたものは大きかった。
両親は遠い国で錬金術を学び、この国に取り入れた。弟子も取らなかったし、だからアトリエはこの国でここひとつしかない。
リーシアが跡を継がなければ、アトリエはこの国からなくなってしまうのだ。
両親と姉ノーラが築いてきたものを、途絶えさせてしまっていいのだろうか。
ううん、それよりも。
この思い出の家がなくなってしまうのは、絶対にいやだ──!
「わたし、……やってみます。アトリエをまた開業できるように、なんとかします」
「うん。でも無理はしちゃだめだぞ。おまえが無理をするのは、きっとご両親もノーラも望んでいない」
「はい! ありがとうございます!」
ぐっとお腹に力をこめて返事をすると、ユリウスは少しだけ微笑んだ。リーシアの表情に、生気が戻ったのを確認できたのだろう。
ユリウスたちが去っていくと、まずは腹ごしらえ、とリーシアはいただいた包みをほどいた。
テーブルの上にお皿を載せ、その上にほかほかと湯気が立ったバニラパンケーキを載せる。
つけあわせにチョコレートシロップがついていて、それをかけていただいた。
ノーラがつくってくれたものとは味が違ったが、ふわふわしていてほっこり甘くてこれはこれですごくおいしい。目的がはっきりしたこともあるのだろう、しばらくぶりに満ち足りた気分になった。
工房の両端に山と積み上げられている書物の中からいちばん簡単なレシピ本を出し、開いてみる。
これはちいさなころからずっとリーシアが勉強してきたもので、その前にも両親やノーラが使ってきたから、もうぼろぼろな状態だった。字もなんとか読めるくらいだ。
「えっと……やっぱり最初は目玉焼きかなぁ」
レシピ本をぺらぺらめくりながら悩んでいると、「ちょっと」とどこからか声がした。
ユリウスが戻ってきたのだろうか?
いや、だけどいまのは女の声だったような──
きょろきょろと見てみるけれど、工房の中には誰もいない。
気のせいかとレシピ本に向き直るリーシアの耳に、今度ははっきりと声が聞こえてきた。
「ちょっとリーシア! さっきから何度も呼んでいるでしょう! こっち向きなさい!」
「えっ!?」
その声には、聞き覚えがあった。
ものすごく聞き覚えがある──そう、間違いなく姉、ノーラのものだ。
もしかして、お姉ちゃんが戻ってきたの!?
お姉ちゃんは死んでいなかったの!?
リーシアは工房のあちこちを探し回った。壺の中、テーブルの下、書物の山をかきわけてもみた。
だが、姉の姿はどこにもない。
やっぱり空耳だったのだろうか──肩を落としかけたところへ、
「そこじゃない! ここ!」
と、またどこからか姉の声がする。
「ここよ、ここ! 早く見つけろー!」
怒っているような必死なその声は、よく聞いてみると一方向からする。
一方向──工房のすみに置いてある、ノーラの形見の壺から聞こえてくる。
歩み寄ったリーシアは、壺の中をのぞき見ようと手に取った。
ところへ、
「やっと見つけたわね、もう!」
と怒られた。──壺に。
「え、壺?」
思わず聞き返してしまうリーシアに、壺はきっぱりと、
「そうよ! いまはこんな姿になっちゃったけど、元はちゃんとノーラよ! ノーラ・ウィンストンよ!」
と断言した。
壺が……しゃべった?
というか。
「お姉ちゃん……?」
「だからそうだって言ってるじゃない!」
まさかのまさかだった。
リーシアは、叫んだ。
「お姉ちゃん、壺になっちゃったの!?」
まさか姉が壺に生まれ変わってしまったとは!
けれど、それはちょっと違うようだった。
0
あなたにおすすめの小説
なぜ、私に関係あるのかしら?
シエル
ファンタジー
「初めまして、アシュフォード公爵家一女、セシリア・アシュフォードと申します」
彼女は、つい先日までこの国の王太子殿下の婚約者だった。
そして今日、このトレヴァント辺境伯家へと嫁いできた。
「…レオンハルト・トレヴァントだ」
非道にも自らの実妹を長年にわたり虐げ、婚約者以外の男との不適切な関係を理由に、王太子妃に不適格とされ、貴族学院の卒業式で婚約破棄を宣告された。
そして、新たな婚約者として、その妹が王太子本人から指名されたのだった。
「私は君と夫婦になるつもりはないし、辺境伯夫人として扱うこともない」
この判断によって、どうなるかなども考えずに…
※ 中世ヨーロッパ風の世界観です。
※ ご都合主義ですので、ご了承下さい、
※ 画像はAIにて作成しております
『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』
夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」
教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。
ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。
王命による“形式結婚”。
夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。
だから、はい、離婚。勝手に。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。
何か問題あります?
【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。
【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました
いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。
子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。
「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」
冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。
しかし、マリエールには秘密があった。
――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。
未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。
「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。
物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立!
数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。
さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。
一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて――
「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」
これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、
ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー!
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
田舎娘、追放後に開いた小さな薬草店が国家レベルで大騒ぎになるほど大繁盛
タマ マコト
ファンタジー
【大好評につき21〜40話執筆決定!!】
田舎娘ミントは、王都の名門ローズ家で地味な使用人薬師として働いていたが、令嬢ローズマリーの嫉妬により濡れ衣を着せられ、理不尽に追放されてしまう。雨の中ひとり王都を去ったミントは、亡き祖母が残した田舎の小屋に戻り、そこで薬草店を開くことを決意。森で倒れていた謎の青年サフランを救ったことで、彼女の薬の“異常な効き目”が静かに広まりはじめ、村の小さな店《グリーンノート》へ、変化の風が吹き込み始める――。
『外見しか見なかったあなたへ。私はもう、選ぶ側です』
鷹 綾
恋愛
「お前のようなガキは嫌いだ」
幼く見える容姿を理由に、婚約者ライオネルから一方的に婚約を破棄された
公爵令嬢シルフィーネ・エルフィンベルク。
その夜、嫉妬に狂った伯爵令嬢に突き落とされ、
彼女は一年もの間、意識不明の重体に陥る――。
目を覚ました彼女は、大人びた美貌を手に入れていた。
だが、中身は何ひとつ変わっていない。
にもかかわらず、
かつて彼女を「幼すぎる」と切り捨てた元婚約者は態度を一変させ、
「やり直したい」とすり寄ってくる。
「見かけが変わっても、中身は同じです。
それでもあなたは、私の外見しか見ていなかったのですね?」
静かにそう告げ、シルフィーネは過去を見限る。
やがて彼女に興味を示したのは、
隣国ノルディアの王太子エドワルド。
彼が見ていたのは、美貌ではなく――
対話し、考え、異論を述べる彼女の“在り方”だった。
これは、
外見で価値を決められた令嬢が、
「選ばれる人生」をやめ、
自分の意思で未来を選び直す物語。
静かなざまぁと、
対等な関係から始まる大人の恋。
そして――
自分の人生を、自分の言葉で生きるための物語。
---
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる