月下の約束~君を求め君を愛す~

希彗まゆ

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リョウの足跡、アイの声

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数ある天然石の中でも、淡い黄色の石をリョウは一番気に入っている。
天然石を磨く作業は毎日はてしなく思えたが、それでもこの色の石のときはまったく気にならない。退屈な毎日の中で、その時間がリョウは一番好きだった。

(地球で言えば、ムーンストーン?だったっけ……)

あの色に、よく似ている。
この色の石を磨いていると、ふと忘れそうになる月の名を持つ彼女のことが思い起こされる。
彼女──竜舞月花。リョウの恋人。
正直なところリョウには、月花に対して異性としての「好き」の気持ちは微塵もない。それが自分自身のせいだともわかっている。だからこそ、意地でも守り通したいのかもしれない。

「見入るほど気に入ったのかい?」

床に座って清潔な布で丁寧に石を磨いていたリョウは、その声に顔を上げた。
いつの間にか部屋の扉が開いていて、そこにもたれかかるようにイルメーダが立っている。習慣で腕時計を見ようとして、リョウは、そういえばズボンのポケットに移したんだったと思い出す。
家を歩いて回る野菜売りの女から晩ご飯に使いそうな野菜をいくつか買ったのが、一時間ほど前。そのときにはもう薄暗くなり始めていたから、イルメーダはもう店をひけてきたのだろう。いつもならいまからイルメーダが料理をし、一緒に夕飯を食べる。

ここはイルメーダの店の二階で、リョウに宛がわれた部屋だった。もう一週間ほども世話になっている。
占い師だとイルメーダは自分を明かしたあと、リョウに一通りの服を与えた。元々この家にあったものかわからなかったが、イルメーダに用意できないものはないのだとセレネータは言っていた。
手伝ってもらうよとは言われていたが、実際には顔をあまり知られたくないリョウができることは限られていた。そう、こういうふうに石を磨くことくらいしか。料理は無理そうだったから洗濯にも挑戦してみたのだが、洗濯機のないこの世界では練習が必要なようで、そちらではまだ役に立っているとは言い難い。

「ひとつ、あげるよ」

イルメーダはそう言う。リョウはかぶりを振った。

「置いてもらっているのに、それはできません」
「カタブツだねぇ……その言い方もやめとくれって言っただろう?」
「──ごめん、……つい」

敬語はやめてくれと初日に言われていた。けれど──相手が年上で自分が世話になっている身ならばと、そう思ってしまう。それに……。

「レイン」

ふとこの世界での与えられた名を呼ばれ、リョウは切れ長の瞳を瞬かせる。

「その石の名も、レインていうんだよ」

イルメーダが言う。リョウは、手の中の石を見下ろした。淡く黄色に光る石。──レイン。英語なら、雨、か。ふとそんな訳をしてしまった自分がおかしくなり、口の端を上げる。

「どうしてこの石の名を俺に?」

尋ねてみる。イルメーダもまた、形の良い唇に笑みを浮かべた。

「小さいころ、わたしのあだ名がそうだったから」

ああ、と思う。イルメーダの瞳の色もこの色だ、と。そう思い、もう一度イルメーダを見上げる。その双眸にはめ込まれたような月色に輝く光。いつもながら、吸い込まれそうになる。黎子──レイコ、という名にも似ているな。なんて思ってしまう自分がいる。そう思ったとたん、だから俺はだめなんだと心の中で舌打ちする。だからシスコンなんだ、と。
だけど思ってしまうのだ。なにか運命的なものを、感じてしまう。この石と、──イルメーダに。それは、隠してもあふれ出てくる想いだった。この一週間で、リョウは確実にイルメーダに惹かれていた。
わかっているのかいないのか、イルメーダは目を細めて笑う。

「──だめだよ」

ただ、そう言う。幼子をなだめるように、優しく。

「あんたには、守りたいものがあるんだろ?」

それは姉が俺に言ったから。

『好きな人を守りたいなら、まずあなたは自分の命を守らなくちゃだめよ?』

そう、言われたから。
決して月花のためではない。イルメーダがそうと知れば、どう思うだろう。呆れてリョウをなじるだろうか。まったく相手にもされなくなるだろうか。リョウの「好きな人」は、月花でなくてはならないのだ。
──なのに。
これ以上見ていると、本当に月花を裏切ることになる。そんな思いで、リョウはイルメーダから視線をそらした。

「イルメーダ」

そのかわりに、呼んだ。

「いつ月花に会えるか、──占ってくれないか?」

ぎゅっと手の中の石を握る。かたく強く自戒するように。



「ヤンとセイルーンは昔から仲が良かったのです。ですからほら、お城もふたつ仲良く並んだ形になっているのですよ。ほら、外から見ればどちらのお城も国境のすぐ近くにあるのがわかるでしょう?」

少年兵ルカの講釈に、月花はまったく興味をそそられなかった。けれどルカは一生懸命説明してくれている。確かに顔を上げてみれば、遠くのほうにセイルーンの城の塔の部分が見えている。
月花の世話を任されたこの金髪の少年兵ルカは、月花を中庭に連れ出しながらはりきったようにヤンとセイルーンの歴史を語っていた。彼はイファンから、月花は名も無い国からきたのだと聞かされているらしい。だからなのか、セイルーンとヤンのことを一から教えようとしているようだった。
けれど、月花が知りたいことは他にある。たとえば──いつアイに会えるのか。リョウはどうしているのか。日本にはいつ戻れるのか……。もちろん、そんなことをルカが知るはずもない。だから月花は黙って彼の話を聞くだけにしている。

「だから、もう何百年も戦争はないのですよ。ヤンがセイルーンを支配下に置いてはいますけど、両国王は代々とても仲がおよろしくて」
「でも、セイルーンの王もイファンを恐がっているみたいに見えた」

ついそう口を挟むと、ルカの顔が哀しそうになる。

「以前はイファン様も、あんなふうではなかったんです。シオン様と、そしてルーシィ様と三人で仲良く遊んでいらっしゃいました」

初めて違う名が出てきて、月花は首を傾げた。

「ルーシィ?」
「はい。でもルーシィ様は鍵の遺跡でお亡くなりに──」

ルカがそこまで話したとき、中庭にふと風が吹いた。
近くの木の影からイファンが姿を現す。
この中庭に出ることをイファンが許したとき、彼は言っていた。「どこにいても内緒話はできませんよ」と。どこにいてもイファンがすぐに駆けつける。魔法で、風に乗って……あれはそういう意味だったのかとわかる。もしかしたら会話の内容ですら、聞き耳を立てているのかもしれない。常に。

「ルカ。その話はしなくてもいいです」

でなければなぜ、ルカが話そうとしたことを知っているというのだろう。こんなふうに。
イファンに微笑まれて、ルカは「すみません」と慌てたように頭を下げた。
イファンはそれ以上咎めることもなく、尋ねる。

「どこまで話しました? 我らルーインにとって『エルの歌姫』という存在がどれほど大切なものかは?」
「あ、それはまだ」
「歴史の話ばかりしても、ツキカには意味はありませんよ。彼女はルーインなんですから」

そう言い、含みを込めた氷の瞳で月花を見る。
──あなたはルーインではありません。「エルの歌姫」です──
鍵の遺跡でイファンにそう言われたのは、昨日のことだ。その意味を説明することもなく、彼は月花を連れて城に戻ってきた。
それから彼の続き部屋を月花に与えた。壁一枚を隔てたすぐ隣にイファンがいるとなると、とても食事をする気分ではなかったが、お腹はすいていたのでありがたくスープはいただいたのだが。
続き部屋には既に女物の調度品が揃えられていて、カーテンも薄いピンク色だった。

「ツキカ様がいらっしゃる前は、クリーム色だったのですよ」

セイルーンの城で少しだけ世話になったセイラより、活発そうな侍女ジェシーが教えてくれた。これからツキカ様の身の回りのお世話を言いつかりました、と。主にはルカが世話係のようだったが、お風呂や着替えのときにはジェシー。そういう分担のようだった。

「ツキカ様を自分のお部屋に一週間置いて、その間に続き部屋を改装する命令を下されたのです」

おしゃべりなジェシーはそうも言っていた。

「一週間って、セイルーンからヤンへは1日で着くの?」

素朴な疑問を投げかけてみると、ジェシーは月花の髪をとかしながら教えてくれた。

「セイルーンとヤンのお城はふたつとも隣同士といってもいいくらいなんですよ。どちらのお城も国境のすぐ近く。ですから、数時間ほどあれば充分です」

そこへきてルカのあの説明。実際に見るまで、月花はふたつの城が隣同士だということに気がつかなかった。というか、エルの地に来てからというものこうしてゆっくりとなにかを観察する余裕などなかったのだが。
ともかくイファンは、

「あなたは『エルの歌姫』です。けれどそのことは、ふたりだけの秘密ということにしていてくださいね」

と言い置くのも忘れなかった。その意味するところはわからなかったが、また誰かを見せしめにされでもしたらと思うと恐くて、うなずくしかなかった。だからイファン以外は皆、月花はルーインだと思っている。

「出かけます。ツキカに準備をさせてください」

イファンはそう言い、ルカはうなずく。
出来るだけ城の中も出歩かないように、とイファンには昨日言われていた。なのにイファン自身は自分の勝手でこうして月花を連れて歩く。彼の意図が、分からない。

「どこに行くの?」

ついむきになってそう尋ねると、イファンは上衣のボタンに絡まった自分の髪をほどきながら答えた。

「昨日と同じ場所へ」

鍵の遺跡へ──。
また歌わされるのではないだろうか、と月花の身体が硬くなる。昨日の現象が一体なんだったのか、わからない。自分でも気味が悪い。なのにまたあんなことになったりしたら、嫌だ。

「ツキカ様、お部屋へ戻りますよ」

ルカがそう言い、月花の背中を押す。
──イファンには、誰も逆らえない。逆らったら自分だけでなく、ルカやジェシーが咎めを受けるだろう。それはもっと嫌だ。仕方なく、月花は中庭を後にする。
中庭に来るまでもそうだったが、部屋に戻る途中も、月花を見た侍女や兵士達がすれ違いざま会釈をしていく。イファンから、もう月花もルーインなのだと触れがまわっているのだろう。なんとなく、気持ちが落ち着かない。そのうち慣れるのだろうか。
やや目を伏せ気味にして歩いていた月花に、ルカがそっと言った。

「首のお怪我、あまり目立たないようでよかったです」

セイルーンの城、あの会食のときにイファンにつけられた傷のことだと思い当たる。そういえばいつの間にかされていた包帯も、もうとれるようになっていた。かさぶたも、もう少しで取れそうだ。

「シオン様が、手当てをなさったのですよ」

小声のルカを、月花は振り返る。

「──シオンが?」
「はい。それと……お言伝を預かっています」
「ことづて?」

シオンが、月花に?
不思議な思いで自然とこちらも小声になる。ルカはさっとあたりを見渡して、一瞬ひとけがなくなったのを見計らい、耳打ちした。

「リョウという方がセイルーンのお城へ迎えに来たと。そのお方からツキカ様へとお預かりしたものも、シオン様からお預かりしています」

リョウが──!?
思わず口をついてその名を言いそうになり、月花はぐっと歯を食いしばって我慢した。リョウという名を出すだけで、彼の身が危険になる。けれど、胸の内の喜びは隠すことができなかった。
リョウ──セイルーンの城に来てくれていたのだ。迎えに来てくれていたのだ。シオンのもとへ、会いに来てくれていた──!

「昨日はジェシーもいたので、お伝えできませんでした。お預かりしたものは、後ほどベッドの下へ置いておきます」
「ありがとう」

胸の詰まる思いで礼を言うと、ルカは太陽のように輝かんばかりの笑みを見せた。彼のような無邪気な少年を、イファンが傍へ置いているのは不思議な気がする。
部屋へ戻ると着替えのため、ルカからジェシーへと引き継がれる。この城に来てからもずっと白いワンピースだったが、着替えさせられるのも白いワンピースだった。まったく同じ形ではないが、形容すると白いワンピースという点では同じだ。白というのはイファンの好みだろうか。そういえば寝間着も白い絹でできている。
ひとりでも充分着替えられるのだが、イファンに言いつかっているからにはそうはいかないのだろう。ジェシーがかいがいしく前開きのワンピースのボタンをとめていく。
ジェシーが月花のこめかみの部分の髪を編み込んでいるとき、ふと頭の中に声が響いてきた。

『──月花』

はっとする。優しく穏やかなこの声は、──アイ。リョウのことを聞いたときと同じく、思わず名を呼びそうになってこらえる。身じろぎした月花を、ジェシーが怪訝そうに見た。

「ツキカ様?」
「あ、ごめんなさい。ちょっと髪が引っ張られて」
「すみません。もう少しゆるく編みますね」

つとめて、なんでもないふうにふるまう。だが、耳は澄ませた。

『そのままでいて。ぼくのいうことを聞いて』

アイ──一体いまどこに? どこからこの声を送っているのだろう。そんなことができるということは、アイもルーインなのだろうか。

『今日鍵の遺跡へ行ったら、いまから教える歌を歌って』

めまぐるしく頭を働かせる月花の頭の中で、アイが歌い始める。一度聞けば、大抵の歌は月花は覚えられる。アイはそれを知っている。

『愛しき君よ もしわたしが神子なる日には 約束しましょう 変わらぬ幸せを──』

切なくも優しい旋律だった。思わず初めて聞いた月花ですら、胸が詰まるような。
ふるい歌なのか、短く終わる。

「はい、できましたよ」

ジェシーのその声で、月花は我に返った。いつの間にかアイの歌声もやんでいる。ジェシーにお礼を言おうとしたところへ、ノックもなしにイファンが入ってきた。まったく、まだ着替え中だったらどうするのだろう。
睨みつける月花の手を取り、

「行きますよ」

と昨日のように部屋から連れ出していく。どうやらイファンは、会話のすべてを耳にできるわけではないらしい。鍵の遺跡へと向かう間も、鍵の遺跡について入った後も、ルカとした話題は出なかった。
今日も昨日のように、供は誰もいない。イファンと月花のふたりきりだ。
イファンは昨日のように十字架の前に立ち、月花と向かい合う。そしてやはり、言った。

「一曲歌って頂けませんか」

アイの声はあれから聞こえないけれど、どこかでアイが見守ってくれている。祈るような思いで、月花はゆっくりと、アイに教わったばかりの歌を歌い出した。
目を閉じると、瞼の裏にやはり氷色が翻る。幼いころの誰かと誰か。銀髪の小さな男の子と女の子。そして淡い水色の髪──これは、イファン?

愛しき君よ もしわたしが神子なる日には 約束しましょう 変わらぬ幸せを──

繰り返される歌詞を最後に歌ってそっと目を開けた月花は、目をみはる。
昨日のように月花の髪は銀色になり、あたり一面を覆うようにのびている。
けれど月花が驚いたのは、別の理由からだった。

いつも微笑みを崩さないイファン。
呆然としたような、その彼の氷色の瞳から、涙が静かに頬を伝っていた。
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