LOVE PHANTOM-罪深き天使の夢-

希彗まゆ

文字の大きさ
10 / 23

空水と水琴

しおりを挟む
ある時、空水(うつみ)という女性の能力者が、幼子を連れて『母なる都』を訪れた。

歳は20代前半ほどに見えたが、実際はもっと上かもしれない。
黒茶色の豊かな髪の毛を持ち、青い海の瞳をしたその女性は、たぐいまれな美人だった。

どうしてかひどく憔悴しているようだったが、それでもそのあまりの美しさに科学者たちは見惚れた。

「紅茶を飲みますか」

見惚れていた彩地はようやく我に返ってから、幼子をしっかりと抱きしめている空水に椅子をすすめ、慌ててそう尋ねた。

「ここへ来る能力者は、疎外されることに疲れている者がほとんどだけど、あんなに憔悴しているなんて──何があったのかしら」

施設に案内する前に、そうして客間で休ませておいて、廊下に出た彩地は毬黄に話しかけた。

「あんな状態でチカラをもらうなんてできるのか? 大丈夫なのか?」

毬黄も眉をひそめたが、紫嵐が相変わらずの無表情で口を開いた。

「あの女性からチカラを提供してもらうか否かは、緑炎の判断に任せることにしました。後日、面会の予定をたてています。それまでは姉さん、面倒を任せます」

そして数時間後、空水は幼子を抱いたまま、彩地に連れられて施設に向かった。
幼子のほうは、服も顔も汚れてはいたけれど、初めて見る施設の様子に目を大きくして感動している様子だった。
あてがわれた部屋につくと、空水はようやく幼子を降ろし、木製の青い椅子に腰かけた。

「おかあさん、ここ、きれいね」

話しかけられて、空水は娘を見る。
ふと立ち上がり、洗面所からタオルを見つけて持ってくると、娘の汚れた顔を拭いてやった。

「つらい思いをさせてごめんね、水琴……」

空水は言ったが、水琴はかぶりを振った。

「あたしつらくないわ。あの藍色の髪の毛のお姉ちゃん、優しかったもの。でもね、どうしておとうさんは一緒にこなかったの?」

それを聞いたとたん、空水はみるみる泣き顔になり、床に大粒の涙をこぼした。
幼い水琴は驚き、どうしたの、どこか痛いの、とおろおろしたが、空水は、

「水琴、お願い。おとうさんのことは、言わないで……琴藍(きいん)のことは、決して口に出さないで──」

水琴はわけが分からなかったが、母がこんなにも哀しむのなら、もう父親のことは決して言うまいと、口を閉ざした。



翌日、空水の部屋を緑炎が訪れた。
昨日空水がこの研究所へ到着したときには、彼は自分の研究所にこもっていたので、これが初対面である。

「責任者の緑炎です。入ってもよろしいだろうか」

扉をノックして言うと、中から「どうぞ」とか細い声がした。
鍵はかかっていない。
扉を開けた緑炎は、中にいた空水を見てわずかに動きを止めた。

「少しお話してもいいかしら?」

共にいた彩地が言うと、空水はうなずいた。
もうひとり、助手として同行した妹の紫嵐が最後に部屋に入って扉を閉める。
緑炎と空水が向かい合う形で椅子に座り、彩地と紫嵐はそれぞれ左右に立った。

「なるほど、ずいぶんお疲れのようだが」

緑炎が口火を切る。
あまりに相手が疲労していると認めたせいか、言葉の調子が心持ち優しげだ。

「チカラをいただいても、大丈夫だろうか?」
「かまいません」

空水はうつむき加減に答える。

「そうしなければわたし、申し訳なくてここに住むことができませんもの」
「では、体力が回復してからにしよう。一ヶ月もあれば充分ですか?」
「わたしはいつでもかまいませんわ。いえ、むしろ早いほうが思い切りがついていいですわ」

きっぱりした口調で、空水は言う。

「でも少し休んだほうがいいわ」

彩地が口を挟む。

「あなた、相当疲れてるみたいだもの。ね、そうしましょう」
「そうだな」

緑炎もうなずく。

「では、二週間後ということでどうだろうか?」
「……はい。それでけっこうです」

空水がうなずいたとき、奥の扉が開いて水琴が顔を出した。

「おかあさん……、何のお話?」
「いいから寝てなさい、……眠れないの? おかあさん、お歌、歌おうか」
「うん」
「では、我々はこれで」

緑炎が立ち上がり、空水は軽くお辞儀をした。
奥の部屋へ入っていく彼女を見つめていた緑炎を、彩地が微笑して急かす。

「緑炎、行きましょう」
「……ああ」

奥の扉が閉まったのを合図に、緑炎は部屋を出た。

「驚いたわ。緑炎でも人に見惚れることってあるのね」

研究室に入ってから、彩地は感心したようにため息をついた。
なにやらレポートを作成していた毬黄が、聞きとめて顔を上げる。

「見惚れた? あいつが? なにかの間違いじゃねえか?」
「あらあそんなことないわ! 空水さんを見た瞬間、緑炎ったら息を呑んだもの。瞬きもしてなかったわ、ねえ紫嵐?」

黙々と書類の整理をしていた紫嵐は、「さあどうでしたか」、と知らぬふりをする。

「あんただって見てたでしょ? 緑炎、最後まで空水さんから目を離さなかったじゃないの」
「たとえそうだとしても、わたしには何の関係もありません。関係のないことには興味がありませんから、よく観察しなかった、だから分かりません」

それから紫嵐は倉庫のほうへ行き、書類を納めてしまうと、ひとたばだけを持って出て行ってしまった。

「なんなのかしら、あの子」

子供のように口を尖らす彩地に、ペンを走らせながらぽつりと毬黄。

「惚れてんだよ」
「あの子が? 誰に?」

目をぱちくりさせる彩地は、「鈍いな」という毬黄の視線を受けて声を裏返した。

「緑炎に!? まさか!」
「俺の判断に狂いはねえよ」

それはそうだろう──特に、紫嵐のことに関しては。
彩地はそっと毬黄をうかがい見た。

彼がずいぶん前から紫嵐を想っているのを、彩地は知っている。
そしてまた、そのことを毬黄も分かっているのだ。

なんと返していいものか迷う彩地に、毬黄はふと微笑を見せた。

「俺のことより、お前はどうなんだ? お前も緑炎が好きだったろ」
「……昔の話だわ」
「──そうか」

彩地が嘘をついているのは分かったが、知らぬふりをした。
そして仕上がったレポートを束にしてまとめ、ファイルケースに入れると立ち上がる。

「じゃあ、俺はこれを上(トップ)に提出して帰る。お前も遅くならないようにな」
「ありがとう」

毬黄が出ていき、パタンと扉が閉まると、彩地はぼんやりと部屋を見渡した。

雑然とした研究室。
さっき紫嵐が片づけていったからいくらかはきれいだけれど、それでもまだそこここに資料の小山が積み重なっている。
その大半が、緑炎が研究に使用したものだ。

──確かにわたしは緑炎が好きだった。

でも、それもとうにあきらめたはず。
だって緑炎には、とてもかなわなかった。

常に冷静で表情を崩すことがなく、「恋愛」の二文字からは縁遠い美青年。
そんな人を相手に恋愛を続けるには、すべての望みを捨てなくてはならなかったから。

いつかこの気持ちが報われる、という希望も。
いつかは振り向いてもらえる、という甘い期待も。
決してその可能性はないと分かってしまったから。

だから彩地は自分の気持ちを殺してしまった。
希望も期待もなく恋愛を続けるだけの勇気も覚悟も、自分にはなかったから。

けれど。
まだ、こうして胸が痛むのは……緑炎のことを考えるとこうして痛むのは……。

彩地はひとりかぶりを振り、きれいに手入れされたコーヒーメーカーに歩み寄った。
そして、いくつか操作して機械がコーヒーをつくってくれるのを待っている間、彩地は妹のことを考えた。

──紫嵐。

「……いつから?」

ぽつりとつぶやく。
あの子はいつから緑炎が好きだったのだろう。
まだ彩地が彼を好きだった頃から? それともあきらめたあと?
けれど、あの妹も人を好きになることがあるのだと、意外な気分だった。

「わたしにももらえますか、コーヒー」

突然の声に驚いて振り向くと、いつのまにか紫嵐が立っている。

「ノックくらいしなさいよ!」
「一応しましたが──それに、ここは公的な場所ですから、姉さんの許可がなくても出入りは自由ですし」

彩地は出来上がったコーヒーを、先に妹に渡した。
ちょっと多めにつくっていたため、少ない量ではあったが二人分できていた。

「もう帰ったんだと思ってたわ」
「緑炎に資料を渡しに、いったん出ていっただけです。まだ整理、終わってませんし」

緑炎の名が出て、彩地はなんとなく妹を見つめた。
紫嵐は察したらしい。

「──なにか邪推しているようですね、姉さん」
「邪推じゃないんでしょ? ……あなた、緑炎のことが好きなんでしょ?」

紫嵐は答えない。無言でコーヒーをすする。
カップについた口紅を指で拭きとり、流しへ向かう妹の背に、彩地は言った。

「やめたほうがいいわ。あの人にはそんな気持ちは通用しない。見返りなんて何もないのよ」

すると紫嵐は突然振り向いた。
水色のその瞳は、かつてないほどの情熱に輝いていた。

「わたしの望みは、緑炎が今のとおりであること。けれど変わってしまうとしても、それがあの方の判断ならばわたしはどこまでもついていく。それがわたしの望む見返りです。そして幸いなことにそれは満たされている。姉さんが心配するようなことは、何もありません」

ふっと目を細める。

「……わたしは知っていましたよ、姉さん。あなたが緑炎を好きだったことも、今も好きであることも、なのにそれを押し殺そうとしていることも。わたしはこのグループが結成される前から、──姉さんと共にこの研究所に来た時から、緑炎に忠実を誓おうと思ってきた。ただし、誤解されては困ります。このわたしの気持ちを、愛などという陳腐な言葉に置き換えないでもらいたい」

彩地はコーヒーを飲むことも忘れ、紫嵐を見つめていた。
──目の前の娘が自分の妹であると、信じられなかった。

紫嵐……氷のような美女。
冷静沈着で、明晰なその頭脳は理性を重んじ、ともすれば人の感情など馬鹿にしているようにも見えた。
それなのに。

「そこにいると、なにかと整理の邪魔なのですが」

その一言を最後に黙々と書類を整理しはじめる妹の、いつもと同じ冷たい横顔を見て、彩地はコーヒーカップを置いて研究室を出た。
小走りにエレベーターの前まで行き、下に向かうボタンを押してすぐ横の壁にもたれかかる。

「氷だなんて、嘘だわ」

唇から、知らず声が漏れる。

紫嵐が「氷」だなんて、嘘。
いや、氷は氷でも、内に凄まじいほどの熱を持つ炎を宿した氷塊──。

エレベーターが来たのにも、彩地はしばらく気づかずにいた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

冷遇妃マリアベルの監視報告書

Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。 第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。 そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。 王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。 (小説家になろう様にも投稿しています)

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

処理中です...