LOVE PHANTOM-罪深き天使の夢-

希彗まゆ

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願いごとひとつだけ-LOVE PHANTOM番外編(半分本編)-

DESIRE(紅凪編)

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日ごと薄れていく。
感情も思い出も記憶も。

すべて。



水琴を救うには、風火の能力が必要だ。
でも同時に、彼の身体は邪魔だった。

博士(ろくえ)は風火に言った──その脳だけを提供してくれないか、と。

「この計画が成功すれば、機械人形となったあともお前の意識はそのままだ」

……水琴を助けられるのならと、彼はふたつ返事で承諾した。

──そして風火はその夜、博士の実験室に行き、すべてを博士の手に委ねた。



すべてが風火からなくなった。
視界も音も匂いも、すべて。

でも風火はちっとも苦痛ではなかった。
水琴の気配をいつも感じられたから。

水琴はいつも泣いているようだった。声は聞こえないけれど、それが分かった。

(ごめんね、水琴。
どうか、どうか泣き止んで、ぼくの気配を感じて、ぼくの存在を感じて)

藤雅が説得したのか状況に慣れたのか、水琴はだんだん泣かなくなった。

一日が過ぎるごとに、風火の意識はぼんやりしていった。
何もかもを忘れたころ、ふと目の前が明るくなった。

(なんだろう……。“これ”はなんていうんだっけ)

光を見て、彼はそれがなんだったか思い出そうとした。

「──風火。聞こえるか。お前の新しい名前を与える」

失ったはずの音が聞こえる。

──いや、これは音ではない。ずっとずっと昔に聞いた誰かの声──。

「風火?」

低めの声が、確認するように黙りこむ。
返答がないのを知り、近くにいたらしいもうひとりの誰かにつぶやいた。

「発動を中止する。失敗だ」
「失敗?」

どこか気だるげな声がおうむ返しする。

「どうしてかなあ」
「脳がうまく動いていない。完全に麻痺している」

低めの声がそう言った次の瞬間、ばちっと派手な音がした。
焦げつくような匂い。

「ひゃー……」

気だるい声が、間の抜けた声を出す。

「手を焼いても反応なしだ。これでは起き上がることも不可能だろう」

「分かった、分かったからそうムキになるなよ緑炎。何もせっかくつくった手を火傷させてまで証明することでもないだろう。もしかして失敗は初めてかい?」

「黙っていろ。脳の覚醒を促しつつ身体(ボディ)のつくり直しをする」

低めの声が何かをしたらしい。
風火の目蓋は重くなり、再び彼は暗黒の世界へ落ちていく。



(──あれ……)

風火はふと、気づいた。
自分がいつから意識を手放していたのか──それすらも忘れていたことに。

(ぼくは何をしていたんだろう)

周りを見ようとして、ようやく思い出す。
そうだ、自分は身体をなくしてしまったのだ。

(いつからぼんやりしていたんだ?)
(あれからどのくらい時間が経ったんだろう)
(あれからって、いつからだったろう)

風火の意識は次第にはっきりし、時間が経つにつれてしっかりした考えを取り戻していった。
やがて記憶も思い出もすべて取り戻した彼は、退屈な時間を記憶のひとつひとつを確認することで費やした。

(あの時、ぼくは姉さんに笑いかけるべきだったろうか?)
(いや、姉さんはどうやってもぼくには目もくれなかっただろう。あれでよかったんだ)
(──いっそ殺してしまえばよかった)

突然の考えに、風火は自分自身で驚いた。
今までにそんなことを考えついたことはなかった。
気を落ち着かせて、彼は別の記憶へ意識を移動する。

(水琴。可愛い水琴、泣いていないだろうか)
(藤雅がきっと見ていてくれる。彼なら信頼できる、大丈夫だろう)
(水琴を取られる。あいつも殺そう)

再度、風火はギョッとする。

(なぜ──ぼくはこんなことを考えるんだろう? これは本当にぼくの感情なんだろうか?)
(そうだ。これはぼくの感情。今まで抑圧してきたから、意識だけになった今、抑える必要がなくなったからこうして出てきた)
(違う!)

堂々巡りの中、彼は必死で否定する。

(ぼくは誰かを殺したいなんて思わない! 思ったこともない!)
(待てよ。じゃあぼくは家族にうとまれて、悔しいと思ったことはないのか? 見返してやりたいと思ったことはないのか)
(ない……。ただ、哀しかっただけだ)
(水琴を誰かに取られたら? 黙って見ていられるのか?)
(それは別だ──水琴は別の問題だ!)

風火は焦る。

自分は誰と問答しているのだ? 誰に追いつめられているのだ?

そして気づく。

このままでは、自分とは違う意識のほうが表面化するかもしれない──博士に約束した機械人形と一体化した時にそうなってしまったら……。

(いけない)

風火は必死に考える。

(ぼくがしっかりしていればいい。ぼくが考えを変えなければ、気持ちを変えなければ)

でも、誘惑は続く。問い詰めは続く。

(あの時、ぼくだけが他の子供と違う扱いを受けた。哀しかった。哀しい目にあわせた奴を、殺してしまえばよかったのに)
(人間たちは愚かだ。弱者を少数派を虐待することで自分の苦しみを和らげようとしている。なあ、そんな奴らは死んだってかまわないだろう?)
(風火、お前は偽善者だ)

「ぼく」が「お前」に変わった瞬間、風火は自分の意識のほうが負けたとはっきり悟った。

(博士──博士! ぼくを作動させないで下さい、このままでは)

風火は意識体の中で叫ぶ。

(“そいつ”のほうが出てきてしまう──使命も何もしらないそいつが! そうしたら水琴は……水琴は、救われない)
(うるさい!)

自分自身の意識。けれど確実に違う意識。

その激しい感情が、風火の最後の意識を吹き飛ばした。



「発動終了……風火、聞こえるならば目を開けろ」

何者かの声が聞こえる。
薄く目蓋を開けると、光が入ってきた。
何者か……美しい青年が自分を覗き込んでいる。

「俺の記憶はお前にないだろう。緑炎を知っているか。知っているならば右手を動かせ」

青年の指示通り、右の手首を少しだけ傾ける。
青年は満足そうにうなずいた。

「俺は翠陸。緑炎は俺の祖父だ。緑炎の研究を引き継いで、今お前を発動させた。新しい名を与える……お前の名は紅凪。──紅凪、身体を起こしてみてくれ」

紅凪はゆっくり身体を起こし、実験台の上に起き上がる。
辺りを見渡す──よく分からない機具がいっぱい置いてある。

翠陸の他に、もうひとり眼鏡の男がいた。
誰だったか──紅凪は覚えていない。
せっかく取り戻した風火の記憶を、発動のショックでまたほとんど手放してしまった。

「水琴は」

紅凪は愛する彼女の名前だけをつぶやいた。

「水琴は……どこ?」
「彼女は凍眠に入っている。あとで起こそう。……先に成功したかどうか、意識調査をする。俺の質問に答えてくれ」
「ぼくは“紅凪”」

紅凪は、まだ鮮明でない頭を押さえながらつぶやく。
久し振りの身体の感触に意識がついていかない。身体がだるくてたまらない。
彼は実験台から降りる。

「風火としての意識も……ちゃんと、ある」

翠陸の目を見つめて言った。
もし風火の意識がないと……以前の自分の意識がないと悟られたら、また深い眠りに就かされる。
そうなったら水琴に会えない。会えない──。

ふと、彼は隣室へ続く扉を見つけた。予感がした。
誰が止める間もなく、彼は走った。
機械人形の人為らぬ怪力により、鍵は壊され、扉は道をあけて室内を明らかにした。

広い部屋だった。
造花だろう、色とりどりに象られた花がいっぱいに敷き詰められており、中央に沈み込むようにカプセルが置いてある。

花をかき分けて、紅凪はカプセルへ近づいた──。
薄青に透き通る硝子の向こうに、少女の姿が見えた。

「────」

(会えた。やっと会えた。ぼくの水琴)
(ねえ、ずっと会いたかった)

紅凪は感極まるように顔を歪め、それを見た藤雅と翠陸はこれは「風火」なのだと信じた。
それは本当に、待ち望んだ恋人を見つめる瞳だったから。

翠陸はカプセルを開き、水琴を凍眠装置から起こそうとした。
硝子板が開いた途端、紅凪は本性を現した。

邪魔な硝子が取り外されると、水琴から目に見えぬチカラが紅凪へと集積されていった。
紅凪はまずそれで翠陸の身体を押しのけた。

「──お前、“違う”な!」

既にナイフを投げていた眼鏡の男が言った瞬間、紅凪の直前でそれは弾き飛ばされる。
水琴を抱き上げた紅凪は、自らの身を武器に突っ込んでくる男に向けて右手を出した。

「藤雅っ!」

壁と激突した翠陸が、額の血をそのままに叫ぶ。
紅凪の手のひらが光ったと思った瞬間、藤雅の身体は一瞬にして吹き飛ばされた。

チカラに灼かれた──灰になってしまったのだ。

次いで、塔の壁が撃破される。
紅凪は外へ──水琴と共に、飛び去っていく。

翠陸は一瞬考えたが、藤雅の灰へ駆け寄った。
念入りに、必死の思いでかき集める。

「大丈夫だ……藤雅、お前は何度でも生き返れるのだろう? 前にそう言った、あれは嘘ではないよな」

ああ藤雅、お前が嘘つきでないことを祈る!



急に動いたのが原因だろう。
街の上空まできて、紅凪はあちこちに痛みを感じて地面に降りた。
まだ世界は夜で、街のすべてが眠りについている。

「寒い、ね。水琴」

腕の中の少女を、まだ虚ろな瞳で紅凪は愛しそうに見下ろす。

(きみは誰の夢を見ているんだろう)
(愛しい水琴。風火のことなんて忘れさせてあげる)
(きみの好きな男は、もういないんだ)

雪が降り始める。紅凪は歩いた。

まず、長のところへ。
実力を見せて脅して、最高の生活を手に入れなければ。
水琴をどこにも出さないように、自分の傍にいることで満足が得られるように。

冷たい、冷たい、冷たい、雪。

やがて紅凪は崩れ落ちる。
水琴を腕に抱き込むのは忘れない。

「よかった、頭は打たなかったみたいだね──」

水琴は応えない。未だ夢の中を彷徨っている。

雪が降り積もる。足に、腕に、顔に。
積もって、やがて視界は真っ白になる。

「みこと──……」

ねえ、ぼくは自分が誰だったか知らない。何を思っていたのか覚えていない。あいつらが何を考えてぼくをつくったのか分からない。

でもきみのことだけは知っている。
水琴、愛するきみのことだけは。

(すべては、きみのために)

ぼんやりした頭の中で、誰かがつぶやいた気がした。

(水琴、……もう一度、“きみに会いたかった”)

──そして、紅凪の物語はここから始まる。

《完》

【追記】

紅凪が水琴と出会うまでの話がこれである。本編に入る直前までの短い物語。
風火の意識がいつ戻ったかというのは、また別の場所で──。



紅凪……還月(かんげつ)、白穂(しらほ)に意識的に完全に死亡。身体的には星の中枢に留まり、深い眠りについている。
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