蠍の舌─アル・ギーラ─

希彗まゆ

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どっち?

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 いつのまにか風がやみ、夜は静寂に戻っていた。
 明け方近くに、結珂は起こされた。

「幡多……雪がやんだ。まだ眠いか」

 目を開けると、坂本がこちらを覗きこんでいる。

「眠いならおれひとりで行く。どうする」
「 ─── 行く……」

 眠い体に鞭打って起き上がる。坂本はもう着替えていた。

「玄関で待ってる」

 小声で言って、坂本は出て行く。雪が積もっているうちはスカートよりこっちのほうがいいからと、光寛の母が用意してくれたジーンズをはく。上にもあたたかいものを着ると、坂本と一緒に家を出た。

「うわ……すごい、これみんな雪?」

 出たとたん、結珂は感動する。静岡の、特に結珂が住んでいるところではめったに雪が降らない。降っても積もる確率が相当に低い。

「こんなにたくさんの雪見たの、初めて」

 その間に坂本は、車庫に入ってバイクを引っ張り出してきた。雪の日にバイクなんて大丈夫かと思ったが、慣れているらしい。結珂を後ろに乗せ、雪をかきわけて森へ走っていく。

「今日は安全運転ね」
「こんなに積もってるのにあんな運転はできねえよ」

 風に乗って、苦笑した坂本の声が聞こえる。

「寒くないか?」
「昨日よりは平気。 ─── 閏くん、いるかな」
「いなきゃ困る」
「今日帰るにしても入れ違いってことないよね」

 話しているうちに、森に入る。元々が細い道らしく、運転が下手な人間ならすぐ木にぶつかってしまいそうだった。
 まだ森はしんとしている。
 別荘は川の近くにあった。周りに木々もあまりなく、開けたところに建っていた。

 庭の入り口にバイクを停めると、ふたりは降りて別荘へ向かった。
 庭には植物がたくさん植えられている。まるで秘密の花園のように ─── 今はほとんどが枯れてしまっているけれど、代わりに雪が積もって綺麗なドレスをまとっているようだった。

「……開いてる」

 玄関の扉、取っ手をつかんだ坂本は眉をひそめた。鍵がかけられていないのだ。

「不用心だな ─── 。閏!」

 結珂を手招いて中に入り、坂本は声をかける。

「閏! いるんだろ、入るぞ!」

 広い家の中を坂本の声が響き渡る。

 余韻が消える頃、

 キイ… ─── 

 二階から何か物音がした。

「……二階にいるのか?」

 打診するように坂本は尋ねる。返答はない。結珂と坂本は顔を見合わせ、歩き出す。
 階段を昇り、ひとつの部屋の前を通り過ぎようとしたとき、またさっきと同じ物音がした。
 坂本は一瞬動きを止め、ちょっとためらってからその部屋の扉を開いた。

 結珂は首をすくめる。冷たい風が流れてきたのだ。
 部屋の正面、そのガラス戸からバルコニーに出られるようになっている。それが全開になって夜風が吹き込んでいるのだった。

 その脇に椅子があり、閏が座っていた。
 いくぶんほっとしたように、坂本は入っていく。慌てて結珂も続いた。

「いるんなら返事しろよ、おれの声聞こえただろ。……なんで窓を開けてるんだ? 寒いだろ」
「閏くん、怪我はだいじょうぶ?」

 閏はぼんやりとバルコニーの外、闇を見つめている。近寄った結珂は彼が顔のバンソウコウを取っているのを見てそう尋ねたが、返事はない。腕や足の包帯は、服に隠れて見えなかった。

「閏くん」

 もう一度、呼びかける。坂本はガラス戸を閉めようと手をかけたところだった。
 閏がそれを見て何か言いかけ、初めて結珂に気付いたように視線を合わせた。

「……い、か……」

 名をつぶやいて手をのばす。椅子に座ったまま結珂を抱き寄せた。

「あ、う、閏くん?」
「せいか……」

 閏のつぶやきに、結珂は戸惑う。

「あたし違う、結珂よ ─── 閏くん、あなたのお姉さんじゃないわ」
「人の目の前で何やってんだよ」

 ガラス戸を閉めた坂本は呆れたように振り返り、親友の瞳が虚ろなのを見て ─── 不審そうに尋ねた。

「お前 ─── 本当に閏か?」

 閏は、その声でようやく笑みを浮かべた。まだ結珂を抱きしめたまま、自嘲するように。

「そうだ。おれは閏だ。……おれは閏」

 結珂も体を起こし、近い距離から彼を見つめる。前髪をおろしていて、眼鏡もかけていない。顔の表情や雰囲気すら閏そのものだ。
 けれど ─── なぜか、違和感があった。

「聖香 ─── だめだ、離れるな」

 閏は結珂を抱き寄せる。

「何言ってんだ閏、そいつは聖香さんじゃないぜ」

 歩み寄ろうとした坂本を見て閏はガタンと椅子から立ち上がる。結珂を片手に抱いたまま、ポケットからナイフを取り出した。

「来るな! おれと聖香の邪魔をするな!」
「 ─── 閏くん……!」

 ナイフは血塗られている。結珂は悲鳴を上げた。

「それは ─── 誰の血だ」

 息を呑んだ坂本の問いに、閏は虚ろのまま言った。
 つぶやくように。

「『鏡』……じゃ、なかった」

 思い出すように。

「『鏡』じゃなかった……」

 坂本はふと、後ろを振り返る。

 キイ、 ─── 

 先刻と同じ音。
 続き部屋の扉が半分開いている。
 坂本は取っ手に手をかけ、一息に開いた。

「!」

 結珂が悲鳴を上げる。
 窓から射しこむわずかな光、それでも充分に見えた。

『閏』が胸を朱に染め、床に倒れていた。
 坂本は急いで駆け寄り、「閏」と呼びかける。何度も呼びかけながら、首に指を当てる。黙り込み、その指を鼻と口の上へ移動する。
 命の証は既になかった。

「 ─── どういうことだ、閏……! いや、どっちが……どっちが本当の、」

 ゆっくり立ち上がり、坂本は口を開いた。はじめは戸惑い、けれど次には疑問よりも怒りと悲しみでいっぱいになった。

「どうしてだ!」
「赤い雪が」

 震える結珂の肩を撫でながら、閏は答えた。虚ろのまま、ただ条件反射でそうするかのように。

「たくさん、積もったんだ。だから」

 しん しん しん

 あの雪。赤い雪。
 まぶたの裏にまた降り出した。
 そして ─── 初めて我に返ったように、閏はまばたきをする。ゆっくりと数回。
 自分の存在を確かめるように。
 そして、

「両親が死んで、おれ達は叔母の家に養子に入った」

 過去を思い出す。

「おれ達は四人とも仲が良かった。特にタツミと彩乃、おれと聖香が。……チームを作った遊びになると、必ずその組み合わせになった」

 ずっと前のことを、間違いの始まりを、
  ─── そうして、
 話し出した。
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