邪神様に恋をして

そらまめ

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新婚編

邪神様は夢をみました

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 わたしが初めて見た彼は、一人湖畔で剣の稽古をしている後ろ姿だった。
 わたしはその美しい剣筋に我を忘れて見惚れ、時が経つのも忘れてただ彼を眺めていた。

 わたしはもっと近くで彼を見たくなって、無意識の内に彼の近くまで行って座ると、彼の稽古をまた眺めた。

 ああ、なんて綺麗な太刀筋なんだろう。
 それに、一振り毎に飛び散る汗が陽の光で煌めいている。
 ほんと清らかに美しく輝く、素敵な人だ。

 わたしは彼をずっと、飽きることなく見つめていた。

 そして稽古も終わり、彼はこちらを振り向いた。
 彼は私に気付くと、少し驚いた表情をした。目が合った私は急に恥ずかしくなり、思わず顔を伏せた。


「ごめん、びっくりしたよね。もう俺は行くから安心して」

 穏やかで優しい声で、彼は私に謝った。
 ち、違う、あなたは何も悪くないから。
 そう言いたいが、恥ずかしさと緊張で言葉がでない。

 彼は地面に落ちていた上着を拾うと、何も言わずに去っていった。
 わたしはそんな彼の後ろ姿を見えなくなるまで見つめていた。


 次の日も、わたしは彼が稽古していた場所へ向かった。
 今度は籠に軽い食べ物と、稽古終わりに渡す布を持って。

 あ、今日もいた!

 わたしは嬉しくなって近くまで行くと、何故か木陰から顔だけを出して彼の事を見ていた。
 急にまた恥ずかしくなってしまったからだ。

 わたしは何度も足を踏み出しては引っ込めた。
 もう、なんで彼の側に行けないのよ!
 そんなジレンマに陥りながらも、昨日と変わらず、時間を忘れて彼に見惚れていた。

 ああ、ほんと素敵な人。
 名はなんて言うのかな。
 歳はいくつなんだろう。
 絶対、わたしと同じくらいよね。
 なにが好きなのかな。
 どんなものが好きな食べ物なのかな。
 嫌いなものはあるのかな。

 わたしは彼に聞きたい事を頭の中で思い浮かべた。
 ああ、ちゃんと彼と話したいな。

 でもなぜか私は臆病なのか、木の影から動けなかった。
 そんな日が何日も続いたある日、突然彼が私の所へ歩いてきた。
 私は恥ずかしくなって逃げようとしたが慌てて転んでしまった。

「そそっかしいな君は。大丈夫かい」

 彼はそう言って笑いながら手を差し出してくれた。
 私は緊張で二回ほど手を出したり戻したりしながら、やっとの思いで彼の手を取った。
 そして彼は優しく私を起こしてくれた。

「ケガはないかい」
「はい、大丈夫です」

 わたしは一度ケガがないか確認してからそう答えた。
 すると彼は私の頭と髪に着いた葉っぱや土を払ってくれた。
 緊張と嬉しさで顔が赤くなるのが自分でも分かった。

 また思わずうつむいてしまった。

「はい、これで大丈夫。全部取れたよ」
「あ、あ、あり、がとうございます」
「どういたしまして。ところで君はなんで俺を毎日見てたのかな。なんか俺、君に悪いことでもしたのかな」

 彼は屈託のない笑顔でそう尋ねてきた。
 ああ、近くで見ると凄く格好いいよ!
 もちろん、そんな恥ずかしい事は頭の中だけで叫んだ。

「いえ、あの、剣の稽古を見てました」
「ん、女の子なのに剣に興味があるの。珍しいね」

 えええ、違うよ、誤解しないで。わたしはそんな乱暴な女の子じゃないから!

 私は必死に脳内で弁解した。
 けれど、言葉が出てこない。

「じゃあ、おいで。ゆっくり座って見てなよ」

 彼は私の手を取って歩き出した。
 わたしは嬉しさから天にも昇る気持ちで舞い上がっていた。

「はい、ここで座って」

 彼は自分の上着を地面に敷いて、そこに座るように言ってくれた。

 ああ、もう、優しすぎるよ!

 私は彼に肩を押されてそこに座った。
 そして彼はまた何事もなかったように稽古を再開した。

 はぁ、ほんと綺麗な剣技。
 あんなに華麗に剣を振れるなんて、たくさん努力したんだろうな。すごいな、まだ私と歳も変わらないのに。

 同年代の子達はまだまだ遊び盛りだ。
 神としての知識さえもまだ学んだりはしていない。
 ましてや、剣などの武術などもっとだ。

 すごいな、本当に偉いな。

 彼の黒髪が揺れる、飛び散る汗が陽の光で煌めく。
 わたしはただ、その彼の姿に魅入っていた。

 決めた。私、絶対にこの人の伴侶になる!
 うん、だから私も彼に負けないように、いっぱい努力しないと。

 がんばれ、私。だよね!



 ◇



 あ、懐かしい夢ね。
 うっかり寝てしまったのか、私。

 わたしは悠太くんのベッドにもたれて寝ていた。
 あれから五日経つが、まだ悠太くんの目は覚めなかった。
 それもそうだろう。あの傷で死ななかった方が不思議だったのだから。
 クロノア曰く。あの時アンジュが咄嗟に悠太くんの体を動かさなかったら、急所を一撃で貫かれていたそうだ。

 本当にあの娘たちには感謝をしないと。
 けれど、その本人たちはまだ悠太くんの中で治療を続けている。頭が下がる思いだ。


 こちらにきて、まずフレイから話を聞いた。その後に、エンリルの亡骸を復活出来ないように封じた。
 もちろん、フレイにしっかりやらせた。
 そして、エレシュキガルを縛り上げて尋問しようとしたが、悠太くんが先に話をしたいと言っていたとフレイに言われ、素直にあきらめた。
 私は彼女を縛り上げて、部屋に閉じ込めておいた。

 はぁ、この冥界の陰気な雰囲気にはもう飽き飽きだよ。


「フレイヤ、ちょっと」

 フレイに呼ばれて素直についていくと、彼は隠し扉を見つけたようで、そこに案内されて中に入った。

「え、これは!」

 水晶みたいな物の中に、彼が封じ込められていた。
 わたしはその水晶らしき物に手を当てて、近くで彼を念入りに見て確認した。

「なにこれ、魂からここまで再生させたの」
「おそらくそうだ。死者復活の術の類だろうな」
「素直に復活させればいいじゃない」
「いや、おそらく魂が欠けてたから無理だったんじゃないか」

 そうか。でも、殺しておいて復活。なんで……

「ユータに、あれはお気に入りだから返さないって、エレシュキガルが言ってたよ」
「たぶん、彼女の独断だろうな」

 あ、わたしの彼を殺して。その上、勝手に再生させて楽しんでたってこと。
 極大の天罰を与えないといけないよね。

「ま、待て、どこに行く!」

 フレイが私の肩を押さえて止めた。

「決まってるでしょ。わたしの彼を盗んで愉しんだ泥棒猫のところよ」
「ダメだ、おまえ彼女を殺す気だろ!」
「そうだよ、せめてユータが話をするまで堪えてよ!」

 クロノアは姿を大きく変えて、フレイと二人掛かりで、わたしを止めた。
 沸々と怒りが湧いてくる。
 でも、悠太くんの望み……

「なにもまだ明らかになっていないんだ。今は頼むから堪えてくれ」
「フレイヤ、ユータの為にもお願い!」

「この事を知ってるのは」
「俺たち三人とクオンだけだ。クオンがここを見つけてくれた」
「そう、ならこのまま内密にして。それとクオンにお礼を言わないとね」


 わたしは二人の手を振り払って悠太くんの所に戻った。
 何千、一万年以上、ああやって彼を閉じ込めてたなんて、絶対に許さないから。
 わたしはこの行き場のない怒りを必死に胸の奥に封じ込めた。

 そして悠太くんのベッドに潜り込んで寄り添った。

 こうしてると不思議と気分が落ち着くし、軽くなる。
 やっぱり悠太くんの側はいいよね。
 わたしは悠太くんの頬にスリスリした。

 アンジュ達には申し訳ないけど、悠太くんの腕をこうして、うん、腕枕して、ああ、ほんと落ち着くし幸せだよ。

 わたしは先程の事を忘れて、気持ちよく目を閉じた。
 ああ、幸せってのは、こういうことだよね。



 ◇



「クロノア、これは一体なんだ。怪我人にこんなことして。馬鹿なのか、あいつは」

「いや、あのショックを癒すにはこれくらいしないとダメだったんじゃないかな、たぶん」

「そ、そうかもな。私はあの時、この世界が滅ぶんじゃないかと思ったしな。うん、まあこれくらいで機嫌が良くなるならいいか」

「うん、フレイヤにとっての逆鱗は彼、ユータだからね。あまり刺激しない方がいいと思うよ」

「ああ。しかし、フレイヤもこんな安心して幸せそうな顔で寝るんだな。子供の頃でもこんな顔は見たことがないよ」

「そうなの。ユータとならいつもあんな感じだよ」

「そうか。もう大丈夫そうだし、このまま二人をゆっくり寝かせておこうか」

「うん、誰も部屋に入らないように言わないとね」
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