こっち向いてください

もなか

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悪魔の証明 4

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荷物を置くために、敬吾は一度部屋に帰った。
後藤との約束の駅は店と部屋とを結ぶ線の先に位置していたし、すぐに出るには時間が半端だ。

一息つこうと台所へ行くと、玄関が開く。
逸だった。

「あれ、どうした」
「あ……」
「…………?」

自分から訪ねてきた割に、逸は敬吾と顔を合わせると複雑そうな顔をした。
苦々しいような、安堵したような顔で敬吾を見ている。
あまり見ない表情に敬吾も怪訝そうに眉根を寄せた。

「何……どうした?入れば?」
「あ、はい、」

言われて初めて自分が玄関に立ったままであることに気づいたらしく、逸はもそもそと部屋に上がった。
本当に逸らしくない雰囲気に敬吾は更に訝しげに首を捻る。

「……これから出かけるとこですか?」
「うん、まあもう少ししたらな」
「そうですか」
「……おう」
「あの後藤さんて人とですよね」
「え?うん」

やはり要領を得ない、要点の見えない口調に敬吾の腹の底はもやついてきた。
快活だけが取り柄のような男である、普段こんな喋り方はまずしないのにどうしたと言うのか。
少々苛立ちはするもののそれを心配が僅かに上回って、敬吾は逸に歩み寄り俯きがちな顔を見上げた。

「なに?ほんとどうした」
「ーーーーー」

逸は無意識に敬吾の手を強く握る。
驚いたように敬吾が瞬いた。

「行って欲しくない、です」
「へ?」

切羽詰まったような逸の言葉が予想外過ぎて捉えきれず、敬吾は間抜けな音だけで返事をしてしまった。

ーー行って欲しくない?

「え、なんで、だめ?」

やはり間抜けに、呆けたような表情で敬吾が問うと逸はどこか痛んだかのように目を顰める。
敬吾は恐らく本当に分かっていない。
話が上手く繋がっていないのだ。
きちんと撚られた縫い糸が、それでもふにゃりと針の穴を避けるようにーー。

それ故返ってきた素直すぎる問いに、逸は本当はそうだと言いたかった。が。

「駄目とまでは……」

言って、取り合われないのが怖かった。

「…………?」

では何なのだと敬吾が心底不思議そうに首を捻る。

「ーーあの人と二人ですよね」
「そうだけど…………、え?」

脳裏に火花が散ったように鮮明に、そしてやっと敬吾は理解した。
思わず笑ってしまう。

「いやいやいやいや!そうだけど!なんだよそーゆーことかよ、何もねえって」
「あっ、疑ってるわけじゃなくて」
「分かってるよ。つーか言ってるだろ俺別にゲイじゃねーんだって、どうにもなりようねーよ。今までにも男友達と二人でとか普通に飲みに行ってたぞ」
「えっ」

逸が一瞬引きつった。
敬吾は事も無げな顔をしている。
それは真実やましいことが何もないからだということは理解していて、そもそも逸も敬吾を疑っているわけでは決してない。

ーーだが、それらと今日のこととは、何かが違う。

「んだってほんとに何にもなんねえもん。お前だって女の子と遊んだとこでどうにもなんないだろ。俺もそれをどうとも思わねーよ」
「そうなんですけど、……なんか、なんかちょっと違うっていうか…………」
「はー?何が?」

敬吾が呆れた顔をする。
その裏に苛立ちが沸いてきているのも手に取るように分かって、逸も取り逆上せてきた。

「敬吾さんがどうこうなるとは思ってないです。けど向こうから好かれるってこともあるでしょ?」
「え。ねえよ」
「俺がそうだったでしょ!」
「そんな馬鹿お前くらいだ」

げんなりと自分を見る表情に逸はこれ以上の進展が望めないことを悟った。
敬吾は本当に、本心から、「あり得ない」と思っている。

「……わかんないじゃないですか、そんなの」
「分かるっつーの、あのな、後藤は小学校からの付き合いだし、あいつ相っ当女癖悪いぞ。とっかえひっかえどころの騒ぎじゃなかったから。ほんとに」
「………………」
「間違ってもゲイではねえよ、心配すんな」

両手が塞がっているので敬吾は逸にごく軽く頭突きをした。
逸が二度した瞬きが、どうやら折れた合図のように見える。

「つーか、そろそろ出ないと。なんにせよドタキャンは駄目だろ」
「…………………」

結局はそれが決定打になった。
逸は、敬吾の生真面目さの前に立ちはだかれない。
それをすると敬吾の美点を自分の手で汚してしまうような気持ちになる。
恥ずべきことでもしたような。

返事の代わりに逸はキスをした。
敬吾が驚いたように瞬く。

「………隙だけ見せないで下さいね。敬吾さん、酔っ払うと甘えたになるから……」
「外でそんなだるだるには酔わねーよ」

敬吾は苦笑したが、逸の表情はぞんざいに扱っていいものではなかった。どこまでも心配そうで、悲しげですらある。

ーーそこまで案じるなら行くなと断じてしまえばいいものを。

「………………」

ーーだがそう言われたら、自分は言うことを聞くだろうか。

ひやりと首すじに冷たいものを感じながら考えて、敬吾は逸の手の中から手を抜いた。
そのままぺちぺちと逸の頬を叩いてやる。

「大丈夫だっつーの。心配しすぎだ」
「…………………」
「行ってくる」

靴箱の上に置きっぱなしにしていた財布を取り、敬吾は玄関に下りた。

ドアを開けて振り返るとまた逸の唇が降ってくる。

「……行ってらっしゃい」
「ーーーー」
「……足元、気をつけて下さいね」
「…………ん」

やはり何も案じていない様子で、逸の懸念にだけ訝しんでいる表情で敬吾は出ていった。
ゆっくりとドアを閉じてひとつ息をつき、逸も自分を落ち着ける。

きっと、敬吾の反応が正しい。
これまでは敬吾が誰と二人きりで飲んでいようが気づきもしなかったのに。今日だけ気にしたところで意味がないではないか。

胸のざわめきと不安をなんとか疑って嘲笑おうとするが、上手くいかない。

何一つとして御しきれない自分が、ただ情けなかった。





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