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酔いどれ狼 2
しおりを挟むこの通りの黒山の人だかりでは距離の取りようもなく、不本意ながら逸は後藤と連れ立って外へと出た。
「岩井くんこのバンド好きなんだ」
ガラスの扉をくぐり外に出ると、人口密度は一気に下がる。
だが後藤は別行動をするどころか逸に話し掛けた。
げんなりと半眼になり、そこを離れられない逸は仕方なく口を開く。
「そりゃまあ」
「じゃあこれあげる」
「は?」
後藤が逸の手に握らせたのはベースのピックだった。
「俺チケット譲られて……あっやべえ、物販頼まれてたんだった!ちょっと岩井くんここで待っててよ!」
「えぇ!!?」
言うなり後藤は驚愕している逸を尻目に、今出てきた扉へとまた飛び込んで行く。
今のうちに立ち去ってしまいたいが、逸の連れもまたまだ買い物をしているのだ。
早くしてくれ、と疲れたようなため息をつきつつ、無理に熨斗つけられたピックを眺める。
欲しくないわけではないが…………。
逸の願いも虚しく、先に出てきたのは後藤であった。
「あーーー……」
「あーって」
このカップルは揃いも揃って、と後藤は苦笑してしまう。
自分でも驚くほどの微笑ましい気持ちだった。
「岩井くんちょっと一杯付き合わない?俺奢っから」
後藤の提案に、逸は率直に不愉快そうな顔をする。
さっきからこの男は、何を勝手にくだけているのだ。
「付き合いませんよ。俺連れと来てるんで………ああ、来た」
後藤の背後に、こちらを伺っている同級生を見つけて逸が手を上げる。
後藤もなんとなくそちらを振り返ると、どうもびくりと震えたようだ。
「いや!いっちその人と行っていーよ!」
「へ?」
「俺は全然いーから!!」
「…………………。」
憔悴しているような笑顔の友人をぽかんと見返し、どうやら背後で後藤が笑ったような気がして逸はひくりと口の端を引き攣らせる。
全くもうとでも言うように後頭部を掻き、逸は友人に拳を差し出した。
「じゃーこれやる。ピック」
「えっ。えっマジでぇ!?」
「おー」
むっつりとそう言い、軽く手を上げて振り返ると、やはり後藤は笑っている。
「怖がらせちゃったかねー」
「………………。」
逸に向かって苦笑すると、来るだろう?とでも言いたげに無言のまま後藤は振り返り、そのまま歩き始めたのだった。
「何にする?」
「ソフトドリンクで」
「あれ、下戸?」
仕方なく後藤の隣に腰を下ろしながら、逸は曖昧に首を振る。
「酒癖悪いんで」
「ふーん………体が受け付けないとかではなく」
「そーです」
無愛想に逸が頷いているうち、後藤はカウンターの奥に向かってビールとノンアルコールのカクテルを注文していた。
(ここバーだよなあ)
イメージよりはカジュアルな雰囲気だが、こんな格好で入ってよかったのだろうか、と逸は少々不安になる。
ラフなのは後藤も変わらないので良いだろうが、逸の方はさんざん暴れたので汗だくだ。
さすがに首にタオルはまずかろうと一応取っておく。
「はい、乾杯ー」
後藤が黄金色の瓶を掲げる。
仕方なくそれにグラスを当てて青味がかった炭酸を一口呷った。
「あ、うまい」
思わず逸が零すと後藤は笑う。
「岩井くんてほんと素直だよねぇ」
「はいー?」
「いやいや……、腹へんない?なんか揚げ物作ってー、あとピザ」
色のない逸の視線はものともせず、フードを注文した後後藤は瓶を完全に傾けて同じものを求めた。
豪快だなとぼんやり思いながら、逸は半ば減ったグラスを置く。
その逸に、後藤は空気を正すように半身に向き直った。
「一度ちゃんと謝りたいと思ってたんだ」
「──はい?」
逸の目が睨め付けるように後藤を流し見る。
後藤は小さく苦笑した。
「人のもんに手出しといてすみませんでしたでもないけど……ほんと申し訳なかった」
「…………………」
「間違ってももうちょっかい出したりはしねえから、安心して」
「当たり前でしょう」
「だよね」
さすがに苛立ちを滲ませた逸に、後藤はまた苦笑する。
逸は少々、意外に思っていた。
前に顔を合わせた時のこの男は、立場を分かってこそいるものの弁えておらず、どうも食って掛かってくるようなところがあった。
その後は敬吾のしたいようにしてもらい深くも聞かなかったから、敬吾が何を言ってこの男がどう納得したのかなど知る由もないのだが。
(………やっぱ敬吾さんだよな)
少々ささくれるような気持ちにはなりつつも、逸は落ち着いてグラスを呷った。
「──俺は別に」
後藤が、持ち上げかけた瓶を静かに戻す。
「あの人が納得してんならいいんですよ」
「…………………」
「──個人的にはそりゃ、腸煮えくり返りましたけど。でもあれは浮気とかそういうもんじゃないし」
「………そうだね」
「ただ」
空になったグラスを置き、暗くなった逸の目が横目に後藤を睨め付けた。
「あの人を傷つけたのだけは許せません」
「────………」
「本人はなんでもないっつってましたけどね。そんなわけないでしょ」
もっともだ、と思いながら後藤は底光りする逸の瞳を眺めていた。
なんと言うか──
「……岩井くんでよかったよ」
自然と口元が綻ぶ。
逸は訝しげに目元を細めるだけだった。
「あいつと一緒にいんのが」
「……?」
逸が更に訝しげに微かに首を傾げると、後藤は破顔する。
「──分かんないか。まあいいや」
誘っているようでもなく一人楽しげに笑われて、逸は深追いする気も起きなかった。
敬吾に手を出すのでもなければ、後藤の腹の中などどうだっていい。
それに、後藤の言葉は本当に含みがなく気軽で、もう警戒すべき影は見当たらなかった。
「何か飲む──、っつうかほんとに酒飲めねえの?」
「飲みませんよ、ろくなことになんないんで」
「それさあ、飲めないんじゃなくてペース分かってないんじゃねーの?」
「え」
そこへちょうど揚げ物の盛り合わせとピザが供されて、後藤は店主を捕まえる。
「なあ、軽めで水割りくれ、レモンもいっぱい絞って。俺ハイボール」
「え、ちょっと!」
「岩井くんやらかした時何飲んだの」
「いやいや、飲みませんって俺」
「体でかいからってがばーって飲んだんじゃないのー?サワーとかカクテルっぽいのとかー」
後藤の予想は、まさにその通りだった。
ワインは腹立ち紛れに呷ってしまったが。
思わず黙り込んだ逸に後藤が笑いかける。
「変に割ってあんのとか醸造酒苦手なタイプなんじゃね」
勧められたグラスは逸のイメージする水割りとは程遠い透明度だったが、驚くほど良い香りがした。
「うっわ良い匂いする……」
「ちょっとずつゆっくりな。食いながら」
「飲みませんって」
グラスを置いてピザに手を伸ばした逸を、後藤は楽しそうに眺める。
「ふたりで晩酌とかしたくねえのー?」
さくりと玉葱を噛む音がして以降、逸の頭の中は全くの無音になった。
厳密にはまだ雑音がかっているが──
──晩酌。
敬吾と。
隣に座って、酌をしてもらう──?
「……って言うかね」
笑いを堪え、口元を拳で隠しながら後藤が最後の一押しに出る。
「そんな酒癖悪いんなら逆に飲めるようになんないとやべえと思うよ?ペースとか限界とか把握しとかないと」
「………………」
「もし暴れたら俺止めるし」
「そしたらどさくさに紛れてぶん殴ってもいいっすね。」
「あっはっは!」
後藤の笑い声は無視して、逸はほんの僅かに唇を濡らした。
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