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襲来、そして 9
しおりを挟む──錠の開く音がしたような気がする。
けれど自分の心音に紛れた微かなそれは、少々取りのぼせた頭が怠惰に隣の部屋かもと思わせた。
どうせそうだろう、と無視することにすると──
ドアの閉まる音と、明らかに内側からサムターンが倒される音。
となると、入ってきた人物はただ一人だ。
「岩井ー、」
「うわあっはいっ!」
慌てて跳ね起き、逸はいの一番にリビングのドアを閉めた。
そこから漏れていた光を遮断され、暗くなった台所で敬吾は呆気に取られている。
「す……っすいません敬吾さんちょっと待ってっ、…………1分!!!」
「……………おう」
どうも悪いところに来てしまったらしい。
逸は左手でドアに体重を掛けながら、驚きで縮んだそれを仕舞い込んでいた。
「いや、このままでもいいけどさ。姉貴帰ったぞ」
「えっ!?」
そこに敬吾がいるわけでもないのに頭を上げてドアを見つめ、慌てたようにすぐに逸は続ける。
「……どうやって?電車ですか!?」
心底心配しているらしい逸の声に苦笑しながら、敬吾が説明した。
「正志さんに電話したら、出張でこの辺いたんだって。直帰の途中だから寄るっつってすぐ来てくれた……つっても1時間くらいかかるとこにいたみたいだけど」
後半になるに連れ、微笑ましげだった敬吾の声はいかにも「よくそこまでできるものだ」とでも言いたげになったが、もしそれが自分と敬吾だったら──と考えると逸としては正志の気持ちがよく分かる。
距離も時間も、欠片も苦にはしなかったはずだ。
とりあえず桜の体のことは安心したので、逸は落ち着いてジッパーを上げようとする。
ドアからも手を退けた。
「そうですか、良かった……なんでそんな急に帰っちゃったんですか」
こちらも喧嘩にでもなってしまったのだろうか。
非常に有り得そうで、それはそれで心配になる。
実際、ドアの向こうの敬吾の声は、言いづらそうに更にくぐもった。
「……なんかな、嘘だったんだよ。正志さんと喧嘩したって」
「えぇ?」
ベルトも締め終えて驚き混じりにドアを引くと、そこにいた敬吾の顔は何故か赤らんでいた。
表情は、想像と少しも違わず面倒そうな渋い顔だが。
「普通に遊びに来たかったんだけど、絶対断られると思ったからって」
「ああ──、」
それは、桜の気持ちも分からないではない。
拗ねた子供のようになってしまった敬吾の表情と併せて微笑ましくなり、逸は苦笑して洗面所へ入った。
すれ違った敬吾が妙に緊張しているようなのは、何故だろう──まあ、話を聞きながら様子を見よう。
手を洗って、お茶でも淹れようと台所へ向かい、お湯だのカップだのと準備を始めても敬吾は二の句を継がなかった。
「それで、なんでお姉さん帰っちゃったんですか?」
敬吾の様子が気にはなるが、さほど深刻にも考えず逸が尋ねると敬吾の口はやはり重い。
「あー……、もう姉貴に言ったんだよ。お前と付き合ってるって」
「えっ!!!?」
「………………」
「………………」
──どちらかと言うと重かった敬吾の表情が、機敏に振り返った逸と数秒見合った後、そのあまりの驚愕ぶりに──
──噴き出した。
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