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残響 6
しおりを挟む「お帰りなさい」
「──」
いつものようにそう言って出迎える逸の笑顔を見ると、敬吾は胸中に平手でも食らったような気がした。
逸が不思議そうに笑顔のまま首を傾げると、少々寂しげに俯いて大きく息を吐き出す。
ほんの少しささくれていた心を雪がれたような気持ちだった。
──この男に、自分に後ろ暗いことなどあるわけがない。絶対に。
何を言うでもない、いつもと何ら変わらない逸の笑顔が、絶対的な精度と眩しさでそう確信させる。
「──敬吾さん?」
「いや……、ただいま」
「はい」
また嬉しそうに笑い、逸は当然のように敬吾の荷物を受け取った。
正面切って聞くまではせずともつっつく程度のことは言ってやろうかなどと思っていた敬吾はいっそ落ち込んだようにずんと視線を下げる。
「敬吾さん?なんか……具合悪い?大丈夫ですか?」
「なんでもない、大丈夫」
「いや絶対おかしいですって、熱は?ないか……」
「や、ほんとに、」
額だ首筋だと逸が心配そうに熱を取り、「でもこれから上がるかもしれませんよ」などと言われて敬吾はもう居た堪れない。
「とりあえず寝ててください、ご飯食べれそうですか?柔らかいものにします?」
「ああああもーーーなんでもねえからほんっとに!!なんなら焼肉奢ってやるよ今日!!!!」
「えっなに!?なんすか!!?」
──そして逸は本当に、焼肉を奢られていた。
敬吾は頑なに「俺が食いたいから」と主張しているが。
やや申し訳なさそうな顔はしているもののそこまで深刻な気配でもないので、とりあえず大人しく肉を焼いている。
「お前さ」
「はい?」
ハイボールを置いた敬吾の声が少し重たい気がして、逸もトングを持ったまま気持ち背筋を伸ばす。
「店長の話、断ったって?」
「ああ──、」
逸としては無論敬吾にも言うつもりだったが、筋としては篠崎が先だろうという判断だった。
しかし敬吾に言うとなるとこの胸中をどう説明したものかと──やや後回し気味になっていたのも事実。
「……すみません。敬吾さんにも言わなきゃなって思ってたんですけど──」
「──いやそれはいいよ別に」
──いいのか?
そう言われれば言われたで少し寂しい気がして、逸は小さく眉根を寄せてしまった。
が、炎を上げてしまった網に氷を滑らせている敬吾は気付かない。
「ただその話俺が貰ったから、と思って」
「えっ!!?」
そこでやっと逸の方を見た敬吾の顔はごく気軽だった。
それに少し安堵はするものの、驚きが大きくて逸の表情は変わらない。
「…………そ、そうなんですか?」
「うん」
「なんでまた……」
「んん?」
敬吾が狙っている業種も企業も、特には聞いたことがなかったが──
特別情熱を傾ける分野はないようだし、漠然と、とにかく安定と待遇第一、つまりは有名企業だろうし敬吾なら何にでもなれるだろうと思っていた。
当の本人はこともなげに食べごろのロースを互いの取皿に取り分けている。
「バイトしてて思ったんだけどさぁ」
「…………はい」
「俺いわゆる社畜体質じゃね?」
「ぶっ」
真面目な話が始まるものと思っていた逸は綺麗に横を向いて噴き出した。
敬吾は気にもしていない。
声を一層気軽にして、少し苦々しげに見えるような呆れ顔で頬杖などついている。
「あの店長だったからまだ良かったけどさぁ、すげーこき使う系の上司に付いたりしたらもう終わんじゃねーかと思って」
「ああ──………」
──それは、確かにそうだ。
敬吾は少し、頑張りすぎる。
「なんか、公開されてない情報の方が大事なんじゃねーかと思って。会社の雰囲気とか、どんな人が働いてんのかとか、有休嫌な顔されんのかとかそういう」
「そうですね」
それは、様々な職場を体験してきた逸も心底同意するところだった。
「まあ生の話聞く機会もそりゃあるけどさ、実際自分で取引した感じと店長の紹介だっての考えたらそれ以上の信頼感ないわ」
「うん…………」
そう言って敬吾はもくもくと肉を食べ始め、逸は切な気に眉根を寄せて微笑む。
敬吾が自らを尊重する判断をしたことが、嬉しかった。
その後に、自分がその話を断ったこともその一助になったことが嬉しく、心底嬉しげに笑って──逸も箸を持つ。
「……敬吾さん」
「ん?」
「──俺の話、もうちょっと後で聞いてもらってもいいですか?」
「────」
穏やかだが芯の強い逸の視線に、箸を唇に挟んだままの敬吾はぱちくりと瞬く。
──が。
「…………うん」
──なにやら嬉しい話が聞けそうな気がして、敬吾も笑った。
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