想えばいつも君を見ていた

霧氷

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夏祭り

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 白い壁の一部に、歪なオレンジ色の台形が浮いている。
深緑色に変色したカレンダーの日付を確認して、俺は、ポケットに財布と携帯等を入れた。
 すると、扉を叩く音がする。
「瞬也、あんた本当に行かないの?」
返答する間も無く、姉のチカが入って来た。
「うん。明日の夕方には、そっちに行くから。」
 家族は、これから父の実家がある田舎に避暑に行くのだ。
 毎年、お盆が近いこの時期は父の実家で過ごすのだが通例だが、晋二と祭りに行く約束してしまった為、瞬也は明日電車で向かう予定だ。

「で、お祭り、誰と行くの?彼女?」
「違う。晋二とだよ。」
「男同士で夏祭り?うわー寂しい・・・。」
「いいだろ、別に・・・。」
「高校生にもなって、彼女いないの?」
「そっちこそ、大学生にもなって彼氏いないのかよ!」
 チカは、今年の春から県内の大学に通っている。だが、怒るところみれば、彼氏の「か」の字も無いようだ。
「うるさいわね!いいでしょ、別に!」
 口をへの字に曲げ、睨みつける姉は、般若の形相だ。
もちろん、本人に言えば、ヘッドロックをされるので、決して口にはしないが。
「チカ、そろそろ出るわよ!」
一階から、歯の声がする。
「はーい。」
チカは、余所行きのワンピースを翻し部屋を出て行った。

車のエンジン音が、車庫の中で響いている。
「じゃぁ、先に行ってるからな。」
「いいか、瞬也。明日、家を出る時は、戸締りをしっかりしろ。」
「分かった。」
「あと、電車に乗ったら、メールするのよ。駅まで、迎えに行くから。」
「うん。」
「それじゃぁ、行って来ます。」
「いってらっしゃい。」

 田舎に行く家族を見送って、俺も外に出る。

 俺の住んでいる三丁目は、二丁目の神社まで徒歩で十五分程の距離にある。
二丁目の祭りは、露店だけで無く、神楽、お囃子、花火が有る、町内では、大きな祭りだ。

 祭囃子が響く神社。
 菖蒲色と紺青が混ざった空とは対照的に、赤々とした提灯の灯りが足元を照らしている。
お面をつけた子どもも、互いの事しか見えていないカップルも、浴衣姿の家族連れも、皆、非日常の世界への鳥居を潜っていく。
 鳥居を潜れば、金魚すくい、わたあめ、焼きそば、たこ焼きなど、様々な屋台が連なっている。
どれも、空きっ腹には堪えるものばかりだ。

「・・・晋二の奴、まだか・・・。」
 約束をした午後六時は、既に十五分が過ぎている。
俺は、首を左右に揺らし、友人の姿を探す。
「ん?」
 ポケットに入れたスマホが、振動する。
晋二からの着信の報せだ。俺は、画面に指を滑らせた。
「もしもし―はぁっ!?」







「ったく・・・晋二の奴・・・。」
 先程の電話は、晋二からで、腹をこわしたから行けない、というものだった。
おまけに、抜け出そうとしたら、小母さんに見つかり、部屋に閉じ込められたそうだ。

「一人で、祭とか・・・はぁー。」 
 先程まで楽しそうに聴こえていた祭囃子や人の笑い声が、非常に虚しく感じる。
チカの言葉を気にしたわけでは無いが、
「…彼女とまではいわないけど、他に誰か誘えば良かった…はぁー。」
再び溜息をつき、移動しようとすると、
「あっ!」
「!?」
 肩に鈍い衝撃が走った。
どうやら、人とぶつかったようだ。ショックを受けた直後だとは言え、忘れていた。ここが、人ごみということを。

「すみませんっ! 大丈夫ですか?」
俺は、慌てて手を差し出す。
「…はい…。」
 オレにぶつかって転んだ相手は、ゆっくりと俺の手を取った。
「…え?」
 取った小さい手を引くと、少し長めの前髪が揺れた。前髪の隙間から覗いたその顔には、見覚えがあった。
「水品・・・?」
「・・・土沢・・・。」
水品だった。
驚く俺の顔を見ながら、水品の瞳を見開いた。
「…手。」
「えっ?」
「手、離して…。」
「あっ!ごめんっ!」
俺は、慌てて握っていた手を離した。
「・・・水品も祭りに来たの?」
「…うん。」
「家族?それとも・・・。」
「友達」という単語が出そうになり、オレは慌てて言葉を飲み込んだ。
「違う・・・。」
「えっ?」 
「…彼女とか、いないから…。」

視線を斜め下に逸らしながら言う水品。
その姿を見て、俺は、自然と顔が綻んだ。

「じゃぁ、一人で祭りに来たの?」
「うん。花火・・・見に来た。」

 この神社のお祭りで打ち上げられる花火は、県内でも最多で、近所ばかりか近隣の県からも人が訪れる。

 最近では、駅前に出来たショッピングモールから見える為、境内で見る人は減ったようだが、それでも、かなりの盛況だ。

「水品、俺も一緒に見ていい?」
「…いいの?誰かと待ち合わせしてるんじゃ…。」
「あぁ、してたけど…来れなくなったんだ…。」
「…フラれたの?」
「…えっ?」
「だって、彼女に約束すっぽかされたんでしょ?」
どうやら、水品は俺が、彼女か、それに近い人と待ち合わせしていて、フラれたと思っているようだ。
「違うよ、晋二が腹痛で来れなくなったんだ。」
「檜山?」
「そう。晋二が、ここの祭りに行こうって言い出したのに、かき氷喰いすぎて、腹痛とか…。」
「…檜山らしいね。」
「だろ。だから、俺、フリーなの。」
「分かった。じゃぁ、こっち。」
 水品が示した先は、露店や境内と反対側にある裏手の森に通じる道だった。
「えっ、そっち、反対じゃ…。」
「穴場がある。花火、よく見えるから。」
「へぇ~。」
小さな背に誘われるように、俺は水品の後を付いて行った。




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