ヴィスタリア帝国の花嫁 〜婚約破棄された小国の公爵令嬢は帝国の皇子に溺愛される〜

夕凪ゆな

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第一部

50.傷痕(中編)

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 ――そうこう考えている間に、左足の手当ても終わってしまった。

 次は腕だが、怪我のほとんどは足に集中しており、腕はそれぞれ二ヵ所しか怪我がない。

(ああ、手当てはもう終わってしまうな……。俺もそろそろ心を決めなければ)

 潔く、振られる覚悟を。

 アレクシスはエリスの左足をそっと床に降ろすと、エリスを見上げた。

「足の手当てはすべて終わった。次は左腕だ。隣に座っても構わないか?」
「……っ、……は……い」

 ああ、やはりエリスは自分を恐れているのだろう。
 いつもと比べ、明らかに表情が暗い。視線が合わない。

 ずっと何か言いたげにしているが、結局言い出せずにいるのが手に取るようにわかる。

(やはり、ここは俺の方から気持ちを聞いてやるべきだな)

 アレクシスは左側に座り、腕を取って傷を観察しながら、できるだけ優しい声でエリスに問う。

「馬車の中で、君の言葉を遮ってすまなかった。遅くなったが話を聞こう。あのとき、君は何を言おうとしていた? 君は以前、俺のことを恐くないと言ったが……今も同じ気持ちか?」

 アレクシスがエリスの寝室に入ったのは、これが三度目。

 一度目は初夜で。二度目は舞踏会の夜。そして、三度目は今。

 初夜ではエリスの心も体も傷つけてしまったし、舞踏会のときだって、自分が側についなかったためにエリスを危険な目に合わせてしまった。
 今日も、間違いなく自分はエリスを怖がらせた。

 そもそも自分は決して愛想がいい方ではないし――いや、むしろ愛想など皆無だし、エリスが自分を恐れない理由を探す方が難しい。
 エリスは以前、『今は怖くない』と言ってくれたが、だとしても、好かれる理由など一つも見当たらないのだから。


 アレクシスは腕の消毒をし始めながら、エリスの言葉を待つ。
 するとエリスは、慎重に唇を開いた。

「今の殿下は……少し、恐いです。……だって殿下は、わたくしに怒っていらっしゃるでしょう? 川でわたくしが一緒にいた、リアム様との仲を……殿下は……誤解していらっしゃるから」
「…………。………!?」

 ――が、エリスの口から出た言葉に、アレクシスは目を見開いた。
 その言葉の意味が、すぐには理解できなかったからだ。

 アレクシスは確かに怒っていたが、それはエリスとリアムの仲を疑っているからでは微塵もないし、そもそも、アレクシスがエリスの口から聞きたいのは、そんな話ではない。

 困惑を隠せないアレクシスに、エリスは言葉を続ける。

「信じてくださらないかもしれませんが、あの方とは帝国図書館で一度お会いしたことがあるだけなのです。今日も子供たちを追いかけているときに、偶然出くわしただけのこと。ですからわたくし、殿下を裏切る真似は決してしておりませんわ。神に誓って」
「…………」

 首から上をこちらに向け、懇願するように自分を見上げるエリスの瞳。
 紫がかった美しい瑠璃色の瞳を、不安と緊張に揺らしながら、それでも、しっかりとした意思を込めて見つめてくる。

 けれどその眼差しの理由が、アレクシスにはわからなかった。

(何だ……? エリスは、彼女は、いったい何を言っている?)

 アレクシスは混乱しつつも、必死に思考を巡らせる。

(今の言葉は、つまり、俺がエリスとリアムの仲を疑っていて、そのせいで俺が怒っていると……そういう内容だった。だがエリスは、それは誤解であると言っている。そういうことか?)
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