ヴィスタリア帝国の花嫁 〜婚約破棄された小国の公爵令嬢は帝国の皇子に溺愛される〜

夕凪ゆな

文字の大きさ
58 / 198
第二部

3.アレクシスの悲劇(後編)

しおりを挟む

 ◆◆◆


「あの男、いったいいつまで居座るつもりなんだ……!」

 当初は数日の予定だったはずなのに、結局シオンは二週間が経った今もエメラルド宮に泊まり続けているのだ。
 それも、エリスの隣の部屋に。

 おかげでアレクシスはこの二週間、一度もエリスの部屋を訪れることができないでいた。


 アレクシスは、苛立ちのあまり書類をぐしゃりと握りつぶす。
 するとセドリックは作業を止め、主人に憐憫れんびんの眼差しを向けた。

「お気持ちはわかりますが、だからといって今さら追い出すのは難しいでしょう。あと一週間耐えれば寮の準備も整うのですから、いっそ諦めてはいかがです?」
「何だと!? お前はいったい誰の味方なんだ! お前は俺に、この苦行をあと一週間も味わえというのか!?」
「そうは言っていませんが、この二週間のシオン殿はまるで心を入れ替えたように、殿下を慕ってくださるではないですか。使用人からの評判もいいですし」
「――っ! それが演技だとしてもか……!?」
「まぁ、そうですね。それに、他でもない殿下ご自身が仰ったのですよ。たった二日で百名以上いる使用人全員の顔と名前を覚えるなど、なかなかできることではない、と」
「……ッ、それは……確かに、そう言ったが」

 実際シオンはこの二週間、エリスにもアレクシスにも、何一つ害を与えるようなことはしていない。

 それどころか、どこまでも礼儀正しく接してくる。
 アレクシスにも、使用人にも。

 宮にやってきた翌日には使用人全員の顔と名前を暗記し、朝から庭師の水やりを手伝い、メイドが重い荷物を持っていたら率先して運び、侍従にもコックにも礼を欠かさない。

 それは一見すると貴族の誇りを捨てた行動にも思えるのだが、けれど媚びへつらう様子はまったくないものだから、使用人たちからは少しも侮られることはなく、むしろ慕われているのである。

「流石はエリス様の弟君ね」
「姉と同じく心優しいお方なのだろう」
「シオン様がいらっしゃるからか、最近はエリス様がよくお笑いになるの」
「殿下のことも、とても慕ってくださっているそうだ。昨日なんてエリス様と二人、『殿下がいかに素晴らしいか』を、真剣に語り合っていたと聞いたぞ」

 ――といった具合に。

 そのせいで、アレクシスはシオンに強く出られずにいた。

(確かにシオンは、俺と二人きりであろうと敵意を向けてくることはない。むしろ不気味なまでに好意的だ。――だが、時折背後から感じる視線は……)

 アレクシスは、シオンの自分に対する態度は演技であると考えていた。
 なぜ――と聞かれると上手く答えられないが、不意にただならぬ気配を感じて振り向くと、そこには必ずシオンの姿があるからだ。

(あの男は心を入れ替えてなどいない。表面上そう見えるように取り繕っているだけで、今も俺のことを疎ましく思っているはずだ)

 そうでなければ、エリスと二人きりになろうとするアレクシスの邪魔をするわけがない。
 何かともっともらしい用事をつけてシオンが割り込んでくるのは、アレクシスをエリスから遠ざけるためだろう。
 

「俺は決めたぞ。今夜こそシオンと話をつける。セドリック、お前も協力しろ。作戦会議だ」
「作戦会議……って。もしかしてそれ、今からやるって言ってます? 仕事が溜まりに溜まっているこの状況で?」
「当然だろう。お前はさっきの俺の言葉を聞いていなかったのか? このままでは仕事どころではない、溜まる一方だぞ……!」

 アレクシスは真顔で言い切って、眉間に深く皺を刻む。
 するとセドリックは少しばかり思案して、諦めた様に瞼を伏せた。

 アレクシスの言うとおり、このままでは仕事は遅れるばかり――そう判断したのだろう。

「仕方ありませんね。でしたら一先ず、私がシオン殿と話してみましょう。殿下が話すと、こじれる未来しか見えませんので」
「――! そうか! 引き受けてくれるか!」
「まぁ、上手くいくかはわかりませんが。とりあえず、話すだけ話してみますよ」
 
(正直気は進まない。が、これも殿下の幸せのため……)

 セドリックは、かつて自分自身に立てた誓いの内容を思い出し、窓の外の高い空を見上げるのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

本日、貴方を愛するのをやめます~王妃と不倫した貴方が悪いのですよ?~

なか
恋愛
 私は本日、貴方と離婚します。  愛するのは、終わりだ。    ◇◇◇  アーシアの夫––レジェスは王妃の護衛騎士の任についた途端、妻である彼女を冷遇する。  初めは優しくしてくれていた彼の変貌ぶりに、アーシアは戸惑いつつも、再び振り向いてもらうため献身的に尽くした。  しかし、玄関先に置かれていた見知らぬ本に、謎の日本語が書かれているのを見つける。  それを読んだ瞬間、前世の記憶を思い出し……彼女は知った。  この世界が、前世の記憶で読んだ小説であること。   レジェスとの結婚は、彼が愛する王妃と密通を交わすためのものであり……アーシアは王妃暗殺を目論んだ悪女というキャラで、このままでは断罪される宿命にあると。    全てを思い出したアーシアは覚悟を決める。  彼と離婚するため三年間の準備を整えて、断罪の未来から逃れてみせると……  この物語は、彼女の決意から三年が経ち。  離婚する日から始まっていく  戻ってこいと言われても、彼女に戻る気はなかった。  ◇◇◇  設定は甘めです。  読んでくださると嬉しいです。

余命六年の幼妻の願い~旦那様は私に興味が無い様なので自由気ままに過ごさせて頂きます。~

流雲青人
恋愛
商人と商品。そんな関係の伯爵家に生まれたアンジェは、十二歳の誕生日を迎えた日に医師から余命六年を言い渡された。 しかし、既に公爵家へと嫁ぐことが決まっていたアンジェは、公爵へは病気の存在を明かさずに嫁ぐ事を余儀なくされる。 けれど、幼いアンジェに公爵が興味を抱く訳もなく…余命だけが過ぎる毎日を過ごしていく。

お飾り王妃の死後~王の後悔~

ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。 王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。 ウィルベルト王国では周知の事実だった。 しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。 最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。 小説家になろう様にも投稿しています。

【完結】妖精姫と忘れられた恋~好きな人が結婚するみたいなので解放してあげようと思います~

塩羽間つづり
恋愛
お気に入り登録やエールいつもありがとうございます! 2.23完結しました! ファルメリア王国の姫、メルティア・P・ファルメリアは、幼いころから恋をしていた。 相手は幼馴染ジーク・フォン・ランスト。 ローズの称号を賜る名門一族の次男だった。 幼いころの約束を信じ、いつかジークと結ばれると思っていたメルティアだが、ジークが結婚すると知り、メルティアの生活は一変する。 好きになってもらえるように慣れないお化粧をしたり、着飾ったりしてみたけれど反応はいまいち。 そしてだんだんと、メルティアは恋の邪魔をしているのは自分なのではないかと思いあたる。 それに気づいてから、メルティアはジークの幸せのためにジーク離れをはじめるのだが、思っていたようにはいかなくて……? 妖精が見えるお姫様と近衛騎士のすれ違う恋のお話 切なめ恋愛ファンタジー

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

旦那様、そんなに彼女が大切なら私は邸を出ていきます

おてんば松尾
恋愛
彼女は二十歳という若さで、領主の妻として領地と領民を守ってきた。二年後戦地から夫が戻ると、そこには見知らぬ女性の姿があった。連れ帰った親友の恋人とその子供の面倒を見続ける旦那様に、妻のソフィアはとうとう離婚届を突き付ける。 if 主人公の性格が変わります(元サヤ編になります) ※こちらの作品カクヨムにも掲載します

白い結婚に、猶予を。――冷徹公爵と選び続ける夫婦の話

鷹 綾
恋愛
婚約者である王子から「有能すぎる」と切り捨てられた令嬢エテルナ。 彼女が選んだ新たな居場所は、冷徹と噂される公爵セーブルとの白い結婚だった。 干渉しない。触れない。期待しない。 それは、互いを守るための合理的な選択だったはずなのに―― 静かな日常の中で、二人は少しずつ「選び続けている関係」へと変わっていく。 越えない一線に名前を付け、それを“猶予”と呼ぶ二人。 壊すより、急ぐより、今日も隣にいることを選ぶ。 これは、激情ではなく、 確かな意思で育つ夫婦の物語。

処理中です...