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第二部
18.夏の宵(前編)
しおりを挟むシオンがエメラルド宮を去って、一週間が経った日の夜。
寝支度を終えたエリスの部屋には、蒸留酒の入ったグラスを片手にソファでくつろぐアレクシスと、その片膝に頭を乗せ、緊張に身を固めるエリスの姿があった。
時刻は午後九時を回ったころ。
部屋の灯りを落とすにはまだ早く、エリスはどうしようもなく赤く染まってしまう頬を、照明の下に晒していた。
「顔が赤いな。まだ慣れないのか? もう五日目だぞ」
「……っ」
アレクシスは誘う様な目で、エリスの瞳を真上から覗き込む。
――この一週間、伽の前にこうして膝枕をするのが、二人の日課となっていた。
シオンがエリスに膝枕をしてもらっていたことを羨んだアレクシスが、「俺にもしてくれないか」とせがんだことがきっかけだ。
こうして最初の二日はエリスがアレクシスを膝枕していたのだが、三日目の夜にアレクシスが「交代しろ」と言い出して、それ以降何やら味を占めてしまったのか、エリスが膝枕される日が続いている。
(こんな体勢、一生慣れるわけないわ……。それに、殿下の膝は硬くて……すごく……落ち着かない)
五日が経った今も、どうにもソワソワしてしまう。
この膝枕タイムが終わったら、灯りを消してベッドイン――という流れが決まっていることも、慣れない理由の一つかもしれない。
「あの、殿下……。そろそろ代わっていただけませんか? わたくしが膝枕させていただきますから……」
エリスはぎこちなく視線を上げる。
だがアレクシスは、当然のごとく拒否した。
「駄目だ。確かに君の膝枕は何物にも代えがたい温もりがあったが、見下ろす方が俺の性にあっている。それに、横になっていたら酒が飲めないだろう。君が口移しで飲ませてくれると言うなら別だが」
「……っ」
アレクシスはエリスの顔を覗き込んだまま、くっと片方の唇を持ち上げる。
その挑発的な笑みに、エリスの心臓は、どうしようもなく鼓動を速めた。
とても直視していられない。
「……わたくし、お酒は飲めないのです。ご存じでしょう?」
エリスはふいっと顔を横に背けるが、アレクシスはそれさえも愛おしいと言うように、表情を緩める。
「わかっている。が、酔った君の姿を見てみたいという願望があるのは事実だ。君の白い肌が紅潮する様を想像すると、全身の血がたぎって剣すらまともに握れなくなる」
「――っ」
――甘い。と言うか、エロい。
エリスは、今ではすっかり見慣れたはずの、白いバスローブから覗く厚い胸板から放たれる色気に当てられ、両手で顔を覆った。
開け放たれたバルコニーからは、夏の終わりの清涼とした空気が流れ込んでくるが、そんなものではどうにもならないくらい、身体が火照って仕方ない。
お酒なんて一滴も口にしていないのに、アレクシスの言動がいちいち色気を含みすぎて、酔わされてしまうのだ。
(恥ずかしくて、顔から火を噴きそうだわ)
シオンがいなくなる前までのアレクシスは、何を伝えるにもぎこちないところがあった。
言葉も、触れる指先も優しかったけれど、全てにおいて遠慮している節があった。
それが変わったのは一週間前。シオンが宮を去ってからだ。
走り去るシオンの背中を追いかけようとしたエリスを、「あいつも男だ。一人にしてやれ」と言って止めたアレクシス。
彼は、それでも尚反論しようと口を開きかけたエリスの唇を無理やり塞いで遮ると、拗ねたような声でこう言った。
「今日はもうその名を口にするな。いくら君の実弟と言えど流石に妬ける。君の夫はこの俺だ」
と。
今にして思えば、あのときの台詞は、シオンのことばかり考えて悩む自分の思考を、別のところに逸らすためのものだったかも、と思えなくもない。
が、そのときは驚きすぎて、そんなことを考えている余裕はなかった。
結局エリスは放心状態のまま部屋に連行され、気付いたときにはベッドの上。
その後、「二週間我慢したんだ。今夜は寝かさない。覚悟しろ」と耳元で囁かれた言葉の通り、朝まで抱きつぶされたのである。――勿論、同意の上でだが。
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