ヴィスタリア帝国の花嫁 〜婚約破棄された小国の公爵令嬢は帝国の皇子に溺愛される〜

夕凪ゆな

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第二部

35.姉心(後編)

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 ◇


「――え? じゃあ、マリアンヌ様とは知り合いというわけではないのね?」
「違うよ。お会いするのも言葉を交わすのも今日が初めて。ロビーで本を返却してたら、突然声をかけられたんだ。姉さんとそっくりだって。――確かに髪と目の色は同じだけど、僕が姉さんと似てるだなんて考えたこともなかったから、すごく驚いたよ」
「まぁ、そうだったのね」

 それから少し後、エリスはどういうわけかシオンと共にロマンス小説の棚にいた。
 そこには、本来いるはずのマリアンヌの姿はない。

 というのも、マリアンヌはエリスと軽い挨拶を交わしたあと、すぐに帰ってしまったからである。

「あら、いけない。わたくし急用を思い出しましたわ。エリス様、申し訳ないけれど、本はまたの機会に」と言い残して。


 エリスは、優雅に去っていったマリアンヌの後ろ姿を思い出す。

(マリアンヌ様はきっと、以前わたしがシオンの話をしたことを覚えてくださっていたのね。それで、気を遣ってくださったんだわ)

 エリスは一月ほど前、シオンが宮を出て行ってしまった際、マリアンヌにシオンのことを相談していた。
『弟が何を考えているのか、わからない』と。

 その時はこれといって解決策は見つからなかったが、マリアンヌは真摯に話を聞いてくれて、エリスの心は随分と軽くなったものだ。

 マリアンヌはきっと、その時からずっと、シオンのことを気にしてくれていたのだろう。

(本当にお優しい方だわ)

 そんなことを考えながら何冊か本を見繕っていると、シオンが手近な本をパラパラとめくりながら、珍しそうに言う。

「へえ。姉さんってこういう本も読むんだね。全然知らなかった。僕がエメラルド宮にいたときは、もっと硬い本ばかり読んでいただろう? もしかして、僕に気を遣っていたの?」

 そう問われ、エリスははた・・と気付く。
 確かに、シオンの前では読まないようにしていたな、と。

「ええ、そうね。何だか、あなたの前では読んだらいけないような気がして……。どうしてかしら」

 エリスが答えると、シオンは「ふーん」と呟き、意味深に目を細める。

「なるほどね。姉さんの中の僕って、やっぱりそういう感じだったんだ。でも、今はそうじゃないんだね?」
「え……? ええ。確かに今は平気だわ。ロマンス小説を読むようになったのはこっちに来てからだから、あのときはまだ、恥ずかしい気持ちもあったのかもしれないわね。実家には、こういったものは置いていなかったから」
「――実家、か。……まぁ、そうだよね。父さんは・・・・、こういうのは嫌いだろうからな」
「……?」

 刹那、突然シオンの口から出た父親の存在に、エリスは小さな違和感を覚えた。
 それに今、一瞬シオンの声が沈んだ様に聞こえたのは、気のせいだろうか。

 とは言え、確かにシオンの言葉に間違いはない。
 エリスの実家には、文学的な、あるいはおとぎ話的な小説本はあれど、ロマンス小説のような本は一冊たりと置いていなかった。

 父親が、『低俗』だとして、大層嫌っていたからだ。

(図書館で読もうにも、大衆向けの棚には近づくことすら禁止されていたのよね)

 エリスは、かつての息苦しい日々をまるで遠い昔のことのように思い出しながら、シオンに声をかける。

「ねぇシオン。わたしの借りる本は決まったけれど、あなたは何も借りなくていいの? 何か目当ての本があるなら、探すのに付き合うわ」

 するとシオンは、手にしていた本を棚に戻しながら、「僕はいいよ。今日は返しにきただけだから」と言って、こう続けた。

「でも、姉さんさえ良ければ、この後少し時間を貰えないかな? 偶然とはいえ、せっかくこうして会えたんだ。もう少し一緒にいたい」
「……!」
「ね、いいでしょう? 姉さん」

「…………」
(まぁ、シオンったら……)

 その甘えるような声と仕草に、エリスは途端に姉心あねごころを刺激される。
 大人になったと思ったら、こうして甘えてくるなんて、我が弟はなんと魔性なのだろう。

 エリスは、特に断る理由もなかったこともあり、シオンの誘いを受けることにした。

「ええ、勿論いいわ。あなたの気が済むまで、一緒にいましょう?」

 そう言って微笑むと、エリスはシオンと二人、並んで歩き出した。
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