ヴィスタリア帝国の花嫁 〜婚約破棄された小国の公爵令嬢は帝国の皇子に溺愛される〜

夕凪ゆな

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第二部

76.シオンの葛藤(後編)

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 ◇


 それから約四時間が経った今、シオンはこうして、帝国ホテルの最上階、スイートルームの一室でエリスの寝顔を見つめていた。

 シオンは先ほど、エリスの診察を引き受けてくれたホテルの医師から「大事ありません。じきに目を覚ますでしょう」との診断を受け、一先ず安堵したところだった。

 けれど、エリスの身体が無事だとわかった途端、今度は自分のしでかしてしまったことへの罪の意識が湧いてくる。

 いくらアレクシスが不在とはいえ、あまりにも身勝手なことをしてしまったのでは、と。

(姉さんが起きたら、何て説明しよう。勝手な行動を取ったことをまずは謝って……それから、図書館でのことと、オリビア様の火傷のことを話して……。――ああ、でも、結果的に未遂だったとはいえ、もし泣かれでもしたら……)
 
 そろそろ目を覚ましてくれないだろうか。
 そうは思うのに、いざ目を覚まして取り乱されたりでもしたら、どうしたらいいかわからない。

 それに、このホテルに着いてから、オリビアから聞かされた『オリビアの左手の火傷の原因』――それがアレクシスであったのだとエリスに伝えなければならないことも、シオンの気分を憂鬱にさせた。

(オリビア様は自分で伝えると言っていたけど……よりにもよって『火傷』って。こういうのを因果っていうのかな。……切り傷とかなら良かったのに)

 そもそもエリスは、オリビアの左手に火傷の痕があることを知らないはずだ。
 オリビアが遠方に嫁がされることになったのが、その火傷の痕のせいであることも、知らないはず。

 そんな状況で、事故とはいえ火傷を負わせたのがアレクシスであることや、アレクシスを恨んだリアムのせいで今回のような危険な目に合ったなどと知ったら、エリスはいったいどう思うのだろうか。

「…………」

(こういうとき、殿下ならどうするのかな。『問題ない』って、自信満々に言うんだろうか。宮廷舞踏会で、踊れなくなった姉さんに言ったみたいに)

 ――いや、流石にそれはないだろう。
 なぜって、今回のことは外ならぬ、『アレクシス自身が原因』なのだから。


「……ああ、何かもう、疲れたなぁ」

 いっそこのまま、エリスを連れて国外逃亡でもしてしまおうか。
 何のしがらみもない場所で、一からやり直すというのも手かもしれない。

 そんな、一度は捨てたはずの自分本位な望みが、シオンの中でムクムクと頭をもたげる。

 もう、何もかもが面倒だ。
 この場所から、エリスと二人逃げ出してしまいたい――そう、心が闇に囚われかける。


 だが、そのときだった。

 シオンの思考を無理やり現実に引き戻すかのように、何の前触れもなく、耳元に「ふぅっ」と吐息らしきものを吹きかけられたのは。


「――ひッ!?」

 刹那、あまりにも突然のことに、シオンは悲鳴を上げて飛び上がった。
 と同時に背後で上がる、ケラケラという笑い声。

 その屈託のない子供のような声に、シオンは怒りを覚えながら、ゆっくりと背後を振り返る。
 
 するとそこにいたのは――、

「君、相変わらず耳弱いんだね。変わってなくて安心したなぁ」

 と美しい笑みを浮かべる、この部屋スイートルームの借主――ジークフリート・フォン・ランデルの姿だった。
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