サリオン記

サリオンの記録者

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第一章

一の吟・風を孕む塔

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《一の吟・風を孕む塔》
ーーー
風がこの吟を運んでくる。
ーーー

森を抜け、岩と砂のまじる乾いた丘陵地を越えたころ、遠くに塔が見えた。
白く、細く、空へと吸い込まれるようにそびえていた。

あれが、風の塔。

名を呼ばれるという噂だけを頼りに、タリオスはそこを目指していた。
旅のはじまりにして、最初の塔。
だが、それがただの“最初”ではないことは、彼自身がいちばんよく知っていた。


森を出てから、二週間が経っていた。
荷を背負うロウグもこの土地の空気に慣れたようで、のっそりとした歩みのまま、よく食べ、よく動いた。
「歩く毛布」と呼ばれるだけある。見た目はもっさりしているが、暑さには強い。

丘の風が強くなる。
ふもとの野営地でロウグを休ませ、二人は塔のある斜面を登った。

「高いところは、苦手なのよ」
隣を歩くセラが言った。
彼女は旅に出る前、森に来ていた野の市にいた女だった。楽器を持ち、よく通る声をしていた。
この塔の先に用があるというので、タリオスの旅に同行している。

「おれも、できれば見ないで登りたいくらいだ」
風にあおられながら、タリオスはつぶやく。
この塔に向かうと決めたときから、身体の奥底に、ひとつの震えがあった。
森の民として育った彼には、地を離れること自体が恐怖だった。


塔のまわりには、かつて何かが建っていた痕跡があった。
石を並べただけの祈祷場、風車の残骸、土に埋もれた古い柱。
風が強く吹き抜けると、そのどれもが笛のような音を鳴らす。

塔は谷にせり出すように建っている。
その一部は崖の上に突き出ており、地と塔の接点がいくつか欠けていた。
それでも崩れないのは、この塔が“塔であろうとする意志”を持っているからだ――
そんな話を、かつて森の賢者がしていたのを思い出す。

最上階の縁に、人の影が立っていた。
風の中にあっても揺れず、まるでその風と一体化しているように見えた。

「ようこそ、継ぐ者」

声が、風に乗って届いた。
その主は、リュカ。風の塔の塔守。星読の家系に連なる青年だった。


内部は石の階段が続いていた。
塔の壁に沿ってぐるりと螺旋状に伸びる構造で、ところどころ壁に空隙があり、外の風が容赦なく吹き込む。

「恐れは試練のうちに含まれる」
リュカが静かに言った。
「塔が求めるのは、名に縛られぬ意志。風は、それを見抜く」

タリオスはうなずいた。
壁に刻まれた文様が、風に鳴っている。
低く、くぐもった音。風を孕んだ吟の残響だった。


登るごとに足が震える。
地脈を読む力を持つタリオスにとって、地を離れることは、自らの感覚の一部を捨てるようなものだった。
だが、それでも彼は登った。
風がすべてを吹き飛ばすなら、自分の弱さごと、吹き上げてしまえばいい。

最上階に着くと、セラはすぐに塔の縁から身を引いた。
リュカが手にしたのは、土笛のような器。
それを鳴らすと、風の音と共鳴して塔の壁に文字が浮かんだ。

タリオスが読み上げる。


 風は忘れず 名を越えて呼ぶ



声にした瞬間、ナヴァラから託された樹皮紙に焼きつくとともに、タリオスの胸には染みこんでくる感覚があった。
名を越える。
森の民であるという名、役目、血――すべてを越えて、“何を残すのか”。
塔が問うていたのは、それだった。


「これが最初の吟だ」
リュカが静かに言った。
「風の塔は、おまえの意志を受け取った。……だがまだ始まりにすぎない」

外を見ると、遠くに次の塔の影が霞んで見えた。
地を這う旅が、また始まる。

セラは黙っていたが、その目はどこか遠くを見ていた。
彼女もまた、自分の中に何かを見つけていたのかもしれない。

ーーー
この話は、ここまで。
風が次の吟を運んでくるまで、しばしのおやすみを。
ーーー
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