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序章
3、決意
しおりを挟むこの国の人々には生まれた時から魔力が備わっている。
魔力は魔法を起こす時に必要なエネルギーだ。
この世界で魔力を持たないということは、魔法使いとしてだけでなく、ただ生活を送るだけでも困難なのだが──。
セスは重い瞼を持ち上げた。あの後そのまま体調を崩し、高熱にうなされていた。
キャシーの献身によってやっと様態が安定してきたところだ。
それでも寝ているだけでは気が狂いそうで、セスはキャシーに魔法の資料を頼んで持ってきてもらい、読み漁っていた。
セスは手元の本に視線を落とす。
『【厄災】とは巨大な力を持った魔物のことである。歴史を辿ると、過去にも幾度か凶悪な魔物が出現したことがあり、それらを総じて【厄災】と呼んでいる。
魔物とは──』
そこには【厄災】と総称される、巨大な魔物についての歴史が綴られていた。
熱心に文字を追うセスに、キャシーが声を掛けた。
「坊ちゃん、読書はそのくらいにしてご飯を食べてくださいね」
セスは彼女の顔を見ずに告げる。
「キャシー、一人で食べられるから、もう下がって良い」
「はい。……無理でしょうけれど、あまりお気を落とさないでくださいね。なんだかすっかり人が変わってしまったようで、心配です」
「うん。僕は大丈夫だから」
「……はい。では、失礼します」
セスは子供時代に戻ってしまったからと言って、子供のように振る舞うことはしなかった。そんな気力もなかったし、奇異の目で見られるならばそれは仕方ないと思ったのだ。
彼女はセスの様子が突然変わったことを、母親を亡くした悲しみや魔力を失った衝撃によるものだと受け取っているようだった。
セスは彼女が退室したのを確認する。
そして、こっそりと屋敷を抜け出した。
療養中に考えていたことがある。
(僕が子供に戻っているということは、あの場に居た皆も戻ってきているのでは?)
セスはスカーレット・シエンナという、北の要塞で出会った女性騎士を思い浮かべた。彼女との関係性を一言で表すのは難しいのだが、便宜上恋人としておく、そんな間柄だった。
彼女も【厄災】と戦い、自分を庇って死んだ。
(僕だってこんなに混乱してるんだ、スカーレットだってきっと戸惑ってるに違いない!)
セスはスカーレットとの会話を思い起こす。確か実家は王都にあって、意外と近くに住んでいたことに驚いた記憶がある。
(確か4区に屋敷があるって言っていた)
辺りを見回す。
セスは寄合馬車に飛び乗った。
◆
日が傾いてきた。どうやってここまで辿り着いたのかよく覚えていない。
衝動に突き動かされるまま、気だるい身体を必死に動かして歩き回った。
「シエンナという騎士の家」を尋ねて、教えられるままに来た。立派な門構えの、堅牢な邸宅であった。
セスはシエンナ邸を前にして、初めて怖気づいた。何に恐怖しているのか自分でも分からない。ただ、太陽の角度が変わり、無骨な屋敷が影を落としているのを見て、足が震えた。
「きみ、どうしたの?」
声が掛けられたのはそんな時だった。
息を止めて声の方を振り向く。
丁度、現在のセスと同じ年頃の少女がこちらを見ていた。
夕日を受けて、豊かな赤毛が燃えるように輝いている。少女は快活な微笑みを湛えたまま小首を傾げた。
それはまさしく、北の砦で出会った彼女であった。
(スカーレット!)
セスは叫びたかった。でも、喉が張り付いて言葉が出ない。
言葉を発さないセスに、少女は少しだけ眉を下げた。
「──この辺りで見ない子だね。迷子になっちゃったの?」
セスは今度こそ本当に息が止まるかと思った。頭の芯から冷えていく感覚に、思わず視線を落とす。自分の影が地面に伸びている。
無理矢理顔を上げる。少女は目を見張った。
セスは動かない足を何とか引きはがして踵を返した。
「きみ、待って──」
スカーレットの声が呼んでいる。今度は振り返ることができなかった。
(覚えていなかった)
スカーレットは覚えていなかった。それは魔力を失ったことよりも衝撃だった。同じことばかりをぐるぐると考えてしまう。何も入っていない筈の胃からこみ上げてくるものがあって、セスは胸を押さえた。
(スカーレットは覚えていなかった)
足が震える。
(スカーレットはもう、僕の知っているスカーレットではない)
セスは暗い淵を覗きこんでいるような気持ちになる。
しかし彼女がこの世界に存在して、回帰前の会話の通りシエンナ邸があったということは、回帰前に起きた出来事は今回も起こり得るだろう、ということだ。
つまり【厄災】もやってくるのではないか、とセスは考える。
それならば、今度こそ。セスは決意する。
──愛した人たちに生きてもらいたい。大切な人たちに幸せでいてほしい
──今度こそ【厄災】を倒して彼らを生き残らせる
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