北の砦に花は咲かない

渡守うた

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七章 本当の魔法使い

39、朴念仁には届かない

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『兄ちゃんへ

 お元気ですか?
 オレは元気に学校生活を楽しんでるよ。
 それにしても兄ちゃんは全然手紙を返してくれませんね。
 マジでどうかと思うよ。たまには弟の近況を尋ねるとか、「元気してる?」とか、「学校は楽しい?」とか、した方が、オレからの好感度が上がると思うよ。
 たまに返事をくれても、貴族の手紙のお手本? って感じだし。まあそれはそれで、楽しく読んでるから良いんだけどね。
 それで、兄ちゃんが尋ねてこなかったので連絡しなかったけど、





 この手紙が届くころにはスカーレットさんが北部に行っていることだと思います。




 ちょっとは痛い目を見た方が今後のためだと、可愛くて賢い弟は思うので、反省してください。

 あなたの可愛くてかっこいい自慢の弟ルカより』



 山道から滑落した際に負傷したセスを介抱しながら、魔物に囲まれた時は絶体絶命と思われたが──……


「誰だァ!! 私の白いのをいじめているのはァ!!」

 雷鳴のような怒声が、乾燥した山の空気を切り裂いた。
 秋も終わり、冬を迎えようとしている。それなのに薄着の乗馬服と小さな背負い袋で現れた女性は、彼女自身が熱源のような圧を放っていた。

 高く結わえた赤い髪を翻して、彼女──スカーレットは魔物の群れを蹴散らしていく。
 片膝をついてセスを抱えながら、アーノルドとマイクはその光景に釘付けになった。

「マジかよ」
「ええ~……魔物が風船みてーに割られていってるし……なにあの女」

 冗談のような光景に呆然と呟く。

「……スカーレット?」

 腕の中でセスが身じろいだ。彼の声が聞こえたのか、スカーレットはゆっくりと三人に向かって歩を進めた。
 スカーレットはアーノルドに抱えられているセスを見下ろして、唇を震わせた。

「先に、謝っておく。私はきみにひどいことをする」

ひぃ! とマイクが思わず悲鳴を漏らす。

「すまない。暴力は、とくに感情を発散する為だけの暴力は、許されないと分かっている。人として恥ずべき行為だ」

 先程の怒号とは違う、感情の高ぶりを押し殺すような声だった。
 アーノルドもマイクも固唾を呑んで見守ってしまう。
 だが、と彼女は続けた。

「だが、突然連絡がつかなくなって、何も知らされず、姿を消された私の気持ちを……! ここで清算しなくては次に進めないのだ!」
「うぐっ」
 彼女は高らかに宣言すると、平手をセスの青白い顔に打ち込んだ。

「きゃーーーッ!!」

 見ていたマイクが叫んだ。
 地面に手をつき、咳き込む。文字通り目を回しながら、セスはスカーレットを見上げた。

「ス、スカーレット? 何故ここに……、夢……?」
「落ち着けセス。お前の頬はつねらなくても既に痛いだろ」
「えっ、じゃあ本当に……?」

 アーノルドが駆け寄って支える。セスを起こしてやると、立ち上がってスカーレットと相対した。

「お前、随分じゃねぇか。いきなり人を殴りやがって」
「きみが何者かは知らないが、これは私とセスの問題だ。私の暴力を糾弾する権利があるのはセスだけだ」
「あの、アーノルド、やめてください。彼女の怒りはもっともですから」

 奇妙な緊張が場を支配する。マイクがあのさ~と割って入った。

「っていうかぁ、誰だぁ? このひと」

「あ、えっと、王都騎士団の……」
「恋人の、スカーレット・シエンナだ」

「恋人ぉ!?」マイクが驚愕する。
「やっぱりそうなのかよ……っていうか聞いてた話と全然違うじゃねえか!」

 アーノルドは思わず声を上げた。
 セスから聞いた恋人の特徴は、確か可愛いとか優しいとかだった気がする。魔物を片手で破壊するとは聞いていない。
 アーノルドの言葉を聞いて、スカーレットはうっすらと頬を染めた。
 視線をさ迷わせ、もじもじと指を遊ばせる。

「わ、私のことを話してくれていたのか……」
 スカーレットは顔を上げ、自分が打ち据えたセスの顔を見つめた。

「……ごめん」
「いいえ。手加減してくれたでしょう?」
「……そうだけど」

 自分で平手をしておきながら、スカーレットは、赤くなったセスの頬を見て泣きそうになった。
 セスは、彼女の潤んだ目尻をそっと拭った。
 そんな二人を見て、マイクは人差し指でアーノルドを呼んだ。アーノルドは腰を折ってマイクに顔を寄せる。

(なんだあれ、特殊なプレイ?)
(そうだな)
(情緒が不安定過ぎるだろ!)
(そーだな)

 こそこそとこちらを窺う男二人をよそに、スカーレットはつくづくとセスを眺めた。

「会えて嬉しい」
「……僕も」

 セスは心から言った。
 自分から彼女から離れたのに、こんな状況で再会だというのに、顔を見て胸に抱いたのはよろこびだった。
 顔を見れて嬉しい。
 彼女の声が聞けて嬉しい。
 指先を温められるような心地がする。
 彼は穏やかな心境のまま、親切で口を開いた。

「スカーレット、帰り方は分かりますか? 雪が降り始めたら馬車が使えなくなるので、」

 セスは言葉を途切れさせた。
 相対するスカーレットが目を丸くしてこちらを見上げている。
 彼女の太陽のような瞳が、水を落としたように揺れる。

「──うわぁん」

 スカーレットは、人生で初めて、怒りすぎて号泣した。






「私はスカーレット・シエンナ。本日よりスティリア騎士団に所属することになった。半端な時期での入団で迷惑をかけると思うが、よろしくお願い申し上げる」

 早朝のスティリア城。
 修練場に集められた騎士たちの前で、スカーレットは高らかに挨拶した。

 あの日、スカーレットが泣き出した後、狼狽したセスは、彼女の入団を知らされた。
 文字通りひっくり返ったセスはとうとう昏倒し、以降彼らは非常に微妙な雰囲気で接している。

 ともあれ、時季外れの新しい仲間に、若者たちは大いに盛り上がった。
 恋人を追いかけて、王都からやって来た美しい女性。
 その相手が、淡白そうな印象を与えるセスというのもあって、彼らの話題はこのことで持ちきりであった。


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