まわる相思に幸いあれ~悪人面の神官貴族と異邦者の彼女~

三加屋 炉寸

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本編

69:せき止められたものがあふれ出す

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「それでさ、本当にケガはないんだよね?」

「かすり傷一つない。気になるなら確認してみるか?」

ノルは服を脱ごうとするが、ぬいは首を振って拒否した。

「いいって!何度も言うけど、ヴァーツラフがそこに居るからね?」

「知っている。ヌイは僕が服を着ていようが脱いでいようが、なにも気にならないんだろう?」

果たして感情と記憶が戻っているのかと、どこか試すように言う。

「気になるよ!」

顔を赤くして大声で言うと、ノルはあからさまににやけ始めた。

「そうか、ヌイは僕のことが気になるのか」

「うう……あれはただの救護であって……ごめん、ちょっと何も言わないでくれる?戻った記憶と感情でもう、わけがわからなくなってきた」

頭に手を当てると立ち上がる。もちろんノルに止められた。

「どこへ行く?」

「いや、すぐそこだよ。セドニクさん放っておいたら可哀そうでしょ。ちゃんと謝っておきたいし、いいからノルくんはここで待ってて」




「これは、異邦者ヌイ。本当に元に戻ったのかい?」

扉を開けて外へ出ると、ペトルが驚いた表情でぬいのことを見た。

「はい、その節はご迷惑をおかけしました」

「いや、私は何も。むしろこの先の未来への布石が打てたしね。それよりもノルベルトのことを頼んだよ」

ペトルはそう言うと手を出そうとしたが、すぐにひっこめた。開きっぱなしの扉を一瞥すると、小さく「怖いなあ」とどこか嬉しそうに呟く声が聞こえた。

「頼むって、わたしノルくんのなんでもありませんよ?」

「でも、わかってるよね?」

「うっ、それは……そうですけど。まだ問題も多いですし」

ぬいはばつが悪くなり、目を逸らす。

「そうかもしれないけど、あれだけ一途に想っていたんだ。どうか、ちゃんと向き合って欲しい」

ペトルが真剣な声色で言うと、ぬいは逸らした目を戻し頷いた。

「スヴァトプルク家の当主はこうと決めたら、まっすぐだ。覚悟しておくんだね」

楽しそうな声色で言うと、彼はは去って行った。



「遅い」
「遅くないよ!ずっと、そこで見てたよね?」

ノルは不満そうに目を細めて座っていた。待っている間に杖を回収していたらしく、苛立ちを表すかのようにカツカツと地面にぶつける。

この不機嫌さは自分を求めてくれている証であり、不快ではない。

「……えっと。その、ノルくん。ごめんね、そしてありがとう。あきらめないでくれたから、わたしは自分と立ち向かえた。過去の記憶を取り戻そうって思ったんだ」

「ん?立ち向かえていなかったと思うが。簡単に映しの自分に飲まれていただろう?」

「うっ‥‥そうだけど」

確かにノルに言う通り、偽物の誘惑に負けている。ぬいは何も言えなくなった。

「ヌイがそう思ってくれたのは嬉しい。けど、まだ精進が必要なようだな。今後は僕の家に住み、一緒に生活を共にして訓練していけばいい」

いつの間にか立ち上がっていたのか、ぬいとの距離を詰めていく。

「ん?どういうこと?なんかノルくん近くない?」

「気のせいだ」

否定しながらも、なお歩みを進めていく。

「此度のそなたの手腕、見事であった」

ぬいが手を伸ばして、突っぱねようとしたとき。いつの間にか傍に居たヴァーツラフが急に声をかける。ノルは瞬時にその場に跪いた。

「神々に感謝を」

「異邦者ぬいの祝福は強い。愛や勇気、奇跡などでどうにかできるものではない。それを掻い潜り、記憶を戻したいという意思を引き出した。その時点でそなたの勝ちだ」

ぬいが完全に戻ったのはノルの行動からだと思っていた。だが、きちんと考えた策略の方が評価されていたようである。

「実に人間的であった、神はこの光景を見てくださっているだろう」

ヴァーツラフはそう言うと、略式の祈りを捧げる。ぬいはその様子を見て思うことがあった。

「なんか、ヴァーツラフ楽しそう」

ぬいがそう言うと、眉間にしわをよせて押し黙った。怒っているわけではなく、考えているのだろう。

「……さて、あとは鍋島くんのことだ」

跪いたノルを長椅子に座らせると、ぬいもその横に座る。

「絶対に過去映しはしないほうがいいと思う。あの方法で思い出したら、鍋島くんは絶対に耐えられない。なにより、わたしみたいに暴れたら大変なことになるし」

ぬいが完全に壊れてしまわなかったのは、その前に決意したからだ。だが、彼に同じようなことがあったとは思えないからである。それがなければ、精神が崩壊してしまうだろう。

「あいつが今の状態で堕神になれば、確かに面倒だが……待て、堕神か」

ノルはなにかを思いついたのか、考えている。

「わたしでも大変なことになっちゃったからね。本当に申し訳なさすぎる、どうしようこれ」

ボロボロになった礼拝堂を見て言う。

「否、ここはこの者の中心地。数日経てば戻すことが可能である」

「えっ、そうなの?」

ヴァーツラフが頷く。ノルも知らなかったのだろうか、驚いている。

「でも、やっぱりごめんね二人とも。迷惑かけちゃって」

「確かに常人だったら敵わないだろうが、君は堕神にしては弱すぎだ」

「それ、本当に言ってるの?無理してない?」

訝し気に尋ねると、ノルは鼻で笑った。

「今まで会った堕神の中でも最弱だ」
「むっ、二回も言わなくていいよ!」

ぬいは口をとがらせる。

「それにあれは正面から受けているのではなく、はじき返しているだけだ。それをセドニク家の者が放出されないようにやわらげている」

「えっ、恥ずかしい……弱いくせにわたし、あんな無駄に強者感だしてたの?」

ぬいはキョロキョロと辺りを見渡す。いたたまさなさから、穴の中に入りたくなったのだろう。しかし、そんな都合のいいものはない。

「君は人を傷つけることなど決して考えない。そもそも殺人ではなく、破壊と表現している時点で察される。おまけに力も欲していない。そんな優しい人が殺戮など、できると思うか?」

「確かに嫌だし、不相応なものはいらないけど」
「そんな君だから、僕は……」

ノルは自分の口を手でふさいだ。

「どうしたの?」
「今言うことではなかっただけだ」
「そう」

これ以上突っ込めば、やぶ蛇をつつくことになるだろう。そう察したぬいは話題を変えることにした。

「あのね。わたしは乾綠として、鍋島くんに言わなければいけないことがあるんだ」

「奇遇だな、僕もあいつには言ってやりたいことがある」

ノルはそう言うと腕を鳴らし、悪そうな笑みを浮かべている。どう見ても穏やかなことではあるまい。

「お話するだけだよね?」
「そうだな、君のことについて、いくつか」

笑ってはいるが、目が笑っていない。ぬいはどうしたものかと手を上げると、彼の頬に押し付けた。そのままほぐす様ように回して、マッサージする。

「張りつめすぎだよ、ちょっと落ち着こう」

歪む顔が面白くて、ぬいは少しだけ笑ってしまう。それにつられてノルの顔も穏やかになっていく。

「ヌイ」

ノルはぬいの手を掴む。愛おしそうに、まっすぐ見つめる瞳に見据えられる。その何とも言えない空気に、むず痒さを覚えた。ノルは手を離すと、額をぬいの肩に押し当ててくる。

「すまない……少しだけこうさせてほしい。力をもらいたいんだ」

すがるような声に、ぬいは何も言えなかった。あたたかい気持ちがあふれ、無防備な背中に手を回したくなる。

その自然な好意を持った感情を自覚すると、嬉しさと共に顔が赤くなる。肩越しから動悸が聞こえてるのではないかと思うと、さらに鼓動が高鳴った。

どれだけの時間そうしていたのだろうか。ノルは黙って、それ以上求めることはない。やがて高揚感が落ち着きに変わる。


「綠さん!!」

礼拝堂の入口に、前触れもなく彼が現れた。振り落とされたのかミレナがよろけ、横でしりもちをついている。

転移しようとしたところに、慌ててついてきたのだろう。そんな彼女を気遣う様子もなく、鍋島はぬいのことを見る。

その光景は最悪であった。ぬいは吐き気がしてきた。少し前の自分もこうやって、心配する人たちをないがしろにしていたに違いないと。

「綠……さん?ねえ、知らない人と何してるの?」

鍋島の顔から表情が消えていく。ノルは顔を上げると、不敵に笑った。

「皇女、こいつの力はどれだけ戻った?」
よろよろとミレナは起き上がると、顔を上げる。

「以前の八割程度かと思います」
「そうか、よくやってくれた。これなら充分だ」

ノルはぬいの手を取ると、再び口付けを落とし立ち上がった。

「行ってくる」
「ねえ、綠さんに何をしているの?」

鍋島は静かに怒っていた。刺すような視線でノルのことを見ている。理由はともかく、一度も周りの者を見なかった彼が、ノルを個として認識し始めているのだ。

「はっ、いい表情だな。前に言っていた通り、僕は君に決闘を申し込む」

ノルは鍋島に杖の切っ先を突きつけた。

「なにバカなこと言ってるの?俺にかなう人なんて、そうそういないと思うけど」

「申し込めと言ったのはそっちのほうだろう……まあ、今の君は覚えていないか。強敵を倒して、僕はこの先ヌイと生きる。そう決めた」

「意味が分からないけど、そこまで言うなら相手してあげるよ」

鍋島はこぶしに手を叩きつける。

「ヌイさま!!」

ミレナは聖句を唱えると、飛び上がるように鍋島の横を通り抜け、ぬいの横へやってきた。そのまま軽々と担ぎ上げると、ヴァーツラフの横へ降り立つ。

「ミレナちゃん……その、わたし」

ぬいが謝ろうとすると、その言葉を塞ぐようにミレナは抱きしめた。

「戻られたのですね!ずっと、待っておりました」

ミレナは体を離すと笑みを向ける。その表情を見て、ぬいは嬉しく思った。罵倒するどころか、自分の帰還を喜んでくれる。そんな友人など今まで一人もいなかったのだから。


「教皇さま、あのお方の力はご存じでしょう。どうかこの場所とヌイさまを守る助力をお願いいたします」

「然り。この局面で惜しむ力などない」

ヴァーツラフは錫杖を揺らすと聖句を唱えはじめた。
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