その腕は、やさしい地獄

沙夜

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線路は故郷へ続かない

第八話「存在証明の電話」

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彩花に手を引かれるまま、私たちは息を切らしながら駅のホームを駆け上がった。指定された番号の新幹線に飛び乗ると、ほとんど同時に扉が閉まる。

「ま、間に合った……」
「危なかったね。この世界の『のぞみ』、一時間に一本しかないから」

私たちは指定された席に座り、ようやくほっと一息ついた。窓の外の景色が、ゆっくりと後ろへ流れ始める。
ぼんやりと外を眺めていると、車内のアナウンスが響いた。

『ご乗車ありがとうございます。この電車は、超電導リニアのぞみ99号、新京都行きです。停車駅は、新名古屋、新京都です』

知らない駅名、知らない電車の名前。そして何より、各車両の連結部分に、あのバスや電車で見たのと同じ制服の車掌が、微動だにせず立っている。まるで乗客を監視しているかのようなその姿に、私は息苦しさを感じた。
私の知っている世界とは違うのだと、改めて思い知らされる。

「さて、と」

隣に座る彩花が、パン、と軽く手を叩いた。
「乗りながら、これからどうするか少し考えよっか」
「……うん」
「まず、確認しなきゃいけないこと。この世界に『橘美緒』がいるのかどうか。いるとしたら、どこにいるのか」

そうだ。一番大事なことだ。
もし、この世界にもう一人の私がいるのなら。私は、一体どうなってしまうのだろう。

「自分の家の電話番号とか、覚えてる?」
「うん。お父さんとお母さんの携帯番号も」
「よし、じゃあかけてみよう」

私は震える指で、スマートフォンの画面をタップした。まず、自宅の番号だ。
耳元で、コール音が響く。プルルルル、プルルルル……。
十回、二十回。しかし、何回鳴らしても、誰も電話に出る気配はなかった。次に、母の携帯。父の携帯。どちらも結果は同じだった。ただ、無機質なコール音が続くだけ。

「……誰も、出ない」
「そっか……」

彩花が、心配そうに私の顔を覗き込む。
最悪の事態――家族が存在しない、という可能性が頭をよぎり、血の気が引いた。

「じゃあ、次は学校。美緒の通ってる高校の電話番号は?」
「分かるけど……なんて聞けばいいの?」
「『今日の橘美緒は、ちゃんと学校に来ていましたか?』って。もし来てたなら、もう一人の美緒がいるってことだから」

言われた通り、私は高校の代表番号に電話をかけた。事務的な女性の声に応答され、担任の先生に代わってほしいと告げる。数秒の保留音の後、聞き慣れた担任教師の声が聞こえてきた。

「はい、お電話代わりました。担任の田中です」
「あ、あの……3年7組の、橘ですが……」
「橘さん? どうかしましたか?」

心臓を掴まれるような緊張感の中、私は一番聞きたくて、一番聞きたくない質問を口にした。

「あの……私って、今日、学校から普通に帰ってましたっけ……?」

電話の向こうで、先生が少しだけ「ん?」と首を傾げたような気配がした。

「そうですが……何かあったんですか? 忘れ物かなにか?」
「あ、いえ……ちょっと寝不足気味で、記憶が曖昧で……」
「大丈夫ですか? あまり無理せず、しっかり休んだ方がいいですよ」

――いた。
この世界にも、「私」は、いたのだ。
そして、今日の午後まで、私と同じように学校で過ごしていた。

安堵よりも、得体の知れない恐怖が勝る。じゃあ、その「私」は今どこに? なぜ家族は電話に出ない?
頭が真っ白になっている私に、隣から彩花が「休めるか聞いてみて」と小声で囁いた。

「あ、あの、先生!」
「はい、何でしょう」
「明日から……しばらく学校を、休むことはできますか……?」

理由も聞かれるだろう。親の許可は取ったのかと、問い詰められるかもしれない。そう覚悟していた。
しかし、先生の返事は、私の予想を完全に裏切るものだった。

「分かりました。橘さんの席、空けておきますね。それでは、お大事にしてください」

「え……」

あまりにも、あっさりとした承諾だった。理由も、親の許可も、何も聞かれなかった。

「どうかしましたか?」
「あ、いえ……ありがとうございます。失礼します」

電話を切ると、私は呆然と彩花を見た。
「なんで……あんなに簡単なの?」
「え、何が?」
「だって、理由も何も聞かれなかった……。私のいた世界じゃ、絶対にありえない」
「へえ、大変だね、美緒の世界は」

彩花は、それが当然だというようにけろりと言った。
この世界の学校は、生徒本人の意思があれば、理由なく休むことが許されるらしい。

また一つ、この世界の歪さを知ってしまった。
窓の外は、猛烈なスピードで景色が流れていく。東京と京都の間を、わずか一時間で結ぶというこの世界の超電導リニア。
それはまるで、私の日常が、ありえない速度で未知の世界へ運ばれていく様を、そのまま表しているかのようだった。
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