その腕は、やさしい地獄

沙夜

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京のかりそめ

第十七話「あなたの家が見たい」

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伊織先輩が早朝から出かけてしまった日、私はどうしようもない焦燥感に駆られていた。
いてもたってもいられず、私は彩花に「少し、前に住んでいた家の様子を見てきたい」とだけ告げて、再び超電導リニアに飛び乗った。

何か、見落としていることがあるはずだ。
何か、この世界と私のいた世界を繋ぐ綻びが、どこかにあるはずだ。

そんな思いで、私はかつての自宅周辺や、最寄り駅の周りを、何時間も、何時間も歩き続けた。心当たりがある場所、記憶の中の風景と少しでも違う場所はないか。神経をすり減らして探したが、やはり収穫は何もない。
私の家があった場所には、今日も知らない家が静かに建っているだけだった。

「……今回も、ダメか」

公園のベンチに座り込み、がっくりと項垂れる。
空は茜色に染まり始め、カラスの鳴き声が響いていた。時刻は、午後五時。寮の夕食の時間も近づいている。そろそろ、京都に戻らなくては。
重い腰を上げて駅へ向かおうとした、その時だった。

「―――美緒ちゃん?」

すぐそばで、聞き慣れた穏やかな声がした。
はっとして顔を上げると、そこに立っていたのは、今朝寮にいなかったはずの伊織先輩だった。

「い、伊織先輩!? なんで、ここに……?」
「ああ、やっぱり美緒ちゃんか。偶然やね」

彼は、少し驚いたように目を丸くしてから、ふわりと微笑んだ。
「こっちに住んでる友達に会いにきててん。朝早くから出かけてたのは、そのため」
「そう、だったんですか……」
「美緒ちゃんは、帰省かな?」
「あ、えっと……まあ、そんな感じです」

まずい。嘘がバレないように、当たり障りのない返事をする。しかし、彼は私の嘘を見抜いているかのように、さらに言葉を続けた。

「へえ……。よかったら、美緒ちゃんの家、見てみたいな」
「えっ」

心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。
「い、家、ですか?」
「うん。駄目かな?」

悪戯っぽく小首を傾げるその仕草は、他の人が見ればきっと魅力的だっただろう。だが、今の私には、逃げ道を塞ぐための罠にしか見えなかった。

「だ、駄目というか……その、今、家が工事中で、ちょっと散らかってて……」
「それなら、家の周りだけでも。どんなところで育ったのか、興味あるし」
「あー……えっと、この時間は、近所の小学生が遊んでる時間だから、邪魔したら悪いかなって……」

自分でも、しどろもどろで、苦しい言い訳だと分かっている。
冷や汗が、背中を伝った。
しかし、伊織先輩はそれ以上は追及せず、「そっか」とあっさり引き下がった。

「それなら、仕方ないね。残念やけど」

その、あまりにも物分かりのいい態度が、逆に私の胸に不信感の種を植え付けた。
どうして、そんなに私の家のことを気にするんだろう。
朝早くから出かけたという用事も、本当にただ友人に会うためだけだったのだろうか。この場所で、こんな時間に、都合よく私と鉢合わせるなんてことが、あり得るのだろうか。

「そろそろ帰る? 僕も戻るところやから、一緒に帰ろうか」
「……はい」

彼の優しい誘いを、断る術を私は持っていなかった。
私たちは並んで駅へと歩き出す。隣を歩く彼の横顔は、いつもと同じ、穏やかな笑みを浮かべていた。
それなのに、私の心臓は、先ほどからずっと、警鐘を鳴らし続けていた。
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