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金色の鳥籠
夜しか知らない体温
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「……そいね…?」
私の口から、間抜けな響きの言葉がこぼれ落ちた。
聞き間違いだろうか。それとも、何か別の意味を持つ隠語なのだろうか。しかし、湊さんの表情は至って真面目なままだった。
「はい。ただ隣で、眠ってくれるだけでいいんです」
「な、なぜ…私なんですか」
「さっきも言った通り、私は不眠症でしてね。薬を飲んでも、なかなか寝付けない日が多い。ですが、不思議とあなたのそばにいると、心が落ち着くんです」
先ほどの料亭での出来事が、彼の言葉を裏付けていた。私を眠らせてまで手に入れたかったのは、彼の安眠のためだというのか。あまりに身勝手で、自己中心的な理由に、怒りよりも先に呆れがこみ上げてくる。
「もちろん、嫌だというなら無理強いはしません。二百万円、今すぐ現金で払っていただけるなら、今すぐここからお帰りいただいて結構ですよ」
それは、選択肢を与えているようで、実際には何も与えていないのと同じだった。私に二百万円なんて大金が払えるはずもないことを、彼は百も承知で言っている。
唇を噛み締めると、悔しさで視界が滲んだ。
抵抗は、無意味。私は、この男の手の中から逃れることはできないのだ。
「……わかり、ました」
絞り出した声は、自分でも驚くほど小さく、か細かった。
その返事を聞いた湊さんは、満足そうに「話が早くて助かります」と微笑んだ。
その夜。
私は年配の女性従業員に案内され、屋敷の中でもひときわ豪奢な一室へと通された。襖を開けた先にあったのは、まるで高級旅館の離れのような、静かで広々とした寝室だった。部屋の中央には、見たこともないほど上質な組布団が、二人分を合わせてもまだ余裕があるほど広々と敷かれている。きっと、ここが湊さんの寝室なのだろう。
女性が「若様がお戻りになるまで、こちらでお待ちください」と一礼して去っていくと、部屋には静寂だけが残された。漂ってくるのは、上質なお香と、微かに彼のものと思われる香水の香り。そのすべてが、私の神経をじりじりと焼き付けていく。
どれくらいの時間が経っただろうか。
するり、と襖が開く音に、私の心臓が大きく跳ねた。
そこに立っていたのは、浴衣に着替えた湊さんだった。昼間のスーツ姿とは違う、少しだけ無防備なその姿は、彼の危険性を少しも和らげてはくれなかった。
彼は何も言わず、敷かれた布団の奥側へと進み、静かにその身を横たえた。
そして、私の方に視線を向けると、ぽん、と隣の空いたスペースを手で軽く叩いた。
来い、と。その無言の命令に、私は逆らえない。
ロボットのようにぎこちない足取りで布団に近づき、なるべく彼から距離を取って、端の方にそろりと身体を滑り込ませる。身体は石のように硬直し、息さえまともにできなかった。
薄い掛け布団一枚を隔てて、隣に眠る男の熱が伝わってくるような気がした。やがて、彼の穏やかで、規則正しい寝息が聞こえ始める。本当に、もう眠ってしまったのだろうか。
私は暗闇の中、大きく目を見開いたまま、木目の美しい天井を凝視していた。
不眠症なのは、一体どちらなのだろう。
彼の安らかな眠りは、私の恐怖を養分にしている。
これから一年、毎晩この地獄が繰り返されるのだと思うと、気が遠くなりそうだった。
夜しか知らない、借り物の体温。
それは、私の心を温めるにはあまりにも冷たく、そして恐ろしすぎた。
私の口から、間抜けな響きの言葉がこぼれ落ちた。
聞き間違いだろうか。それとも、何か別の意味を持つ隠語なのだろうか。しかし、湊さんの表情は至って真面目なままだった。
「はい。ただ隣で、眠ってくれるだけでいいんです」
「な、なぜ…私なんですか」
「さっきも言った通り、私は不眠症でしてね。薬を飲んでも、なかなか寝付けない日が多い。ですが、不思議とあなたのそばにいると、心が落ち着くんです」
先ほどの料亭での出来事が、彼の言葉を裏付けていた。私を眠らせてまで手に入れたかったのは、彼の安眠のためだというのか。あまりに身勝手で、自己中心的な理由に、怒りよりも先に呆れがこみ上げてくる。
「もちろん、嫌だというなら無理強いはしません。二百万円、今すぐ現金で払っていただけるなら、今すぐここからお帰りいただいて結構ですよ」
それは、選択肢を与えているようで、実際には何も与えていないのと同じだった。私に二百万円なんて大金が払えるはずもないことを、彼は百も承知で言っている。
唇を噛み締めると、悔しさで視界が滲んだ。
抵抗は、無意味。私は、この男の手の中から逃れることはできないのだ。
「……わかり、ました」
絞り出した声は、自分でも驚くほど小さく、か細かった。
その返事を聞いた湊さんは、満足そうに「話が早くて助かります」と微笑んだ。
その夜。
私は年配の女性従業員に案内され、屋敷の中でもひときわ豪奢な一室へと通された。襖を開けた先にあったのは、まるで高級旅館の離れのような、静かで広々とした寝室だった。部屋の中央には、見たこともないほど上質な組布団が、二人分を合わせてもまだ余裕があるほど広々と敷かれている。きっと、ここが湊さんの寝室なのだろう。
女性が「若様がお戻りになるまで、こちらでお待ちください」と一礼して去っていくと、部屋には静寂だけが残された。漂ってくるのは、上質なお香と、微かに彼のものと思われる香水の香り。そのすべてが、私の神経をじりじりと焼き付けていく。
どれくらいの時間が経っただろうか。
するり、と襖が開く音に、私の心臓が大きく跳ねた。
そこに立っていたのは、浴衣に着替えた湊さんだった。昼間のスーツ姿とは違う、少しだけ無防備なその姿は、彼の危険性を少しも和らげてはくれなかった。
彼は何も言わず、敷かれた布団の奥側へと進み、静かにその身を横たえた。
そして、私の方に視線を向けると、ぽん、と隣の空いたスペースを手で軽く叩いた。
来い、と。その無言の命令に、私は逆らえない。
ロボットのようにぎこちない足取りで布団に近づき、なるべく彼から距離を取って、端の方にそろりと身体を滑り込ませる。身体は石のように硬直し、息さえまともにできなかった。
薄い掛け布団一枚を隔てて、隣に眠る男の熱が伝わってくるような気がした。やがて、彼の穏やかで、規則正しい寝息が聞こえ始める。本当に、もう眠ってしまったのだろうか。
私は暗闇の中、大きく目を見開いたまま、木目の美しい天井を凝視していた。
不眠症なのは、一体どちらなのだろう。
彼の安らかな眠りは、私の恐怖を養分にしている。
これから一年、毎晩この地獄が繰り返されるのだと思うと、気が遠くなりそうだった。
夜しか知らない、借り物の体温。
それは、私の心を温めるにはあまりにも冷たく、そして恐ろしすぎた。
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