龍の腕に咲く華

沙夜

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境界線が溶ける

境界線

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「…静かにするのは、もうやめたのか?」

耳元で囁かれた、楽しそうな声。
私が必死に感情を押し殺し、波風を立てずにやり過ごそうとしていたことなど、彼は最初から全て見抜いていたのだ。
その事実が、私の心を絶望で満たす。
何も答えられずにいると、私の首筋をなぞっていた彼の指が、ゆっくりと鎖骨の上を滑り、浴衣の合わせへと向かった。

「や……」

やめて。
声にならない懇願は、喉の奥でか細い息となって消える。私の反応を確かめるように、彼の手はゆっくりと、しかし確実に布地の下へと侵入しようとしていた。
恐怖で身体が跳ねる。その瞬間を待っていたかのように、彼は私の身体の上に、ゆっくりと覆いかぶさってきた。重みと、彼の匂いと、すぐ間近にある体温。その全てが、私の思考を麻痺させた。

「抵抗しないのか?」

挑発するような問い。できるはずがない。この屋敷に来てからずっと、私は彼の絶対的な力の前に、無力だったのだから。
私の浴衣の合わせに、彼の手がかかる。するりと布地が擦れる音が、やけに大きく部屋に響いた。

もう駄目だ、と思った。
涙が、頬を伝って枕を濡らす。
けれど、彼がしようとしていることは、私の想像とは少し違っていた。

彼は、最後の線を越えようとはしなかった。
ただ、私を組み敷き、身動きできないようにしたまま、私の反応をじっと観察している。恐怖に喘ぐ息遣い、小刻みに震える身体、溢れ続ける涙。その全てを、暗闇の中で楽しんでいるかのように。

どれくらいの時間が経っただろうか。
まるで、飽きたとでも言うように、彼はおもろに私の上から身体を離した。
そして、何事もなかったかのように布団の奥側へと戻ると、静かに私に背を向けた。

「……おやすみ、佳奈」

その声は、いつも通りの、感情の読めない平坦な響きだった。
やがて、彼の穏やかで規則正しい寝息が聞こえ始める。
私一人が、心臓を激しく波打たせ、乱れた呼吸を繰り返しながら、暗闇の中に取り残された。

何だったのだろう、今の時間は。
それは暴力とは違う、もっと陰湿で、心をじわじわと冒していくような行為だった。
彼は、私に思い知らせたのだ。
「添い寝」という契約の境界線など、彼の気分次第でいつでも溶けてなくなるのだと。
私が彼の所有物であり、生かすも殺すも、慰めるも嬲るも、全てが彼の掌の上なのだと。

冷たい平穏は、もう二度と戻ってこない。
代わりに私を支配し始めたのは、いつ牙を剥かれるか分からない獣の隣で眠るような、底なしの恐怖だった。
この夜を境に、私と彼の間の、見えない境界線は完全に溶けてなくなった。
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