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第二章:路地裏の邂逅
第一話:残された無力感
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私がオオカミ族の女として生き始めてから、半年以上の月日が流れた。 魔法の基礎は身につき、ロンド先生との授業はますます専門的になっていく。清楽亭での仕事もすっかり板につき、ミーアさんとの穏やかな日々は、ここが異世界であることを忘れさせてくれるほど、私の日常になっていた。
その日は、珍しくミーアさんに頼まれ、街の市場へ香辛料の買い出しに来ていた。 活気のある人混みを抜け、目的の店を探して歩いていると、不意に背後から強い力で腕を引かれた。
「わっ…!」
バランスを崩して路地裏へと引きずり込まれる。 何が起きたのか分からず混乱する私の前に立っていたのは、まだ幼さの残る一人の少年だった。 それは、現実離れした美しさだった。
薄暗い路地裏の僅かな光を集めて輝く、絹糸のような金色の髪。 恐怖に見開かれてはいるものの、深く澄んだ碧玉の瞳。 まるで精巧な人形か、神話の彫刻かと見紛うほどに整った顔立ちに、私は一瞬、言葉を失った。 その非現実的な美貌に不釣り合いな、上質な生地の服についた泥の染みと、何より、その表情に浮かぶ純粋な怯えだけが、彼がこの世の者であることをかろうじて示していた。
「だ、誰……?」
私が問いかけるより先に、少年は私の背後に隠れるように身を潜めた。 その視線の先から、屈強な男たちが三人、威圧的な空気を纏って現れる。その目つきは、街のチンピラとは明らかに違う、目的のためなら手段を選ばない者のそれだった。
リーダー格の男が、感情のない声で言う。 「無駄な抵抗はやめろ。諦めた方が互いの為だろう?」
少年が私の服の裾を強く握りしめるのが分かった。その小さな震えが、彼の絶望的な状況を物語っている。
(……どうしよう)
関わるべきではない。私の直感がそう警告する。 けれど、目の前で震えるこの小さな背中を見捨てて、後悔しない自信はなかった。
私は覚悟を決め、少年の前に一歩踏み出した。 「この子に、何か用ですか?」
男たちの視線が一斉に私に注がれる。リーダー格の男が、私を値踏みするように見た。
「護衛か? いや…こんな娘が?」
男の油断を、私は見逃さなかった。 風よ、と心の中で命じる。 突風が男たちの足元を襲い、砂埃が舞い上がった。彼らが一瞬視界を奪われた隙に、私は少年の手を引いて駆け出す。
「こっち!」
「待ちやがれ!」
背後から追いかけてくる足音。しかし、路地裏は入り組んでいて、すぐに追いつかれてしまった。 先回りしていた別の一人が、ナイフを煌めかせて私の前に立ちはだかる。
「思ったよりはやるようだな。だが、ここまでだ」
(まずい…!)
咄嗟に水の膜を自身の前に展開するが、男の蹴り一発でそれは霧散した。 魔法を発動させるには、時間と距離が足りない。接近戦では、体力のない私はあまりにも無力だった。
ナイフの切っ先が頬をかすめ、熱い痛みが走る。 もう一人の男が少年に手を伸ばすのが見えた。
(させるか…っ!)
私は詠唱を捨て、ありったけの魔力を足元に叩きつけた。 ドン、という鈍い音と共に衝撃波が走り、男たちは体勢を崩す。その一瞬の隙を突き、私は一番近くにいた男の鳩尾に、全体重を乗せた肘を叩き込んだ。
「ぐっ…!」
呻き声を上げて崩れ落ちる男。 しかし、残りの二人はすぐに体勢を立て直し、その目には明確な殺意が宿っていた。 もう、小手先の魔法ではどうにもならない。
絶体絶命。そう思った、その時だった。
「騎士団だ!」
凛とした声と共に、路地裏の入口に屈強な兵士たちが現れた。 その中心に立つ、一際大きなクマ族の男性の姿に、男たちはチッと舌打ちをして逃走を図るが、兵士たちによって瞬く間に取り押さえられた。
「……助かった」
緊張の糸が切れ、私はその場にへなへなと座り込んだ。 頬を伝う血を手の甲で拭う。
「坊ちゃん、ご無事か」
先頭に立っていたクマ族の男性――おそらくこの部隊の隊長なのだろう――が、少年に駆け寄った。彼の眼差しは厳しくも、どこか案ずるような色を浮かべている。 少年は、こくりと小さく頷いた。
隊長は部下に何事か指示を出すと、今度は私の方へ向き直った。
「あんたもだ。見事な立ち回りだったが、無茶をしすぎる。巻き込んで済まなかったな」
「いえ、私は…」
「名は?」
「ソラ、です」
「そうか。ソラ、今日のことは他言無用で頼む。礼は後日改めてさせてもらう」
彼はそれだけ言うと、部下たちに少年を保護させ、嵐のように去っていった。呆気に取られてその場に残された私は、ただ、自分の無力さを噛み締めていた。
魔法だけでは、大切なものを守れない。 あの時感じた恐怖と、自分の身体をろくに守れなかった悔しさが、私の心に深く刻み込まれた。
もっと、強くならなければ。 魔法だけではない、本当の強さが、私には必要だ。
その日は、珍しくミーアさんに頼まれ、街の市場へ香辛料の買い出しに来ていた。 活気のある人混みを抜け、目的の店を探して歩いていると、不意に背後から強い力で腕を引かれた。
「わっ…!」
バランスを崩して路地裏へと引きずり込まれる。 何が起きたのか分からず混乱する私の前に立っていたのは、まだ幼さの残る一人の少年だった。 それは、現実離れした美しさだった。
薄暗い路地裏の僅かな光を集めて輝く、絹糸のような金色の髪。 恐怖に見開かれてはいるものの、深く澄んだ碧玉の瞳。 まるで精巧な人形か、神話の彫刻かと見紛うほどに整った顔立ちに、私は一瞬、言葉を失った。 その非現実的な美貌に不釣り合いな、上質な生地の服についた泥の染みと、何より、その表情に浮かぶ純粋な怯えだけが、彼がこの世の者であることをかろうじて示していた。
「だ、誰……?」
私が問いかけるより先に、少年は私の背後に隠れるように身を潜めた。 その視線の先から、屈強な男たちが三人、威圧的な空気を纏って現れる。その目つきは、街のチンピラとは明らかに違う、目的のためなら手段を選ばない者のそれだった。
リーダー格の男が、感情のない声で言う。 「無駄な抵抗はやめろ。諦めた方が互いの為だろう?」
少年が私の服の裾を強く握りしめるのが分かった。その小さな震えが、彼の絶望的な状況を物語っている。
(……どうしよう)
関わるべきではない。私の直感がそう警告する。 けれど、目の前で震えるこの小さな背中を見捨てて、後悔しない自信はなかった。
私は覚悟を決め、少年の前に一歩踏み出した。 「この子に、何か用ですか?」
男たちの視線が一斉に私に注がれる。リーダー格の男が、私を値踏みするように見た。
「護衛か? いや…こんな娘が?」
男の油断を、私は見逃さなかった。 風よ、と心の中で命じる。 突風が男たちの足元を襲い、砂埃が舞い上がった。彼らが一瞬視界を奪われた隙に、私は少年の手を引いて駆け出す。
「こっち!」
「待ちやがれ!」
背後から追いかけてくる足音。しかし、路地裏は入り組んでいて、すぐに追いつかれてしまった。 先回りしていた別の一人が、ナイフを煌めかせて私の前に立ちはだかる。
「思ったよりはやるようだな。だが、ここまでだ」
(まずい…!)
咄嗟に水の膜を自身の前に展開するが、男の蹴り一発でそれは霧散した。 魔法を発動させるには、時間と距離が足りない。接近戦では、体力のない私はあまりにも無力だった。
ナイフの切っ先が頬をかすめ、熱い痛みが走る。 もう一人の男が少年に手を伸ばすのが見えた。
(させるか…っ!)
私は詠唱を捨て、ありったけの魔力を足元に叩きつけた。 ドン、という鈍い音と共に衝撃波が走り、男たちは体勢を崩す。その一瞬の隙を突き、私は一番近くにいた男の鳩尾に、全体重を乗せた肘を叩き込んだ。
「ぐっ…!」
呻き声を上げて崩れ落ちる男。 しかし、残りの二人はすぐに体勢を立て直し、その目には明確な殺意が宿っていた。 もう、小手先の魔法ではどうにもならない。
絶体絶命。そう思った、その時だった。
「騎士団だ!」
凛とした声と共に、路地裏の入口に屈強な兵士たちが現れた。 その中心に立つ、一際大きなクマ族の男性の姿に、男たちはチッと舌打ちをして逃走を図るが、兵士たちによって瞬く間に取り押さえられた。
「……助かった」
緊張の糸が切れ、私はその場にへなへなと座り込んだ。 頬を伝う血を手の甲で拭う。
「坊ちゃん、ご無事か」
先頭に立っていたクマ族の男性――おそらくこの部隊の隊長なのだろう――が、少年に駆け寄った。彼の眼差しは厳しくも、どこか案ずるような色を浮かべている。 少年は、こくりと小さく頷いた。
隊長は部下に何事か指示を出すと、今度は私の方へ向き直った。
「あんたもだ。見事な立ち回りだったが、無茶をしすぎる。巻き込んで済まなかったな」
「いえ、私は…」
「名は?」
「ソラ、です」
「そうか。ソラ、今日のことは他言無用で頼む。礼は後日改めてさせてもらう」
彼はそれだけ言うと、部下たちに少年を保護させ、嵐のように去っていった。呆気に取られてその場に残された私は、ただ、自分の無力さを噛み締めていた。
魔法だけでは、大切なものを守れない。 あの時感じた恐怖と、自分の身体をろくに守れなかった悔しさが、私の心に深く刻み込まれた。
もっと、強くならなければ。 魔法だけではない、本当の強さが、私には必要だ。
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