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014,醤油
しおりを挟む壁外に戻ってくると、壁によって風が遮られているおかげでいい匂いが漂ってきた。
予想通りにお昼時には露店の数も増え、飲食店も開店しているようだ。
通りには、冒険者と思しき武装をした人間もちらほらいるが、大半は武装などこれっぽっちもしていない一般人ばかりだ。
ミネルバは冒険者は朝に迷宮に行き、夕方から夜にかけて戻ってくると言ってたいたからこんなものだろう。
日帰りしてくる冒険者は低ランクのものばかりで、高ランクとなると長い時間迷宮に入りっぱなしになることも珍しくないらしい。
もちろん、それだけ物資が必要になるので、ボクのようなボックス持ちや荷物持ちを専門としているポーターと呼ばれる専門職を雇ったりするそうだ。
ボックス持ちは貴重なので、大半はポーターをたくさん連れた大所帯になるみたいだけど。
「らっしゃいらっしゃい! さっき港にあがったばかりの生きのいいやつばっかりだよ!」
「砂ネズミの串焼きだよー! 今日は浜キツネも少しだけ入ってるよ! 早いもの勝ちだよー!」
「聖竜リンゴの絞り汁はいかがー!? 甘くて酸っぱい聖竜リンゴの絞り汁だよー!」
露店が並ぶ通りでは、店主たちや売り子が大声を張り上げて道行く客を捕まえるべく奮闘している。
どれも匂いだけは、とてもいい匂いなのだ。
昨日の居酒屋で食べた料理だってそうだ。
でも、実際の味はどうかというと、やはりちょっと物足りない。
それはやはり調味料をほとんど使わず、自然の味だけで勝負しているからだろう。
まあ、おそらく調味料が高いから使ってしまうと販売価格が高くなってしまったりするのかな?
ここは、石壁に囲まれた安全な街の外だから、どうしてもお金をあまりもっていない人間のほうが多いのだろう。
お金を持っていそうな冒険者や商人は今頃迷宮だろうし。
だから、どれを食べようかちょっと迷ってしまう。
「そこの坊主! 聖竜エビの丸焼きはどうだい! 見ろよこの丸々と太った姿を! 焼き立てホヤホヤは絶品だぜ!」
立ち止まってキョロキョロと露店を眺めていたら、ついには呼び込みのターゲットにされてしまったようだ。
フードを深く被っているので、性別なんてぱっと見ではわからない。
ムーンシーカーの娘として作られたボクのボディは列記とした女性型だが、ボクの精神は男のままだ。
なので、坊主という言葉で呼ばれて反応してしまうのは仕方ない。
あれ? そういえば生前のボクは一体何歳だったのだろう?
色んな記憶が欠落してしまっていて、よく思い出せない。
まあ、今はそれはどうでもいい。
ちょうど迷っていたし、丸焼きなら調味料はあまり関係ないかもしれないからちょうどいいかな?
「見せて」
「お、いいぜ! 見ろこの丸々と太った聖竜エビを! こっちはどでかい浜貝だ! これもお勧めだぞ! こっちは――」
ボクの言葉に、笑顔を返してすぐそこの聖竜湖でとれたばかりだという食材をみせてくれる網焼きの露店の店主。
でも港街なので、この辺でとれるものは食べ飽きているのだろう。この露店にはほかにお客さんはいない。
網の上で焼かれている大きな伊勢海老のようなエビが聖竜エビで、浜貝というのは大きなハマグリのようだ。
ほかにもサザエのような形状をしたものもあるし、トゲトゲの二枚貝のようなものも焼かれている。
日本にも生息していた魚介類もいればそうでないものもいる。
とはいえ、味までそうかといえば違うらしい。
肉質や成分という情報なので、完全に味までわかるわけではないのでそこは食べてみないとわからない部分も多いけど。
でもこういう網焼きをみると、やっぱり醤油を垂らして食べたい。
一応、ムーンシーカー島で少量生産してもらって持ってきてはいる。
でも、これらは次に補充できるのはいつになるかわからない貴重品だ。
おいそれと使えるものではないのだけど――
「おじさん。これ垂らして焼いてくれるなら買う」
ボクとしては意外なくらいスラスラと長文が口から出るくらいには、我慢できなかったようだ。
実際、日本のテレビで流れていた港でとれたての魚介類を網焼きにしていた映像はとても美味しそうであり、そこに垂らされる醤油は、映像だというのに口につばが大量にたまってしまうくらいの破壊力を有していた。
「お? なんだいこれ? というか、男の子じゃなくて女の子だったのか。これは失礼したな。悪い! ……ほほう。これは調味料の類か。ちょっと舐めてみてもいいか?」
「ん」
亜空庫から取り出した醤油は、一見するとただの陶器の瓶にみえるが、実際は耐久力が強化プラスチック並という、まったくの別物だ。
ムーンシーカー島で作られたものなのだから当たり前なんだけどね。
ちなみに、陶器を焼く技術はあるみたいで、昨日の居酒屋でも使われていた。
「ありがとよ。どれどれ……うっ! ずいぶんしょっぱいな! これを垂らすのか? 大丈夫なのか?」
「ボクのだけ」
「んーまあ、嬢ちゃんのだけならいいか。どれにする?」
醤油のしょっぱさに顔をしかめて不安そうにしている店主を安心させる。
普通は焼いたものを販売しているのだろうが、ボクは醤油を垂らして焼いて欲しいのだから、事前に焼くものを選ばせてくれるみたいだ。
ならば――
「ここからここまで」
「はあ!? じょ、嬢ちゃん、そりゃあいくらなんでも食いきれないだろ? それに悪いがちゃんと金はあるのか?」
「ん。問題ない」
露店には魚介類が入った底の浅い木箱があったので、大人買いよろしく、三分の一くらいの量を確保してみる。
ボクは胃袋は人間とは違うからね。
十人前くらいある量でも大した問題じゃない。
それより、せっかく醤油を使って焼いてもらうのだからいっぱい食べたい。
「ほんとに払えるなら、そうだな。全部で7000ギタでいいぜ」
「ん。はい」
いくらになるのか値段を教えてもらい、亜空庫にいれていたお金を取り出す。
昨日、宿屋に泊まる際にも宿泊費を前払いしているので、この国の通貨単位や通貨の種類は把握している。
粗悪な鉄の丸い硬貨が、1ギタ硬貨。
十倍で硬貨の種類が変化し、粗悪な鉄の四角の硬貨が10ギタ硬貨になる。
あとは丸と四角が交互に続き、銅貨、銀貨、金貨となる。
ちなみに、湖面に映る朝日亭一泊の値段は3000ギタだ。
朝食は宿泊客なら、一食100ギタ。宿泊客以外なら300ギタらしい。
「ほんとに払いやがった……。よーし! いいぜ、やってやらぁ!」
四角銅貨七枚――7000ギタを店主に渡すと、驚きに目を見開いたあと、ニヤリと笑いさっそくボクが購入した魚介類を焼いていく。
もちろん、ボクが渡した醤油を少しずつ垂らしてもらっている。
どうせなら刷毛を用意して塗ってもらったほうがよかったかな?
というか、刷毛なんて売ってるのかな?
そんなことを考えている間に、醤油の香ばしい匂いが立ち込めてきた。
「じゅるり」
「こいつぁ……。すげぇうまそうな匂いだ……。俺まで腹が減ってくるじゃねぇか! くぅ!」
醤油の香ばしい匂いは、魚介類の網焼きを商売にしている店主をして、お腹に響く匂いだったようだ。
ふはは、やはり日本の醤油は圧倒的ではないか!
ムーンシーカー島製だけど!
「嬢ちゃん、まずはこいつがあがりだ。ほらよ! 特別にその木箱使っていいぞ!」
「ん」
大人買いをした特典だろうか、空いた木箱を机と椅子代わりにしてくれる。
木箱は先程まで魚介類が入ってたため、椅子用のだけは魔糸を使ってさくっと乾燥させておいた。
机は別に濡れてても問題ないだろ。
「んーぅ!」
「おうおう、うまそうだな! どんどんあがるぜ!」
魚介類の新鮮さに焼けた醤油が絶妙な味わいを加味し、得も言われぬ幸福感をもたらしてくれる。
店主が焼き上げる端から夢中になって食していると、醤油の焼ける匂いに釣られてどんどんお客さんが集まってきたのを周辺探知が捉える。
でも、そんなことはどうでもいい。
ボクは今、食べるのに忙しいのだ!
「まじかよ! こんなに客が! お、おう! ちょっとまってくれ! 今焼いてるから!」
「醤油はボクだけ」
「あ、ああわかってるよ、嬢ちゃん! 量がねぇからな。しょうがねぇ!」
渡した醤油は、ほんの少量だ。すべての魚介類に使えるほどではない。
だが、匂いに釣られて集まってくる客は、すでに行列をなしており、焼けるのを今か今かと待ち構えている。
なので、一応店主に釘を差しておいた。
しかし、普段売られているのと変わらないただの直火焼きの魚介類でしかないはずのそれを、客は満足そうに食べている。
醤油の香ばしい匂いだけでも、十分に味が変化しているのか、はたまたその場の雰囲気に釣られているのか。
ともかく、醤油最強。これだけは間違いない。
それからしばらく、醤油の香ばしい匂いが立ち込めたこの露店の周辺は大変な混雑に見舞われることになった。
ボクはそんな中でも我関せずと、大量の魚介類を胃袋に詰め込んでいく。
ああ……。幸せ。
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