あなたがそこにいるだけで

朝飛

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黒川の背中

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 エターナルの社員との挨拶を一通り済ませ、早速掃除を始めようとしたが、道具がまだ完全には揃っておらず、後日会社の方から持ってくることにした。
 最低限あるものでできることというのが、箒を使った掃き掃除だったが、できる場所は限られていた。
 始める前に読んだ契約書には、機密情報を知っても外部には漏らさないこととあったが、一番は機密情報を取り扱う場所に清掃員を入れないことだ。
 従って、トイレや使われていない会議室、そして受付や廊下など外部の人間も通れる場所だけの掃除を任された。

 ひとまず箒と塵取りを手に、廊下の掃除に取り掛かろうとしていた時、そこに立っていた二人の社員を見て足を止める。いつもならば素通りするか、何も聞いていないふりをしながら掃除に取りかかるのだが、思わず片方の黒川の様子に目が吸い寄せられた。

「黒川、またこの間ミスしたらしいよ」
「え、また?新人だから仕方ないけど、立て続けにやらかしたかあ」
 そこに通りかかった他の社員がこそこそ話しながら通り過ぎる。
 黒川の様子は背中からしか分からないが、先輩社員か上司かに叱責をされながら、少し気落ちしているように見えた。

 仕事、できそうな人間に見えたんだがな……。

 誰しも新人の頃はやらかすものだが、黒川の笑顔を思い出して少し意外な気がした。
 注意を終えた社員が立ち去った後、黒川はその場にしばらく佇んでいた。その後ろ姿をちらちら見ながら掃除に取りかかったところで、物音に気が付いたのか、黒川が振り返る。

「あ……。えっと、変なところ見られちゃいましたね」
「……」
 単なる清掃員の自分に声をかける必要はないとは思ったが、今は黙っていることにした。
「いや、お恥ずかしい。婚活アドバイザー、向いてないのかなあ……」
 ぽろりと溢れた弱音に目を瞬き、黒川の顔を凝視してしまうと、はっと気が付いたような顔をして頭を下げられた。

「すみません、掃除の邪魔をしました。私はこれで」
「……」
 立ち去りかけた黒川の腕を、体が勝手に動いて掴んでいた。
「あ、の……?」
 驚いている黒川以上に夕自身が困惑しながら、その頭に手を乗せ、ぽんぽんと撫でる。
「っ、……!」
 黒川の目が見開かれ、夕を見上げた。その目を見返しながら、ただ体が動くままに、無言で撫で続ける。
 すると、じわじわと黒川の頬が赤くなっていき、つられて自分の顔も熱くなってきた気がして、ぱっと手を離す。
「あっ……」
 黒川がどこか残念がる声を上げ、夕の手を目で追いかける。それに対して何と声をかけるべきか分からずに一層固く黙り込んでしまうと、黒川が頬を赤らめたまま、俯きがちに口を開いた。
「あ、りがとう、ございます……」
 いつも以上に固い口調のお礼に、夕も緊張して何も返せなかった。 
 そうして沈黙が場を満たす中、耐えられなくなったのか、黒川は立ち去って行く。
 後に残された夕は、黒川に対する印象が変わり始めているのを感じていた。 
 
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