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第一部
拭えない過去 ①
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「光輝君のこと、好きになっちゃったかも」
地下鉄に揺られながら、光輝は届いたばかりのLINEのメッセージを確認した。先日の飲み会で出会った他校の女子大生からだった。顔もぼんやりとしか思い出せず、相手には悪かったが返信を返す気にも慣れなかった。
両耳のイヤホンから流れていたのはRADWIMPSの新曲だ。テンポのいい旋律に合わせて、光輝は膝の上に置いた指先で軽くリズムを取る。車内はもうじき昼になろうかという時刻のためか乗客は少なく、また冷房が強く効き過ぎているため、半袖のポロシャツではだいぶ肌寒く感じた。
目の前の座席には、専門学生らしきカップルが腰掛けていた。ともにお洒落をしているつもりだろうが、黒をベースにした二人のファッションは極めてチープでセンスのかけらもない。二人が甲高い声で話しているため、イヤホン越しにもアニメだかゲームだかの話題に興じているのが聞こえてくる。顔面偏差値四十程度のカップルがうれしそうにはしゃぐ姿は妙にイラついた。身のほどを知らないからだろう。えらくもないのにえらそうにしている人間にイラつくのと同じ理屈に違いない。
電車が止まったので、光輝は顔を上げて停車駅を確認した。目的地まであと二駅だ。走り出してすぐに、子どもの叫声が車両内に響き渡った。声のしたほうに顔をやると、優先席に座る親子の姿があった。三十代半ばくらいの母親と、四、五歳くらいの男児だ。今停車した駅で乗り込んで来たのだろう。彼らの前に置かれた黒いベビーカーには、性別不明の乳幼児が収まっている。男児は座席に土足のまま立ち、両腕を振って奇声を上げている。甲高い声は、イヤホン越しでもはっきり聞き取れた。ところが当の母親は、まったく咎める様子を見せていない。公共の場でよく見かける光景だ。光輝は車両を移動しようか迷ったが、あと数駅だったから我慢することにした。それに経験上、移動した先にもクズがいる確率は高い。
光輝は苛立ちながら、あの親子らの不幸を強く願う。仮に、あの親子が暴漢に襲われている場面に出くわしたとしても、きっと最後までヘラヘラ笑いながら見ていられるに違いない。今だ続く雑音を少しでも緩和するため、光輝は音漏れしない程度にiPhoneのボリュームを大きく上げた。すぐさま米津玄師の歌声が、脳内にひときわ鮮やかに響き渡った。
そろそろ、卒業後の進路を決めなければいけない時期にきていた。すでに内定をもらっている同級生も少なくない。今は焦っていないようで焦っているような中途半端な状態だった。
光輝は一人でいる時間が好きだった。群れてるときだけやたら元気な学生たちを尻目に、友人からの誘いも気が乗らなければきっぱり断り、自分のライフスタイルを優先させた。当然それを良く思わない者は多かったし、面と向かって指摘されたこともあった。けれど、カラオケや飲み会、ボーリングなどに参加していても、心の底から楽しめない自分がいるのだからしょうがなかった。マイノリティならではの悩みともいえた。無個性な連中といっしょにいると、どうしようもなく気分が悪くなってくるのだ。しかし、これからはそんな自分本位の過ごし方もできなくなる。社会人になったら従業員は会社のペースに合わせる必要があり、それがいやなら辞めていくしかないのだから——。
とくにやりたいこともなかった。どんな職業を選べばいいのかもわからなかった。そもそも、働くことの意義がまったく見いだせずにいた。生活費のためだけに働くのだとしたら、それはとても虚しいことに思えた。面接の際には志望動機を語ることになるのだろうが、本気でその会社で働きたいと思っていない自分が、就職のために自らを偽り、とってつけたような言葉を並べることにも抵抗があった。それに、このまま普通に就職してしまっては、何者にもなれないことが確定するようで怖くもあった。
期間が限定されているような短期アルバイトならまだいい。終わりが見えているから気も楽だ。現に、イベントスタッフのアルバイトは遊び感覚で楽しめた。だが、社会人になったらそうはいかない。基本、長期間働くことを前提に入社するわけだから、そう簡単には辞められない。とはいえ、そうはいっても、もって二、三年、精一杯がんばっても五年くらいが限界だろう。この先何十年も働き続けることなんて、どう考えても不可能だ。満員電車での通勤は考えただけで気が滅入ったし、就職したら今みたいに長期の休みもとれなくなる。旅行などは、いちばん混雑している時期に何泊かできるくらいだろう。そんなきゅうくつな社会人生活を思うと、どうしても気分は沈んでしまう。何の疑問も抱かずに働ける人びとをうらやましく思った。
車内アナウンスが次の停車駅を告げていた。目的の駅だ。そこから伯父の会社まで五分もかからない。じき到着することを伯父に伝えるため、光輝はLINEを立ち上げて〝田島純一〟のトークルームを開いた。
◈
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地下鉄に揺られながら、光輝は届いたばかりのLINEのメッセージを確認した。先日の飲み会で出会った他校の女子大生からだった。顔もぼんやりとしか思い出せず、相手には悪かったが返信を返す気にも慣れなかった。
両耳のイヤホンから流れていたのはRADWIMPSの新曲だ。テンポのいい旋律に合わせて、光輝は膝の上に置いた指先で軽くリズムを取る。車内はもうじき昼になろうかという時刻のためか乗客は少なく、また冷房が強く効き過ぎているため、半袖のポロシャツではだいぶ肌寒く感じた。
目の前の座席には、専門学生らしきカップルが腰掛けていた。ともにお洒落をしているつもりだろうが、黒をベースにした二人のファッションは極めてチープでセンスのかけらもない。二人が甲高い声で話しているため、イヤホン越しにもアニメだかゲームだかの話題に興じているのが聞こえてくる。顔面偏差値四十程度のカップルがうれしそうにはしゃぐ姿は妙にイラついた。身のほどを知らないからだろう。えらくもないのにえらそうにしている人間にイラつくのと同じ理屈に違いない。
電車が止まったので、光輝は顔を上げて停車駅を確認した。目的地まであと二駅だ。走り出してすぐに、子どもの叫声が車両内に響き渡った。声のしたほうに顔をやると、優先席に座る親子の姿があった。三十代半ばくらいの母親と、四、五歳くらいの男児だ。今停車した駅で乗り込んで来たのだろう。彼らの前に置かれた黒いベビーカーには、性別不明の乳幼児が収まっている。男児は座席に土足のまま立ち、両腕を振って奇声を上げている。甲高い声は、イヤホン越しでもはっきり聞き取れた。ところが当の母親は、まったく咎める様子を見せていない。公共の場でよく見かける光景だ。光輝は車両を移動しようか迷ったが、あと数駅だったから我慢することにした。それに経験上、移動した先にもクズがいる確率は高い。
光輝は苛立ちながら、あの親子らの不幸を強く願う。仮に、あの親子が暴漢に襲われている場面に出くわしたとしても、きっと最後までヘラヘラ笑いながら見ていられるに違いない。今だ続く雑音を少しでも緩和するため、光輝は音漏れしない程度にiPhoneのボリュームを大きく上げた。すぐさま米津玄師の歌声が、脳内にひときわ鮮やかに響き渡った。
そろそろ、卒業後の進路を決めなければいけない時期にきていた。すでに内定をもらっている同級生も少なくない。今は焦っていないようで焦っているような中途半端な状態だった。
光輝は一人でいる時間が好きだった。群れてるときだけやたら元気な学生たちを尻目に、友人からの誘いも気が乗らなければきっぱり断り、自分のライフスタイルを優先させた。当然それを良く思わない者は多かったし、面と向かって指摘されたこともあった。けれど、カラオケや飲み会、ボーリングなどに参加していても、心の底から楽しめない自分がいるのだからしょうがなかった。マイノリティならではの悩みともいえた。無個性な連中といっしょにいると、どうしようもなく気分が悪くなってくるのだ。しかし、これからはそんな自分本位の過ごし方もできなくなる。社会人になったら従業員は会社のペースに合わせる必要があり、それがいやなら辞めていくしかないのだから——。
とくにやりたいこともなかった。どんな職業を選べばいいのかもわからなかった。そもそも、働くことの意義がまったく見いだせずにいた。生活費のためだけに働くのだとしたら、それはとても虚しいことに思えた。面接の際には志望動機を語ることになるのだろうが、本気でその会社で働きたいと思っていない自分が、就職のために自らを偽り、とってつけたような言葉を並べることにも抵抗があった。それに、このまま普通に就職してしまっては、何者にもなれないことが確定するようで怖くもあった。
期間が限定されているような短期アルバイトならまだいい。終わりが見えているから気も楽だ。現に、イベントスタッフのアルバイトは遊び感覚で楽しめた。だが、社会人になったらそうはいかない。基本、長期間働くことを前提に入社するわけだから、そう簡単には辞められない。とはいえ、そうはいっても、もって二、三年、精一杯がんばっても五年くらいが限界だろう。この先何十年も働き続けることなんて、どう考えても不可能だ。満員電車での通勤は考えただけで気が滅入ったし、就職したら今みたいに長期の休みもとれなくなる。旅行などは、いちばん混雑している時期に何泊かできるくらいだろう。そんなきゅうくつな社会人生活を思うと、どうしても気分は沈んでしまう。何の疑問も抱かずに働ける人びとをうらやましく思った。
車内アナウンスが次の停車駅を告げていた。目的の駅だ。そこから伯父の会社まで五分もかからない。じき到着することを伯父に伝えるため、光輝はLINEを立ち上げて〝田島純一〟のトークルームを開いた。
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