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第三部
謎の訪問者 ①
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「確か、103号室だったな……」
だいぶ薄くなった頭髪をなでつけると、男は目的の部屋の前で立ち止まった。単身者向けの古びたアパートで、安アパート特有の黴びた臭いが鼻をつく。二階へとつながる外付けの階段は鉄サビが目立っている。
男は103号室の玄関ドアをまじまじと見つめた。目の前のドアは合板製で、バールで簡単にこじ開けられそうな安っぽい作りだ。隣室に目を向けると、角部屋の104号室はどうやら空室のようで、「電気をお使いになる前にぜひお読みください。」と印字された白いビニール袋がドアノブにぶら下がっている。左隣の102号室に目をやると、洗濯されたらしい男性用のスニーカーが、玄関脇に立て掛けるようにして置かれていた。
男は薄手のコートの襟を軽く両手で引っ張ると、自覚している短い首を何度か回してから103号室のチャイムを鳴らした。ピンポーンという音が室内から聞こえてくる。
部屋の主が本日在宅なのは承知していた。男は両手をこすり合わせながらドアが開くのを待つ。しみが目立つ厚ぼったい手は、乾燥してカサカサしている。ドアの向こう側に人の気配がしたかと思うと、解錠の音がしてドアが開けられた。ドアの隙間から背の低い痩せた女が顔を覗かせる。その顔には心労の色が濃く刻まれており、幸薄い人生を送ってきたことが容易に読み取れた。
「どなたですか?」
女は猜疑心丸出しの視線を向けながら、陰気くさい声で聞いてくる。喫煙の習慣があるのか、口元から覗く歯茎は黒ずんでいた。
男は警察手帳を控えめに見せてから訊ねた。
「黒崎麻里子さん、ですよね?」
「そ、そうですけど……」
警察手帳を見せたことで、女は明らかに動揺している。男は数枚の写真を取り出してから、そのうちの一枚を女に見せる。
「藤原英雄さんをご存知ですよね? プライベートな話で恐縮ですが、高校時代にお付き合いされていたそうで」
「ええ、まあ……」
過去の交際相手の名前を出したことで、狼狽の色がさらに濃くなるのがわかった。女は内心の動揺を押し隠すかのように、若干強気な態度で口を開いた。
「あの、彼がどうかしたんですか?」
「実は、数か月前から行方がわからなくなってまして。それで関係者の方にお会いして、何か手がかりになるようなことはないかと伺ってるわけなんです」
その説明に、女の顔からさっと血の気が引いていった。
「それとですね。彼の中学校時代の同級生も行方がわからなくなってまして。この三人なんですが」
男は残りの写真を相手に見えるように差し出した。
「山本忠浩さん、林修一さん、高木浩幸さんの三人です。中学高校と、藤原さんを含めたこの四人はたいへん仲が良かったようでして。何かご存知ありませんか? どんな些細なことでもけっこうですので」
目の前の女は、唇を固く結んだまま首を横に振った。だが、相手の動揺が面白いほど伝わってきて、男は思わず笑みがこぼれそうになる。四人が失踪した原因に心当たりがなければ、これほどの動揺を示すわけがない。とりあえず、男はこの場にふさわしい表情を取り繕いながら落胆気味に返す。
「そうですか……。少しでも手がかりがあればと思ったんですが、残念です」
失望する顔を見て、この息苦しい状況から解放されると思ったのか、目の前の女は少しだけほっとしたような表情を見せた。その油断したタイミングで、男は次の質問を浴びせた。
「ところで、田島由香さんはご存知ですか?」
「え!?」
女は目を見開くと、衝撃を受けたかのように後ずさりした。顔はこれまで以上に青ざめ、薄い唇が小刻みに震えていた。どうやら立っているのもやっとのようで、両手で壁を押さえている。
弱った女にかまうことなく、男は畳みかけていく。
「確か、高校一年生のときのクラスメートだったと思いますが、覚えてらっしゃいませんかね?」
「いえ、あまり……」
か細い声で答えるのがやっとのようだ。
「そうですか。まあ、田島由香さんは二年のときに退学してますから、記憶に残ってなくても無理はないでしょうな」
女は怯えた目をして、一語一語ふり絞るように訊ねてきた。
「……そ、その人。いなくなった四人の件と、何か関係が?」
「今は捜査中なので詳しいことは申し上げられないのですが、ちょっとその、彼女のお兄さんが——」
次の瞬間、女は短く悲鳴を上げたかと思うと、狭苦しい玄関に崩れ落ちた。
「黒崎さん! ねえ黒崎さん! だいじょうぶですか!?」
女の肩を軽く揺するが意識は戻らない。手のひらで頬を軽くはたいても無駄だった。目を覚ましそうもない女を見て、男はため息を漏らす。
「しょうがないな……」
男は女の顔をまじまじと見る。若いころはそれなりの容姿を誇っていたように思われるが、今では不機嫌さが顔に貼りついていて、もう何年も笑いから遠ざかっているような感じだ。生き様は顔に表れる。四十代ともなればそれは顕著だ。
男はここを訪れる前、道路に落書きなどをして遊んでいた数人の幼稚園児とすれ違ったが、園児らはみな屈託のない笑みを浮かべていた。見ているだけで心が癒されていくようだった。子どもの純粋な笑顔には真理が隠されていると男は常々思っていた。すべての子どもがあのまま成長して大人になれば、この世界から争いごとは消えてなくなるだろうと信じていた。人は、いつからあの笑顔を失うのだろうか。大人になったからといって、それを手放さなければいけない道理などないというのに——。
男は靴を脱ぐと室内に上がり込み、倒れた女を引きずるようにして運んでいく。小柄だったため、運ぶのにさほど苦労はしなかった。三畳ほどの薄暗い台所を抜けて、照明とテレビが点けっぱなしになっている畳の部屋に入ると、合成皮革の安っぽいソファに女を寝かせた。昼間なのにカーテンは閉まっていた。
男が六畳ほどの室内を見渡すと、すぐに小さな仏壇が目を引いた。遺影に写るのは、小学生くらいの男児だ。仏壇の前で目を閉じて合掌すると、男は部屋を出てスマホを取り出した。
「——ええ、ええ。万事首尾よくいきましたよ。効果はテキメンでしたね。充分な脅しになったことは保証します。なんせあの女、あなたの存在をチラつかせたとたん、気を失ったくらいですから。それにしても、六十数年生きてきて、目の前で気を失った女は初めて見ましたよ」
男は依頼人にそう報告すると、高らかな笑い声を周囲に響かせた。
◈
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だいぶ薄くなった頭髪をなでつけると、男は目的の部屋の前で立ち止まった。単身者向けの古びたアパートで、安アパート特有の黴びた臭いが鼻をつく。二階へとつながる外付けの階段は鉄サビが目立っている。
男は103号室の玄関ドアをまじまじと見つめた。目の前のドアは合板製で、バールで簡単にこじ開けられそうな安っぽい作りだ。隣室に目を向けると、角部屋の104号室はどうやら空室のようで、「電気をお使いになる前にぜひお読みください。」と印字された白いビニール袋がドアノブにぶら下がっている。左隣の102号室に目をやると、洗濯されたらしい男性用のスニーカーが、玄関脇に立て掛けるようにして置かれていた。
男は薄手のコートの襟を軽く両手で引っ張ると、自覚している短い首を何度か回してから103号室のチャイムを鳴らした。ピンポーンという音が室内から聞こえてくる。
部屋の主が本日在宅なのは承知していた。男は両手をこすり合わせながらドアが開くのを待つ。しみが目立つ厚ぼったい手は、乾燥してカサカサしている。ドアの向こう側に人の気配がしたかと思うと、解錠の音がしてドアが開けられた。ドアの隙間から背の低い痩せた女が顔を覗かせる。その顔には心労の色が濃く刻まれており、幸薄い人生を送ってきたことが容易に読み取れた。
「どなたですか?」
女は猜疑心丸出しの視線を向けながら、陰気くさい声で聞いてくる。喫煙の習慣があるのか、口元から覗く歯茎は黒ずんでいた。
男は警察手帳を控えめに見せてから訊ねた。
「黒崎麻里子さん、ですよね?」
「そ、そうですけど……」
警察手帳を見せたことで、女は明らかに動揺している。男は数枚の写真を取り出してから、そのうちの一枚を女に見せる。
「藤原英雄さんをご存知ですよね? プライベートな話で恐縮ですが、高校時代にお付き合いされていたそうで」
「ええ、まあ……」
過去の交際相手の名前を出したことで、狼狽の色がさらに濃くなるのがわかった。女は内心の動揺を押し隠すかのように、若干強気な態度で口を開いた。
「あの、彼がどうかしたんですか?」
「実は、数か月前から行方がわからなくなってまして。それで関係者の方にお会いして、何か手がかりになるようなことはないかと伺ってるわけなんです」
その説明に、女の顔からさっと血の気が引いていった。
「それとですね。彼の中学校時代の同級生も行方がわからなくなってまして。この三人なんですが」
男は残りの写真を相手に見えるように差し出した。
「山本忠浩さん、林修一さん、高木浩幸さんの三人です。中学高校と、藤原さんを含めたこの四人はたいへん仲が良かったようでして。何かご存知ありませんか? どんな些細なことでもけっこうですので」
目の前の女は、唇を固く結んだまま首を横に振った。だが、相手の動揺が面白いほど伝わってきて、男は思わず笑みがこぼれそうになる。四人が失踪した原因に心当たりがなければ、これほどの動揺を示すわけがない。とりあえず、男はこの場にふさわしい表情を取り繕いながら落胆気味に返す。
「そうですか……。少しでも手がかりがあればと思ったんですが、残念です」
失望する顔を見て、この息苦しい状況から解放されると思ったのか、目の前の女は少しだけほっとしたような表情を見せた。その油断したタイミングで、男は次の質問を浴びせた。
「ところで、田島由香さんはご存知ですか?」
「え!?」
女は目を見開くと、衝撃を受けたかのように後ずさりした。顔はこれまで以上に青ざめ、薄い唇が小刻みに震えていた。どうやら立っているのもやっとのようで、両手で壁を押さえている。
弱った女にかまうことなく、男は畳みかけていく。
「確か、高校一年生のときのクラスメートだったと思いますが、覚えてらっしゃいませんかね?」
「いえ、あまり……」
か細い声で答えるのがやっとのようだ。
「そうですか。まあ、田島由香さんは二年のときに退学してますから、記憶に残ってなくても無理はないでしょうな」
女は怯えた目をして、一語一語ふり絞るように訊ねてきた。
「……そ、その人。いなくなった四人の件と、何か関係が?」
「今は捜査中なので詳しいことは申し上げられないのですが、ちょっとその、彼女のお兄さんが——」
次の瞬間、女は短く悲鳴を上げたかと思うと、狭苦しい玄関に崩れ落ちた。
「黒崎さん! ねえ黒崎さん! だいじょうぶですか!?」
女の肩を軽く揺するが意識は戻らない。手のひらで頬を軽くはたいても無駄だった。目を覚ましそうもない女を見て、男はため息を漏らす。
「しょうがないな……」
男は女の顔をまじまじと見る。若いころはそれなりの容姿を誇っていたように思われるが、今では不機嫌さが顔に貼りついていて、もう何年も笑いから遠ざかっているような感じだ。生き様は顔に表れる。四十代ともなればそれは顕著だ。
男はここを訪れる前、道路に落書きなどをして遊んでいた数人の幼稚園児とすれ違ったが、園児らはみな屈託のない笑みを浮かべていた。見ているだけで心が癒されていくようだった。子どもの純粋な笑顔には真理が隠されていると男は常々思っていた。すべての子どもがあのまま成長して大人になれば、この世界から争いごとは消えてなくなるだろうと信じていた。人は、いつからあの笑顔を失うのだろうか。大人になったからといって、それを手放さなければいけない道理などないというのに——。
男は靴を脱ぐと室内に上がり込み、倒れた女を引きずるようにして運んでいく。小柄だったため、運ぶのにさほど苦労はしなかった。三畳ほどの薄暗い台所を抜けて、照明とテレビが点けっぱなしになっている畳の部屋に入ると、合成皮革の安っぽいソファに女を寝かせた。昼間なのにカーテンは閉まっていた。
男が六畳ほどの室内を見渡すと、すぐに小さな仏壇が目を引いた。遺影に写るのは、小学生くらいの男児だ。仏壇の前で目を閉じて合掌すると、男は部屋を出てスマホを取り出した。
「——ええ、ええ。万事首尾よくいきましたよ。効果はテキメンでしたね。充分な脅しになったことは保証します。なんせあの女、あなたの存在をチラつかせたとたん、気を失ったくらいですから。それにしても、六十数年生きてきて、目の前で気を失った女は初めて見ましたよ」
男は依頼人にそう報告すると、高らかな笑い声を周囲に響かせた。
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