魔王の俺が伯爵家の無能になったんだが!?〜魔界で疲れたので今世では好き勝手に過ごそうと思います〜

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第五話(後半) 『執務室の父は静かに語る』

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廊下を歩く足音だけが、屋敷の中でこだました。
ミレイアは黙ってクロの少し後ろを歩いている。
ふだんと変わらぬ礼儀正しさで距離を保っているのに、今日はなぜか、足音にさえ張りつめた緊張があった。

 

クロはというと、手を後ろで組み、ゆっくりと歩いていた。
別に偉そうにしているわけではない。
ただ、あまりに沈黙が続いていたので、声をかけるタイミングを失っていただけだ。

 

(なるほど……父親ね。どんなやつか楽しみだ)

 

ノクターン伯爵家の当主、マルグリッド。
この家の主にして、兄たちを鍛え上げた“中心”の存在。
いったいどんな顔をして、俺を待ってるのか。

 

「こちらです、クロ様」

 

ミレイアが静かに言った先に、重厚な扉があった。
真鍮の飾りが嵌め込まれた、明らかに“異物を拒む”気配のある扉。
そこから漏れてくる空気が、ただの部屋とは違うと教えてくる。

 

クロは無言で一度振り返ると、軽くミレイアに頷き、ノックした。

 

「……入れ」

 

低く、抑えた声が返ってくる。
それは命令でもなく歓迎でもなく、“ただの事実”としての言葉だった。

 

ゆっくりと扉を開けると、広く整えられた執務室の中に、ふたりの人間がいた。

 

ひとりは——灰色の瞳を持つ男。
書類を前に、ぴたりとした姿勢で座っている。
歳は四十代半ばか。鋭い顔立ちだが、感情は読み取れない。

 

ノクターン伯爵、マルグリッド。
この家の“核”。

 

もう一人は——あの男、ロジエル。
リオの側近侍従であり、今にも飛びかかってきそうな怒りの顔で立っていた。

 

クロが部屋に入った瞬間、ロジエルは床を踏み鳴らすようにして一歩前へ出る。

 

「マルグリッド様、失礼ながら、私から先に申し上げさせていただきます!」

 

マルグリッドは、顔を上げない。
ただ、書類に目を落としたまま、ペンを走らせている。

 

ロジエルはそれを肯定と受け取ったのか、すぐに声を上げた。

 

「クロード坊ちゃまは、本日リオ様の部屋を訪問し、会話の末に一方的な暴力を振るいました! 右腕は複雑骨折! 医師によれば、完治まで数ヶ月とのことです!」

 

声に感情が乗っている。
いや、もはや“乗ってしまっている”。
侍従としての立場を踏み越えた、それは“個人的な怒り”だ。

 

「正妻様のご子息に対し、このような無法が許されていいのでしょうか!? 坊ちゃまのご身分を思えばこそ、私は黙っていられませんでした!」

 

まだマルグリッドは顔を上げない。
沈黙のまま、ただペン先が紙の上を滑る音だけが響いている。

 

クロは、微動だにしない。

 

「坊ちゃまは……以前とは、まるで別人のようでございます。笑顔の裏に、まるで何かが棲んでいるかのような……!」

 

その瞬間——

ペンの音が止まった。
マルグリッドが静かに、だがはっきりとペンを置いた。

 

それは音ではなく、命令だった。

 

ロジエルが口を閉じる。
マルグリッドはゆっくりと顔を上げ、クロを見た。

 

「……それで?」

 

その問いかけは、短くて、重かった。

 

「クロード。お前の言い分を聞こう」

 

クロは軽く一礼し、言葉を選ぶこともせずに話し始めた。

 

「はい。確かに俺がリオの腕を折りました」

 

ロジエルがびくっとする。
“即答”が、彼にとっては理解できない反応だった。

 

「理由は、ふたつあります。一つは、以前この身体が階段から落とされたこと。状況的に、突き落としたのはリオであると俺は判断しています」

 

「ふたつめは?」

 

「今日の言動です。繰り返される侮辱と嘲笑、そして過去の行動を仄めかすような物言い。あれは、手を出される直前の動きでした」

 

クロは一歩、前へ出る。

 

「俺は、“繰り返される被害”の前に、境界線を引きました。今回の行動はその“目印”です。リオがまた踏み越えようとするなら、次は肋骨です」

 

ロジエル:「ふざけ——!」

 

「黙れ」

 

今度はマルグリッドの口から、明確な命令が出た。

ロジエルは即座に沈黙し、歯を食いしばって頭を下げる。

 

クロの表情は変わらなかった。

「魔力も家柄も関係ない。ただの“人間関係”の問題です。俺は今後、自分を害する者には例外なく、同じように対処します」

 

しばし、沈黙。

マルグリッドはクロを見つめたまま、指先で机をコツンと叩いた。

 

「……変わったな」

 

「はい。多少は」

 

「ふむ」

 

それ以上は何も言わず、マルグリッドは椅子に深く座り直した。

その所作に、不思議な“了承”の重みがあった。

 

「ならば、その考えを貫け」

 

ロジエル:「マルグリッド様……!」

 

「ロジエル。お前には忠誠心がある。だが、貴族の家においては“序列”と“線引き”がもっとも重要だ」

 

マルグリッドは書類に目を戻しながら言った。

 

「この家の誰が、どこまでを許容するのか。それを決めるのは、上に立つ者ではなく——下からの“反発”だ」

 

ロジエルは……理解できないという顔をしていた。
けれど、反論はしなかった。
それは、マルグリッドの言葉の重さが、それだけで“命令”だからだ。

 

「……下がれ。お前たちも、クロードも」

 

クロは軽く頭を下げ、背を向けた。

背中越しに聞こえてくる書類の音。
その無機質な音が、逆に“親の承認”として深く突き刺さった。

 

廊下に出たクロに、ミレイアが近づく。
表情は硬いが、何も言わない。

 

「静かな人だな、親父」

 

ぽつりとそう言って、クロは廊下を歩き出した。

(この家の中で、何かが変わり始めている。
最初にそれを認めたのが——皮肉にも、“この家の核”だった)
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