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第十二話 『静かなる怒り、仕組まれた一手』
しおりを挟む「……この器。柄が下品すぎるわ。こんなもの、うちの家風に合わないでしょう」
その一言で、空気が凍りついた。
リオの母、正妻——レイセラ・ノクターンの声は静かだったが、否応なく周囲を刺す冷気を帯びていた。
給仕の少女は顔を真っ青にして立ちすくんだ。
「し、失礼いたしました……選定を確認し——」
「言い訳はいいわ。次は、見えないところに立ちなさい。真正面に立たれるのは気分が悪いの」
言葉に刺すような悪意はない。
だが、それが逆に恐ろしかった。
その場にいた使用人たちは、ひとことも声を発せず頭を下げるしかなかった。
(ああ、またやってしまった……)
レイセラ自身も、自分が苛立っているのを自覚していた。
だがそれを止める気にはなれなかった。
(……あの子のせいよ)
怒りの矛先は明確だった。
数日前、当主と交わした“あの夜のやり取り”が、今でも頭の中を焼いて離れない。
•
「あなたは、あの子がしたことを本気で見過ごすつもり?」
当主の私室。深夜。
レイセラは部屋に押し入り、怒りを隠そうともしなかった。
「リオに何をしたか、わかってるの? 腕を、骨を——!」
「落ち着け。すでに聞いている」
「聞いている? それだけ? それだけで済む話じゃないでしょ!」
当主は、机の前から立ちもせず、ただ視線だけを向けていた。
その瞳には怒りも、驚きも、焦りすらない。ただ一つ——“判断が終わっている者”の目だった。
「……クロードには理由があった。行き過ぎた行為があったのは事実だが……彼なりに筋は通している」
「あなた、何を言って——!」
レイセラは言葉を詰まらせた。
あの夫が、誰かの肩を持つような言い方をした。それが、何よりも信じられなかった。
「今さら、何? あの子になんの価値があるというの。ずっと無視していたじゃない。あなたが一度でも、“あの子の名”をまともに呼んだことがあった?」
「今と昔では、違う」
「……ふざけないで」
レイセラは、静かに頭を下げてその場を辞した。
だが、その心の中で何かが明確に切れた。
(なら、私が“正す”しかない)
•
夜、人気のない倉庫裏。
フードをかぶったレイセラが、屋敷兵の一人と対面していた。
「……報酬は、この通り。あなたが求めていた条件も飲んだわ」
「……恐れながら、奥様。クロード様に対する行動は……さすがに少し……」
兵士は言い淀んだ。
それが“正妻”の命令であることを理解しつつも、相手が“ただの坊っちゃん”ではないと、最近感じ始めているのだ。
レイセラはそんな揺らぎを見逃さなかった。
ゆっくりと歩み寄り、小声で囁く。
「……あの子が、訓練に出るときが必ず来るわ」
「訓練……?」
「当主は、目をかけた子には訓練場の機会を与える主義。昔から、そうだったでしょう?」
「……!」
兵士の顔がこわばる。
確かにその通りだった。あの当主は、目をかけた者には“実戦”の場を通じて測る性分だった。
「次に、クロードが訓練場に立つ。そのときが、唯一の“事故”が許される機会よ」
「……まさか、再起不能に……?」
レイセラは微笑んだ。
その微笑みは、冷たく、そして美しかった。
「ええ。二度と剣も、魔法も使えない身体にしてあげて。名ばかりの息子に戻れば、あの人の目も冷めるでしょう」
兵士は無言で頭を下げ、金を受け取った。
その足取りは重く、確実に良心を蝕んでいた。
•
屋敷に戻る途中、レイセラはふと立ち止まり、月を見上げた。
(今さら、何よ……)
(あの子なんて、ずっと空気だったじゃない。影のように、誰からも見向きされない子だったはずなのに)
胸の奥が、焼けつくように熱い。
それが怒りか、嫉妬か、あるいは恐怖なのか、自分でもわからない。
(……私とリオの居場所は、私が守る)
そう決めたとき、月は雲に隠れ、夜が静かに深くなっていった。
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