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《時の魔女探偵録》
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時は流れない。止まってもいない。ただ、飽きもせず私の周りを回っている。
私はその中心で、今日も紅茶を淹れていた。
香りは上出来、色も申し分ない。だが口に含めば、やはり――味がしない。
「ふふ、つまらない世界」
退屈が過ぎると、紅茶さえ灰色に感じる。
そんな私の前に、それは突然、現れた。
小さく震える光の球。人の形をした青白い魂。
言葉は発さない。けれどその姿勢、その瞳の奥にあるもの――それは強い、強すぎるほどの怨念。
私は、口の端だけを動かして微笑んだ。
「ようこそ、“死者の願い”」
私は時の魔女。名前はクロノ。
不死で、異能で、ヒマすぎて魔法をひとつ作ってしまった。
それがこの、《怨念誘引の魔法》。
この魔法は、死してなお“復讐したい”と願う魂を、自動的に私の元へ導く。
つまり、この魂の持ち主――リディア・ヴァインバーグは、
自殺ではなく、他殺だったということ。
「何も言わなくていいわ。魂って、黙ってても喋りすぎるくらいよ。とくに未練が強い死者はね」
クロノは立ち上がり、指先で空間を撫でた。
虚空に、ひとつの円が浮かぶ。転移の魔法陣。
「事件の現場は……異世界、魔導国家“レヴァルティア”。貴族の令嬢であるあなたが、魔法学園の寮で投身死――ほぅ、これはまた」
ページをめくるように、世界が反転する。
光と影がねじれ、視界が裏返る。
クロノはひとこと、退屈そうに告げた。
「調査、開始ね」
⸻
転移先は、灰色の空に囲まれた、石造りの学園だった。
その中央――円形の中庭を囲むように、講堂・寮・教員棟が配置されている。
魔法学園。名門の名にふさわしい威圧感。だが私には、そう見えなかった。
「建物がよく喋るわね。誤魔化すのが下手なタイプ。秘密を抱えてる匂いがする」
クロノは一枚の書類を取り出し、魔力で空中に固定する。
封蝋には“魔導審問会”の紋章。肩書きは《監査官 クロノ=ヴァルデス》。
つまり、私はこの世界において、“公式な調査員”ということになる。
もちろん、偽名と偽装魔法のおかげだけれど。
「死んだのは、名門ヴァインバーグ家の娘。リディア。成績優秀、評判も良好。ある晩、寮の屋上から投身死。遺書なし。動機不明」
記録上は“精神的不安定”という一言で片付けられていた。
だがそれは、都合のいい大人たちがよく使う言葉。
私が知っているリディアの魂は、そんな簡単な感情で震えてはいなかった。
――その死には、何かがある。
「さて、じゃあ探偵役を演じましょうか。
私の魔法が使えるのは、“黒幕を名指し”できたときだけ。つまり、犯人がわからなきゃ、何もできないのよ」
クロノはゆっくりと歩き出す。目指すは、学園の女子寮。
リディアが死を遂げた現場。そして、最初の鍵が眠っている場所。
⸻
リディアの部屋は封鎖されていた。
だが監査官の権限を使えば、そんなものは飾りに過ぎない。
部屋に入ると、空気がピクリと揺れた。
ベッドの上に、少女が座っていた。黒髪の、細い肩。
彼女はクロノの視線に気づくと、ゆっくりと振り向く。
「あなたは……誰?」
「監査官よ。死者の名誉を守るために来たの。あなたは?」
「サラ・ミレス。リディアの……同室だった」
「なるほど。じゃあ、聞かせてもらえる?」
クロノは、部屋の中央にある机の上に“白紙の本”を置いた。
それが、リディアの遺品。日記帳。
「彼女は、自分で死を選んだと思う?」
サラは答えない。唇を噛んだまま、黙っていた。
「じゃあ、こう言いましょうか――
彼女は、死ぬ数日前から“誰か”と会っていた。それは誰?」
「……知らない。私は、何も……」
嘘だった。けれど、その震える声と視線の動きが、すべてを物語っていた。
「大丈夫。私は探偵。あなたを責めるためじゃない。
死者の声を聞くために、今ここにいるのよ」
クロノは、白紙の日記帳を軽く撫でた。
ほんの少しだけ、紙の上に“何か”が浮かび上がる。
次にこの本を開くとき――最初の真実が現れる。
ページをめくっても、インクの一滴も見えない。
けれど、私にはわかる。ここには、“強い言葉”が刻まれていた。死に至るほどの、思いが。
私は指先でページをなぞる。表面に、ごく微細な凹凸。手書きの文字が、かつてそこに存在した痕跡。
「視えない記憶なら、時間に語らせればいい」
私は静かに、魔法を一つ使う。
“時間遡行式残響検出(リワインド・ミュート)”――紙に刻まれた過去の筆圧、魔力の残滓、書いたときの速度。すべてを感知し、再構成する。
淡く、文字が浮かび上がる。
⸻
《彼がまた来た。もう、何度目だろう。》
《夜の廊下で待っていた。誰にも見られていないと思ってる》
《あのとき、拒めなかった。拒んだら、全部が終わると思った》
《私が黙っていればいい? でも、それで済むの?》
《もし私が死んだら、それは――事故じゃない》
⸻
最後の文字が、魔力の焦げ痕で途切れていた。
誰かが、記録を完全に消す前に、ページの一部だけを破壊している。
「……見せたくなかったのね。誰かに、もしくは“彼”自身が」
その人物は、リディアにとって恐怖だった。
けれど、完全な拒絶もできないほどの――近さがあった。
「恋人……にしては、感情が重すぎる。教師か、家族か。もしくは、もっと別の立場?」
仮説はまだ霧の中。だが、この日記の存在だけで“自殺”という言葉は崩れた。
⸻
再び、サラの元を訪ねた。
扉をノックすると、彼女は窓際の椅子に腰掛けていた。手には、リディアが愛用していたというハンカチ。
「その香水……リディアの?」
「……うん。彼女、香りにはうるさかったから。
毎晩、枕に香りを染み込ませてた」
「彼女、夜に誰かと会っていた?」
「……たぶん。でも、名前までは聞いてない。彼女、私を巻き込みたくないって。
“私が話したら、その人が終わる”って言ってた」
「その人、何か問題を抱えていた?」
「わかんない。けど、リディアが笑わなくなったのは、その人と関わってからだった」
その一言に、魔女の目が細められる。
「誰かの秘密を守るために、自分を壊した――リディア。あなた、本当に優しすぎたのね」
香水の香り。夜の会話。見えない恐怖。
それらが指し示す“彼”の存在。
ここで浮かぶのは――“行方をくらませた教師”だ。
⸻
私は、魔導記録を洗い直す。
数週間前から休職した教員――シルヴェスト・クラーレン。
実戦魔導学を担当し、厳格で知られていた。
しかし、急な休職届けと共に、連絡も途絶えている。
「消えた教師。リディアの最後の関係者候補。
“彼”にしては、あまりにも分かりやすいわね」
分かりやすすぎる――それはつまり、“怪しすぎる”ということ。
けれど、ここで無視するわけにはいかない。
彼の部屋に、次の鍵があるかもしれない。
私は教員棟へ向かう。
すでに日は傾き、空に長い影が差していた。
「リディア。あなたが残した“消された記憶”、ちゃんと拾ってるわよ」
クラーレンの部屋は、教員棟の三階。
鍵は魔力で封印されていたが、その封印は形式的なものに過ぎなかった。破るには、私のような魔女である必要すらない。
「扉のロックが甘いのは、隠す意思がないから……あるいは、“隠したつもりになってる”だけ」
私は指先で空間をなぞり、封印を無力化する。
鍵がカチャリと外れ、扉が静かに開いた。
室内に一歩踏み込んだ瞬間、違和感が走った。
整然としすぎている。
机の上には何もなく、棚の本はまるで装飾品のように並んでいる。
生活感が、まるでない。けれど、それが逆に――不自然。
「綺麗すぎる部屋は、“過去を消そうとした”人間の痕跡よ」
私は机の引き出しに手をかける。
鍵はかかっていたが、軽く魔力を流すだけで開いた。
中には、一通の手紙。封筒には宛名があった。
《リディア・ヴァインバーグへ》
封は切られていない。けれど、封筒の裏にほんのりと香る花の匂い――これは、リディアの使っていた香水。
私は躊躇なく、封を切った。
⸻
《君が誰かに口外するつもりなら、それはやめてくれ。
僕も、君も、破滅する。
君のためだ――信じてくれ。》
⸻
「……なんて便利な言葉。『君のため』。
人は誰かを支配したいときに、これを使う」
内容は、簡潔で、脅しめいた懇願文。
彼女が何かを知っていて、それを話すことが“彼”にとって致命的だった――それが伝わってくる。
つまり、この手紙が本物なら――
クラーレンはリディアと関係があり、彼女の死の動機を握っていた可能性がある。
「でも、ここで“この手紙だけ”が残ってるっていうのは、どうなのかしらね?」
すべてを整理し、消したつもりの部屋に、こんなにも“わかりやすい証拠”が一つだけポツンと残っている。
あまりに不自然。
まるで、「ここに犯人がいる」と言わんばかり。
「わざと、じゃないの? これは“誰かが置いたもの”の可能性もある」
思考が加速する。
クラーレン本人が逃げたのではなく、“逃げさせられた”可能性。
この部屋は、すでに誰かに“演出”されていたのでは?
⸻
私はもう一度、部屋をぐるりと見回す。
棚の本、窓のカーテン、床の色……その中に、違和感が一つだけある。
ゴミ箱が空だった。
教師の部屋で、これほど完璧に空っぽのゴミ箱があるだろうか。
書き損じの紙も、飲みかけの薬も、何一つない。
それはつまり、誰かが“生活の痕跡ごと消した”ということ。
日常を削るように。
「綺麗な部屋は、記憶のない部屋。
でも、クロノはね、記憶の欠片が大好物なのよ」
私は指先をゴミ箱の縁に当て、小さく魔法を囁いた。
“残響召喚(エコー・トレース)”
――この場所に、かつて置かれていたものの“記憶”を一瞬だけ呼び出す魔法。
すると、空のゴミ箱の中に、焦げた紙片が一瞬だけ映った。
そして、そこに記されていた文字は――
《副校長の命令で処理。証拠は消した》
「……副校長?」
クラーレンだけではなかった。
学園の上層部も、“何か”を知っている。
そして、すべてを“消した”のだ。
リディアの死も、クラーレンの存在も、何もかも。
⸻
私は再び、あの白紙の日記を開いた。
時間の残響が、淡く浮かぶ。
《私が死んだら、それは――事故じゃない》
その言葉だけが、夜の空気に響いていた。
貴族の屋敷は、外観も内装も、すべてが“格式”で塗り固められていた。
石造りの重たい門、磨き上げられた床、無機質な笑顔の使用人たち。
そして何より、誰も“リディアの死”に触れようとしない。
私は客間の椅子に腰掛け、紅茶を断った。味がしないのは、何も紅茶のせいではない。
「リディア・ヴァインバーグの監査について、いくつかお聞きしたいことがあります」
対応に出てきたのは、継母――メレディス・ヴァインバーグ。
整った美貌に冷たい瞳。
喪服姿でも、その態度には悲しみのひとかけらもなかった。
「娘の死は、たいへん痛ましいものでした。ですが、もう済んだことです」
「済んだこと? 自殺と断定したのは、どなたの判断でしょう?」
「それは……医師の見立てです。遺言も残っておりましたし」
私はゆっくりと眉を上げる。
「遺言?」
「はい。机の引き出しに、リディアの筆跡で」
私は懐から、筆跡鑑定魔法の道具を取り出し、封筒ごと提示する。
「確認させていただけますか?」
渋々ながら、メレディスは書類を差し出した。
一見、丁寧に書かれた文章。
だが、比べてみると――筆跡が違う。
いや、それ以前に、リディア本人の筆跡は日記から既に取得していた。
私の声が、ほんの少しだけ低くなる。
「この遺言、偽造です」
「……そんな、はずが」
「加えて、“彼女の遺品”に指輪の痕がありました。けれど指輪そのものは、遺品として提出されていません」
継母の顔が、僅かに引きつる。
この屋敷には、**“隠している何か”**がある。
⸻
クロノは執務室に案内を求め、リディアの私室へと足を運ぶ。
そこで目に入ったのは、日記と同じ香水の瓶。そして――
双子用に作られた、名前の刺繍が“二つ分”入ったハンカチ。
「……リディアと、もう一人?」
扉の外に、足音が近づいてきた。
入ってきたのは、父親――ダミアン・ヴァインバーグ。
長身で威厳がありながら、どこか“人形のような目”をしていた。
「娘の部屋に、何か?」
「いいえ。ただ、少しだけ引っかかるものがあって」
「そうですか。……彼女は、いい子でしたよ。とても静かで、従順で。理想の娘でした」
その言葉に、私は小さく笑った。
「静かで、従順。なるほど、言い換えれば“何も言わない”子ですね」
それは、“見えない檻の中にいる娘”への最上の賛辞。
この家は、娘に“名家の顔”を演じさせていた。
けれど、じゃあ本当に死んだのは――“リディア本人”なの?
⸻
私は再び、学園に戻る。
サラ・ミレスの部屋をノックすると、彼女は窓辺に座っていた。
「思い出したの。……リディアが、何度か口にしてた言葉」
「どんな?」
「“私じゃないのに”って。泣きながら、そう言ってたの。……ずっと、意味がわからなかった」
クロノは息を止める。
“私じゃないのに”――その言葉が、すべてを一変させる。
「サラ。あなた、彼女に双子の姉妹がいたことは知ってる?」
「え……? そんなの、聞いてない……」
「たぶん、家族は隠してた。リディアの“もう一人”を。
でも、言ってしまったのよ――死んだのは、“私じゃないのに”って」
⸻
私は再び、魂の空間に立った。
リディアの魂が、そっと揺れている。
その瞳の奥にあるものは、哀しみでも、怒りでもない。
ただ――誰かのために黙っていた“愛”だった。
真実は、往々にして静かに転がっている。
それに気づけるかどうかは、観察と推理。
そして何より、“聞こえない声を拾う力”だ。
私、時の魔女クロノは、確信し始めていた。
――この事件の本質は、「誰が殺したか」ではない。
**「誰が“死んだことにしたか”」**なのだ。
⸻
あのハンカチにあった“二つの刺繍”。
名前は確かに同じだった。けれど、微妙に字体が違っていた。
リディア・ヴァインバーグと……もう一人の、リディア。
「まさか……“双子に同じ名前”を?」
そう、“名を分け合う”という狂気。
世間には“完璧な娘”が一人いればいい。だから、家はこうしたのだ。
一人を表に出し、一人を“存在しなかったこと”にした。
そして、死んだのは――影として育てられた“もう一人”のリディア。
⸻
私は屋敷に戻り、父・ダミアンの書斎に侵入する。
そこには、鍵付きの書棚。開けてみると、数年前の戸籍記録が保管されていた。
その中に、一枚の破られかけた登録証。
⸻
名前:リディア・ヴァインバーグ(抹消)
続柄:長女
備考:死亡証明提出済
⸻
「……やっぱり、あなたたち、最初から“殺してた”のね」
彼女は何年も前に“死んだ”ことにされていた。
けれど、生きていた。影として、声を上げずに。
そして、ようやく“本物のリディア”に呼ばれたのだ。
姉の死を、世に知らしめてほしいと。
⸻
そして、つながる。
あの教師――クラーレンは、“影のリディア”と心を通わせていた。
だが、彼女が双子であることを知った時、彼は恐れた。
“家の狂気”に巻き込まれることを。
――だから、逃げた。
証拠を残し、リディアに謝罪の手紙を出して。
けれど、彼女はもう――存在ごと消される寸前だった。
⸻
クロノは立ち上がる。
口元には冷たい笑み。心には、確信。
「名を告げれば、魔法は動く。
そして――罰が下る」
⸻
その夜。
ヴァインバーグ家の大広間。私は彼らを集めた。
「調査の結果、事件の真相が明らかになりました。
リディア・ヴァインバーグを殺したのは……あなたです、メレディス・ヴァインバーグ」
継母の瞳が細くなる。
「証拠はあるのかしら?」
「もちろん。戸籍記録の改ざん、双子の存在の隠蔽、遺言の偽造。
そして何より、“あなた自身の発言”」
私は指を鳴らす。空間に、時間魔法が揺れる。
昼下がりの応接間。メレディスの声が、記録から再生される。
⸻
「“影”の子なんていらないのよ。あの子は死んだことにしていたのに、なぜまた出てきたの?」
⸻
空気が凍りつく。
私は魔導法の証明を取り出し、魔法詠唱の準備を始める。
「名は告げた。罪は確定した。ならば――」
魔法が発動する。
名は告げた。罪も明らか。
――あとは、罰を与えるだけ」
魔法陣が、音もなく床に広がっていく。
空間がひび割れ、世界の“縫い目”が軋みを上げる。
その中心に立つのは、メレディス・ヴァインバーグ。
クロノの冷たい視線を受けて、彼女はようやく、顔をゆがめた。
「……待って。話を聞いて。あの子は、間違いだったのよ。最初から“必要なかった”。
夫も、家も、誰も……あの子を望んでいなかった!」
声が震えていた。けれど、それは恐怖からではない。
“正しさを否定された怒り”――つまり、まだ自分を悪いとは思っていない。
「ご安心を。これは、あなたのための拷問ではありません。
これは、あなたの中の“自分勝手さ”に与える罰です」
クロノは手を振ると、魔法陣の中心から黒鉄の椅子が現れた。
細く、冷たく、人体の形にぴったりと沿った拷問椅子。
名前は――“記憶を剥がす椅子(リメンブラ・スティール)”
⸻
「この椅子に座った者は、人生のすべての記憶を、順番に見せられるわ。
恨み、愛、嘘、欺き、欲望――そして、そのすべてが“他人の目”で再生される」
メレディスは無言のまま引きずられ、椅子に縛りつけられる。
魔力の鎖が、その手足をやさしく、けれど決して外れぬように固定した。
光が差し込み、記憶の断片が空中に浮かぶ。
⸻
「お義母様、見て!今日は満点だったの」
「へぇ、よかったじゃない。……でもね、それは“あなた”の役割じゃないのよ」
「もう一人? ……わたし、そんな子知らないわ。いなかったことにすればいいでしょう?」
「家の名前を汚すな。静かにしていなさい。
……誰も、お前のことなんて見ていない」
⸻
浮かび上がるのは、リディアの姉――**“影のリディア”**が歩んできた人生。
誰からも名前を呼ばれず、存在を与えられず、それでもただ――生きていた。
クロノの表情は、変わらない。
「これは彼女のための魔法じゃない。
あなたが、“奪った命の重さ”を理解するための魔法」
記憶が終わるたび、椅子に座った者は“痛み”を受ける。
精神が、自分の罪で焼かれていく。
悲鳴が漏れ始める。それでも、魔法は止まらない。
クロノは、ただ静かに立ち尽くしていた。
⸻
魔法が終わったのは、正確に7分33秒後だった。
メレディスは、完全に意識を失い、椅子にぐったりと垂れ下がっていた。
それでも命はある。
拷問とは、壊すためではなく、“自覚させる”ためのものだから。
⸻
クロノは、そっと目を閉じた。
その瞬間、空間が淡く光る。
――リディアの魂が、現れた。
今度の彼女は、笑っていた。
とても穏やかに、ふわりと微笑んで、クロノに向かって小さく頭を下げる。
「……礼なんていらない。あなたが、あなたで在りたかっただけでしょう」
魂は光に包まれ、ゆっくりと消えていった。
その場に残ったのは、静寂だけ。
そしてクロノの元に――新たな“死者の気配”が届く。
⸻
クロノは小さく笑う。
「休む暇もないわね。ま、いいわ。
次はどんな物語を聞かせてくれるのかしら」
彼女の周囲に、再び空間が反転し始める。
“時の魔女”は、再び新たな謎へと歩き出す。
⸻
《第3事件・完》
私はその中心で、今日も紅茶を淹れていた。
香りは上出来、色も申し分ない。だが口に含めば、やはり――味がしない。
「ふふ、つまらない世界」
退屈が過ぎると、紅茶さえ灰色に感じる。
そんな私の前に、それは突然、現れた。
小さく震える光の球。人の形をした青白い魂。
言葉は発さない。けれどその姿勢、その瞳の奥にあるもの――それは強い、強すぎるほどの怨念。
私は、口の端だけを動かして微笑んだ。
「ようこそ、“死者の願い”」
私は時の魔女。名前はクロノ。
不死で、異能で、ヒマすぎて魔法をひとつ作ってしまった。
それがこの、《怨念誘引の魔法》。
この魔法は、死してなお“復讐したい”と願う魂を、自動的に私の元へ導く。
つまり、この魂の持ち主――リディア・ヴァインバーグは、
自殺ではなく、他殺だったということ。
「何も言わなくていいわ。魂って、黙ってても喋りすぎるくらいよ。とくに未練が強い死者はね」
クロノは立ち上がり、指先で空間を撫でた。
虚空に、ひとつの円が浮かぶ。転移の魔法陣。
「事件の現場は……異世界、魔導国家“レヴァルティア”。貴族の令嬢であるあなたが、魔法学園の寮で投身死――ほぅ、これはまた」
ページをめくるように、世界が反転する。
光と影がねじれ、視界が裏返る。
クロノはひとこと、退屈そうに告げた。
「調査、開始ね」
⸻
転移先は、灰色の空に囲まれた、石造りの学園だった。
その中央――円形の中庭を囲むように、講堂・寮・教員棟が配置されている。
魔法学園。名門の名にふさわしい威圧感。だが私には、そう見えなかった。
「建物がよく喋るわね。誤魔化すのが下手なタイプ。秘密を抱えてる匂いがする」
クロノは一枚の書類を取り出し、魔力で空中に固定する。
封蝋には“魔導審問会”の紋章。肩書きは《監査官 クロノ=ヴァルデス》。
つまり、私はこの世界において、“公式な調査員”ということになる。
もちろん、偽名と偽装魔法のおかげだけれど。
「死んだのは、名門ヴァインバーグ家の娘。リディア。成績優秀、評判も良好。ある晩、寮の屋上から投身死。遺書なし。動機不明」
記録上は“精神的不安定”という一言で片付けられていた。
だがそれは、都合のいい大人たちがよく使う言葉。
私が知っているリディアの魂は、そんな簡単な感情で震えてはいなかった。
――その死には、何かがある。
「さて、じゃあ探偵役を演じましょうか。
私の魔法が使えるのは、“黒幕を名指し”できたときだけ。つまり、犯人がわからなきゃ、何もできないのよ」
クロノはゆっくりと歩き出す。目指すは、学園の女子寮。
リディアが死を遂げた現場。そして、最初の鍵が眠っている場所。
⸻
リディアの部屋は封鎖されていた。
だが監査官の権限を使えば、そんなものは飾りに過ぎない。
部屋に入ると、空気がピクリと揺れた。
ベッドの上に、少女が座っていた。黒髪の、細い肩。
彼女はクロノの視線に気づくと、ゆっくりと振り向く。
「あなたは……誰?」
「監査官よ。死者の名誉を守るために来たの。あなたは?」
「サラ・ミレス。リディアの……同室だった」
「なるほど。じゃあ、聞かせてもらえる?」
クロノは、部屋の中央にある机の上に“白紙の本”を置いた。
それが、リディアの遺品。日記帳。
「彼女は、自分で死を選んだと思う?」
サラは答えない。唇を噛んだまま、黙っていた。
「じゃあ、こう言いましょうか――
彼女は、死ぬ数日前から“誰か”と会っていた。それは誰?」
「……知らない。私は、何も……」
嘘だった。けれど、その震える声と視線の動きが、すべてを物語っていた。
「大丈夫。私は探偵。あなたを責めるためじゃない。
死者の声を聞くために、今ここにいるのよ」
クロノは、白紙の日記帳を軽く撫でた。
ほんの少しだけ、紙の上に“何か”が浮かび上がる。
次にこの本を開くとき――最初の真実が現れる。
ページをめくっても、インクの一滴も見えない。
けれど、私にはわかる。ここには、“強い言葉”が刻まれていた。死に至るほどの、思いが。
私は指先でページをなぞる。表面に、ごく微細な凹凸。手書きの文字が、かつてそこに存在した痕跡。
「視えない記憶なら、時間に語らせればいい」
私は静かに、魔法を一つ使う。
“時間遡行式残響検出(リワインド・ミュート)”――紙に刻まれた過去の筆圧、魔力の残滓、書いたときの速度。すべてを感知し、再構成する。
淡く、文字が浮かび上がる。
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《彼がまた来た。もう、何度目だろう。》
《夜の廊下で待っていた。誰にも見られていないと思ってる》
《あのとき、拒めなかった。拒んだら、全部が終わると思った》
《私が黙っていればいい? でも、それで済むの?》
《もし私が死んだら、それは――事故じゃない》
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最後の文字が、魔力の焦げ痕で途切れていた。
誰かが、記録を完全に消す前に、ページの一部だけを破壊している。
「……見せたくなかったのね。誰かに、もしくは“彼”自身が」
その人物は、リディアにとって恐怖だった。
けれど、完全な拒絶もできないほどの――近さがあった。
「恋人……にしては、感情が重すぎる。教師か、家族か。もしくは、もっと別の立場?」
仮説はまだ霧の中。だが、この日記の存在だけで“自殺”という言葉は崩れた。
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再び、サラの元を訪ねた。
扉をノックすると、彼女は窓際の椅子に腰掛けていた。手には、リディアが愛用していたというハンカチ。
「その香水……リディアの?」
「……うん。彼女、香りにはうるさかったから。
毎晩、枕に香りを染み込ませてた」
「彼女、夜に誰かと会っていた?」
「……たぶん。でも、名前までは聞いてない。彼女、私を巻き込みたくないって。
“私が話したら、その人が終わる”って言ってた」
「その人、何か問題を抱えていた?」
「わかんない。けど、リディアが笑わなくなったのは、その人と関わってからだった」
その一言に、魔女の目が細められる。
「誰かの秘密を守るために、自分を壊した――リディア。あなた、本当に優しすぎたのね」
香水の香り。夜の会話。見えない恐怖。
それらが指し示す“彼”の存在。
ここで浮かぶのは――“行方をくらませた教師”だ。
⸻
私は、魔導記録を洗い直す。
数週間前から休職した教員――シルヴェスト・クラーレン。
実戦魔導学を担当し、厳格で知られていた。
しかし、急な休職届けと共に、連絡も途絶えている。
「消えた教師。リディアの最後の関係者候補。
“彼”にしては、あまりにも分かりやすいわね」
分かりやすすぎる――それはつまり、“怪しすぎる”ということ。
けれど、ここで無視するわけにはいかない。
彼の部屋に、次の鍵があるかもしれない。
私は教員棟へ向かう。
すでに日は傾き、空に長い影が差していた。
「リディア。あなたが残した“消された記憶”、ちゃんと拾ってるわよ」
クラーレンの部屋は、教員棟の三階。
鍵は魔力で封印されていたが、その封印は形式的なものに過ぎなかった。破るには、私のような魔女である必要すらない。
「扉のロックが甘いのは、隠す意思がないから……あるいは、“隠したつもりになってる”だけ」
私は指先で空間をなぞり、封印を無力化する。
鍵がカチャリと外れ、扉が静かに開いた。
室内に一歩踏み込んだ瞬間、違和感が走った。
整然としすぎている。
机の上には何もなく、棚の本はまるで装飾品のように並んでいる。
生活感が、まるでない。けれど、それが逆に――不自然。
「綺麗すぎる部屋は、“過去を消そうとした”人間の痕跡よ」
私は机の引き出しに手をかける。
鍵はかかっていたが、軽く魔力を流すだけで開いた。
中には、一通の手紙。封筒には宛名があった。
《リディア・ヴァインバーグへ》
封は切られていない。けれど、封筒の裏にほんのりと香る花の匂い――これは、リディアの使っていた香水。
私は躊躇なく、封を切った。
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《君が誰かに口外するつもりなら、それはやめてくれ。
僕も、君も、破滅する。
君のためだ――信じてくれ。》
⸻
「……なんて便利な言葉。『君のため』。
人は誰かを支配したいときに、これを使う」
内容は、簡潔で、脅しめいた懇願文。
彼女が何かを知っていて、それを話すことが“彼”にとって致命的だった――それが伝わってくる。
つまり、この手紙が本物なら――
クラーレンはリディアと関係があり、彼女の死の動機を握っていた可能性がある。
「でも、ここで“この手紙だけ”が残ってるっていうのは、どうなのかしらね?」
すべてを整理し、消したつもりの部屋に、こんなにも“わかりやすい証拠”が一つだけポツンと残っている。
あまりに不自然。
まるで、「ここに犯人がいる」と言わんばかり。
「わざと、じゃないの? これは“誰かが置いたもの”の可能性もある」
思考が加速する。
クラーレン本人が逃げたのではなく、“逃げさせられた”可能性。
この部屋は、すでに誰かに“演出”されていたのでは?
⸻
私はもう一度、部屋をぐるりと見回す。
棚の本、窓のカーテン、床の色……その中に、違和感が一つだけある。
ゴミ箱が空だった。
教師の部屋で、これほど完璧に空っぽのゴミ箱があるだろうか。
書き損じの紙も、飲みかけの薬も、何一つない。
それはつまり、誰かが“生活の痕跡ごと消した”ということ。
日常を削るように。
「綺麗な部屋は、記憶のない部屋。
でも、クロノはね、記憶の欠片が大好物なのよ」
私は指先をゴミ箱の縁に当て、小さく魔法を囁いた。
“残響召喚(エコー・トレース)”
――この場所に、かつて置かれていたものの“記憶”を一瞬だけ呼び出す魔法。
すると、空のゴミ箱の中に、焦げた紙片が一瞬だけ映った。
そして、そこに記されていた文字は――
《副校長の命令で処理。証拠は消した》
「……副校長?」
クラーレンだけではなかった。
学園の上層部も、“何か”を知っている。
そして、すべてを“消した”のだ。
リディアの死も、クラーレンの存在も、何もかも。
⸻
私は再び、あの白紙の日記を開いた。
時間の残響が、淡く浮かぶ。
《私が死んだら、それは――事故じゃない》
その言葉だけが、夜の空気に響いていた。
貴族の屋敷は、外観も内装も、すべてが“格式”で塗り固められていた。
石造りの重たい門、磨き上げられた床、無機質な笑顔の使用人たち。
そして何より、誰も“リディアの死”に触れようとしない。
私は客間の椅子に腰掛け、紅茶を断った。味がしないのは、何も紅茶のせいではない。
「リディア・ヴァインバーグの監査について、いくつかお聞きしたいことがあります」
対応に出てきたのは、継母――メレディス・ヴァインバーグ。
整った美貌に冷たい瞳。
喪服姿でも、その態度には悲しみのひとかけらもなかった。
「娘の死は、たいへん痛ましいものでした。ですが、もう済んだことです」
「済んだこと? 自殺と断定したのは、どなたの判断でしょう?」
「それは……医師の見立てです。遺言も残っておりましたし」
私はゆっくりと眉を上げる。
「遺言?」
「はい。机の引き出しに、リディアの筆跡で」
私は懐から、筆跡鑑定魔法の道具を取り出し、封筒ごと提示する。
「確認させていただけますか?」
渋々ながら、メレディスは書類を差し出した。
一見、丁寧に書かれた文章。
だが、比べてみると――筆跡が違う。
いや、それ以前に、リディア本人の筆跡は日記から既に取得していた。
私の声が、ほんの少しだけ低くなる。
「この遺言、偽造です」
「……そんな、はずが」
「加えて、“彼女の遺品”に指輪の痕がありました。けれど指輪そのものは、遺品として提出されていません」
継母の顔が、僅かに引きつる。
この屋敷には、**“隠している何か”**がある。
⸻
クロノは執務室に案内を求め、リディアの私室へと足を運ぶ。
そこで目に入ったのは、日記と同じ香水の瓶。そして――
双子用に作られた、名前の刺繍が“二つ分”入ったハンカチ。
「……リディアと、もう一人?」
扉の外に、足音が近づいてきた。
入ってきたのは、父親――ダミアン・ヴァインバーグ。
長身で威厳がありながら、どこか“人形のような目”をしていた。
「娘の部屋に、何か?」
「いいえ。ただ、少しだけ引っかかるものがあって」
「そうですか。……彼女は、いい子でしたよ。とても静かで、従順で。理想の娘でした」
その言葉に、私は小さく笑った。
「静かで、従順。なるほど、言い換えれば“何も言わない”子ですね」
それは、“見えない檻の中にいる娘”への最上の賛辞。
この家は、娘に“名家の顔”を演じさせていた。
けれど、じゃあ本当に死んだのは――“リディア本人”なの?
⸻
私は再び、学園に戻る。
サラ・ミレスの部屋をノックすると、彼女は窓辺に座っていた。
「思い出したの。……リディアが、何度か口にしてた言葉」
「どんな?」
「“私じゃないのに”って。泣きながら、そう言ってたの。……ずっと、意味がわからなかった」
クロノは息を止める。
“私じゃないのに”――その言葉が、すべてを一変させる。
「サラ。あなた、彼女に双子の姉妹がいたことは知ってる?」
「え……? そんなの、聞いてない……」
「たぶん、家族は隠してた。リディアの“もう一人”を。
でも、言ってしまったのよ――死んだのは、“私じゃないのに”って」
⸻
私は再び、魂の空間に立った。
リディアの魂が、そっと揺れている。
その瞳の奥にあるものは、哀しみでも、怒りでもない。
ただ――誰かのために黙っていた“愛”だった。
真実は、往々にして静かに転がっている。
それに気づけるかどうかは、観察と推理。
そして何より、“聞こえない声を拾う力”だ。
私、時の魔女クロノは、確信し始めていた。
――この事件の本質は、「誰が殺したか」ではない。
**「誰が“死んだことにしたか”」**なのだ。
⸻
あのハンカチにあった“二つの刺繍”。
名前は確かに同じだった。けれど、微妙に字体が違っていた。
リディア・ヴァインバーグと……もう一人の、リディア。
「まさか……“双子に同じ名前”を?」
そう、“名を分け合う”という狂気。
世間には“完璧な娘”が一人いればいい。だから、家はこうしたのだ。
一人を表に出し、一人を“存在しなかったこと”にした。
そして、死んだのは――影として育てられた“もう一人”のリディア。
⸻
私は屋敷に戻り、父・ダミアンの書斎に侵入する。
そこには、鍵付きの書棚。開けてみると、数年前の戸籍記録が保管されていた。
その中に、一枚の破られかけた登録証。
⸻
名前:リディア・ヴァインバーグ(抹消)
続柄:長女
備考:死亡証明提出済
⸻
「……やっぱり、あなたたち、最初から“殺してた”のね」
彼女は何年も前に“死んだ”ことにされていた。
けれど、生きていた。影として、声を上げずに。
そして、ようやく“本物のリディア”に呼ばれたのだ。
姉の死を、世に知らしめてほしいと。
⸻
そして、つながる。
あの教師――クラーレンは、“影のリディア”と心を通わせていた。
だが、彼女が双子であることを知った時、彼は恐れた。
“家の狂気”に巻き込まれることを。
――だから、逃げた。
証拠を残し、リディアに謝罪の手紙を出して。
けれど、彼女はもう――存在ごと消される寸前だった。
⸻
クロノは立ち上がる。
口元には冷たい笑み。心には、確信。
「名を告げれば、魔法は動く。
そして――罰が下る」
⸻
その夜。
ヴァインバーグ家の大広間。私は彼らを集めた。
「調査の結果、事件の真相が明らかになりました。
リディア・ヴァインバーグを殺したのは……あなたです、メレディス・ヴァインバーグ」
継母の瞳が細くなる。
「証拠はあるのかしら?」
「もちろん。戸籍記録の改ざん、双子の存在の隠蔽、遺言の偽造。
そして何より、“あなた自身の発言”」
私は指を鳴らす。空間に、時間魔法が揺れる。
昼下がりの応接間。メレディスの声が、記録から再生される。
⸻
「“影”の子なんていらないのよ。あの子は死んだことにしていたのに、なぜまた出てきたの?」
⸻
空気が凍りつく。
私は魔導法の証明を取り出し、魔法詠唱の準備を始める。
「名は告げた。罪は確定した。ならば――」
魔法が発動する。
名は告げた。罪も明らか。
――あとは、罰を与えるだけ」
魔法陣が、音もなく床に広がっていく。
空間がひび割れ、世界の“縫い目”が軋みを上げる。
その中心に立つのは、メレディス・ヴァインバーグ。
クロノの冷たい視線を受けて、彼女はようやく、顔をゆがめた。
「……待って。話を聞いて。あの子は、間違いだったのよ。最初から“必要なかった”。
夫も、家も、誰も……あの子を望んでいなかった!」
声が震えていた。けれど、それは恐怖からではない。
“正しさを否定された怒り”――つまり、まだ自分を悪いとは思っていない。
「ご安心を。これは、あなたのための拷問ではありません。
これは、あなたの中の“自分勝手さ”に与える罰です」
クロノは手を振ると、魔法陣の中心から黒鉄の椅子が現れた。
細く、冷たく、人体の形にぴったりと沿った拷問椅子。
名前は――“記憶を剥がす椅子(リメンブラ・スティール)”
⸻
「この椅子に座った者は、人生のすべての記憶を、順番に見せられるわ。
恨み、愛、嘘、欺き、欲望――そして、そのすべてが“他人の目”で再生される」
メレディスは無言のまま引きずられ、椅子に縛りつけられる。
魔力の鎖が、その手足をやさしく、けれど決して外れぬように固定した。
光が差し込み、記憶の断片が空中に浮かぶ。
⸻
「お義母様、見て!今日は満点だったの」
「へぇ、よかったじゃない。……でもね、それは“あなた”の役割じゃないのよ」
「もう一人? ……わたし、そんな子知らないわ。いなかったことにすればいいでしょう?」
「家の名前を汚すな。静かにしていなさい。
……誰も、お前のことなんて見ていない」
⸻
浮かび上がるのは、リディアの姉――**“影のリディア”**が歩んできた人生。
誰からも名前を呼ばれず、存在を与えられず、それでもただ――生きていた。
クロノの表情は、変わらない。
「これは彼女のための魔法じゃない。
あなたが、“奪った命の重さ”を理解するための魔法」
記憶が終わるたび、椅子に座った者は“痛み”を受ける。
精神が、自分の罪で焼かれていく。
悲鳴が漏れ始める。それでも、魔法は止まらない。
クロノは、ただ静かに立ち尽くしていた。
⸻
魔法が終わったのは、正確に7分33秒後だった。
メレディスは、完全に意識を失い、椅子にぐったりと垂れ下がっていた。
それでも命はある。
拷問とは、壊すためではなく、“自覚させる”ためのものだから。
⸻
クロノは、そっと目を閉じた。
その瞬間、空間が淡く光る。
――リディアの魂が、現れた。
今度の彼女は、笑っていた。
とても穏やかに、ふわりと微笑んで、クロノに向かって小さく頭を下げる。
「……礼なんていらない。あなたが、あなたで在りたかっただけでしょう」
魂は光に包まれ、ゆっくりと消えていった。
その場に残ったのは、静寂だけ。
そしてクロノの元に――新たな“死者の気配”が届く。
⸻
クロノは小さく笑う。
「休む暇もないわね。ま、いいわ。
次はどんな物語を聞かせてくれるのかしら」
彼女の周囲に、再び空間が反転し始める。
“時の魔女”は、再び新たな謎へと歩き出す。
⸻
《第3事件・完》
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