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第二章「chain of love」
第33話「魔性の王子さまと大魔王さま」
藤城家に訪れるのは、とても楽しい。
広い敷地に堂々としたたたずまいのお屋敷。
私が生きてきた世界とは違い過ぎるけれど。
受け入れてもらえていると感じるから、
また来たいと思う。
広大な庭を手を繋いで歩いていた。
「一周すると色々な発見があるのね。
運動する設備まであるなんて驚いたわ」
「……どうせ大して使わないのに作ったんだよな。
テニスコートもバスケットゴールも全部、
10年以上前に作られたものだが、年に一回も利用されてない」
「青がバスケしてる姿見たいかも!
その高身長を生かして華麗にゴール決めちゃうんでしょ!」
「帰りに見せてやる。
高校時代以来で緊張するけどな」
バスケットゴールがある家にはあこがれがあった。
「……今日は色々回って疲れただろ」
「最後に今の車を堪能できてよかったわ」
青は背をかがめて視線を合わせてきた。
見慣れた薄茶色の瞳も夜に見せる素の色も好き。
「……聞くかどうか悩んだんだが、
沙矢はもしかして俺の瞳がコンタクトだって知ってたのか?」
春の日差しの中で彼の頬がほんのり朱に染まったのに気づいた。
(……照れてるのかな)
「知ってた。いつからかはひみつね」
「……つけてるの意味がないコンタクトだからな」
「そんなことないわ」
敷地内を一回りして玄関の扉までたどり着いた。
扉を開ける前に中から扉が開かれた。
「沙矢ちゃん、いらっしゃい。あ、青もいたの?」
「おじ様、青は存在感がありますよ」
「……うん。どうしても視界に入るよね。
なんでこんなにでかくなっちゃったんだろう」
「この一年で0.5センチ伸びた」
「幸せ太りじゃなくて幸せ伸び?」
口元を押さえたおじ様につられて、私も軽く吹き出した。
通されたリビングでソファーに座る。
「今日は青にお茶を淹れてほしいなあ」
「分かりました。すみませんが、急遽来ることになったので
お土産はありません」
「そんなの気にしてないよ。沙矢ちゃんと来てくれたことがお土産」
おじ様はにこにこ微笑み私の手を握った。
何故か私の左隣に座っている。
青は渋々私の手を離し、ソファーから立ち上がった。
「沙矢はメイクしていますし頬にキスなどされませんように」
こちらを振り向いた青が一言釘を刺した。
「青!?」
彼は大股で歩いてリビングから消えた。
「……し、しないよ」
おじ様はしどろもどろになった。
「おじ様がよかったらほっぺいいですよ。
親愛の意味がありますもんね」
「……沙矢ちゃん、藤城家と藤城にかかわる
人間の多くはスキンシップ大好きなんだ。
青だけは恋愛感情がある相手以外とはスキンシップしないんだけどね」
「青は潔癖ですもんね。
テリトリーに入れてよかったです」
「おかしなことを言うねぇ。首ったけにしてる子が」
髪というより頭を撫でてくれた。
「誰でも彼でも愛想よくしないのは、
自分を守るためなんだろうな。
ほら、青は異様に人を惹きつけるから」
「魔性の男性ですよね」
「ぶは……実父と将来のお嫁さんが何言ってるんだろうね」
テーブルの上にトレイが置かれ、
カップとソーサーがそれぞれの前に渡された。
「……青、ご、ごめん」
「特に怒ってはないよ」
「頻繁に会えるようになって嬉しいよ」
おじ様は何も気にしていない風だ。
「お父さま、今日は沙矢が俺の学生時代の
写真が見たいというから一緒に来ただけです。
煩わせませんから、仕事の疲れをいやしてお過ごしください」
青が慇懃無礼な様子で伝えていた。
「……二人と過ごしたら癒されるんだよ。
いつも寂しいアラ還を慰めてよ」
「アラ還には見えませんよ!」
「……30分だけリビングにいます。
今日は篠塚家にも行ってきて
沙矢も気疲れしています。
写真を見たらさっさと帰りますので」
「……愛璃ちゃん達よかったよね。
次は青の番だよね」
「……おじ様、結婚してすぐじゃなくてもいいですか?」
「もちろん。二人のペースでね。
希望が持てただけで今は十分だ」
「肩を抱くのをやめろ」
「おじ様の手、あったかい」
「沙矢はまだ慣れていません。
過剰なスキンシップは他で補うように」
おじ様は肩に回した腕を名残惜しそうに離す。
「砌は明梨ちゃんをハグしても怒らなかったけど青は潔癖だね」
「砌は昔からあなたになついていて、
小学生の頃まで普通に抱きついたりしてただろ。グランパと呼ばれて」
「愛情深い子に育ったから恋人できたよね。
しかも想い続けて射止めたって」
「……すごいとは思う」
「おじ様、砌くんって少し青にも似てますよね。
血縁を感じます」
「叔父と甥だからね。
翠と青は容姿が似ていないから、
隔世遺伝で祖母の紫(ゆかり)に似てるってことだね」
「そうなんですね。青い目をしてたっていう美しい女性!」
「仏間に遺影あるから見る?
お墓参りもその内行くんだろうけど手を合わせていってほしいな。
その後で青の写真を見るといいよ」
「沙矢がよかったら」
約束通り30分ほどリビングで過ごし、部屋を移動した。
案内された仏間は10畳が二間続きでつながった部屋で、
広々としていた。
壁の高い位置にはご先祖様の写真がある。
豪華で立派な仏壇には遺影がたてかけられている。
薄れかけた線香の匂い。
花瓶に生けられた花はとても鮮やかだ。
今日飾られたばかりなのかもしれない。
「……紫(ゆかり)さん、青が大切な人を連れてきてくれたよ」
青と一緒に正座する。
遺影の女性は若々しくはつらつした姿ながら、
儚い雰囲気もある。
(青にそっくり……。
青い瞳の青が女性だったらこんな感じかな)
「今の翠より若い年齢で亡くなったんだ。
あの時、青は5歳になったばかりだったけど驚くほどしっかりしてた」
「目に浮かぶ気がします」
位牌に没年が書かれていた。
23年前の秋。
私がまだ生まれていない頃のことだ。
「青とは色々ありましたが、
私はこの手を離さずに生きていこうって思ってます。
初めて付き合った人に運命を感じたんです」
「沙矢ちゃん、そうだったんだ」
「よかったね……青」
おじ様は青に向けて小声でささやいていた。
「沙矢と結ばれなければ、
きっとこの藤城家も終わっていたかもしれません。
ずっと心配かけて申し訳ありませんでした。
お母さまの墓前にもようやく明るい報告ができます」
青は遺影に向けて頭を下げた。
目を閉じて手を合わせる。
姿勢を正し、おじ様と向き直った。
「……うん。あの時取り上げた子が、
青と巡り合ってくれたの奇跡だよ。
彼は痛みも押し殺して生きてきたけど、
愛を思い出してくれてよかった。
沙矢ちゃん、ありがとう」
「いえ……」
おじ様のまなざしの熱さに涙が出てきた。
「沙矢ちゃんもお母さまによく似てるね。
若いころのお母さまにそっくりだ」
「……嬉しいです。ありがとうございます」
立ち上がる。
部屋を出た後、おじ様が穏やかに微笑みかけてきた。
「私は書斎にいるから用があったら内線で声をかけてよ」
「……呼ぶことはないです」
おじ様とは廊下で別れ、階段を上る。
「……あれ。この階段って三階まで続いてる?」
「三階には一部屋だけ。クローゼットみたいな感じで使ってる。
地下もある」
何部屋あるのかは聞かないことにした。
「また案内してやる」
嬉しい感情が思いっきり顔に出ていたと思う。
廊下を進み部屋の扉を押し開ける。
広い部屋には真ん中に白いグランドピアノが鎮座していた。
壁には内線電話が備えつけられている。
「……操子さんには感謝だな。
いつも綺麗に保ってくれてる」
「あ、ピアノの上にガラスの置き物……」
「灰皿だ。もう使わないから片づけておこう」
青はピアノの上の灰皿を手に取った。
「……そういえば一曲弾いてくれる約束覚えてる?」
「仕方がないな。俺の姫のために何か弾くか」
ふう、と息をついたが億劫そうではない。
むしろ楽しそうに瞳が輝いている。
「革命のエチュードがいい!」
「……無邪気に難易度の高い曲をリクエストしたな」
「……昔、学校で音楽の先生が
弾いてくれたんだけど、やっぱり難しいのね」
「……途中で断念したり間違えても
お咎めなしにしてくれよ。
ピアノは夏に里帰りした時以来に弾くんだから」
「そんなのしないわ!
弾いてくれたお礼ならする」
ソファーに座らせてくれた青は、ピアノに向かう前に
私を強く抱擁した。
頭を抱えて耳元でささやく。
「……さーや、応援をくれる?」
青はピアノの椅子に座り横目でこちらを見た。
普段とはどことなく違う雰囲気なのは気のせいかな。
「うん。ピアノの王子さま頑張って!」
うっかり「ちゃん」づけしかけたが、
今はやめておいた。
王子様は、休日にもかかわらずスーツ姿だ。
普段、出勤する時より華やかな装いなので、
プライベートなのだとよくわかる。
「私も後で弾かせてね。
猫ふんじゃったは、両手で弾けるの」
「……それを楽しみに頑張るよ」
普段は白衣姿の王子様は、ピアノの前で、すうっと息をする。
瞳を閉じ、鍵盤の上に手を乗せ指を躍らせていく。
ピアノを弾いている途中で時々、悩ましげな表情になる。
情感のこもったピアノは艶っぽくて、
胸が高鳴るのを感じた。
(あ、舌打ちした)
青のピアノを弾く姿を見られるなんて贅沢な気分だ。
音の波に身を任せていると、あっという間に時間が過ぎて
ピアノの演奏は終わりを告げた。
痛いくらい手を叩いて演奏に敬意を伝えた。
「かっこよかった!
弾いている姿も綺麗で素敵だったわ。聞けて幸せ!」
「よかった。普段弾いていない俺が、
難易度の高い曲をリクエストされて困惑したんだよな。
間違えまくったし、点数としては70点くらいだ」
(謙虚だな……)
間違いは私は気づかなかったが青的には
満足いかなかったようだ。
苦笑している。
「一億点よ!」
「ありがとう」
青に腰をかがめている。
お礼を伝えるのは今だと思い背伸びした。
首筋に手を当てて影を重ねる。
頬に唇を寄せて軽くリップノイズを響かせた。
「弾いてくれたお礼。
帰ったら次のお礼をするね」
「そんなこと言っていいのかな?」
青も私の頬にキスをしてくれた。
とってもくすぐったい。
「……期待はしないでね」
「期待はさせろよ」
「……うん」
何故か笑われている。
「ええと青の後であれなんだけど……私も猫ふんじゃったを」
青はピアノの椅子に座った私の横からカバーを開け、
鍵盤を拭いてくれた。
「……ふふ。がんばります」
がんばりますと伝えて、
子供のころ以来にピアノに触れた。
鍵盤を指で叩いてみる。
「……中学の時に音楽室で弾いたピアノと違う」
「分かるのか?」
「スーパーセレブダーリンの持ち物って感じ」
ピアノにはベーゼンドルファーと書かれていた。
「……元は母の遺品だ」
青は生真面目に訂正した。
猫ふんじゃったを舐めていた私は、
救世主の連弾に救われた。
(途中から早いのよね……)
青は立ったまま私に合わせて鍵盤を奏でる。
全部弾ききった時、嬉しくて思わず抱きついてきた。
「……もー、ずるい!」
「一緒に弾けて楽しかった」
口を開けて笑ったりはしないけど、彼も楽しんでくれていた。
「ありがと」
スーツのジャケットの裾を掴み頬を押しつけた。
「写真……」
「少し待っていてくれるか」
青は部屋の中を歩き、奥へと向かった。
クローゼットらしき扉を押し開いている。
「お前が見たかったものってこれか?」
戻ってきた青がアルバムを渡してくれた。
彼が無造作にページを捲る。
「……小さい頃のは一階に置いてある。
ここにあるのは中学と高校の頃のやつだな」
集合写真の中でも青はひときわ目立つ。
同じクラスではなかったという蒼宙さんも見つけた。
「……二人が目立ちすぎ」
「俺は断じて目立ってない」
どうやら自分の認識と他者との認識が解離しているようだ。
「髪、真っ黒だとイメージが変わるね」
黒髪の青も、とんでもなく美しい。
「……こっちの方がいいか?」
「今の方がいい。写真で見られたし満足」
「……あ」
思わず声を上げる。
広い敷地に堂々としたたたずまいのお屋敷。
私が生きてきた世界とは違い過ぎるけれど。
受け入れてもらえていると感じるから、
また来たいと思う。
広大な庭を手を繋いで歩いていた。
「一周すると色々な発見があるのね。
運動する設備まであるなんて驚いたわ」
「……どうせ大して使わないのに作ったんだよな。
テニスコートもバスケットゴールも全部、
10年以上前に作られたものだが、年に一回も利用されてない」
「青がバスケしてる姿見たいかも!
その高身長を生かして華麗にゴール決めちゃうんでしょ!」
「帰りに見せてやる。
高校時代以来で緊張するけどな」
バスケットゴールがある家にはあこがれがあった。
「……今日は色々回って疲れただろ」
「最後に今の車を堪能できてよかったわ」
青は背をかがめて視線を合わせてきた。
見慣れた薄茶色の瞳も夜に見せる素の色も好き。
「……聞くかどうか悩んだんだが、
沙矢はもしかして俺の瞳がコンタクトだって知ってたのか?」
春の日差しの中で彼の頬がほんのり朱に染まったのに気づいた。
(……照れてるのかな)
「知ってた。いつからかはひみつね」
「……つけてるの意味がないコンタクトだからな」
「そんなことないわ」
敷地内を一回りして玄関の扉までたどり着いた。
扉を開ける前に中から扉が開かれた。
「沙矢ちゃん、いらっしゃい。あ、青もいたの?」
「おじ様、青は存在感がありますよ」
「……うん。どうしても視界に入るよね。
なんでこんなにでかくなっちゃったんだろう」
「この一年で0.5センチ伸びた」
「幸せ太りじゃなくて幸せ伸び?」
口元を押さえたおじ様につられて、私も軽く吹き出した。
通されたリビングでソファーに座る。
「今日は青にお茶を淹れてほしいなあ」
「分かりました。すみませんが、急遽来ることになったので
お土産はありません」
「そんなの気にしてないよ。沙矢ちゃんと来てくれたことがお土産」
おじ様はにこにこ微笑み私の手を握った。
何故か私の左隣に座っている。
青は渋々私の手を離し、ソファーから立ち上がった。
「沙矢はメイクしていますし頬にキスなどされませんように」
こちらを振り向いた青が一言釘を刺した。
「青!?」
彼は大股で歩いてリビングから消えた。
「……し、しないよ」
おじ様はしどろもどろになった。
「おじ様がよかったらほっぺいいですよ。
親愛の意味がありますもんね」
「……沙矢ちゃん、藤城家と藤城にかかわる
人間の多くはスキンシップ大好きなんだ。
青だけは恋愛感情がある相手以外とはスキンシップしないんだけどね」
「青は潔癖ですもんね。
テリトリーに入れてよかったです」
「おかしなことを言うねぇ。首ったけにしてる子が」
髪というより頭を撫でてくれた。
「誰でも彼でも愛想よくしないのは、
自分を守るためなんだろうな。
ほら、青は異様に人を惹きつけるから」
「魔性の男性ですよね」
「ぶは……実父と将来のお嫁さんが何言ってるんだろうね」
テーブルの上にトレイが置かれ、
カップとソーサーがそれぞれの前に渡された。
「……青、ご、ごめん」
「特に怒ってはないよ」
「頻繁に会えるようになって嬉しいよ」
おじ様は何も気にしていない風だ。
「お父さま、今日は沙矢が俺の学生時代の
写真が見たいというから一緒に来ただけです。
煩わせませんから、仕事の疲れをいやしてお過ごしください」
青が慇懃無礼な様子で伝えていた。
「……二人と過ごしたら癒されるんだよ。
いつも寂しいアラ還を慰めてよ」
「アラ還には見えませんよ!」
「……30分だけリビングにいます。
今日は篠塚家にも行ってきて
沙矢も気疲れしています。
写真を見たらさっさと帰りますので」
「……愛璃ちゃん達よかったよね。
次は青の番だよね」
「……おじ様、結婚してすぐじゃなくてもいいですか?」
「もちろん。二人のペースでね。
希望が持てただけで今は十分だ」
「肩を抱くのをやめろ」
「おじ様の手、あったかい」
「沙矢はまだ慣れていません。
過剰なスキンシップは他で補うように」
おじ様は肩に回した腕を名残惜しそうに離す。
「砌は明梨ちゃんをハグしても怒らなかったけど青は潔癖だね」
「砌は昔からあなたになついていて、
小学生の頃まで普通に抱きついたりしてただろ。グランパと呼ばれて」
「愛情深い子に育ったから恋人できたよね。
しかも想い続けて射止めたって」
「……すごいとは思う」
「おじ様、砌くんって少し青にも似てますよね。
血縁を感じます」
「叔父と甥だからね。
翠と青は容姿が似ていないから、
隔世遺伝で祖母の紫(ゆかり)に似てるってことだね」
「そうなんですね。青い目をしてたっていう美しい女性!」
「仏間に遺影あるから見る?
お墓参りもその内行くんだろうけど手を合わせていってほしいな。
その後で青の写真を見るといいよ」
「沙矢がよかったら」
約束通り30分ほどリビングで過ごし、部屋を移動した。
案内された仏間は10畳が二間続きでつながった部屋で、
広々としていた。
壁の高い位置にはご先祖様の写真がある。
豪華で立派な仏壇には遺影がたてかけられている。
薄れかけた線香の匂い。
花瓶に生けられた花はとても鮮やかだ。
今日飾られたばかりなのかもしれない。
「……紫(ゆかり)さん、青が大切な人を連れてきてくれたよ」
青と一緒に正座する。
遺影の女性は若々しくはつらつした姿ながら、
儚い雰囲気もある。
(青にそっくり……。
青い瞳の青が女性だったらこんな感じかな)
「今の翠より若い年齢で亡くなったんだ。
あの時、青は5歳になったばかりだったけど驚くほどしっかりしてた」
「目に浮かぶ気がします」
位牌に没年が書かれていた。
23年前の秋。
私がまだ生まれていない頃のことだ。
「青とは色々ありましたが、
私はこの手を離さずに生きていこうって思ってます。
初めて付き合った人に運命を感じたんです」
「沙矢ちゃん、そうだったんだ」
「よかったね……青」
おじ様は青に向けて小声でささやいていた。
「沙矢と結ばれなければ、
きっとこの藤城家も終わっていたかもしれません。
ずっと心配かけて申し訳ありませんでした。
お母さまの墓前にもようやく明るい報告ができます」
青は遺影に向けて頭を下げた。
目を閉じて手を合わせる。
姿勢を正し、おじ様と向き直った。
「……うん。あの時取り上げた子が、
青と巡り合ってくれたの奇跡だよ。
彼は痛みも押し殺して生きてきたけど、
愛を思い出してくれてよかった。
沙矢ちゃん、ありがとう」
「いえ……」
おじ様のまなざしの熱さに涙が出てきた。
「沙矢ちゃんもお母さまによく似てるね。
若いころのお母さまにそっくりだ」
「……嬉しいです。ありがとうございます」
立ち上がる。
部屋を出た後、おじ様が穏やかに微笑みかけてきた。
「私は書斎にいるから用があったら内線で声をかけてよ」
「……呼ぶことはないです」
おじ様とは廊下で別れ、階段を上る。
「……あれ。この階段って三階まで続いてる?」
「三階には一部屋だけ。クローゼットみたいな感じで使ってる。
地下もある」
何部屋あるのかは聞かないことにした。
「また案内してやる」
嬉しい感情が思いっきり顔に出ていたと思う。
廊下を進み部屋の扉を押し開ける。
広い部屋には真ん中に白いグランドピアノが鎮座していた。
壁には内線電話が備えつけられている。
「……操子さんには感謝だな。
いつも綺麗に保ってくれてる」
「あ、ピアノの上にガラスの置き物……」
「灰皿だ。もう使わないから片づけておこう」
青はピアノの上の灰皿を手に取った。
「……そういえば一曲弾いてくれる約束覚えてる?」
「仕方がないな。俺の姫のために何か弾くか」
ふう、と息をついたが億劫そうではない。
むしろ楽しそうに瞳が輝いている。
「革命のエチュードがいい!」
「……無邪気に難易度の高い曲をリクエストしたな」
「……昔、学校で音楽の先生が
弾いてくれたんだけど、やっぱり難しいのね」
「……途中で断念したり間違えても
お咎めなしにしてくれよ。
ピアノは夏に里帰りした時以来に弾くんだから」
「そんなのしないわ!
弾いてくれたお礼ならする」
ソファーに座らせてくれた青は、ピアノに向かう前に
私を強く抱擁した。
頭を抱えて耳元でささやく。
「……さーや、応援をくれる?」
青はピアノの椅子に座り横目でこちらを見た。
普段とはどことなく違う雰囲気なのは気のせいかな。
「うん。ピアノの王子さま頑張って!」
うっかり「ちゃん」づけしかけたが、
今はやめておいた。
王子様は、休日にもかかわらずスーツ姿だ。
普段、出勤する時より華やかな装いなので、
プライベートなのだとよくわかる。
「私も後で弾かせてね。
猫ふんじゃったは、両手で弾けるの」
「……それを楽しみに頑張るよ」
普段は白衣姿の王子様は、ピアノの前で、すうっと息をする。
瞳を閉じ、鍵盤の上に手を乗せ指を躍らせていく。
ピアノを弾いている途中で時々、悩ましげな表情になる。
情感のこもったピアノは艶っぽくて、
胸が高鳴るのを感じた。
(あ、舌打ちした)
青のピアノを弾く姿を見られるなんて贅沢な気分だ。
音の波に身を任せていると、あっという間に時間が過ぎて
ピアノの演奏は終わりを告げた。
痛いくらい手を叩いて演奏に敬意を伝えた。
「かっこよかった!
弾いている姿も綺麗で素敵だったわ。聞けて幸せ!」
「よかった。普段弾いていない俺が、
難易度の高い曲をリクエストされて困惑したんだよな。
間違えまくったし、点数としては70点くらいだ」
(謙虚だな……)
間違いは私は気づかなかったが青的には
満足いかなかったようだ。
苦笑している。
「一億点よ!」
「ありがとう」
青に腰をかがめている。
お礼を伝えるのは今だと思い背伸びした。
首筋に手を当てて影を重ねる。
頬に唇を寄せて軽くリップノイズを響かせた。
「弾いてくれたお礼。
帰ったら次のお礼をするね」
「そんなこと言っていいのかな?」
青も私の頬にキスをしてくれた。
とってもくすぐったい。
「……期待はしないでね」
「期待はさせろよ」
「……うん」
何故か笑われている。
「ええと青の後であれなんだけど……私も猫ふんじゃったを」
青はピアノの椅子に座った私の横からカバーを開け、
鍵盤を拭いてくれた。
「……ふふ。がんばります」
がんばりますと伝えて、
子供のころ以来にピアノに触れた。
鍵盤を指で叩いてみる。
「……中学の時に音楽室で弾いたピアノと違う」
「分かるのか?」
「スーパーセレブダーリンの持ち物って感じ」
ピアノにはベーゼンドルファーと書かれていた。
「……元は母の遺品だ」
青は生真面目に訂正した。
猫ふんじゃったを舐めていた私は、
救世主の連弾に救われた。
(途中から早いのよね……)
青は立ったまま私に合わせて鍵盤を奏でる。
全部弾ききった時、嬉しくて思わず抱きついてきた。
「……もー、ずるい!」
「一緒に弾けて楽しかった」
口を開けて笑ったりはしないけど、彼も楽しんでくれていた。
「ありがと」
スーツのジャケットの裾を掴み頬を押しつけた。
「写真……」
「少し待っていてくれるか」
青は部屋の中を歩き、奥へと向かった。
クローゼットらしき扉を押し開いている。
「お前が見たかったものってこれか?」
戻ってきた青がアルバムを渡してくれた。
彼が無造作にページを捲る。
「……小さい頃のは一階に置いてある。
ここにあるのは中学と高校の頃のやつだな」
集合写真の中でも青はひときわ目立つ。
同じクラスではなかったという蒼宙さんも見つけた。
「……二人が目立ちすぎ」
「俺は断じて目立ってない」
どうやら自分の認識と他者との認識が解離しているようだ。
「髪、真っ黒だとイメージが変わるね」
黒髪の青も、とんでもなく美しい。
「……こっちの方がいいか?」
「今の方がいい。写真で見られたし満足」
「……あ」
思わず声を上げる。
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