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第二章「chain of love」
第27話「Kissの事情」(1)
週明けの月曜日。
まずは会社の建物に入ってすぐ冴島先輩に遭遇した。
「おはようございます」
「み、水無月さん……おはよう」
彼はうろたえて目を逸らした。
「私の顔になにかついてます?
気まずくて目を逸らしたとか」
顔やスーツのジャケットを確認したが、
何もついてない。
のりをつけてアイロンをかけたから皺もついていないはずだった。
首を傾げていたら、彼は足早にエレベーターに乗ってしまった。さっさと閉じられてしまう。
(同じ階に行くのに!)
エレベーターの前にいると後ろから他の社員がやって来て、挨拶を交わす。陽香もいた。
エレベーターの扉が開いて乗り込む。
「沙矢、おはよう。今日は早いのね」
「陽香、おはよう。先週の金曜日のことについて、
お昼休みにでも少し話せないかな」
「うん。わかった」
お昼休み、青へのメッセージを送り、お弁当箱を広げる。
部署のデスクに残ったのは私と陽香だけで、皆が、席を立っている。
お弁当の隣には休憩室で入れてきたお茶をデスクに置いていた。
「食堂だと、他の人もいるしね」
「それにしても見事な茶髪だったわね」
いきなり切り出され、口にしかけたおにぎりが喉に詰まった。慌ててお茶を流し込む。
「大丈夫?」
「う、うん」
「地毛なら頭のてっぺんだけ黒い部分があるけど、なかったし、あれは本物ね。
青さま、どこか外国の血が入ってるでしょ?」
「……六分の一入ってるんだって」
「へぇ。蒼宙さんも明るい栗色だし、あの二人目立ってたわよね」
「うん。それより冴島先輩の様子がおかしいの青が怖かったのかなって」
「私には普通だったからね。付き合ってるってことを伝えて釘を指したんじゃない。
独占欲は、上手くいく前から高かったみたいだし」
にやにや笑われて、顔が赤くなる。
食事の合間の会話はのんびりしていた。
二回目に会った時に赤いピアス、その次はパールの三連ネックレスの他、
この間は誕生石であるガーネットの指輪を贈られた。
首元にかけたネックレスチェーンを確認する。
「春日部長達には要注意だと言われてるの。
私もそれはわかった。青とも顔を合わせてるから、
その事、妹さんにも伝えたのよ……」
「間違いなさそう。佐緒里さんの浮かれっぷり……
青さまに相当ご執心だったものね。
運良く会えたから、さぞかし嬉しかったでしょう。
虫けらを見る眼差しを向けられても、目がハートだったもの」
「……私は睨んでたけど」
「佐緒里さんは青さまで、部長はあなた狙いか」
ツナマヨおにぎりとサラダを懸命に飲み込む。
来月まで平穏無事に過ごせればそれでいい。
「あ、パソコンにメールが来てるみたい」
ウィンドウにメールのアイコンが表示されぴかぴか光っていた。
「このタイミングで嫌な予感しかないわね」
嵌めていると安心するのだ。
「スマホのメッセージアプリで
お友達になってなくてよかった」
「あれは、必要ないわ。社外で連絡することないもの。何かあったら直の電話でいい」
それも嫌だが、メッセージが来るよりマシか。
お茶を飲んで画面に向き直る。
お行儀が悪いけどくるりと椅子を回転させた。
「……仕事の用事よね。社員のアドレスだから
私的に使うものじゃないし」
『君の彼のことで話があるんだ。これからどうかな』
目が点になる。
(……どうもこうもないんですけど。私的に使うなんて上司としてどうなの)
メールに記された場所は、普段決して訪れない場所。
春ならともかく冬にあの場所は選ばない。
屋上にはテラス席があり、昼食を持ち寄って食べる人もいる。
冬は寒いので来る人も少ない。
『友達も一緒でいいですか』
いちかばちか送ってみたら即返事が来た。
「友達には関係のない話だから一人で来てよ。待ってるからね」
一方的に言われてため息が漏れる。
ランチも終わったし、昼休みは15分ほど消化した。
あと30分だ。
「陽香、部長が青のことで話したいことがあるから、
一人で屋上に来て欲しいと言われたの。
とりあえず時間がないし行ってくるわね」
「沙矢って強い。近くまで一緒に来てとか言えばいいのに」
「ありがとう。甘えてばかりじゃいられないの」
「わかった。行ってらっしゃい。後で話を聞かせてね」
屋上のドアを開けると、冷たい風が吹き抜けた。
思わず肩を抱いた私に、部長が手招きする。
隣には佐緒里さんがいた。
アイシャドウのせいかきつめに見えるメイクは、
眼差しの強さもあってこちらの足をすくませる。
指し示されて、佐緒里さんの左隣に座る。
一番右側の椅子に部長が座っていた。
「こんなところへ呼び出してごめんね」
「いえ……」
「合コンは楽しかった?」
「はい。ありがとうございました。合コンって男女で席を別れて座るんですね。
初めて参加したので驚きました」
「カップルが参加した時のためかな?
従来の合コンは男女別々に座ったりしないよ。一緒」
皮肉めいたことを言われてぎくりとする。
「君みたいなね。
社外の人間でも、参加者の知り合いなら
自由に参加できるからかまわないとして」
「……場違いだったのは申し訳ありません。
親友が誘ってくれたんですが、私自身パートナーがいる身。断るべきかと悩みました。
でも彼が一緒に来てくれるということで参加したんです」
「あなたが藤城先輩とお付き合いしているというのは
驚いたわ……」
ここで佐緒里さんが、口を挟んできた。
部長と容貌が似ている部分もある。
すらりとしたスタイルは、憧れるし大人の女性だが、
私は敵意を向けられまくってる。
(青は悪くないんだけど)
「先輩と私との接点を教えてあげましょうか?」
「僕も詳しく聞きたいな。藤城先生とはどこで知り合ったの?」
青の職業を知っているようだった。
思わせぶりな佐緒里さんは楽しそうだった。
「藤城総合病院の次期後継者で
御曹司の藤城青さん。
彼を初めて見たのは五年前かしら。
たまたま同じ大学だったわ。
医学部医学科の四年生だった。
科が違うから、直接関わることもなくたまに見かける程度。
それでも引きつけられるのには十分だった。
あの完璧な美しさに雰囲気、フェロモン。
性別問わず、皆が憧れた」
青の印象は私が感じるもの。
その通りだった。
「大学二年だった私には、少し毒もあり刺激的な人だった。
今のあなたくらいの年齢だったわね。墜ちるのは簡単だって分かるでしょ?」
墜ちただけではない。
心から愛し合っている。
「あなたは、彼とお付き合いしているんだったわよね。水無月さん?」
「佐緒里、お付き合いどころか一緒に暮らしてるんだよ。
年明けに転居届もらって驚いた」
そろそろ部署に戻らなければ午後の仕事が始まる。
佐緒里さんが、不穏な気配を纏わせていても、
見ない振りをしてこの場を去らなければ。
「すみません。私そろそろ失礼します。
そろそろ午後の就業時間ですので」
結局、何を話したかったのか分からない。
席を立ち、二人に背を向けた。屋上の扉に手をかける。
「去年の春、いっきに垢抜けた君。
少女の危うい綺麗さから、一歩踏み出した。
そうさせたのは、彼だったんだろうね。
一体、水無月さんこそどこであんな人と出会ったんだ」
「あなたに教える筋合いはありません! 失礼します」
「藤城先輩にはあなたなんてふさわしくない。藤城総合病院の御曹司の彼には似合わない」
二人が交互に言葉を重ねる。
扉を閉めて、エレベーターで部署にある階(フロア)に降りた。
他人にそんなこと言われたくはない。
私自身、彼のことを聞いて鳥肌が立っているけれど。
(青と未来の約束を誓えるところまでようやくきたのに)
高校を卒業して、上京しちいさな世界で生きてきた私の
世界が広く大きなものになったのは青と出逢ったのがきっかけ。
孤独の闇に生きる彼に光をくれてありがとうと、あの人は言ってくれたけど
私も同じだ。
相応しいとか似合ってないとか他人に言われたくない。
胸にわだかったものが残った。
午後の仕事の始まりを告げ頭を切りかえて、パソコンの画面を見つめた。キーボードを叩く。
あのころがあったからか、
心配事や不安が胸にあっても、それを振り切って仕事に集中できる。
こういう私になれたからこそ青と
新しい季節を迎えられた。
「沙矢、今日はバスか電車?」
気がつけば、就業時間が終わる時間になっていた。
肩がこったので、伸びをする。
「……バスかな。実はマンションからのアクセスもバスの方がいいのよ。青もバスの方を勧めるわ」
「じゃあバス停まで一緒ね。行こ」
「ありがとう。心配かけてごめんね」
「一緒にいられるのは帰るまでだもん。
それまでは沙矢を独り占めしたいわ」
にこっと微笑んでくれる陽香は優しくて綺麗だった。入社式で会った日から変わらない。
会社で出会い、親しくなった貴重な友人。
とても貴重でこれからも大事にしていきたい。
会社を出ると建物のそばに、冴島先輩がたたずんでいた。
「お疲れ様です」
陽香が声をかけると、彼は笑みを浮かべた。
「あ、あの……合コンの時、彼があなたに何かしたんですか」
「何もされてないよ。ちょっと脅されただけ」
(されてるじゃない)
「大丈夫。水無月さんには仕事以外では関わらないよ。
下心だけで気になってたわけじゃないんだけど、僕に勝てるわけもなかった」
冴島さんは真摯な眼差しだった。
「元々かわいかったけどすごく綺麗になって……気になってる男性社員も多いと思う。
よこしまな気持ちの奴もいるから気をつけてね」
「冴島さん」
「そんな顔を彼以外の前でしたらよくないよ。
真面目で一生懸命、頑張り屋の水無月さん、
影から二人を応援しています」
冴島さんの顔は少し赤かった。
「お疲れ様でした。また明日」
会社を出て歩いて行く。
建物が遠ざかったところで、陽香が口を開いた。
「いい人よね」
「うん」
(春日兄妹はまともに話ができそうにないけど)
バス停にたどり着く。
陽香は私に手を振って駅へと歩いて行った。
その時、バッグに振動が伝わっているのに気づく。
バッグからスマホを取り出すと、青と表示されている。
「青、どうしたの」
「休憩時間にお前の声を聞きたくて」
「お疲れ様です。ご飯作って待ってるね」
「楽しみに仕事を頑張るよ」
通話が終了して五分後、バスが来た。
現在は18時前だ。
今日のことは、また彼が帰ったら話そう。
乗り込んだバスから、外の景色を見ていると、
早く会いたくなってたまらなくなる。
夕闇に染まりゆく街の光。
彼と過ごしてもうすぐ10ヶ月。
まだ10ヶ月というのが正しいのかな。
気持ちが繋がらなくて会う機会がなかったのではなくて、彼は元々忙しい人なのだと思い知っている。
抱き合う日を指折り数えていたけれど、
癒しがほしいのも分かるのだ。
帰宅して夕食を作りお風呂に入ると、
テーブルに顔を伏せて眠ってしまった。
「沙矢、ただいま」
うっすら目を開けると薄茶(ライトブラウン)の髪が、きらきらと輝いていた。
(ま、まぶしい。照明の下で頭頂部に天使の輪っかができてる)
「一緒に夕食を食べよう」
頬にキスを落とされて完全に覚醒した。
まずは会社の建物に入ってすぐ冴島先輩に遭遇した。
「おはようございます」
「み、水無月さん……おはよう」
彼はうろたえて目を逸らした。
「私の顔になにかついてます?
気まずくて目を逸らしたとか」
顔やスーツのジャケットを確認したが、
何もついてない。
のりをつけてアイロンをかけたから皺もついていないはずだった。
首を傾げていたら、彼は足早にエレベーターに乗ってしまった。さっさと閉じられてしまう。
(同じ階に行くのに!)
エレベーターの前にいると後ろから他の社員がやって来て、挨拶を交わす。陽香もいた。
エレベーターの扉が開いて乗り込む。
「沙矢、おはよう。今日は早いのね」
「陽香、おはよう。先週の金曜日のことについて、
お昼休みにでも少し話せないかな」
「うん。わかった」
お昼休み、青へのメッセージを送り、お弁当箱を広げる。
部署のデスクに残ったのは私と陽香だけで、皆が、席を立っている。
お弁当の隣には休憩室で入れてきたお茶をデスクに置いていた。
「食堂だと、他の人もいるしね」
「それにしても見事な茶髪だったわね」
いきなり切り出され、口にしかけたおにぎりが喉に詰まった。慌ててお茶を流し込む。
「大丈夫?」
「う、うん」
「地毛なら頭のてっぺんだけ黒い部分があるけど、なかったし、あれは本物ね。
青さま、どこか外国の血が入ってるでしょ?」
「……六分の一入ってるんだって」
「へぇ。蒼宙さんも明るい栗色だし、あの二人目立ってたわよね」
「うん。それより冴島先輩の様子がおかしいの青が怖かったのかなって」
「私には普通だったからね。付き合ってるってことを伝えて釘を指したんじゃない。
独占欲は、上手くいく前から高かったみたいだし」
にやにや笑われて、顔が赤くなる。
食事の合間の会話はのんびりしていた。
二回目に会った時に赤いピアス、その次はパールの三連ネックレスの他、
この間は誕生石であるガーネットの指輪を贈られた。
首元にかけたネックレスチェーンを確認する。
「春日部長達には要注意だと言われてるの。
私もそれはわかった。青とも顔を合わせてるから、
その事、妹さんにも伝えたのよ……」
「間違いなさそう。佐緒里さんの浮かれっぷり……
青さまに相当ご執心だったものね。
運良く会えたから、さぞかし嬉しかったでしょう。
虫けらを見る眼差しを向けられても、目がハートだったもの」
「……私は睨んでたけど」
「佐緒里さんは青さまで、部長はあなた狙いか」
ツナマヨおにぎりとサラダを懸命に飲み込む。
来月まで平穏無事に過ごせればそれでいい。
「あ、パソコンにメールが来てるみたい」
ウィンドウにメールのアイコンが表示されぴかぴか光っていた。
「このタイミングで嫌な予感しかないわね」
嵌めていると安心するのだ。
「スマホのメッセージアプリで
お友達になってなくてよかった」
「あれは、必要ないわ。社外で連絡することないもの。何かあったら直の電話でいい」
それも嫌だが、メッセージが来るよりマシか。
お茶を飲んで画面に向き直る。
お行儀が悪いけどくるりと椅子を回転させた。
「……仕事の用事よね。社員のアドレスだから
私的に使うものじゃないし」
『君の彼のことで話があるんだ。これからどうかな』
目が点になる。
(……どうもこうもないんですけど。私的に使うなんて上司としてどうなの)
メールに記された場所は、普段決して訪れない場所。
春ならともかく冬にあの場所は選ばない。
屋上にはテラス席があり、昼食を持ち寄って食べる人もいる。
冬は寒いので来る人も少ない。
『友達も一緒でいいですか』
いちかばちか送ってみたら即返事が来た。
「友達には関係のない話だから一人で来てよ。待ってるからね」
一方的に言われてため息が漏れる。
ランチも終わったし、昼休みは15分ほど消化した。
あと30分だ。
「陽香、部長が青のことで話したいことがあるから、
一人で屋上に来て欲しいと言われたの。
とりあえず時間がないし行ってくるわね」
「沙矢って強い。近くまで一緒に来てとか言えばいいのに」
「ありがとう。甘えてばかりじゃいられないの」
「わかった。行ってらっしゃい。後で話を聞かせてね」
屋上のドアを開けると、冷たい風が吹き抜けた。
思わず肩を抱いた私に、部長が手招きする。
隣には佐緒里さんがいた。
アイシャドウのせいかきつめに見えるメイクは、
眼差しの強さもあってこちらの足をすくませる。
指し示されて、佐緒里さんの左隣に座る。
一番右側の椅子に部長が座っていた。
「こんなところへ呼び出してごめんね」
「いえ……」
「合コンは楽しかった?」
「はい。ありがとうございました。合コンって男女で席を別れて座るんですね。
初めて参加したので驚きました」
「カップルが参加した時のためかな?
従来の合コンは男女別々に座ったりしないよ。一緒」
皮肉めいたことを言われてぎくりとする。
「君みたいなね。
社外の人間でも、参加者の知り合いなら
自由に参加できるからかまわないとして」
「……場違いだったのは申し訳ありません。
親友が誘ってくれたんですが、私自身パートナーがいる身。断るべきかと悩みました。
でも彼が一緒に来てくれるということで参加したんです」
「あなたが藤城先輩とお付き合いしているというのは
驚いたわ……」
ここで佐緒里さんが、口を挟んできた。
部長と容貌が似ている部分もある。
すらりとしたスタイルは、憧れるし大人の女性だが、
私は敵意を向けられまくってる。
(青は悪くないんだけど)
「先輩と私との接点を教えてあげましょうか?」
「僕も詳しく聞きたいな。藤城先生とはどこで知り合ったの?」
青の職業を知っているようだった。
思わせぶりな佐緒里さんは楽しそうだった。
「藤城総合病院の次期後継者で
御曹司の藤城青さん。
彼を初めて見たのは五年前かしら。
たまたま同じ大学だったわ。
医学部医学科の四年生だった。
科が違うから、直接関わることもなくたまに見かける程度。
それでも引きつけられるのには十分だった。
あの完璧な美しさに雰囲気、フェロモン。
性別問わず、皆が憧れた」
青の印象は私が感じるもの。
その通りだった。
「大学二年だった私には、少し毒もあり刺激的な人だった。
今のあなたくらいの年齢だったわね。墜ちるのは簡単だって分かるでしょ?」
墜ちただけではない。
心から愛し合っている。
「あなたは、彼とお付き合いしているんだったわよね。水無月さん?」
「佐緒里、お付き合いどころか一緒に暮らしてるんだよ。
年明けに転居届もらって驚いた」
そろそろ部署に戻らなければ午後の仕事が始まる。
佐緒里さんが、不穏な気配を纏わせていても、
見ない振りをしてこの場を去らなければ。
「すみません。私そろそろ失礼します。
そろそろ午後の就業時間ですので」
結局、何を話したかったのか分からない。
席を立ち、二人に背を向けた。屋上の扉に手をかける。
「去年の春、いっきに垢抜けた君。
少女の危うい綺麗さから、一歩踏み出した。
そうさせたのは、彼だったんだろうね。
一体、水無月さんこそどこであんな人と出会ったんだ」
「あなたに教える筋合いはありません! 失礼します」
「藤城先輩にはあなたなんてふさわしくない。藤城総合病院の御曹司の彼には似合わない」
二人が交互に言葉を重ねる。
扉を閉めて、エレベーターで部署にある階(フロア)に降りた。
他人にそんなこと言われたくはない。
私自身、彼のことを聞いて鳥肌が立っているけれど。
(青と未来の約束を誓えるところまでようやくきたのに)
高校を卒業して、上京しちいさな世界で生きてきた私の
世界が広く大きなものになったのは青と出逢ったのがきっかけ。
孤独の闇に生きる彼に光をくれてありがとうと、あの人は言ってくれたけど
私も同じだ。
相応しいとか似合ってないとか他人に言われたくない。
胸にわだかったものが残った。
午後の仕事の始まりを告げ頭を切りかえて、パソコンの画面を見つめた。キーボードを叩く。
あのころがあったからか、
心配事や不安が胸にあっても、それを振り切って仕事に集中できる。
こういう私になれたからこそ青と
新しい季節を迎えられた。
「沙矢、今日はバスか電車?」
気がつけば、就業時間が終わる時間になっていた。
肩がこったので、伸びをする。
「……バスかな。実はマンションからのアクセスもバスの方がいいのよ。青もバスの方を勧めるわ」
「じゃあバス停まで一緒ね。行こ」
「ありがとう。心配かけてごめんね」
「一緒にいられるのは帰るまでだもん。
それまでは沙矢を独り占めしたいわ」
にこっと微笑んでくれる陽香は優しくて綺麗だった。入社式で会った日から変わらない。
会社で出会い、親しくなった貴重な友人。
とても貴重でこれからも大事にしていきたい。
会社を出ると建物のそばに、冴島先輩がたたずんでいた。
「お疲れ様です」
陽香が声をかけると、彼は笑みを浮かべた。
「あ、あの……合コンの時、彼があなたに何かしたんですか」
「何もされてないよ。ちょっと脅されただけ」
(されてるじゃない)
「大丈夫。水無月さんには仕事以外では関わらないよ。
下心だけで気になってたわけじゃないんだけど、僕に勝てるわけもなかった」
冴島さんは真摯な眼差しだった。
「元々かわいかったけどすごく綺麗になって……気になってる男性社員も多いと思う。
よこしまな気持ちの奴もいるから気をつけてね」
「冴島さん」
「そんな顔を彼以外の前でしたらよくないよ。
真面目で一生懸命、頑張り屋の水無月さん、
影から二人を応援しています」
冴島さんの顔は少し赤かった。
「お疲れ様でした。また明日」
会社を出て歩いて行く。
建物が遠ざかったところで、陽香が口を開いた。
「いい人よね」
「うん」
(春日兄妹はまともに話ができそうにないけど)
バス停にたどり着く。
陽香は私に手を振って駅へと歩いて行った。
その時、バッグに振動が伝わっているのに気づく。
バッグからスマホを取り出すと、青と表示されている。
「青、どうしたの」
「休憩時間にお前の声を聞きたくて」
「お疲れ様です。ご飯作って待ってるね」
「楽しみに仕事を頑張るよ」
通話が終了して五分後、バスが来た。
現在は18時前だ。
今日のことは、また彼が帰ったら話そう。
乗り込んだバスから、外の景色を見ていると、
早く会いたくなってたまらなくなる。
夕闇に染まりゆく街の光。
彼と過ごしてもうすぐ10ヶ月。
まだ10ヶ月というのが正しいのかな。
気持ちが繋がらなくて会う機会がなかったのではなくて、彼は元々忙しい人なのだと思い知っている。
抱き合う日を指折り数えていたけれど、
癒しがほしいのも分かるのだ。
帰宅して夕食を作りお風呂に入ると、
テーブルに顔を伏せて眠ってしまった。
「沙矢、ただいま」
うっすら目を開けると薄茶(ライトブラウン)の髪が、きらきらと輝いていた。
(ま、まぶしい。照明の下で頭頂部に天使の輪っかができてる)
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