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Blue glass
6、Secret Blue
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秘めた想いはまだ告げることができない。
切なくて、胸が引き裂かれそうなの。
6、Secret Blue
菫子(とうこ)は一大決心をした。
どこまでも応援してくれるという伊織に勇気付けられて一歩踏み出すことを心に決めた。
翌朝、マンションに戻ると、ベッドの横にある鏡の前に座り
化粧台に並べられたマニキュアを手に取ると 指先に塗っていく。
肌の色に近いベージュ色。
真紅は似合わないと自覚している色なので冒険はしない。
マニキュアは薄い色ばかりを揃えていた。
真っ赤なルージュもマニキュアも薫を連想してしまう。
菫子にとってのイメージだからそれがすべてではないだろうが。
淡い色のメークを施してゆく。
自分で自分におまじないをかけるみたいに色を重ねる。
髪をさっと梳くと蝶の形のバレッタで止めた。
着替えも済ませたところではっと思い至ったことは。
「そういえば薫さんの携帯番号、知らない」
うーんと唸り始めた菫子ははっと思いついた。
気が引けるが仕方がない。
彼女の番号を知る人物は一人だけ心当たりがある。
携帯を操作して表示された名前は、草壁涼。
少しドキドキしながら番号の数字を押す。
「……タイミング悪いなあ」
お馴染みの無情な音声が聞こえてきて菫子は肩を落とした。
寝ているから電源を入れていないのかもしれない。といっても既に午前9時前だか。
財布等を入れた手提げ用の小さなバッグを手に持ち玄関の扉を開ける。
鍵をかけるとノブを回して確認して、一階まで下りた。
エントランスを出たところで、見覚えのある人影が近づいてくるのが見えた。
菫子が立ち止まっていると、人影はあっという間に眼前に迫った。
「薫さん……」
薫は思いつめた表情を晒して菫子を見つめている。
両耳にしているリングのピアスがきらきらと輝いている。
大学に行く前に薫に連絡を取り都合を聞こうと思っていたが、
薫の方から董子のマンションを訪れた。
いつか、一度だけ涼と薫を招いて食事をふるまったことがあった。
一年近く前になるかもしれない。
二人を招いたのは何がきっかけだったのか既に記憶はあやふやだ。
携帯番号も知らない遠い関係なのに。
マンションのエントランスで菫子は一歩も動かなかったが、薫も動きを止めていた。
一人逡巡する間があったのはその為。
菫子は、人も通る場所では目立つと思い、薫の腕を引いてもう一度自分の部屋へ引きかえした。
強引に腕を引っ張ったわけではない。
菫子が腕に触れて促すと薫はそれに従ったのだ。
さっき閉めたばかりの鍵を開け室内へと促す。
菫子の後ろをついてくる薫は俯き加減で、どこか虚ろな表情をしていた。
もう一つ普段と違う所は、ノーメイクということだ。
化粧をしていなくても顔は変らないのだが、
強気に見えた彼女が急に脆く見え始めた。
明るく強気な笑みを浮かべている薫の姿が崩れていく。
菫子は絨毯の床にぺたんと座りこんでいる薫の前のテーブルに紅茶のカップを置いた。
「薫さんがうちに来るなんて珍しいね」
というより二度目だ。
菫子は沈み込んだ様子の薫にさりげなく声をかける。
直接どうしたのなんて聞くのは相手にとっても辛いと思ったから。
聞いてはほしいのだろうけれど、無碍に突っ込んでいくやり方はよくない。
「以前、菫子ちゃんがご馳走してくれた日以来ね」
ふるふると顔を上げた薫が口元で笑みを作る。
柔らかすぎる笑みを見て菫子は、心が苦しくなっていた。
「大した物作れなかったけどね」
「そんなことない。私、料理苦手だから羨ましいわ」
「薫さん」
真っ直ぐな言葉は胸に飛び込んできた。
偽りのない眼差し。
「最近の涼は私といるのが辛そうで、無理してるみたいだった。
無理させてるのは私なんだけど。
彼の気持ちも考えていなくて自分のやりたいように振舞ってばかりだったから」
薫は笑みさえ浮かべている。
菫子は自分の心臓がどくんと跳ねるのを感じた。
「菫子ちゃんに辛くあたってばかりで自分を振り返らなかった罰だわ。
気づいたら涼は遠い所に行っちゃってた」
ぽろりと弱音を零す薫に菫子は慌てた。
歯を食いしばって堪えていたらしい涙は今にも零れ出しそうだ。
隣りで肩を抱くと薫は寄りかかってきた。
化粧台の引き出しの中からハンカチを取り出して渡すと
「ありがとう」
と涙ぐみながら言った。
長身の薫が凭れかかるには菫子は小柄で頼りない。
支えられるのは頼りがいのある……涼のような存在だ。
「涼は菫子ちゃんが好きなのよ」
薫は菫子からそっと離れると淡々と口にした。
「何言ってるの。薫さんが弱気になってるだけだよ」
「目に入れても痛くないほど大切にしてるもの」
「それは妹みたいに思ってるからよ」
薫の言葉を受け入れられない。
「……本人に聞いたの?」
「涼ちゃんは私を恋愛対象に見られないって言ってたわ。
薫さんも知ってることでしょ」
「菫子ちゃん自身の気持ちはどうなの?」
薫は突っかかる物言いではなく普通に聞いてくる。
菫子は、血を吐くような思いで唇を滑らせた。
無意識で胸元を押さえる。
「……男性として涼ちゃんが好き」
「それが聞きたかったのよ。それで菫子ちゃんはどうしたいの?」
薫は満足した風に笑った。
「どうもしないわ。涼ちゃんも薫さんもお互いが共に幸せならそれが一番だって思ってるから。
薫さんは、涼ちゃんのことを好きだから行き過ぎちゃったけど
好きだから気づくこともできたんだし、もう大丈夫だよ。
二人が上手くいってくれたら私も嬉しいから頑張って」
菫子は必死で言い募った。
「じゃあ菫子ちゃんは私の味方なのね?」
薫の問いかけに菫子はふるふると首を振った。
「薫さんと涼ちゃんどっちの味方でもないわ。私は中立だから」
「分かったわ」
薫はふわりと柔らかく笑み、
「ハンカチ洗って返すわね。それとこれ携帯番号」
それだけ言うと部屋を出て行った。
テーブルの上には手付かずの紅茶と薫が残していった携帯の番号とメールアドレスを記したメモ。
聞きたかった番号を何故か薫は置いていった。
「うう……」
ぽろぽろとあふれ出す涙はどんな感情からくるものなのだろう。
菫子は静かにすすり泣いた。
伊織の前で大見得を切ったが、もうできはしない。
馬鹿なことを考えるべきではなかった。
薫は純粋に涼のことが好きなのだから。
だけど影で思うだけなら自由だ、と開き直ろうとしていた。
彼と離れた場所に行かない限り顔を合わせるだろう。そうなると嫌でも意識する。
沈む気持ちに流されそうになっていたがすっと立ち上がる。
折角のメイクも崩れてしまい直さないととてもではないが外へ出ることはできない。
メイク落としを使った後洗顔をしてそれだけでおしまいにした。
リップも塗らずに部屋を出た。
歩きながら携帯を除けば、伊織からのメールが来ていた。
校門の前にいるからねと書いてある。
菫子は、それを見やると急いで駅に向かった。
伊織の家は時間の余裕を見て出たので受けるべき授業を欠席せずにすみそうだ。
地下鉄に乗り込んで手すりにつかまる。
車窓に映った顔はひどく寂しそうだった。
「お待たせ」
「私も今来たところよ」
伊織が口元に笑みを刻むのを見て菫子も笑った。
「どうなったのか聞いてもいい?」
「うん、後でね」
自分の言い出したことだから責任がある。
ずきんと胸が痛い。
「さっき、草壁くんとばったり会ってね。
6時頃、駅前の喫茶で待ってるから 用がないなら来て欲しいって」
「なんだろ?」
涼から呼び出されるなんて珍しいことだった。
しかも二人きりでお茶だなんて余計ありえない。
「大切な話とか?」
伊織は笑っている。
「からかわないでよ」
今朝、薫を応援したばかりの菫子は、正直、行く気持ちになれない。
「行かない」
はっきりと口にした菫子を伊織が驚いたように凝視した。
辿り着いた教室内で席を隣同士に座る。
広い室内には人が疎らに散らばっていた。
「彼女は涼ちゃんのことを一途に好きなだけだった。
薫さんは自分の行動を悔やんで反省してたもの。
本当に大切にしたいって思ってるのが分かったから、
私は応援することに決めたの」
「……それじゃ振り出しに戻ったって事じゃない」
「そういうことになる……かな」
「この状況での草壁くんからの呼び出しは気になるわね。行った方がいいんじゃない」
「彼女を傷つけるようなことはしない」
ざわめきと共に教室内の人の数が増えていく。
「昨日の勢いはどこにいったんだか」
溜息ばかりが増える。
授業に集中していれば気を紛らわせることはできたけれど。
放課後、菫子は伊織と共に帰路についていたが、
駅前で、ふいに伊織が立ち止まった。
自然と、菫子も立ち止まる格好になる。
目の前には喫茶店が見えた。
「入ろう。ここのケーキ美味しいって評判よ」
伊織は喫茶店を指差した。
菫子は半ば強引に腕を引かれ、喫茶店に入っていく。
幸いなことに涼はまだ来てはいなかった。
「涼ちゃんが来たらどうするのよ」
「草壁くんが来たら困ることでもあるの?
やましい気持ちでもあるから?」
「ない」
「じゃあ堂々としてればいいじゃない」
試す物言いに菫子はむっとした。
気まずそうにしていれば余計怪しまれることに気づいていない菫子だった。
「もうしっかりしてよ。毒舌の菫子が私に押されてどうするのよ」
「私がいつ毒吐いたことがあったっけ」
「性質(たち)が悪いことに無自覚なのよね……菫子って」
菫子はうっ、と大げさに反応した。
「いつもの菫子でいれば大丈夫よ。頑張ってね」
菫子を残して伊織は席を立ち上がる。
メニューを見ていた菫子は所在なさ気に伊織を見上げた。
「ケーキ食べないの?」
「またの機会にするわ、じゃあね」
伊織は軽く手を振ると喫茶店を出て行く。
注文をとりに来たウェイトレスが、不思議そうにその様を見ていた。
菫子は一人取り残されてしまったが、最初から
伊織の策にはまっていたのだと今更ながら気づかされた。
ケーキセットを注文すると、テーブルに置かれた水をがぶ飲みする。
不覚だった。こうなると分かっていたら一人で帰るべきだった。
そもそも喫茶店とカフェの違いは何だろう。
喫茶は落ち着いた感じでカフェはお洒落な感じかな。
どうでもいいことをうつらうつら考えていた菫子だが
了承を得ずに向かいの席に座った相手に、気づき
顔を赤らめるとガタンと立ち上がった。
相手ー涼ーはいたって動じもせずこちらを見ているだけだ。
「らしくないよ」
普段の涼なら笑いながらからかってくるはずだ。
「らしくないか」
涼はフッと笑った。
菫子の注文したケーキセットを持ってきたウェイトレスが、涼の注文を取り
空になったトレイを持って奥に下がった。
「わざわざこんな所に呼び出してどうしたの?」
菫子は単刀直入に聞いた。
「菫子に会いたかったんや」
狂おしいほど切ない眼差しで涼に見つめられた。
菫子は、フォークを取り落とした。瞳は戸惑いで揺れている。
金属が高い音を立てて揺れた後静かに動きを止めた。
拾おうと腰を屈めた時、通りかかった店員が
「少々お待ち下さい」
と落としたフォークを手に下がり、
新しいフォークを手に再び戻ってきた。
菫子が茫然としている間の出来事だった。
ウェイトレスが運んできたコーヒーのカップを傾けながら
カップ越しに董子を見ている涼。
菫子は、何を言えばいいか分からず黙々とケーキを口に運ぶ。
苺のロールケーキは崩すのが勿体無いほど見た目が可愛い。
「俺が兄やったら良かったって本気で言ったんか?」
涼はコーヒーを半分ほど飲んだ所で、顔を上げた。
「俺もあの時は本気にしてもうたけど」
「間違ってないよ、涼ちゃん」
「……薫から全部聞いた」
「関係ないでしょ。
私の気持ちがどうであれ、涼ちゃんと薫さんが
付き合っている事実は変らないんだから」
極めて冷静な口調になるように努めた。
紅茶に砂糖を入れて掻き混ぜるとカップを口に運ぶ。
「薫とは、もう駄目や。俺は彼女の求めている
理想の男にはなりきれんかったから」
吐き捨てる涼に菫子は、かたんとカップを置いた。
「今日薫さんと会ったんだよね。私の話も聞いてるみたいだし」
「……ぶっちゃけ今日で終わったんかもな」
応援すると薫に伝えたばかりなのに、その日のうちに事態は最悪の方向に流れていた。
「俺が菫子を友達じゃなく女として
見ていることに薫は気づいてたんや。俺自身よりも先に」
菫子は瞠目した。
心臓が破裂しそうな程に、熱くなり鼓動が早鐘(はやがね)を打っている。
テーブルの上に小銭を並べると、
「払っておいて」
素早く席を立った。
菫子は早足で店を出て行く。
涼はその小銭と共に自分の勘定(かんじょう)を済ませ、急いで追いかけた。
コンパスの差のせいかあっという間に涼は菫子に追いついた。
息を整えつつ逃げる腕を掴み、
「待てや。俺の話がすんでない」
と掠れ気味の声で呟いた。
菫子は、ゆっくりと涼の方を振り返った。
切なくて、胸が引き裂かれそうなの。
6、Secret Blue
菫子(とうこ)は一大決心をした。
どこまでも応援してくれるという伊織に勇気付けられて一歩踏み出すことを心に決めた。
翌朝、マンションに戻ると、ベッドの横にある鏡の前に座り
化粧台に並べられたマニキュアを手に取ると 指先に塗っていく。
肌の色に近いベージュ色。
真紅は似合わないと自覚している色なので冒険はしない。
マニキュアは薄い色ばかりを揃えていた。
真っ赤なルージュもマニキュアも薫を連想してしまう。
菫子にとってのイメージだからそれがすべてではないだろうが。
淡い色のメークを施してゆく。
自分で自分におまじないをかけるみたいに色を重ねる。
髪をさっと梳くと蝶の形のバレッタで止めた。
着替えも済ませたところではっと思い至ったことは。
「そういえば薫さんの携帯番号、知らない」
うーんと唸り始めた菫子ははっと思いついた。
気が引けるが仕方がない。
彼女の番号を知る人物は一人だけ心当たりがある。
携帯を操作して表示された名前は、草壁涼。
少しドキドキしながら番号の数字を押す。
「……タイミング悪いなあ」
お馴染みの無情な音声が聞こえてきて菫子は肩を落とした。
寝ているから電源を入れていないのかもしれない。といっても既に午前9時前だか。
財布等を入れた手提げ用の小さなバッグを手に持ち玄関の扉を開ける。
鍵をかけるとノブを回して確認して、一階まで下りた。
エントランスを出たところで、見覚えのある人影が近づいてくるのが見えた。
菫子が立ち止まっていると、人影はあっという間に眼前に迫った。
「薫さん……」
薫は思いつめた表情を晒して菫子を見つめている。
両耳にしているリングのピアスがきらきらと輝いている。
大学に行く前に薫に連絡を取り都合を聞こうと思っていたが、
薫の方から董子のマンションを訪れた。
いつか、一度だけ涼と薫を招いて食事をふるまったことがあった。
一年近く前になるかもしれない。
二人を招いたのは何がきっかけだったのか既に記憶はあやふやだ。
携帯番号も知らない遠い関係なのに。
マンションのエントランスで菫子は一歩も動かなかったが、薫も動きを止めていた。
一人逡巡する間があったのはその為。
菫子は、人も通る場所では目立つと思い、薫の腕を引いてもう一度自分の部屋へ引きかえした。
強引に腕を引っ張ったわけではない。
菫子が腕に触れて促すと薫はそれに従ったのだ。
さっき閉めたばかりの鍵を開け室内へと促す。
菫子の後ろをついてくる薫は俯き加減で、どこか虚ろな表情をしていた。
もう一つ普段と違う所は、ノーメイクということだ。
化粧をしていなくても顔は変らないのだが、
強気に見えた彼女が急に脆く見え始めた。
明るく強気な笑みを浮かべている薫の姿が崩れていく。
菫子は絨毯の床にぺたんと座りこんでいる薫の前のテーブルに紅茶のカップを置いた。
「薫さんがうちに来るなんて珍しいね」
というより二度目だ。
菫子は沈み込んだ様子の薫にさりげなく声をかける。
直接どうしたのなんて聞くのは相手にとっても辛いと思ったから。
聞いてはほしいのだろうけれど、無碍に突っ込んでいくやり方はよくない。
「以前、菫子ちゃんがご馳走してくれた日以来ね」
ふるふると顔を上げた薫が口元で笑みを作る。
柔らかすぎる笑みを見て菫子は、心が苦しくなっていた。
「大した物作れなかったけどね」
「そんなことない。私、料理苦手だから羨ましいわ」
「薫さん」
真っ直ぐな言葉は胸に飛び込んできた。
偽りのない眼差し。
「最近の涼は私といるのが辛そうで、無理してるみたいだった。
無理させてるのは私なんだけど。
彼の気持ちも考えていなくて自分のやりたいように振舞ってばかりだったから」
薫は笑みさえ浮かべている。
菫子は自分の心臓がどくんと跳ねるのを感じた。
「菫子ちゃんに辛くあたってばかりで自分を振り返らなかった罰だわ。
気づいたら涼は遠い所に行っちゃってた」
ぽろりと弱音を零す薫に菫子は慌てた。
歯を食いしばって堪えていたらしい涙は今にも零れ出しそうだ。
隣りで肩を抱くと薫は寄りかかってきた。
化粧台の引き出しの中からハンカチを取り出して渡すと
「ありがとう」
と涙ぐみながら言った。
長身の薫が凭れかかるには菫子は小柄で頼りない。
支えられるのは頼りがいのある……涼のような存在だ。
「涼は菫子ちゃんが好きなのよ」
薫は菫子からそっと離れると淡々と口にした。
「何言ってるの。薫さんが弱気になってるだけだよ」
「目に入れても痛くないほど大切にしてるもの」
「それは妹みたいに思ってるからよ」
薫の言葉を受け入れられない。
「……本人に聞いたの?」
「涼ちゃんは私を恋愛対象に見られないって言ってたわ。
薫さんも知ってることでしょ」
「菫子ちゃん自身の気持ちはどうなの?」
薫は突っかかる物言いではなく普通に聞いてくる。
菫子は、血を吐くような思いで唇を滑らせた。
無意識で胸元を押さえる。
「……男性として涼ちゃんが好き」
「それが聞きたかったのよ。それで菫子ちゃんはどうしたいの?」
薫は満足した風に笑った。
「どうもしないわ。涼ちゃんも薫さんもお互いが共に幸せならそれが一番だって思ってるから。
薫さんは、涼ちゃんのことを好きだから行き過ぎちゃったけど
好きだから気づくこともできたんだし、もう大丈夫だよ。
二人が上手くいってくれたら私も嬉しいから頑張って」
菫子は必死で言い募った。
「じゃあ菫子ちゃんは私の味方なのね?」
薫の問いかけに菫子はふるふると首を振った。
「薫さんと涼ちゃんどっちの味方でもないわ。私は中立だから」
「分かったわ」
薫はふわりと柔らかく笑み、
「ハンカチ洗って返すわね。それとこれ携帯番号」
それだけ言うと部屋を出て行った。
テーブルの上には手付かずの紅茶と薫が残していった携帯の番号とメールアドレスを記したメモ。
聞きたかった番号を何故か薫は置いていった。
「うう……」
ぽろぽろとあふれ出す涙はどんな感情からくるものなのだろう。
菫子は静かにすすり泣いた。
伊織の前で大見得を切ったが、もうできはしない。
馬鹿なことを考えるべきではなかった。
薫は純粋に涼のことが好きなのだから。
だけど影で思うだけなら自由だ、と開き直ろうとしていた。
彼と離れた場所に行かない限り顔を合わせるだろう。そうなると嫌でも意識する。
沈む気持ちに流されそうになっていたがすっと立ち上がる。
折角のメイクも崩れてしまい直さないととてもではないが外へ出ることはできない。
メイク落としを使った後洗顔をしてそれだけでおしまいにした。
リップも塗らずに部屋を出た。
歩きながら携帯を除けば、伊織からのメールが来ていた。
校門の前にいるからねと書いてある。
菫子は、それを見やると急いで駅に向かった。
伊織の家は時間の余裕を見て出たので受けるべき授業を欠席せずにすみそうだ。
地下鉄に乗り込んで手すりにつかまる。
車窓に映った顔はひどく寂しそうだった。
「お待たせ」
「私も今来たところよ」
伊織が口元に笑みを刻むのを見て菫子も笑った。
「どうなったのか聞いてもいい?」
「うん、後でね」
自分の言い出したことだから責任がある。
ずきんと胸が痛い。
「さっき、草壁くんとばったり会ってね。
6時頃、駅前の喫茶で待ってるから 用がないなら来て欲しいって」
「なんだろ?」
涼から呼び出されるなんて珍しいことだった。
しかも二人きりでお茶だなんて余計ありえない。
「大切な話とか?」
伊織は笑っている。
「からかわないでよ」
今朝、薫を応援したばかりの菫子は、正直、行く気持ちになれない。
「行かない」
はっきりと口にした菫子を伊織が驚いたように凝視した。
辿り着いた教室内で席を隣同士に座る。
広い室内には人が疎らに散らばっていた。
「彼女は涼ちゃんのことを一途に好きなだけだった。
薫さんは自分の行動を悔やんで反省してたもの。
本当に大切にしたいって思ってるのが分かったから、
私は応援することに決めたの」
「……それじゃ振り出しに戻ったって事じゃない」
「そういうことになる……かな」
「この状況での草壁くんからの呼び出しは気になるわね。行った方がいいんじゃない」
「彼女を傷つけるようなことはしない」
ざわめきと共に教室内の人の数が増えていく。
「昨日の勢いはどこにいったんだか」
溜息ばかりが増える。
授業に集中していれば気を紛らわせることはできたけれど。
放課後、菫子は伊織と共に帰路についていたが、
駅前で、ふいに伊織が立ち止まった。
自然と、菫子も立ち止まる格好になる。
目の前には喫茶店が見えた。
「入ろう。ここのケーキ美味しいって評判よ」
伊織は喫茶店を指差した。
菫子は半ば強引に腕を引かれ、喫茶店に入っていく。
幸いなことに涼はまだ来てはいなかった。
「涼ちゃんが来たらどうするのよ」
「草壁くんが来たら困ることでもあるの?
やましい気持ちでもあるから?」
「ない」
「じゃあ堂々としてればいいじゃない」
試す物言いに菫子はむっとした。
気まずそうにしていれば余計怪しまれることに気づいていない菫子だった。
「もうしっかりしてよ。毒舌の菫子が私に押されてどうするのよ」
「私がいつ毒吐いたことがあったっけ」
「性質(たち)が悪いことに無自覚なのよね……菫子って」
菫子はうっ、と大げさに反応した。
「いつもの菫子でいれば大丈夫よ。頑張ってね」
菫子を残して伊織は席を立ち上がる。
メニューを見ていた菫子は所在なさ気に伊織を見上げた。
「ケーキ食べないの?」
「またの機会にするわ、じゃあね」
伊織は軽く手を振ると喫茶店を出て行く。
注文をとりに来たウェイトレスが、不思議そうにその様を見ていた。
菫子は一人取り残されてしまったが、最初から
伊織の策にはまっていたのだと今更ながら気づかされた。
ケーキセットを注文すると、テーブルに置かれた水をがぶ飲みする。
不覚だった。こうなると分かっていたら一人で帰るべきだった。
そもそも喫茶店とカフェの違いは何だろう。
喫茶は落ち着いた感じでカフェはお洒落な感じかな。
どうでもいいことをうつらうつら考えていた菫子だが
了承を得ずに向かいの席に座った相手に、気づき
顔を赤らめるとガタンと立ち上がった。
相手ー涼ーはいたって動じもせずこちらを見ているだけだ。
「らしくないよ」
普段の涼なら笑いながらからかってくるはずだ。
「らしくないか」
涼はフッと笑った。
菫子の注文したケーキセットを持ってきたウェイトレスが、涼の注文を取り
空になったトレイを持って奥に下がった。
「わざわざこんな所に呼び出してどうしたの?」
菫子は単刀直入に聞いた。
「菫子に会いたかったんや」
狂おしいほど切ない眼差しで涼に見つめられた。
菫子は、フォークを取り落とした。瞳は戸惑いで揺れている。
金属が高い音を立てて揺れた後静かに動きを止めた。
拾おうと腰を屈めた時、通りかかった店員が
「少々お待ち下さい」
と落としたフォークを手に下がり、
新しいフォークを手に再び戻ってきた。
菫子が茫然としている間の出来事だった。
ウェイトレスが運んできたコーヒーのカップを傾けながら
カップ越しに董子を見ている涼。
菫子は、何を言えばいいか分からず黙々とケーキを口に運ぶ。
苺のロールケーキは崩すのが勿体無いほど見た目が可愛い。
「俺が兄やったら良かったって本気で言ったんか?」
涼はコーヒーを半分ほど飲んだ所で、顔を上げた。
「俺もあの時は本気にしてもうたけど」
「間違ってないよ、涼ちゃん」
「……薫から全部聞いた」
「関係ないでしょ。
私の気持ちがどうであれ、涼ちゃんと薫さんが
付き合っている事実は変らないんだから」
極めて冷静な口調になるように努めた。
紅茶に砂糖を入れて掻き混ぜるとカップを口に運ぶ。
「薫とは、もう駄目や。俺は彼女の求めている
理想の男にはなりきれんかったから」
吐き捨てる涼に菫子は、かたんとカップを置いた。
「今日薫さんと会ったんだよね。私の話も聞いてるみたいだし」
「……ぶっちゃけ今日で終わったんかもな」
応援すると薫に伝えたばかりなのに、その日のうちに事態は最悪の方向に流れていた。
「俺が菫子を友達じゃなく女として
見ていることに薫は気づいてたんや。俺自身よりも先に」
菫子は瞠目した。
心臓が破裂しそうな程に、熱くなり鼓動が早鐘(はやがね)を打っている。
テーブルの上に小銭を並べると、
「払っておいて」
素早く席を立った。
菫子は早足で店を出て行く。
涼はその小銭と共に自分の勘定(かんじょう)を済ませ、急いで追いかけた。
コンパスの差のせいかあっという間に涼は菫子に追いついた。
息を整えつつ逃げる腕を掴み、
「待てや。俺の話がすんでない」
と掠れ気味の声で呟いた。
菫子は、ゆっくりと涼の方を振り返った。
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