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3、バレンタイン……恋愛未満の二人
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駅前のロータリー広場には、たくさんの人が群がっていて、座る場所はなかった。
待ち合わせの15分前に着いて待っているけど、
彼はどこから現れるのだろう。
(有料駐車場に車を停めて来るのかな)
落ち着かない気分で手帳型カバーを開く。
少し重いが、カード類も収納できるから手帳型のカバーを使っている。
その時、携帯電話が青く光り震え始めた。
表示された名前に慌てて通話ボタンを押す。
「……蒼宙くん?」
「ブラウンのピーコート、よく似合ってるね」
声がやけに近い気がした。
辺りを見回して、目の焦点がその人に合った。
携帯電話を耳に押し当てて近づいてくる姿は、
とてもかっこよく見えた。
可愛らしい雰囲気に惑わされてしまうけど、
この人はとてもかっこいいのだ。
自慢の友達だ。
「バレンタインチョコ、作ったの。
受け取ってもらえるかな」
「うん!」
無邪気に応えてくれる。
差し出したチョコレートの箱を受け止めた蒼宙くんは、
甘く優しい表情で微笑んだ。
「義理なのに手作りしてくれたんだ」
「女の子の友達にも送ってたし、それが異性になっただけです」
やはり時々丁寧語になってしまう。
「ありがとう」
蒼宙くんはチョコの箱を大事そうに鞄の中にしまってくれた。
「今日は、どうやって来たんですか?」
「電車。めっちゃ久しぶりだから楽しかったよ。
待ち合わせ場所にいなかったらどうしようって、
不安だった。それで電話してみたらちゃんといてくれた」
「土壇場でキャンセルなんてしないわ。
約束は守る主義なの」
蒼宙くんは手を握ってくる。
友達ならこんなの普通。
小さい頃だって友達と手を繋いで歩いたりした。
でも、この人の場合は指先にしびれが起きた人だ。
(意識せずにはいられなかった)
「もう一度、電車に乗ることになりますけど」
「一緒にお出かけって感じでいいね」
手を繋いで電車を待つ。
電車を待つ数分間も勝手にドキドキしていた。
(人が大勢いる中で手を繋いでる)
電車が着き乗り込む時危なくないように
誘導してくれているように感じた。
吊革に掴まらずドアの近くで今までになく近い距離にいた。
揺れた時、少し身体が触れて心臓がひとつ鳴った。
「友達の距離感じゃないよね?」
耳元に落ちてきた言葉に顔が熱を持つ。
15分ほど電車に乗って降りた。
「もうすぐ着くので」
「再会した時も思ったけど、君と歩くの楽しいよ」
さすがに電車を降りたら手は離した。
隣同士で歩く。
20センチ身長が違えば、見上げることになる。
180センチ以上の人なんて正直無理だから、
蒼宙くんくらいの身長の人がいいなと思ったりする。
「過去は変えられないから未来に向かって進むしかないよね。
何一つ後悔はないけど……」
ふと、遠い目になる蒼宙さん。
彼の見ていた世界は、消えてしまったのだろうか。
「そんな顔しなくて大丈夫だよ。
少なくとも失恋を引きずるタイプじゃないみたいだし」
歩きながらぽつぽつと語ってくれる。
「まだじゃなくて、もう二ヶ月が経とうとしてるんだなって。
それくらいの感覚だよね。案外、立ち直りが早かった」
「蒼宙くんは強いわ」
「初詣の時に院も今年で二年目になるし、
新しい恋を見つけるって誓ったんだよ。
思い悩むのも馬鹿馬鹿しいじゃん」
すがすがしい程の笑顔だった。
「過去を乗り越えようとしている蒼宙くんの力になりたい。
友達だもの」
蒼宙くんは、くるりとこちらを向いた。
どこか悲しそうな笑顔を浮かべた後がらり、と表情を変える。
「君は全部見抜いているみたい」
腕を引き、抱きしめられる。
初めて異性の腕の中に閉じ込められた。
胸騒ぎがする。
抱きしめ返すと驚いたように彼の身体が硬くなった。
それでも腕は離れない。
「本当は怖いよ。
君に話すことで完全に消し去ろうとあがいているのかもしれない」
消さなくていいって言ってあげたい。
「……向こうが先に立ち直って欲しいと傲慢に願ってることも知ってる。
半分以上、その願いは叶ったはずなんだけどな」
離された腕。
蒼宙さんは、泣いてなんかいなかった。
悲しい笑顔を浮かべ、私の頬に唇を寄せた。
触れた唇は熱くて焼けつく心地がする。
「路上でこんなことしたことなかったから、
自分に起きた衝動に驚いてる」
衝動と表現した蒼宙さんは、行こうと耳元にささやいた。
手を重ねて運命とつぶやいた人は、きっと一度目の運命を失ったんだ。
「……広いなあ。さすがお嬢さま」
屋敷の中に招き入れた異性の友達は感心したようにつぶやく。
「親が所有していて私は住まわせてもらってるだけ」
少し冷めた物言いをした私に蒼宙くんは瞬きした。
リビングルームのソファに案内すると彼は足を組まずに座った。
翠ちゃんの家でも彼は足を組んだりしなかったのを思い出す。
すらり、と細い足を伸ばして座る。
姿勢がとてもよかった。
大学で見かける異性も皆足を組んでいた気がする。
「お茶を淹れてくるわ」
「お手伝いさんはいないんだね」
「うちにはいないの。
両親は家に他人を入れるのが好きじゃないんですって」
「……そうなんだ」
だから、本当に今日はふたりきりだ。
静寂に満ちた部屋の中で息づかいが聞こえる。
ダイニングで紅茶を入れトレイに乗せて運ぶ。
蒼宙さんは窓から外の景色を見ているようだった。
「お茶、お持ちしました。
ミルクとお砂糖はお好みでお使いください」
「ははっ……どうしてそんなに硬いの?」
蒼宙さんは軽く吹き出していた。
「つ、つい」
「こんなに可愛いメイドさんが用意してくれたお茶は、
本当に美味しいんだろうな」
「っ……!」
彼のいたずらな言葉が、無駄に心をざわつかせる。
「なんてね。君が乗ってほしそうだから」
一枚も二枚も上手だ。とてもかなわない。
ソファの対面に座る。
隣に座りスキンシップをしたら、
友達という言葉を罪深く感じてしまう。
(うぬぼれすぎでしょ。私にはそこまで価値がないわ)
「向かい合わせは顔がよく見えていいね」
蒼宙くんの顔もよく見える。
あまり見ないように目をそらさなければ。
「僕は見られても平気だよ?」
「私が落ち着かないの! お茶くらいゆっくり味わいたいわ」
「愛璃ちゃんはくるくる表情を変えるね。
見ていて飽きないや」
面白がる口調ではない。単なる感想だ。
彼がかわいらしい容姿をしていても大人の男性なのは間違いがない。
四つの年の差は大きい。
カップのお茶を飲み干して、立ち上がる。
リビングの壁際に置かれたアップライトピアノを目指して歩いた。
気分を落ち着かせるにはピアノが一番だ。
蒼宙さんは静かにこちらを見ている。
蓋の上に置いていた楽譜(スコア)を避けて蓋を開ける。
楽譜を立てて、椅子に座った。
手のひらを鍵盤に置いて弾く。
ゆったりと流れるメロディーが部屋に響き始めた。
私は、演奏に集中していたので気づかなかった。
肩に触れそうな位置に蒼宙さんの顔がある。
抱きしめられているわけではないが、動揺した。
「癒やされる。君のピアノは清らかで、
優しくて甘さもあって」
耳に近い場所でしゃべるから、声質も
響きも話し方も全部伝わる。感じ取ってしまう。
(……友達にこんなことするのは普通なの?)
「今度は、蒼宙くんのリクエスト曲を弾きましょうか?」
「うーん。何がいいかな。夢見が丘って曲は分かる?」
「……楽譜があれば弾けると思います。
バンドの曲でしょうか?」
「もしよかったら、サブスクで聞く?
携帯から流すよ」
「ぜひ」
蒼宙くんのリクエストした『夢見が丘』は国民的ロックユニットのアルバム曲だった。
アルバムの曲まで知っているとは、結構ファンなのだろうか。
流れ出した曲を聴いているとイントロは弾けそうな気がしてきた。
「ロックが好きなんですね。
蒼宙さんはバイオリンを弾くって聞いてたから意外かもしれません」
「ロックは子供の頃から大好きだよ。
悲しいときも嬉しいときも僕のそばにあったんだ。
バイオリンはまた別でね」
「バイオリン、最近は弾いていないんですか?」
「実家に置いてるけど次の引っ越し先は、
防音ばっちりの所にするから持ってくる予定」
「引っ越し?」
「来月末で引っ越すんだ。隙間時間に荷物をまとめたり
準備をしてるよ」
心機一転やり直すという決意が伝わってきた。
「引っ越したら遊びにおいでよ。
そうだね。五月くらいには落ち着いているかな」
友達の期間が終わった頃だ。
「……蒼宙くんがいいなら行きたい」
「もちろん。丁重におもてなしするよ」
彼は鞄(かばん)を抱えて中を探っている。
「お茶のおかわりを持ってくるわ」
「うん。やっぱりチョコレートを食べたい」
鞄の中から取りだした箱を丁寧に開けて彼は笑う。
「トリュフだ。小粒だから食べやすいね」
「ピックを持ってきましょうか?」
「このまま食べるよ」
指でつまんで食べ始める姿を見て紅茶の用意に向かった。
リビングに戻ったら蒼宙くんが最後の一粒を口に入れるところだった。
「美味しかった。心がこもってるのが伝わってきた」
「義理チョコよ」
「友愛のチョコってことだろ?」
びくっとした。
急に口調を変えた蒼宙くんは蠱惑的に微笑んでいる。
「友情も愛情だもん。
恋愛感情で渡す本命チョコとは違っても」
「そうだね。欲張っちゃ駄目だ。
友達になって少しずつお互いを知って
恋人になっていくのがいいんだ」
恋人になるのは決定事項なの。
「ティッシュ、もらっていい?」
「どうぞ!」
テーブルの上に置いたティッシュを差し出す。
可愛い動物モチーフのティッシュケースに箱ティッシュを入れている。
私はくず入れを近くに置いた。
口元を拭くとき、ちらっとこちらを見ていたのは何故だろう。
蒼宙くんの向かい側のソファに座り直す。
「ホワイトデーのお返しを楽しみにしててね」
「楽しみにしてます」
贈るお菓子によって意味が変わってくる。
これまで何度となく翠ちゃんご夫妻からお返しをもらってるから知っている。
蒼宙くんに贈っていたハグも翠ちゃんと陽兄さん二人一緒にされたことがあったな。
陽兄さんだけにも。
家庭教師を終える日に、抱きついた時、
頭を撫でて優しく抱きしめてくれたっけ。
あったかい記憶が蘇ってくる。
「愛璃ちゃん」
ふいに名前を呼ばれた。
「抱きしめてもいい」
「いいですよ」
戸惑いながらも答えていた。
私が立ち上がるまでもなく、彼が立ち上がる。
手を重ねてこちらを一度見つめて腕を引いた。
思ったより強い力で引き寄せられた。
細身の体躯も私より身体は大きいから包み込まれてしまう。
背中に腕を回し抱きしめた。
「かわいい……と思ってたけど、
かっこいいの方が強いかも。
ずるい人だわ」
外国では抱擁なんて友達や家族間でも普通のコミユニケーションだ。
二度目の抱擁は、一度目よりドキドキ感が増しているけど、そんなのまだごまかせる。
「陽さんにイケメンって言われて、驚いてしまったけど……
愛璃ちゃんにかっこいいって言われた方が、破壊力が強いな」
「自慢のかっこいい男友達よ」
「……はははっ」
蒼宙さんは肩をふるわせて笑っている。
「そういられるように頑張ります」
おどけた彼が身体を離す。
壁の時計が午後5時を指している。
日が陰ってきて暗くなりはじめた。
「魔が差さないうちに帰らなきゃ」
冗談とも本気ともつかない言葉。
玄関まで歩いて行く。
「駅まで一緒に」
「いいよ。今日は楽しかったから十分。
チョコ、とろけそうに美味しかったよ。
愛璃ちゃんありがとうね」
あなたではなく『君』の方が
距離がなくていい気がする。
友達間でもよそよそしいからだ。
「夜に連絡します」
「もしかしたらホワイトデーまで会えないかもしれないけど、
連絡はするからね」
蒼宙くんは、軽く手を振った。
「お邪魔しました。またね」
送るメッセージを考えていると、蒼宙くんからメッセージが来た。
(また先を越されたんだけど!)
『愛璃ちゃん今日はありがとう。めっちゃ楽しかったなあ。
女性の友達のおうちに遊びに行くのも初めてで緊張してたけど、
君のチョコとピアノで癒やされたよ』
『緊張していたようには見えなかったわ』
『ふふ。リアルタイムでお返事が来るってことは、
僕からのメッセージを心待ちにしてたでしょ』
『初めてできた男性のお友達とのやりとりが楽しくて』
見透かされていてくやしすぎる。
『通話に切り替えていい?』
どこか甘えた声音に、ドキッとした。
OKのスタンプを押す。
「……最初から電話でよかったんじゃない?」
「文字も声もどっちも伝え合いたかったんだ」
心臓に悪い。
この人、一体どこまで人を翻弄するんだろう。
「蒼宙くん、あなたじゃなくて君って言うようになったわよね」
「もしかして、お前の方がいい?」
「よ、よくない」
何か一気にSっぽくなる気がする。
(でも、絶対Sだと思う。寄りじゃなくて確実に)
「ぶっ。そんなに動揺しなくても言わないよ」
「さすがに似合わなさすぎるわ」
「でも、口調は時々荒れるかもな。
あんまり気にするなよ」
「……口調が変わる時、声も普段より低くなってない?」
高く通る声と柔らかい口調に慣れている分、
こっちこそ破壊力が強い。
「そう?」
聞き返してくる声も低かった。
普段より艶めいた空気もある。
「愛璃ちゃん、翠お姉さんの所に
僕を連れて行くって言ってたけどさ」
「……勢いで言っちゃったけどあの家で
会うのもあんまりよくないし」
「友達じゃなくなったら、報告にいこ」
「……うん」
「引っ越しの準備や、バイト、大学院もあるから、
頻繁には会えないけど。
忙しくしていれば三ヶ月なんてあっという間に過ぎるよ」
蒼宙くんは私よりも時間に追われた生活を送っている。
私にゆとりがあるのも大学の間だけ。
卒業して銀行に就職したら社会人の生活になる。
多分、この家も出て独り暮らしもしているはずだ。
「ホワイトデーは、一緒にテーマパークでも行こう。
ネコと犬とウサギのキャラが、楽しく歌って踊るとこ」
「行きたいっ!」
勢いよく伝えたら、電話の向こう側で蒼宙くんは笑った。
スキンシップが豊かな異性の友人とこれからどうなっていくのだろう。
待ち合わせの15分前に着いて待っているけど、
彼はどこから現れるのだろう。
(有料駐車場に車を停めて来るのかな)
落ち着かない気分で手帳型カバーを開く。
少し重いが、カード類も収納できるから手帳型のカバーを使っている。
その時、携帯電話が青く光り震え始めた。
表示された名前に慌てて通話ボタンを押す。
「……蒼宙くん?」
「ブラウンのピーコート、よく似合ってるね」
声がやけに近い気がした。
辺りを見回して、目の焦点がその人に合った。
携帯電話を耳に押し当てて近づいてくる姿は、
とてもかっこよく見えた。
可愛らしい雰囲気に惑わされてしまうけど、
この人はとてもかっこいいのだ。
自慢の友達だ。
「バレンタインチョコ、作ったの。
受け取ってもらえるかな」
「うん!」
無邪気に応えてくれる。
差し出したチョコレートの箱を受け止めた蒼宙くんは、
甘く優しい表情で微笑んだ。
「義理なのに手作りしてくれたんだ」
「女の子の友達にも送ってたし、それが異性になっただけです」
やはり時々丁寧語になってしまう。
「ありがとう」
蒼宙くんはチョコの箱を大事そうに鞄の中にしまってくれた。
「今日は、どうやって来たんですか?」
「電車。めっちゃ久しぶりだから楽しかったよ。
待ち合わせ場所にいなかったらどうしようって、
不安だった。それで電話してみたらちゃんといてくれた」
「土壇場でキャンセルなんてしないわ。
約束は守る主義なの」
蒼宙くんは手を握ってくる。
友達ならこんなの普通。
小さい頃だって友達と手を繋いで歩いたりした。
でも、この人の場合は指先にしびれが起きた人だ。
(意識せずにはいられなかった)
「もう一度、電車に乗ることになりますけど」
「一緒にお出かけって感じでいいね」
手を繋いで電車を待つ。
電車を待つ数分間も勝手にドキドキしていた。
(人が大勢いる中で手を繋いでる)
電車が着き乗り込む時危なくないように
誘導してくれているように感じた。
吊革に掴まらずドアの近くで今までになく近い距離にいた。
揺れた時、少し身体が触れて心臓がひとつ鳴った。
「友達の距離感じゃないよね?」
耳元に落ちてきた言葉に顔が熱を持つ。
15分ほど電車に乗って降りた。
「もうすぐ着くので」
「再会した時も思ったけど、君と歩くの楽しいよ」
さすがに電車を降りたら手は離した。
隣同士で歩く。
20センチ身長が違えば、見上げることになる。
180センチ以上の人なんて正直無理だから、
蒼宙くんくらいの身長の人がいいなと思ったりする。
「過去は変えられないから未来に向かって進むしかないよね。
何一つ後悔はないけど……」
ふと、遠い目になる蒼宙さん。
彼の見ていた世界は、消えてしまったのだろうか。
「そんな顔しなくて大丈夫だよ。
少なくとも失恋を引きずるタイプじゃないみたいだし」
歩きながらぽつぽつと語ってくれる。
「まだじゃなくて、もう二ヶ月が経とうとしてるんだなって。
それくらいの感覚だよね。案外、立ち直りが早かった」
「蒼宙くんは強いわ」
「初詣の時に院も今年で二年目になるし、
新しい恋を見つけるって誓ったんだよ。
思い悩むのも馬鹿馬鹿しいじゃん」
すがすがしい程の笑顔だった。
「過去を乗り越えようとしている蒼宙くんの力になりたい。
友達だもの」
蒼宙くんは、くるりとこちらを向いた。
どこか悲しそうな笑顔を浮かべた後がらり、と表情を変える。
「君は全部見抜いているみたい」
腕を引き、抱きしめられる。
初めて異性の腕の中に閉じ込められた。
胸騒ぎがする。
抱きしめ返すと驚いたように彼の身体が硬くなった。
それでも腕は離れない。
「本当は怖いよ。
君に話すことで完全に消し去ろうとあがいているのかもしれない」
消さなくていいって言ってあげたい。
「……向こうが先に立ち直って欲しいと傲慢に願ってることも知ってる。
半分以上、その願いは叶ったはずなんだけどな」
離された腕。
蒼宙さんは、泣いてなんかいなかった。
悲しい笑顔を浮かべ、私の頬に唇を寄せた。
触れた唇は熱くて焼けつく心地がする。
「路上でこんなことしたことなかったから、
自分に起きた衝動に驚いてる」
衝動と表現した蒼宙さんは、行こうと耳元にささやいた。
手を重ねて運命とつぶやいた人は、きっと一度目の運命を失ったんだ。
「……広いなあ。さすがお嬢さま」
屋敷の中に招き入れた異性の友達は感心したようにつぶやく。
「親が所有していて私は住まわせてもらってるだけ」
少し冷めた物言いをした私に蒼宙くんは瞬きした。
リビングルームのソファに案内すると彼は足を組まずに座った。
翠ちゃんの家でも彼は足を組んだりしなかったのを思い出す。
すらり、と細い足を伸ばして座る。
姿勢がとてもよかった。
大学で見かける異性も皆足を組んでいた気がする。
「お茶を淹れてくるわ」
「お手伝いさんはいないんだね」
「うちにはいないの。
両親は家に他人を入れるのが好きじゃないんですって」
「……そうなんだ」
だから、本当に今日はふたりきりだ。
静寂に満ちた部屋の中で息づかいが聞こえる。
ダイニングで紅茶を入れトレイに乗せて運ぶ。
蒼宙さんは窓から外の景色を見ているようだった。
「お茶、お持ちしました。
ミルクとお砂糖はお好みでお使いください」
「ははっ……どうしてそんなに硬いの?」
蒼宙さんは軽く吹き出していた。
「つ、つい」
「こんなに可愛いメイドさんが用意してくれたお茶は、
本当に美味しいんだろうな」
「っ……!」
彼のいたずらな言葉が、無駄に心をざわつかせる。
「なんてね。君が乗ってほしそうだから」
一枚も二枚も上手だ。とてもかなわない。
ソファの対面に座る。
隣に座りスキンシップをしたら、
友達という言葉を罪深く感じてしまう。
(うぬぼれすぎでしょ。私にはそこまで価値がないわ)
「向かい合わせは顔がよく見えていいね」
蒼宙くんの顔もよく見える。
あまり見ないように目をそらさなければ。
「僕は見られても平気だよ?」
「私が落ち着かないの! お茶くらいゆっくり味わいたいわ」
「愛璃ちゃんはくるくる表情を変えるね。
見ていて飽きないや」
面白がる口調ではない。単なる感想だ。
彼がかわいらしい容姿をしていても大人の男性なのは間違いがない。
四つの年の差は大きい。
カップのお茶を飲み干して、立ち上がる。
リビングの壁際に置かれたアップライトピアノを目指して歩いた。
気分を落ち着かせるにはピアノが一番だ。
蒼宙さんは静かにこちらを見ている。
蓋の上に置いていた楽譜(スコア)を避けて蓋を開ける。
楽譜を立てて、椅子に座った。
手のひらを鍵盤に置いて弾く。
ゆったりと流れるメロディーが部屋に響き始めた。
私は、演奏に集中していたので気づかなかった。
肩に触れそうな位置に蒼宙さんの顔がある。
抱きしめられているわけではないが、動揺した。
「癒やされる。君のピアノは清らかで、
優しくて甘さもあって」
耳に近い場所でしゃべるから、声質も
響きも話し方も全部伝わる。感じ取ってしまう。
(……友達にこんなことするのは普通なの?)
「今度は、蒼宙くんのリクエスト曲を弾きましょうか?」
「うーん。何がいいかな。夢見が丘って曲は分かる?」
「……楽譜があれば弾けると思います。
バンドの曲でしょうか?」
「もしよかったら、サブスクで聞く?
携帯から流すよ」
「ぜひ」
蒼宙くんのリクエストした『夢見が丘』は国民的ロックユニットのアルバム曲だった。
アルバムの曲まで知っているとは、結構ファンなのだろうか。
流れ出した曲を聴いているとイントロは弾けそうな気がしてきた。
「ロックが好きなんですね。
蒼宙さんはバイオリンを弾くって聞いてたから意外かもしれません」
「ロックは子供の頃から大好きだよ。
悲しいときも嬉しいときも僕のそばにあったんだ。
バイオリンはまた別でね」
「バイオリン、最近は弾いていないんですか?」
「実家に置いてるけど次の引っ越し先は、
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「引っ越し?」
「来月末で引っ越すんだ。隙間時間に荷物をまとめたり
準備をしてるよ」
心機一転やり直すという決意が伝わってきた。
「引っ越したら遊びにおいでよ。
そうだね。五月くらいには落ち着いているかな」
友達の期間が終わった頃だ。
「……蒼宙くんがいいなら行きたい」
「もちろん。丁重におもてなしするよ」
彼は鞄(かばん)を抱えて中を探っている。
「お茶のおかわりを持ってくるわ」
「うん。やっぱりチョコレートを食べたい」
鞄の中から取りだした箱を丁寧に開けて彼は笑う。
「トリュフだ。小粒だから食べやすいね」
「ピックを持ってきましょうか?」
「このまま食べるよ」
指でつまんで食べ始める姿を見て紅茶の用意に向かった。
リビングに戻ったら蒼宙くんが最後の一粒を口に入れるところだった。
「美味しかった。心がこもってるのが伝わってきた」
「義理チョコよ」
「友愛のチョコってことだろ?」
びくっとした。
急に口調を変えた蒼宙くんは蠱惑的に微笑んでいる。
「友情も愛情だもん。
恋愛感情で渡す本命チョコとは違っても」
「そうだね。欲張っちゃ駄目だ。
友達になって少しずつお互いを知って
恋人になっていくのがいいんだ」
恋人になるのは決定事項なの。
「ティッシュ、もらっていい?」
「どうぞ!」
テーブルの上に置いたティッシュを差し出す。
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私はくず入れを近くに置いた。
口元を拭くとき、ちらっとこちらを見ていたのは何故だろう。
蒼宙くんの向かい側のソファに座り直す。
「ホワイトデーのお返しを楽しみにしててね」
「楽しみにしてます」
贈るお菓子によって意味が変わってくる。
これまで何度となく翠ちゃんご夫妻からお返しをもらってるから知っている。
蒼宙くんに贈っていたハグも翠ちゃんと陽兄さん二人一緒にされたことがあったな。
陽兄さんだけにも。
家庭教師を終える日に、抱きついた時、
頭を撫でて優しく抱きしめてくれたっけ。
あったかい記憶が蘇ってくる。
「愛璃ちゃん」
ふいに名前を呼ばれた。
「抱きしめてもいい」
「いいですよ」
戸惑いながらも答えていた。
私が立ち上がるまでもなく、彼が立ち上がる。
手を重ねてこちらを一度見つめて腕を引いた。
思ったより強い力で引き寄せられた。
細身の体躯も私より身体は大きいから包み込まれてしまう。
背中に腕を回し抱きしめた。
「かわいい……と思ってたけど、
かっこいいの方が強いかも。
ずるい人だわ」
外国では抱擁なんて友達や家族間でも普通のコミユニケーションだ。
二度目の抱擁は、一度目よりドキドキ感が増しているけど、そんなのまだごまかせる。
「陽さんにイケメンって言われて、驚いてしまったけど……
愛璃ちゃんにかっこいいって言われた方が、破壊力が強いな」
「自慢のかっこいい男友達よ」
「……はははっ」
蒼宙さんは肩をふるわせて笑っている。
「そういられるように頑張ります」
おどけた彼が身体を離す。
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「いいよ。今日は楽しかったから十分。
チョコ、とろけそうに美味しかったよ。
愛璃ちゃんありがとうね」
あなたではなく『君』の方が
距離がなくていい気がする。
友達間でもよそよそしいからだ。
「夜に連絡します」
「もしかしたらホワイトデーまで会えないかもしれないけど、
連絡はするからね」
蒼宙くんは、軽く手を振った。
「お邪魔しました。またね」
送るメッセージを考えていると、蒼宙くんからメッセージが来た。
(また先を越されたんだけど!)
『愛璃ちゃん今日はありがとう。めっちゃ楽しかったなあ。
女性の友達のおうちに遊びに行くのも初めてで緊張してたけど、
君のチョコとピアノで癒やされたよ』
『緊張していたようには見えなかったわ』
『ふふ。リアルタイムでお返事が来るってことは、
僕からのメッセージを心待ちにしてたでしょ』
『初めてできた男性のお友達とのやりとりが楽しくて』
見透かされていてくやしすぎる。
『通話に切り替えていい?』
どこか甘えた声音に、ドキッとした。
OKのスタンプを押す。
「……最初から電話でよかったんじゃない?」
「文字も声もどっちも伝え合いたかったんだ」
心臓に悪い。
この人、一体どこまで人を翻弄するんだろう。
「蒼宙くん、あなたじゃなくて君って言うようになったわよね」
「もしかして、お前の方がいい?」
「よ、よくない」
何か一気にSっぽくなる気がする。
(でも、絶対Sだと思う。寄りじゃなくて確実に)
「ぶっ。そんなに動揺しなくても言わないよ」
「さすがに似合わなさすぎるわ」
「でも、口調は時々荒れるかもな。
あんまり気にするなよ」
「……口調が変わる時、声も普段より低くなってない?」
高く通る声と柔らかい口調に慣れている分、
こっちこそ破壊力が強い。
「そう?」
聞き返してくる声も低かった。
普段より艶めいた空気もある。
「愛璃ちゃん、翠お姉さんの所に
僕を連れて行くって言ってたけどさ」
「……勢いで言っちゃったけどあの家で
会うのもあんまりよくないし」
「友達じゃなくなったら、報告にいこ」
「……うん」
「引っ越しの準備や、バイト、大学院もあるから、
頻繁には会えないけど。
忙しくしていれば三ヶ月なんてあっという間に過ぎるよ」
蒼宙くんは私よりも時間に追われた生活を送っている。
私にゆとりがあるのも大学の間だけ。
卒業して銀行に就職したら社会人の生活になる。
多分、この家も出て独り暮らしもしているはずだ。
「ホワイトデーは、一緒にテーマパークでも行こう。
ネコと犬とウサギのキャラが、楽しく歌って踊るとこ」
「行きたいっ!」
勢いよく伝えたら、電話の向こう側で蒼宙くんは笑った。
スキンシップが豊かな異性の友人とこれからどうなっていくのだろう。
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彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
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