隣に住む先輩の愛が重いです。

陽七 葵

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第一章

第12話 自分の部屋に戻る時。

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 あれから僕は、ずっと三笠先輩のことを考えている。この気持ちは何なのか。でも答えは出なかった。答えが出ないまま、一週間の時が流れた——。

 そして、あの日を境に変わったことがある。

 三笠先輩が、スキンシップをしてこなくなった。一緒に寝たいとも言わなくなった。バイト先にも来ないし、大学で会っても挨拶もしない。

 これは全部、以前に僕が嫌だと言った事柄。本気で嫌だった訳ではない。全部照れ隠し。それでも、三笠先輩は全部しなくなった。

 だからといって、喧嘩をしている訳でもない。家に帰れば普通に話すし、笑い合ったりもする。映画を観たり、時にはゲームをすることも。今も一緒に掃除をしている。

「智と一緒なら掃除が楽しいね」
「そうですか?」
「うん」

 三笠先輩は、鼻歌混じりに掃除機をかけている。

 二週間前の出会った当初とは大違いだ。服も自分で畳んで引き出しに入れているし、出したものは元あった場所に片付けている。しまいには、ゴミの分別までしっかりしている。

「僕がいなくなっても安心ですね」

 親が安心してこの世から旅立てるような、そんな心境に近いような気がする。
 しみじみとその光景を眺めながら窓を拭いていると、インターフォンが鳴った。

 ピンポーン。

「桐原君いる?」

 大家さんの声だ。

「はーい」

 持っていた雑巾を窓枠にかけ、僕は玄関の外に出た。

「大家さん。何かありました?」
「それがね。ふふふ」

 含み笑いした大家さんは、もったいぶった感じに言った。

「なんと、一ヶ月かかるはずだった修繕工事が、明後日には終わるんですって」
「え」
「嬉しいでしょ?」
「え、ええ。まぁ」
「そういうことだから、使えるようになったらまた来るわね」
「はい。宜しくお願いします」

 大家さんは、上機嫌に手を振って帰って行った。

 ——僕は暫く扉の中に入れず、廊下に立ち尽くした。

 あんなに待ち望んでいたはずなのに、自分の部屋に戻れて嬉しいはずなのに、これで三笠先輩との生活が終わるのかと思うと、胸が苦しくなる。

 これからは、ただのお隣さん。そう、ただのお隣さん。それ以上でもそれ以下でもない。

 三笠先輩に、みっともない姿は見せられない。頑張って笑顔を作って、僕は部屋の中に戻った。
 中には、スイッチの入っていない掃除機を持った三笠先輩が、背を向けていた。

「三笠先輩」

 名前を呼べば、三笠先輩は、いつものようにヘラヘラした笑顔を見せながら言った。

「良かったね。俺、今日はお祝いにケーキでも焼いちゃおっかなぁ」
「三笠先輩、僕……」
「智は甘いの好きだもんね。生クリームたっぷりのにしようね」
「ありがとうございます」

 これで良い。たったの二週間と数日一緒に過ごしただけの仲。僕の長い人生のほんの一瞬の出来事。それなのに——。

「智、泣いてるの?」
「そんな訳ないじゃないですか。泣いてるとしたら、嬉し泣きですよ」

 涙を堪えるのに必死だ。気を抜いたら、ぼろぼろとこぼれ落ちてしまいそうになる。

「三笠先輩の汚い部屋……掃除しなくてすむと思ったら、嬉しくて」
「そっか。ごめんね」

 最近の三笠先輩は、すぐに謝る。そんな所が気に食わない。ヘラヘラ笑って自分を隠しているのも気に食わない。全部全部気に食わない。

 でも、一番気に食わないのは————僕自身。

 “もっと一緒にいたい”

 その一言が出て来ない。

 素直になれば、多分三笠先輩は受け入れてくれる。僕の事が好きな三笠先輩なら、『良いよ』と言ってくれる。そんな気がする。

「じゃ、俺。買い出し行ってくるね」
「お願いします」

 パタン————。

 三笠先輩が部屋を出れば、涼しい風が窓から入ってきた。

◇◇◇◇

 それから二日、どうやって生活したのか分からなかった。いつものように三笠先輩のご飯を食べて、いつものように大学に行く。いつものようにアルバイトが終われば、これまたいつものように帰って寝る。

 人形のようにルーティン化した生活を過ごしていただけ。感情は二日前……いや、もっと前に置いてきたかもしれない。

「三笠先輩。お世話になりました」

 キャリーケースと旅行バックを持ち、玄関で挨拶する。

 三笠先輩も、いつもの優しい微笑みを見せながら言った。

「うん。いつでも遊びにおいで」
「いつでも……?」

 社交辞令なのは分かっている。けれど、都合の良い解釈をしたくなる。
 それでも、僕は良識はある方だ。

「機会があれば」

 ニコリと笑って返事をする。

 機会があれば……この言葉ほど実現しないものはない。

 ——こうして、僕は呆気なく自分の部屋に戻ることになった。
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