能ある妃は身分を隠す

赤羽夕夜

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卒業パーティー騒動

「セラス・フィー!他者を虐げ、傷つける行為をする者に俺の妃の座はふさわしくないッ!よって、本日をもって貴様との婚約は白紙となり、このケイトリンが新しい婚約者となることを、ここに宣言するぞ!」


コンペーニュ王国、国立王国学園卒業パーティーの真っただ中、和やかで洗練された空気を引き裂く声が響いた。

多目的ホールの檀上には、今日、学園を卒業するコンペ―ニュ王国第三王子、アレッシオが女を抱き寄せていた。涙ぐんで肩を震わせる――か弱いという言葉が似合いそうなピンク色の髪の毛の女性は怯えた表情である一点を見つめていた。

男女の制服のブレザーの胸ポケットには卒業を示す一輪のユリの花が挿してあり、この卒業パーティーの主役の中の一人だとうかがわせる。

突然の叫び声に、和やかな空気は凍り付き、ぴしりとした緊張感が訪れた。

訪れた静寂に、アレッシオは満足気に微笑んでケイトリンと同じ場所に視線を送った。

その二人の視線の先には、卒業パーティーの為に準備された、王国の腕すぐりのシェフたちが腕によりをかけて作った料理たちが、ビュッフェスタイルで並んでおり、そのある一列の一番奥に、腰まで伸ばしたさらりとした黒髪に、リスのように食事を頬張る卒業生の女の子が一人いた。

――セラス・フィーと呼ばれた女は、視線が集中したことに気づき、口の中に詰まった食べ物をゆっくりと嚥下させてから視線の突き当りにある檀上を見上げた。

なにが起こっているのか理解できず、首を傾げるしかなかった。

その行為は、知らぬ、存ぜぬと言った態度だと判断したアレッシオは一呼吸置き、眉間に皺を寄せたままセラスを指差した。

「しらばっくれるでないわ!お前が、俺とケイトリンの仲に嫉妬して、彼女に嫌がらせをしてきた数々を、忘れたとは言わせないぞ
!」

「…………?」

フォークの先を下唇に当てて、首を傾げる姿は本当に身に覚えのない態度そのものだが、その態度がアレッシオを刺激する。セラス・フィーはフィーン王国、フィー侯爵家に名を連ねる他国の令嬢だというのが、この場に参加している卒業生や教職員の共通認識だ。

フィーン王国は、ここから南方にあるデストロ王国を挟んだ向こう側にある小国で、ここ最近は火薬の製造や食糧生産の向上、街道を整備したことによる物流効率の向上や、貧困問題、富裕層格差、教育制度の見直しなど。小国ではあるが、発展力とそれに伴う経済活性化が目立ってきている国だ。

特に火薬の炎色反応を使った花火や、工事現場の解体や岩盤の掘削、軍事的にも使われるダイナマイトなどはこのコンペーニュ王国でも使われており、この卒業パーティーに使われている花火はまさにフィーン王国の技術で作られたものである。

フィー家は、その火薬製品の流通を始めとした様々な物を販売している商家でもある。所謂、他国のお金持ちだ。

そのフィー家の令嬢、セラスは目の前で起こっている状況が飲み込めず、代わりに手元にもってある今しがた取り皿に置いたローストビーフを口の中に放り込んで、よく噛んでから飲み込む。

「食べるのをやめろッ!人が真剣な話をしているのに、失礼だろう!」

「すみません。こんな美味しい料理を前に手を止められなくて。お話の続きをどうぞ?」

今度はトングでトマトソースで彩られたパスタを皿の上に置く。

興味なさげに食事に集中しているセラスに、置かれている状況がわかっているのかとアレッシオは胸倉を掴みかかりたい気持ちになるが、周囲の同情を誘うためにも堪えなければならない、とぐ、と息を飲む。

「取り巻きの令嬢を使って、ケイトリンの陰口を叩いたり、俺がケイトリンの為に迎えによこした馬車を勝手に帰らせたり。極めつけはケイトリンの美しかった髪の毛をハサミで切ったと聞くッ!こんな非道なことがあり得るだろうか!」

事態を静観している卒業生たちは檀上にいる涙目のケイトリンの髪の毛を見た。たしかに、二年前の入学式当日は背中ほどまであった長さが、今は肩ほどの長さに落ち着いている。

セラス・フィーは物静かな生徒だ。口数が少なく、友達も多い方ではないが、平民、貴族、分け隔てなく接する様子や、学園でトップクラスの学力を持つセラスは目立つほどではないが、周囲からは好印象だった。

知識欲旺盛で、授業態度も真面目。教職員との交流もあり、教職員からも模範的な生徒だと一目を置かれていた存在ではある。そのような陰湿ないじめをするような存在ではないというのが、この場の共通認識だ。

事実、セラスにもそのようなことをした覚えもケイトリンという女生徒と学園生活で関りを持ったことがない。

もう少し、情報を聞き出すべきかと考えながら、セラスはフォークでパスタを巻いた。

「ケイトリン様……でしたっけ? この二年間、あなたと私には、接点がないように思えましたが、そのような行為にあった日時や時間を詳細にお聞かせ願えますか?」

「そんな……!私、ここに立つだけでも精一杯なのに……!それに、素直に認めてくれたら、私だって、この件は水に流そうとしているのにッ!」

「被害者に対してなんと威圧的な――」

「アレッシオ王子、ケイトリン様」

質問の答えを濁すケイトリン、すでに犯人と決めつけているアレッシオにセラスは毅然とした態度で名を呼んだ。

いつものぼや、とした態度とは一転して、まるで統治者のような凛とした佇まいと威圧感に、言いかけた言葉を止めるアレッシオ。

研ぎ澄まされた刃のように細められた青い瞳は、元の眠たげな瞳へと姿を戻し、檀上を見上げた。

「このような祝いの席で告発をするほど、お心を痛められたのでしょう。なら、きちんと時系列くらいは説明していただかないと、この場にいる理知的な貴族たちも納得はいきません。この場での告発は、どのような意味を持つのかは、子供でもないのだから、理解しているのでしょう?」

周囲の貴族たちは顔を見合わせる。セラスとこの国の権力の象徴でもある国王の息子、アレッシオの肩、どちらを持とうか。

片や小国の大貴族、片やこの国の第三王子。

片方の肩を持てば外交的問題に、もう片方の肩を持てば国内の立場が危ぶまれる。

静観を貫こうと決めた、理性的な卒業生たちは、沈黙でセラスの言葉に同調した。

「それに、私もです。公衆の面前で、覚えのない罪で晒上げられている。善悪をはっきりさせなければ気が収まりません」

「随分と自信があるのだな」

「当然です。私はフィー侯爵家の娘。異国の地なれど、貴族の清廉潔白、高潔を求める心までは失っておりませんわ」

「もし、事実だと証明したなら、ケイトリンに謝罪と、婚約破棄、王族侮辱罪の慰謝料も請求するぞ」

――なるほど、そちらが本命か、とセラスの眉がぴくりと動く。

フィー侯爵家の財力は個人的自由に使える金額だけでも小国の国家予算にも及ぶというのは、少し調べればわかることだ。

こうして、大衆の目があるところで、罪をでっちあげて、逃げられないように断罪すれば、強制的に多額の慰謝料を請求できるし、婚約者がいる身でありながら、他の女に色目を使ったことへの正当性もうやむやにできる。

まったく、悪知恵が働く物だとセラスは苦笑した。

「もちろん。正当な主張であればお支払いします。しかし、あなた方の嘘が発覚して、私が潔白だった場合、あなた方はもちろん、国として謝罪と賠償を要求します。この場にいる皆さまが、証人です。……それでもよろしければ、お話を続けてください」

セラスは会話の主導権をアレッシオたちに渡した。

ケイトリンは戸惑いを見せつつ、たどたどしくも時系列を説明した。

――入学当初、挨拶をしたのに無視をしたことから始まり。中庭でアレッシオと談笑しているところに、セラスが通りかかり睨みつけられる。その年の夏。夏休み後、宿題を持ってきたはずなのに失くしてしまい、探すと夏休みの宿題の冊子が正門前の噴水広場の水の中に使っており、その傍にはセラスのイニシャルが入ったハンカチが落ちていた。
それから、教科書や体操着がなくなる事件が何度か続き、その現場の近くにはいつもセラスがいたこと。その日の冬、アレッシオが用意した馬車がなぜか迎えに来なかったこと。
二年生になってからも嫌がらせは続き、「婚約者でもない男と色目を使う女」だとセラスと仲が良い生徒にけなされ、友人も減ったこと。この卒業パーティーの三日前に、何者かによって髪の毛を掴まれ切られたこと。

ケイトリンは、ひとつひとつを証言した。

その証言に勝ち誇った笑みで、ほらな、とアレッシオはセラスを見下した。

「どうだ!これでも認めぬか!」

「ケイトリン様がどのようないじめを受けていたのかはわかりました。たしかに、それが故意的ならば立派ないじめですし、卒業するからといって、ないがしろにしてもいい問題じゃありません」

「それは、あなたが言うことではないでしょう……!」

「ええ、私が、本当に加害者なら」

「どういうこと……?」

「今のは、状況説明で、証拠はないでしょう?濡れた夏休みの課題の冊子は?私のイニシャルが入ったハンカチは手元にあるの?」

「ハンカチなら!ここにあります!」

用意していたのか、スカートのポケットから、青い刺繍でSと刻まれたハンカチを取り出す。

檀上の前にいた生徒たちからは「たしかに、セラス嬢のイニシャルだ」と声が上がる。

ケイトリンはほらね!とハンカチを広げて見せつけるが、それでもセラスは冷静だった。

「イニシャルがSの生徒はこの学園内だけでも、教職員合わせて37人いるのに、たったそれだけの根拠で私を犯人と決めつけるの?」

「でも、このハンカチはセラス様のでしょう!?」

「違うわ。そもそも、私が持っているハンカチとは素材が違いますから」

セラスがスカートのポケットから取り出したのは、ケイトリンが持っている薄手のシルク生地のハンカチではなく、厚手で金の刺繍が縁に施された綿の生地。

端っこには黒い糸でセラスと名前が刻まれており、誰の物かはっきりとわかる物だった。

「ハンカチなんて、失くしたら新しい物を買うなりすると思いますし、違うハンカチを出したからって、このハンカチがセラス様の物じゃないと証明なんて……」

「できるわよ。だって、私、フィー商会の綿商品の宣伝でこのハンカチをいつも持ち歩いているもの。先生方や良くしてくださった友人、クラスメイトの方々にもお贈りして差し上げたわ」

ねぇ、と同意を求めるのは、セラスのクラスメイトや、教職員。綿製のハンカチをセラスからもらった者たちだった。

問いにすぐに答えが返ってくる。

「セラス様のいう通りです。彼女とは入学当初から同じクラスでしたが、いつもこの綿のハンカチを所持しておりました。厚手で水分をよく吸収するので、使いやすいとよく話しておいででしたから」

セラスのクラスの学級委員を務めていたシグラ侯爵令息が手を上げる。

もう片方の手には、卒業祝いとお世話になった記念としてセラスからもらったハンカチを持っており、クラスメイトも呼応するようにハンカチを取り出す。

「フィーン王国のストロガノフ領で生産されている生地と、言っておりました。彼女、ずっと同じ生地のハンカチを持っていたので、その夏休みの宿題の冊子を水で浸す時だけ、別のハンカチを所持していたなんて、考えにくいです」

続いて、眼鏡をかけた気の弱そうな女子が手を上げた。

「そもそも、アレッシオ様は、本当にセラス様の婚約者なのでしょうか」

「なに……?」

「だって、この二年間、アレッシオ様とセラス様が婚約をした噂なんて一度も聞いたことがありません。王族の婚約ですから、なにかしら新聞にだって取り上げられるはずなのに、報道されていないし……」

――疑問は最初に戻る。

この一連を通して、セラスは自分が糾弾される立場だったはずなのに、どこか他人事のようにひとつひとつの矛盾を突いていく。

そもそもの話、この二人の浮いた話などあろうものなら、学園で話題が上がるはずなのに、ひとつもなかった。ケイトリンがセラスに虐められている、という噂は出回っていたが、セラスとケイトリンでは身分が違いすぎる。

いくら、ケイトリンがアレッシオと仲良くしようと、容姿が可愛らしかろうと、セラスの立場では「嫉妬すべき点」がどこにもないからだ。

無論、アレッシオをめぐって争うのなら頷けるが、前述のとおり、アレッシオとセラスには、浮いた話がひとつもない。

疑念を向けられたアレッシオは、勘違いでセラスを婚約者だと認識している、沈黙がそう指摘しているようで恥ずかしくなり、顔を赤くさせてセラスに指を差した。

「ふざけるな!確かに、セラスとは婚約関係にある!……セラス、特別説明会のこと、よく覚えているだろう!?父上が言っていたではないか!」

王立学園では、カリキュラムの質や、サポート面でも手厚くしてくれるため、外国の貴族たちも勉学を学ぼうと留学を希望するものが多い。例えば、王族や、高位の貴族の子息、令嬢の希望者が毎年留学してくるほどだ。

学園に入学する段階で、入学説明会なるものが設けられるが、それとは別に外国の高位貴族向けの特別説明会というものが存在する。

特別説明会とは名ばかりで、実際は、コンペーニュ王国の王族、上位貴族と、外国の高位貴族の学園入学前の交流を図る茶会を指す。

セラスは確かに、そこに出席したことがあり、アレッシオもその場にいたことを覚えている。だが、何を話したか、取るに足らない世間話は覚えていなかった。

依然と首をもたげるセラスに、痺れを切らしアレッシオは唾の飛沫を飛ばした。

「「そなたと俺が結婚したら、どれほど国が豊かになるのだろう」とな。俺と仲良くするようにともその場ではしっかりと口にしていたぞ」

「…………」

それは、どこからどう見ても社交辞令で口にした言葉で、拡大解釈すぎる解釈をしていることにセラスは空いた口が閉じれなかった。

「フィー侯爵家の財力は魅力的だ。俺も、お前なら、まぁ、婚約者には。そう思っていたのに。お前がしたことは、くだらない嫉妬でか弱い女性を虐め、醜い本性を出して俺を失望させた。これが、俺がお前と婚約破棄をする理由だ!」

セラスは額に手を当てて、とても長い溜息をついた。

呆れて物が言えない。証拠もなければ都合の良い自己解釈で周囲を巻き込み、女の甘言に騙される安い男。これが、コンペーニュ王国の第三王子かと思うと感情のキャンパスに塗りつぶされた失望の色は拭えない。

――さて、どうしようか。人差し指を唇に当ててこの後の展開を深く考える。

目の前のアレッシオは興奮気味な息使いでこちらの挙動を見張っている。

周囲の好奇心と不安と緊張の視線が痛いほど肌を突き差す。

数拍、考え込んで、セラスが口を開こうとした時だった――。

「面白い寸劇をしているではないか。卒業式の催し物か?」

静寂を引き裂く小気味良い男の声がした。重々しい扉を開ける音と共に現れ、ヒール音を軽快に鳴らして堂々たる足取りで現れたのは、漆黒の軍服に、金色の刺繍が施されたマントを羽織った、白髪の美丈夫。

色素の薄いグレーの瞳は、一点を見つめ、まっすぐそこに向かう。

男の姿を見るや、無表情だった表情は一転して明るく笑顔を浮かべた。

男は、当然のようにセラスの肩を抱くと、整然として視線を檀上に向けた。

「あら、アドリアーノ様。いらっしゃらないのではなかったのですか?」

「来ないとは言っていないだろう。仕事は大臣に押し付けてきた」

「一人ですか?ユーリも連れてくればよかったのに」

「お前が好意的に接しているとはいえ、このような場所にまで愛人を連れてくるほど、分別のない男に見えるか?」

「それもそうですね。ですが、いつも違う女を傍に侍らすのも君主としての度量のひとつなのでは?」

「お前には、嫉妬するという概念がないのか?」

「あら。でも、愛しているのは、私だけなのでしょう? なら、私以外の女を傍に置く程度、どうってことありませんわ」

「少しは、嫉妬して欲しいものなのだがな」

「あなたが、私以外に愛する人ができたのなら、嫉妬して差し上げます」

「なんだ!この男は!セラス、まさか、お前、浮気していたのかッ!」

セラスは愛おしそうに青い瞳をゆるりと細め、アドリアーノにもたれかかる。恋人同士の睦み合いのそれに、アレッシオは一喝する。

「セラス、お前、浮気していたのか?」

アレッシオの言葉をセラスにオウム返しをするアドリアーノ。

同じ言葉でも、ニュアンスや声の温度感は違う意味なのだろうと誰がどう聞いても理解できる。

「そのように見えます?」

「まったく。何故なら、お前は、この俺、アドリアーノ・デストロイの正妃なのだからな」

会場全体に鳴り渡る鐘の音のように清廉に響いた名前に、周囲はざわつく。

アドリアーノ・デストロイ。コンペーニュ王国の南方にあるデストロ帝国の皇帝の名。最先端の武力国家でもあり、銃や大砲といった最新の兵器を多数そろえている。兵も精鋭揃いで、皇帝のアドリアーノ自身も優秀な武人。

そのアドリアーノの妻が、今しがた、この学園で卒業を迎えた、セラス・フィーだというのだから、驚きを隠せるものではない。

コンペーニュ王国も周辺諸国と比べればそれなりの武力を持っているが、デストロ帝国には遠く及ばない。

その、恐ろしいほど強国のトップがセラスと親し気に、しかも、正妃だと言い放つのだから、アレッシオは夢であってほしいと何度も神に祈った。

アレッシオは、喉を引きつらせながら、アドリアーノに問う。

「セラス・フィーは、たしかに、あなたの正妃であるセラス・フィーンと名が似ているが、名前が似ているだけの別人だろう!生徒名簿にも、事前説明会の時も、彼女があなたの正妃なんて情報は知らされていないッ!」

「当たり前だ。この国に留学したのは、セラスの貴族教育の強化と、異国の文化を見て、知見を広げるのが目的だったんだ。皇帝の親族だと事前に伝えては、周囲が委縮してしまって思うように学べはしないし、意味がないではないか。……だから、フィーン王国で実在するフィー家と、この国の国王、学園長に許可をもらって身分を偽らせてもらったんだ」

「なら、セラスという名前も一緒に変えるべきでは……!」

「馬鹿が。完全に隠蔽してしまえば、お前のように、身分を盾にして危害を加える愚か者がいるから身を守れないだろう。異国の地で俺の愛しいセラスが悲しい目に遭うのは我慢ならん。だから、万が一に備えて、本当の名前を名乗らせていたのだ。おい、セラス。何故、この者が調子づく前に、本当のことを言ってやらなんだ」

「いえ、不可抗力だったのです。二年間、平穏に暮らせていましたし、それで困りませんでしたから。……まさか、最後の最後でこんなことが起こるとはだれが予想します? それに、せっかく仲良くしていた人たちを怖がらせてしまうじゃないですか。思い出は綺麗のまま、素敵な思い出として、デストロ帝国に帰りたかったのです」

「本当に身勝手な女だな。……そういうところも好きなのだがな」
アドリアーノは、セラスの手を取り、膝をつくと、見せつけるように手の甲にキスを落とす。

一国の皇帝が、女の為に膝をついて、キスを落とす。これは、伴侶以外にすべき行為ではない。それを知らないほど、デストロ帝国の皇帝は愚かではない。

信憑性が最高潮となった会場は、ロマンチックな展開に熱気に包まれた。

反対に、アレッシオの思考は停止する。

セラスは自分の婚約者ではなかったのか、前提が間違っていたとしたら、この茶番はなんだったのだろうか。そもそも、ケイトリンは本当に、彼女に虐められていたのだろうか。

自信に満ちていたアレッシオの態度に迷いが出る。

セラスは、計画が狂ったとアドリアーノに向けて頬を膨らませて抗議をする。

「いいところでしたのに」

「ここは窮地のところに颯爽と現れた夫にきゅんと、ときめくところではないのか?」

「いや、それは……、格好いいとはおもいました、けど」

「ははは。そうだろう、そうだろう?もっと、その可愛らしい頬を林檎の皮のように赤くさせてもいいぞ?」

「……もう!意地悪しないでください。それに、これくらいの些事、私だけで対処できます。旦那様はお呼びではないのです!後ろの壁に持たれて腕組んで、彼氏面して見守っていてください!」

「なんだ、それは」

「なんでもないです!」

セラスは、立ち上がったアドリアーノの後ろに回り、背をぐい、ぐいと押して会場の後ろへと追いやる。

本来なら、女性の力ではびくともしないだろうが、セラスの意志に合わせて、アドリアーノは会場の後ろの壁へと進んでいくので、スムーズに行かせたい場所へと押しやることに成功する。

セラスは、こほん、と咳払いをして場を整えると、呆然とするアレッシオに向き直る。

「――というわけで。改めまして、私はデストロ帝国正妃にして、フィーン王国ストロガノフ領名ばかり領主のセラス・フィーン・デストロイです。皇帝妃である以上、アレッシオ第三王子との婚約は物理的に不可能です」

「そ……れは。ならッ……!この二年の時間はなんだったのだ!」

「知りませんよ。あなたの想像力の豊かさと確認不足で起こった結果でしょう。そもそも、婚約者と言い張っておりますが、この二年の学園生活の中、アレッシオ様から私に声をかけてくださることなんてありませんでしたよね?それって、そもそも婚約関係以前の問題では」

「うッ……」

「政治的な婚約だと言い張るのなら、相手を尊重し、思いやる行動をすることなんて、基本中の基本でしょう。一方の話しか聞かず、被害妄想を膨らませてねじ曲がった話のまま、相手を断罪するなんて、王族以前に、人としてどうかと思いますよ。アレッシオ様の婚約者となる方……、この場合は、ケイトリン様?になるのかしら。これから苦労なされることでしょうね?」

「…………」

セラスによって全ての反論を打ちのめされてしまったアレッシオは意気消沈して俯く。

その隣のケイトリンは、セラスを下げて、婚約者の座を奪おうと画策していたのに、実は婚約者ではないのであれば、前提からして刃を向ける相手を間違ったことになる。

セラスは、あら、と頬に手を当てる。

「セラス――殿!この度は……」

「アレッシオ王子、ケイトリン様。知らなかった、と済む段階は十の昔に終わっております。言われもない罪で他国の妃に冤罪を着せようとしたこと、侮辱したこと、婚約詐称……数えるとキリがありません。私にも、「立場」というものがございますので、個人間ですべてを終らせるつもりは毛頭ございません。知らなくとも、私は他国の大貴族の身分がありました。外交問題に発展する、という認識はあったかと思いますが、間違いありませんか?」

セラスは、謝罪をして事を終らせようとするアレッシオの退路を断つ。

セラスはこの茶番が始まった最初の方で、「あなた方はもちろん、国として謝罪と賠償を要求します。」と言ったことは、この場にいる大勢のパーティー参加者が聞いている。

とんでもないことに発展してしまったと、アレッシオが頭を抱えても、もう、後の祭りだった――。


――――。

――後日。


デストロ帝国、デストロ城の玉座の間にアドリアーノが一人、膝を叩いて笑う声が響く。

「ははははッ!愉快、愉快」

玉座の階段を下りた先には一人の家臣が膝をついており、報告書を読み上げる。

それは、先日、妃であるセラスがコンペーニュ王国の学園での留学の際に起こったトラブルの顛末の物だった。

「あの小生意気だった第三王子は廃嫡。ケイトリンと結婚を王命で命じられてダルガラミ男爵に降格するも、セラスへの慰謝料の支払いに家系は火の車。生活の要であった服飾事業も、一流生地の生産地であるストロガノフ領とその領地に住まう一流の職人の元で学んだ職人まで敵に回せば、事業も立ち行かなくなり、家門が潰れるのももはや時間の問題。一夜にして、人生が一転したな」

くくく、とアドリアーノは喉を鳴らし続ける。臣下の男は、臣下の礼を崩さず、淡々と報告書を読み上げた。

アレッシオたちの顛末が書かれた後の報告書は、お待ちかねの「良い子の褒美の時間」だ。

この件は、被害者であるセラスが「国としての謝罪と賠償を要求します」と、第三王子に請求した以上、体裁を守るという意味でも、外交問題に発展するという意味でもコンペーニュ王国側は真摯に答える必要があった。

セラスが管理しているストロガノフ領はセラスが主導し、さまざまな産業の中心地であり、発展をし続けている。最先端の品物はすべてここから始まっているといっても過言ではない。ケイトリンの家の場合は、服飾関係の事業をしており、取り扱っている生地や服を作る職人は、ストロガノフ領を頼っていた。

国として見て、特に注目しているのは、セラスが開発した火薬製品だ。

この流通を止められてしまえば、国の一大事業である炭鉱事業はもちろん、山にトンネルを貫通させて隣国との街道を作る計画や大規模工事の作業に影響が出てしまう。

火薬の製造はフィーン王国で秘密にされている物であり、その再現は未だ至っていない。

さらには、フィーン王国、ストロガノフ領からのあらゆる品物の流通ストップ、民衆からの避難が相次いでは国王も重たい腰を上げるしか選択肢はなかったのだ。

「関税の大幅値下げ、コンペーニュ王国の南部の鉱山すべての所有権の譲渡というのは破格の条件だな。ーー南部の鉱山地帯は王国の誇りのひとりだろうに。……ああ、目録には鉄鉱山はもちろん、中には、貴重なブラックダイヤモンドが取れる鉱山もある。鉄は掘っても、掘ってもすぐになくなる物だからな。宝石も金になる」

「――しかし、所有権は皇帝陛下ではなく、セラス様ですよ」

「そもそも、あいつが戦って勝ち取った戦利品だ。妻の所有物にケチをつけるほど、狭量ではない。それ、あいつの力が強くなればそれだけこの国で自由に飛べる翼が手に入るのだから喜ぶべきだ。自由に飛べば、飛ぶほど、この国はより発展していく。あの、ストロガノフ領のようにな。……それはそうと、セラスは? 今週は城に留まる予定だっただろう?」

臣下の頭が一段と下がる。

「ユーリ様と過ごしておいでです。なんでも、ブラックダイヤモンドのネックレスをプレゼントするそうで……」

「せっかく、帰ってきたというのに、俺を放りだして、愛人と過ごしているだと? どこの世界に夫を放りだして女を優先する妻がいるのだ!しかも、プレゼントだと?俺ですら、されていないのに……!」

ひとしきり報告書で笑い転げた後、今日の夜は一緒に過ごすことを約束していたのに、愛人を優先させるセラスに苛立ち、玉座から勢いよく立ち上がる。

「皇帝陛下、どちらへ」

「セラスの元に、だ。夫の愛人の用事を優先する妻など、一度身体でわからせてやらねばな。……報告、ご苦労。これからも忠義に励め」

アドリアーノは、後ろ手を上げて玉座の間を後にする。嵐が去った後のように訪れた静けさの中、呆れた臣下のため息がひとつ落ちた。

「――相変わらず、食えないお方だ、セラス様は」


――こうして、セラス・フィーン・デストロイのコンペーニュ王国での二年間の学園生活は幕を閉じた。

家の事情というしがらみを忘れて、ただ知識を追い求め、普段できない体験が毎日のようにできて、新しい経験が増えていく。

友人だってできたし、自分が暮らしている生活とはまた違った生活文化にも触れられた。

勉学に励む時間も、親切な先生にわからないところを教えてもらう時間も、ただ普通の女の子のように暮らせる学園生活を生涯忘れないだろう。

セラスは、この時の騒動をひっくるめて素敵な思い出だったと、アドリアーノとの間に後に生まれる子供に語って聞かせた。

勉学に励む時間も、親切な先生にわからないところを教えてもらう時間も、ただ普通の女の子のように暮らせる経験は、君主の立場ではなかなか経験できないものだと知った、セラスの子が、学園生活を満喫してみたいと口に出すのは、また別のお話である。


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 豪奢な大広間の中心で、私はただひとり立たされていた。  玉座の上には婚約者である王太子・レオンハルト殿下。その隣には、涙を浮かべながら震えている聖女――いえ、平民出身の婚約者候補、ミリア嬢。  そして取り巻くように並ぶ廷臣や貴族たちの視線は、一斉に私へと向けられていた。  そう、これは断罪劇。 「アリシア・フォン・ヴァレンシュタイン! お前は聖女ミリアを虐げ、幾度も侮辱し、王宮の秩序を乱した。その罪により、婚約破棄を宣告し、さらには……」  殿下が声を張り上げた。 「――処刑とする!」  広間がざわめいた。  けれど私は、ただ静かに微笑んだ。 (あぁ……やっぱり、来たわね。この展開)