逃げても逃げても囚われます。

永文

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エピローグ:ただ、生きていたいと思った

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 また、朝が来た。
 こんなにも、意味のない朝を迎えたのは、どれくらいぶりだろう。

 空は静かに明るくなり、雲は色を持たずに流れていく。
 風が頬をなでる。鳥の声も、鐘の音も、誰かの怒鳴り声も、聞こえない。

 私は、目を覚ましただけだった。
 けれど、それがすべてだった。

________________________________________

 焚き火の跡に、まだ少しだけ熱が残っていた。
 手をかざすと、じんわりと指先が温まる。
 不思議とそれが、涙が出るほどありがたかった。

 かつての私は、目覚めれば必ず「命令」があった。
 何をするか、どこへ行くか、どんな声で返事をするか。
 すべてが決められていて、ただその通りに動くことが“生きる”ことだった。

 それを「苦痛」と感じる余裕すら、なかった。

 今はどうだろう。
 目が覚めて、起き上がるかどうかを、自分で決められる。
 水を飲むタイミングさえ、私が決めていい。

 それがどれほど脆く、無防備で、
 それでも尊いことなのかを、私は初めて知った。

________________________________________

 ルーファスは、少し離れた場所に立っていた。
 丘の上から、崩れた都市を見下ろしている。

 私が近づくと、彼は振り返らずに言った。

「昨日、夢を見たんだ。
 自分のことを“誰かの影”だと思っていた頃の夢だった」

「どんな夢だったの?」

「誰かが必死に逃げていてね。だけど、どこまで走っても、自分の影がついていく。
 ようやく気づいたんだ。
 ──逃げていたのは、僕自身だったって」

 私はそっと隣に立った。
 風がまた吹いた。今度は少し強く、遠くの草が音を立てていた。

「君も……影を抜けたんだね」

 ルーファスはそれを肯定も否定もせず、ただ静かに笑った。

________________________________________

 私は、まだ何者でもない。
 名前があるだけ。過去があるだけ。
 これから何をするのかも、どこへ行くのかも、決まっていない。

 でも、それでいいと思えた。

 誰かの命令を待たずに、今日を選べるということ。
 それだけで、もう十分だった。

 私は手を見た。
 皮膚には、未だに鎖の痕が残っている。
 けれど、それも“私の一部”として受け入れようと思った。

 逃げて、迷って、転んで、でもまだここにいる。
 それは、きっと「生きている」ということだ。

 そして──

 ただ、生きていたいと思った。

 誰のものでもない時間の中で。
 誰の影でもない自分として。

 私の足で、立っていたいと思った。

________________________________________

 空が、透き通っていた。
 風が、その色を運んでいった。

 私は一歩、前に進んだ。
 何も始まらない朝に、確かな足音を刻みながら。
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