1 / 1
はっぱとわたし
しおりを挟む
手首を切ったら迸ったのは数字だった。おかしいなあまりわたしがばかだから腹が立って頬や胸やあなうらなんかを貫いたらどうなるかしらんと思い立ったはずなのに、ばかなわたしのなかからは数字が落ちてくるのか。考える間にもぱくり口を開けた手首から明朝体やゴシック体の1や2や3が湧いては落ちていた。わたしの中身は赤くさえないようで小さな数字は活字らしい黒色をしていた。虫の群れのようだった。自重でぞわぞわ流れてゆく彼らは、すぐに床を埋めてわたしの手足を埋没させる。失数の致死量は何リットルなのか、そもそも数字を計量する単位はリットルでいいのか、答えが出せない。ばかだなあ。
今度は首を試みた。切りつけられた首はしくしく泣いた。涙が近くにある数字をいくつか滲ませた。制服のワイシャツもしとどに濡れた。ブレザーにまで染みてしまったら上手に塩味を取ることができるだろうか。海はあまり好きではないのだけれど。首は切りつけられると泣くのねえ、ひゅうひゅう掠れた声になってしまったがどうにか言うと、何しろあなたは痛くなくてもあたくしは痛いんですもの、と首筋が答えた。なるほどそれはごめんなさい。わたしはわたしの責任さえ取れないのか、ばかだなあ。
今度は腿を試みた。腿は数字に埋もれていたからまず探すのに手間取った。プリーツスカートをめくって平らかな肉へ包丁を差し入れると砂を切ったような軽い手応えだった。傷口というよりひび割れができた。ひびの間が僅かに光ったかと思うと発芽した。双葉の間からあっというまに茎が伸びて本葉が繁った。大きな葉には、‘EAT ME’とあるのだった。ナイフで書き付けたような荒っぽいアルファベットが隙間なく並んでいた。肉色をした花のほうが見た目には美味しそうなのだが食べて欲しがっているのは葉のほうなのだった。仕様がないので花弁の奥に指を差し入れ蜜を探った。身悶えるように葉が揺れる。揺れる一枚を捕まえる。指に絡んだ蜜をジャム代わりにつけて食べてやった。若い葉の苦みとほのかな甘さを繰り返し繰り返し噛んだ。瑞々しさを歯と歯で潰し、飲み下す。ぐちゃぐちゃがぬるぬると喉を這い下りる。なんとも可憐さを欠いていて芋虫を丸呑みしている気分だった。最後の一欠けらがなくなりこれで満足だろうと見ると、千切れた葉のうえでアルファベットが形を変えていた。‘EAT ME MORE.’
「調子に乗るな」
肌との接合部を掴んで引き抜いた。案外に深い根っこと鈍色の毛細血管がつながったままずるずる出た。と同時にわたしの体はたくさんのたくさんのビー玉になって崩れた。かしゃんという音ひとつであっけないものだった。
「おかえりい」
目と口とを三日月のように細めて笑いながら、男は言った。
「やあお前ときたら揺すっても叩いても駄目なんだもの、どうしようかと思ったさ。良かった良かった目が覚めて」
辺りにはもう群れる数字も貪欲な葉も見あたらなかった。体もかすり傷一つなくよく動く。ボタンを掛け違えたような気持ちの悪さだった。しかし大丈夫、問題ない、と適当に答えたら男も適当に納得しているようだった。
「どうする、もう一回する? 今度は加減に気を付けるよ」
なんて空々しいにやにや笑いだろう。
「――そうだね、しようか」
大きく口を開ける。何もかもをくわえ込むように開ける。あははは正直だなあ駄目な子だなあ、男は舌の形を舌でなぞりながらとめどなく笑い続けた。
おれの世界は偽りばかり、ハッパの味だけがほんとうなのだった。
(了)090603
今度は首を試みた。切りつけられた首はしくしく泣いた。涙が近くにある数字をいくつか滲ませた。制服のワイシャツもしとどに濡れた。ブレザーにまで染みてしまったら上手に塩味を取ることができるだろうか。海はあまり好きではないのだけれど。首は切りつけられると泣くのねえ、ひゅうひゅう掠れた声になってしまったがどうにか言うと、何しろあなたは痛くなくてもあたくしは痛いんですもの、と首筋が答えた。なるほどそれはごめんなさい。わたしはわたしの責任さえ取れないのか、ばかだなあ。
今度は腿を試みた。腿は数字に埋もれていたからまず探すのに手間取った。プリーツスカートをめくって平らかな肉へ包丁を差し入れると砂を切ったような軽い手応えだった。傷口というよりひび割れができた。ひびの間が僅かに光ったかと思うと発芽した。双葉の間からあっというまに茎が伸びて本葉が繁った。大きな葉には、‘EAT ME’とあるのだった。ナイフで書き付けたような荒っぽいアルファベットが隙間なく並んでいた。肉色をした花のほうが見た目には美味しそうなのだが食べて欲しがっているのは葉のほうなのだった。仕様がないので花弁の奥に指を差し入れ蜜を探った。身悶えるように葉が揺れる。揺れる一枚を捕まえる。指に絡んだ蜜をジャム代わりにつけて食べてやった。若い葉の苦みとほのかな甘さを繰り返し繰り返し噛んだ。瑞々しさを歯と歯で潰し、飲み下す。ぐちゃぐちゃがぬるぬると喉を這い下りる。なんとも可憐さを欠いていて芋虫を丸呑みしている気分だった。最後の一欠けらがなくなりこれで満足だろうと見ると、千切れた葉のうえでアルファベットが形を変えていた。‘EAT ME MORE.’
「調子に乗るな」
肌との接合部を掴んで引き抜いた。案外に深い根っこと鈍色の毛細血管がつながったままずるずる出た。と同時にわたしの体はたくさんのたくさんのビー玉になって崩れた。かしゃんという音ひとつであっけないものだった。
「おかえりい」
目と口とを三日月のように細めて笑いながら、男は言った。
「やあお前ときたら揺すっても叩いても駄目なんだもの、どうしようかと思ったさ。良かった良かった目が覚めて」
辺りにはもう群れる数字も貪欲な葉も見あたらなかった。体もかすり傷一つなくよく動く。ボタンを掛け違えたような気持ちの悪さだった。しかし大丈夫、問題ない、と適当に答えたら男も適当に納得しているようだった。
「どうする、もう一回する? 今度は加減に気を付けるよ」
なんて空々しいにやにや笑いだろう。
「――そうだね、しようか」
大きく口を開ける。何もかもをくわえ込むように開ける。あははは正直だなあ駄目な子だなあ、男は舌の形を舌でなぞりながらとめどなく笑い続けた。
おれの世界は偽りばかり、ハッパの味だけがほんとうなのだった。
(了)090603
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
本物の夫は愛人に夢中なので、影武者とだけ愛し合います
こじまき
恋愛
幼い頃から許嫁だった王太子ヴァレリアンと結婚した公爵令嬢ディアーヌ。しかしヴァレリアンは身分の低い男爵令嬢に夢中で、初夜をすっぽかしてしまう。代わりに寝室にいたのは、彼そっくりの影武者…生まれたときに存在を消された双子の弟ルイだった。
※「小説家になろう」にも投稿しています
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる