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本編
3.シリウス①出会い
しおりを挟むーー初めて会ったのは、半年前だった。
(この女……まさか魅了魔法の使い手か?)
シリウスは瞬時に、自分の周囲に防魔壁を張り巡らせる。
完成度の高いその壁は完全な無色透明で、他人の目から見る事は不可能だ。
Sランク冒険者のシリウスが戦闘で主に使うのは長剣だが、魔法の技術も使える種類は限られるものの、そこら辺のAランクの魔法使いよりは優れていると自負している。
今の時間帯、冒険者は殆どが出払っており、ギルドのカウンター付近は閑散としている。シリウスの防魔壁を感知できる実力者は、ギルド長とギルド職員数人……そして仮に魅了魔法を使ったとしたならば目の前の女くらいだろうか。
シリウスの手にじわりと冷や汗が滲み出し、心臓が通常よりも速く脈打つ。
高難易度の討伐で魔物のボスに遭遇した時の緊張感とは、うまくは言えないが何かが違う。
ーー不安、高揚、焦り、僅かな喜び。
感情の起伏が乏しいと自覚しているシリウスに、あまり経験したことのない、様々な感情それぞれが複雑に絡み合って襲い掛かってくる。
……確か、2年前にも今回と似たようなことがあった。
ただその時と違って、女からは、あの独特な禍々しい悪意の気配を一切感じない。
小首を傾げて不思議そうにこちらの様子を伺う表情は、純真無垢にさえ見えるのだ。
その顔を見ると、シリウスの心の奥が見えない力で揺さぶられて落ち着かなくなる……。
ギルド長からは事前にその女の事を、Bランクになりたての17歳で、かなり見込みがあるヤツだと聞いていた。
確かに17歳でBランクの冒険者になるには、相当の実力が無いと不可能だ。
この食えない髭面のオッサンがそう言うのならば、潜在能力はかなりの物だろう。だからこうして、シリウスからの直接指導とも言える討伐依頼をギルド長から直々に受けさせられているのだ。
ギルド長はその屈強な見た目に反して、魔法も非常に得意なSランク冒険者で、魅了魔法を感知することができる。
実際2年前に、使用者を発見し拘束したことがあった。
魔法で他人を攻撃することは、ギルドでの決まりはもちろんのこと、国の法でも禁止されている。
精神に直接害をもたらす魅了魔法の場合は原則死刑、どんなに国に貢献した高ランク冒険者だとしても終身刑は免れない。
魅了魔法は非常に高度な魔法で、Sランクもしくはそれに近いAランク相当の魔力が必要とされている。
それにいくら相応の魔力があったとしても向き不向きがあるため、使えるものなどほんの一握りだ。
そんな力を持つ者は国の人口のたった少数しかいない上、使用すれば死刑と分かっている魔法をわざわざ習得する者などほぼ皆無であろう。
もしこの場で魅了魔法が使われたのならば、ギルド長がすぐにでもこの女を拘束しにかかっている筈だ。ギルド長や職員達が女に対して何も行動しないということは、シリウスが感じ取っているものは魅了魔法とは違うのだろう。
それに冷静に考えれば、こんな公衆の面前で使う訳が無い。
そしてギルド長からは……お前は何故今ここで防魔壁など張っているんだ?と言いたげな、怪訝そうな顔で見られてしまった。
過剰に反応してしまった自分を内心恥じ、シリウスは一旦防魔壁を解除した。
ーー警戒しながら、改めて女に目を向ける。
他人に対し興味が薄いシリウスではあるが、パーティを組む際に相手の装備品をザッと一通り検分している。
いつからそうしているのか自分でも覚えてはないが、癖のようなものだ。
装備品の状態で、冒険者としての大体の実力をそれとなく測っているのかも知れない。
あとは、数少ない趣味の一つに装備品収集があり、その一環として無意識に眺めてしまっているのだろう。
その時間はほんの一瞬なので、相手に気取られる事は無く終わる。
女の全身装備は初心者に毛が生えた程度の安物だった。恐らく死にかけた経験が無く、ある程度実力もあるため易々とランクを上げてきた感じだ。
腰に下げられた短剣の柄の部分は使い込みは有るものの、女の手の様子と身体つきからして、おそらく戦闘は主に魔法を使用しているのだろう。
背は、190あるシリウスの肩の高さ位なので、平均的な女の冒険者よりはやや低い160くらいか。
腕が細く、物理攻撃にはあまり向いて無さそうだ。
腰は、下手するとシリウスの太腿とさほど変わらないくらいの細さだった。
意外な事に胸や腰回りの肉付きが良いので、相対的に腰のくびれが余計細く感じるのだろう。
大柄で筋肉質、漆黒の髪に深紫の瞳、濃い褐色の肌をした自分とは何もかもが違う。
真っ直ぐな長い金髪は一つに高く括られていて、自ら光を放つように艶やかに輝いている。
冒険者には珍しい透けるような白い肌。
やや釣り上がり気味のとても大きな緑の瞳に、つんと尖った小振りな鼻と、薄桃色のふっくらとした唇は絶妙な配置で並べられていて、まるで精巧な人形のようであるが……。
「……おいシリウス、聞いてるか?」
酒焼けでしゃがれたギルド長の呼びかけに気付き、表情には出さないもののシリウスは内心焦った。
ーー自分でも信じられないことに、少しの間、ギルド長の言葉が聞こえないくらい我を失って女を眺めていたらしい。
ふと強い視線を感じてそちらを見ると……。
女が眉を寄せて、大きな緑の瞳でこちらを睨むような上目使いで見上げていた。
……視線が交差し、ドクン、と大きく心臓が高鳴る。
この瞳を見続けていたら、自分の中の何かがおかしくなるかも知れない。
女をずっと眺めていたことは、恐らくギルド長と、そして本人にも気付かれた事だろう。
思わぬ失態だ。
ぐっ……と声が出そうになるのを、シリウスは息を呑んで防いだ。
そして女の視線から逃れるように、ギルド長の方に目線を向けて話の続きを促す。
「今からエリンと、さっき話した討伐に行ってもらうからな。
エリンはBランクになりたてで少しキツイかも知れないから、きちんと手取り足取り教えてやれよ。
じゃあよろしくな、シリウス先生」
そう言ってギルド長はシリウスの返事も待たずに、片手を上げるとギルドカウンターの奥へ足早に消えて行った。
今更断ると言ったところで、ギルド長は聞こえていないふりをするだろうし(そのためにあのオッサンはさっさと逃げ出したのだ)、今回の討伐の報酬は、労力に比べて割が良い……自分は金には全く困ってはいないが。
以前からギルド長には、後進の育成は高ランク冒険者の義務とうるさいほど言われてきていた。
極力他人に関わりたく無いので何度も断り続けていたが、ギルド長には色々と恩があるため、面倒だが一回くらいは引き受けねばならないとは思っていた。
「シリウス、Sランクだ」
素っ気なく自己紹介をする。
他人に対して良い印象を与えたいと全く思わないので、シリウスの自己紹介は毎度簡素なものだ。
女……エリンは、シリウスの言葉に何故か軽く目を見開いた。
そして少しの沈黙の後、緊張した面持ちで口を開いた。
「エリンです。
Bランクになりたてですが、足を引っ張らないように気を付けます。
今日はよろしくお願いします」
ーーその声を耳にした途端、シリウスの両腕が僅かに粟立った。
(くそ、何なんださっきからこの反応は)
素晴らしい意匠の剣を見つけた時にも似た気分の高まり。
耳触りの良いその高い声は、まるで美しい歌のようにシリウスに染み渡る。
高揚とともに、またしても鼓動が早くなる。
しかし、お辞儀をしたエリンが頭を上げた途端。
その高揚が、シリウスから一気に消抜けていく。
……明らかな作り笑顔だったのだ。
初めは精巧な人形のようだとは思ったが、その時こちらを睨む視線には強い意志と生命力が感じられた。
ところが今は、それこそ本物の人形かのように全く感情を読み取ることができない。
シリウスは平静さを取り戻し安堵すると同時に、不思議な喪失感を覚えた。そう思う事自体、エリンに気持ちを乱されているのだろう。
激しい感情の起伏は、討伐において邪魔以外の何者でもない。
明らかにこちらを害するような行動を取った場合。
ーーその時には手加減などせず遠慮無く反撃してやる。
「行くぞ」
気持ちを完全に切り替え、シリウスはエリンと共にギルドを後にした。
***
この女から戦闘中に攻撃を受けるかも知れない、という懸念は、杞憂に終わった。
口には出さなかったが……まだまだ荒削りなものの魔法の腕は確かで、攻撃魔法に関しては、そこら辺の高ランク者にも引けは取らないだろう。
短剣の腕前も、女の師の技量が優れていたのか、基本がしっかり教え込まれていて、膂力の無い分素早さで補填されていた。
……しかし、シリウスが一番驚愕したのは、支援魔法のうちの一つ、強化魔法だった。
シリウスの身体の中には、魔人族と呼ばれる種族の血が僅かに混じっている。
魔人族は既に滅びたとされている種族のうちの一つだった。
純血種は、深い闇のような漆黒の髪に血のような赤い瞳、濃い褐色を持ち、特に戦闘能力に優れていた。
亡くなった父親は黒髪に、茶を帯びた薄い赤の瞳だったが肌は白かったので、一見すると魔人族の血が入っているとは気付かれにくかった。
ところがシリウスの外見は、瞳の色は違うものの先祖返りなのか、魔人族の特徴がより強く現れていた。
魔人族の血は、魔力を多く持つ反面魔法も効きにくく、回復魔法や支援魔法は通用し辛い。
実際、今のSランク冒険者のシリウスに支援魔法をかけることができる者など、いくら高ランクとはいえほぼ存在しないだろう。
ーーところがこの女は。
今回の討伐にはそこまで必要は無かったものの、駄目もとで支援魔法を色々使わせてみた。
そして強化魔法をかけられた時……。
シリウスの身体の中に熱く漲る活力が湧いてきて、かつてない剣捌きができるようになった。
持続性は無いものの、女がこのまま力を磨き続ければ、おそらく強化魔法に関しては冒険者の中でも随一のものとなるだろう。何しろ、魔法の効きにくい身体のシリウスにさえそれを実感させるのだから。
魔法にもかける者とかけられる者同士の相性が若干は関係し、認めたくは無いが……この女、エリンと、自分はその相性がかなり良いらしい。
(恐ろしい……)
エリンの強化魔法は非常に便利だが、それに慣れてしまった時のことを考え、無い時との落差を激しく感じるだろう。
シリウスには珍しいことにーー軽く身震いがした。
「シリウスさん、今日は、すごく勉強になりました」
初めて聞いた時にも感じたが、その声を聞くたびに腹の奥底に熱く響いて、肌が粟立ちそうになる。
「……さんなど付けなくて良い、気色悪い。
それにそのわざとらしい作り笑顔も、今すぐやめろ」
思わず冷たい物言いになってしまった。
シリウスは、チラリと横目でエリンを見下ろした。
すると、エリンのその作り笑顔は瞬時に消えて、頬はぷうっと大きく膨れ、怒りで頬が紅潮した。
「……き、気色悪いって、マジ失礼なんだけど!
いくら戦闘教えてくれたからって、調子に乗るなよな!!」
こちらを強く睨み付ける大きな緑の瞳に、どくり、と胸が高なる。
(……しい……)
シリウスは、この場で耳を塞いでしまいたかった。
この女といると、心の奥から聞きたくも無い自分の声が湧き出てきてしまうからだ。
耳を塞いだところで、心の声など消す事はできないだろう、それも分かってはいるが……。
「てかさぁ、さっきの初対面の時も思ったけど、私何もしてないのに睨んできたし。
本当に失礼なんだけど!」
エリンの口からは、シリウスに対して、もう遠慮のない非難の言葉が次々と溢れ出てくる。
(……しい……この……)
このエリンと言う女は、僅かに尖った耳や、金の髪、緑の瞳の見た目からしてエルフの血が入っているのかも知れない。
ドワーフやエルフ、獣人族など、まだ滅びていないとされている他の種族の名残を感じさせる人間はこの国でもたまに見かけた事がある。
しかし自分と同じような魔人族の末裔は、色々な国を回ってきたが、亡くなった父以外まだ見かけたことが無かった。
今は滅びた純血の魔人族は、生涯で一人の異性しか愛さないと言われていたらしい。
愛した事に報われなければ伴侶を得る事もできず、孤独にその一生を終える。
だから他の種族に比べ、その純血の血が早く絶えたのでは、とも。
その血が薄まるごとに、もしかしたらそれは変わっていったのかも知れない。
中には、たった一人ではなく複数人の女性を愛する事ができた者もいるだろう。
しかしシリウスは18歳の今まで、誰一人として女に興味を抱いたことなど無かった。
ーーシリウスは、認めたくなかった。
『それ』に気付いてしまったら、報われなかった時は、残りの人生は地獄に違いない。
父は、幸運なことに母という生涯の伴侶を見付けられた。自分の祖先達も、そうしてこの血を僅かながらに繋いできたに違いない。
自分できっと最後になる……シリウスは、ずっとそう考えて来た。
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