DYING MEMORY

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エピソード03:生き残り -ベネディッタ-

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グローズド総合病院が火災に遭う――その前日。

まだ煙も悲鳴もなかったその場所には、
ごく普通の病院としての時間が流れていた。

受付の呼び出し音。
廊下に響くストレッチャーの音。
カフェテリアで交わされるささやかな笑い声。

患者の容態は様々だった。
軽度の風邪やインフルエンザなどの流行り病。
中には慢性的な持病や、癌、肺炎、リハビリ目的の入院患者もいる。

そんな数多の患者の中で、
ひときわ異質な存在が、病棟の最奥にいた。

彼女の名は――ベネディッタ。

半年前、市街地で起きた大規模爆発事件の被害者。
あの惨劇の中、奇跡的に一命を取り留めた存在。

だが――その代償は、あまりにも大きかった。

彼女は、両腕と両脚を失っていた。

カーテンの閉じられた病室。
外から差し込む光は、やけに白い。

そんな光景の中で、彼女の目は閉じたままだった。

あの事件で助かったものの、
その衝撃から未だ昏睡状態にある。

モニターは規則的に心拍を刻み、
点滴が静かに薬剤を流し込んでいる。

誰もが「彼女は眠っている」と思っていた。
だが――その内側では、何かが確かに蠢いていた。

――――――――――――――――――

深い深い夢の中で、
ベネディッタの脳裏に――“あの日”が蘇った。

午後三時過ぎ。
市街地の雑踏を抜け、自宅までの道を歩いていた。
天気は良好。少し暑いくらいの春の日差し。
カラスが電線で鳴き、遠くで工事の音がしていた。

オーケストラサークルでチェロの練習を終えた帰り道。
駅前のカフェで買ったラテがまだぬるい。
アパートの階段を上がる足取りは、少しだけ軽かった。

玄関の前に立ち、鍵を差し込む。
――その瞬間だった。

ドン――ッ!!!!!

爆発。

音が遅れてやってきた。
視界が焼けるような閃光に包まれ、耳が張り裂けるような音が空間を支配する。

気づいた時には、身体が宙に浮いていた。
コンクリートの破片が頬を裂き、熱風が肺を焼く。
チェロケースは――見るも無残に砕けていた。



「あっ……ぐ……ぅ、あ……が……」

目を見開いたまま、声にならない声を上げる。
自分の両手が、両足が、感覚の底へと引きずり込まれていく。

血と土と、焼けた肉の匂い。


痛い。

熱い。

苦しい。

助けて。




誰か。


「やめて……やめて……! やめて!!!!!」

夢の中で、彼女は叫んでいた。
しかしその声は、誰にも届かない。
誰も、助けに来ない。

ただ、あの爆音だけが、何度も、何度も繰り返し鳴り響いていた。

――――――――――――――――――

――暗い。

記憶の炎がすべてを焼き尽くしたあの日。
家も、身体も、夢も。何もかもが崩れ落ちた。
そこから先は、ずっと、暗闇だった。

光も、音も、温度もない。
眠っているようで、沈んでいるようで、どこか遠くへ行ってしまったような――そんな時間が、延々と続いていた。

……いや、違う。
時間なんて、そこには存在していなかったのかもしれない。

だがその沈黙の底で、“何か”が微かに反応した。

ピッ。

最初に感じたのは、ノイズのような微弱な振動。
続いて、耳の奥でかすかな電子音。
感覚が、順番に戻ってくる。

喉。胸の鼓動。
最後に、視界。

まるで――電源が入るかのように。



ベネディッタの瞼が、ゆっくりと開いた。

視界に差し込むのは、眩しいほどに白い光。
だがそれは、太陽ではない。窓から射す、人工的で冷たい蛍光灯の光。

天井が見える。
そこに描かれているのは、どこまでも無機質な病院の景色。

彼女は今、病室にいた。
けれど――その目は、まるで“自分がどこにいるのか”すら理解していないように、ただぼんやりと虚空を見つめていた。

その瞬間だった。

「……えっ……?」

ちょうどナースカートを押して廊下を通りかかった看護師が、
何気なく視線を向け、思わず足を止めた。

病室のカーテン越しに、わずかに覗く顔。
その瞳が――開いていた。

瞬きもせず、じっと前を見ていた。
目線は合わない。反応もない。
だが、それでも確かに、彼女は“目覚めて”いた。

「先生……! 先生、ベネディッタさんが……っ!!」

看護師が声を上げ、ナースコールのボタンを慌てて押す。
けたたましく鳴る警告音。
モニターが、心拍数の急上昇を知らせるように、ビッビッと高い音を繰り返した。

だが――その中心にいるはずのベネディッタは、微動だにしない。

まるで、身体だけが目覚めて、心がまだ遠い場所にあるようだった。

――――――――――――――――――

バタバタと急ぎ足の音が近づいてくる。

そして、ドアが開いた。

「失礼します」

白衣の男――ドクターが、静かに病室へと足を踏み入れる。
表情は崩さず、感情を押し殺すように整えられていた。

彼の視線が、ベッドの上を捉える。
そして、ほんの一拍だけ、瞳が揺れた。

「……ベネディッタさん」

その声は、どこか確かめるような響きを含んでいた。

男はベッドの傍らに立ち、
ゆっくりと、まるで壊れ物に触れるかのように言葉を紡いだ。

「聞こえますか? どうですか?」

語りかける声は、丁寧で柔らかかった。
しかし――その奥に、ほんのわずかな緊張が滲んでいた。
まるで、今この瞬間、目の前の患者が“患者ではなくなっているかもしれない”という直感を、彼自身が理解してしまっているかのように。

ベネディッタは、視線だけをわずかに動かした。
ドクターの顔は、よく見えない。
声だけが、頭の奥に届く。

返事をしようとしても、声は出なかった。
口を動かそうとしても、力が入らない。
ただ、まばたきすら重たく、全身が“借り物のような感覚”だった。

それでも、彼女は聞いていた。見ていた。感じていた。

そして――ドクターの表情が、“少しだけ安堵したように見えた”のを、見逃さなかった。

「……意識はあるようだな。よかった……」

安堵の息を吐くドクター。

だが、次の問いは――
彼自信の緊張をほぐそうとした、冗談交じりのものだった。

「では……“推しの子”のエンディングが酷すぎて炎上したことは?」

その瞬間。

ベネディッタの首が――明らかに“はっきりと”動いた。

ゴン、と音がしそうなほど。

「いやそこは知ってるの!? 確かにルビーとかあかねとか誰も救われてないし、無理やり終わらせた感あって相当話題になったけども!!」

「反応していいとこ、そこじゃないのよベネディッタさん!?」

「そうか……ならばアマプラで配信されている実写版龍が如くも炎上してることも知っていそうだな」

「何の話!? こっちもベネディッタさんもてめーの知ってる作品の炎上ネタ聞きに来てんじゃねーよ!!」

モニターは心拍数が若干上昇していた。

ドクターは頭を抱えつつ、
「よし、精神は元気だな……うん」と小声で呟いた。

頷ける反応がある――
その一点だけで、ドクターと看護師の目が変わった。

目を開き、意識があり、外界に反応している。
確かに“戻ってきている”と、判断できる状態。

その場に静寂が戻ったとき、
ドクターはそっと、ベッド脇の椅子に腰を下ろした。

彼の表情には、さっきまでの冗談めいた色はなかった。

「……ベネディッタさん」

彼女の名前を、改めてゆっくり呼ぶ。



「これから、少しだけ……
あなたの“今”の状態について、お話しします」

ベネディッタは視線を僅かに動かした。
それが、答えであると受け取ったドクターは、
目を逸らすことなく語り始めた。

「――あなたは、半年前に起きた市街地爆発の被害者です。
そのとき、即死ではありませんでした。
ですが……その影響で、あなたは――」

一瞬、言葉を選ぶ間が挟まる。

だが、彼は逃げずに口にした。

「――両腕と、両脚を失いました」

ベネディッタの瞳が、かすかに揺れた。

何かを問いたくても、まだ声が出ない。
ただ、彼女の中で――何かが、音を立てて崩れていく。

「医療チームは、可能な限りの処置を施しました。
命を救うこと、感染症を防ぐこと、
そして、あなたが目覚めたときに“なるべく苦しまないようにすること”。」

彼の声は淡々としていた。
だがその裏に、幾重もの“届かない配慮”が滲んでいた。

ドクターは、一度深く息を吸った。

「……ただ、ひとつ……
お伝えしなければならない“大きな事実”があります」

ベネディッタの視線が、かすかに動く。

「……本来であれば、あなたの状態に対し、義手・義足の準備を進めるべきでした。
だが、それには数ヶ月以上の時間がかかる。
そして――その“数ヶ月”すら、あなたには危うかった」

彼の声がわずかに震える。

「……そのため、私たちは判断しました。
倫理的には……明確に“越えてはならない一線”を越える選択です。
けれど――それでも、あなたを生かすために……」

「――ドッカーとして提供された四肢を、“移植”させていただきました」

ベネディッタの心臓が、一瞬止まったような気がした。

「それは……あなたと同じ、女性のもの。
年齢は……おそらく10代。
詳細な身元は伏せられたまま、病院に直接“供給されたもの”です」

ドクターの目は揺れていた。
医者としての顔ではなかった。
それは――罪を語る者の顔だった。

「あなたが目を覚ましたこの瞬間に、
本来ならそのことを伝えるべきか、私たちは悩みました。
でも――あなたには、知る権利がある」

ベネディッタは動けなかった。
けれど、頭の奥で何かが確かに崩れた音がした。

(誰かの……手足……?)

私の身体じゃない
誰かの命が、私を生かしてる
それって……

叫びたいのに、声は出ない。
泣きたいのに、涙も出ない。

ただ、
腕と脚が“自分のものではない”と知った瞬間――
ベネディッタの内側で、何かが静かに、強く、燃え始めた。

(はぁ、はぁっ……)

呼吸が、浅く速くなる。
モニターが急激に反応を示した。

ピッ、ピッ、ピピピ――!!!

「まずい! ナース!!」

「はい!」

慌てて駆け寄る看護師。
ドクターはモニターの心拍数に目を凝らす。

「心拍が上がりすぎてる……!精神反応が過剰に出ている!!」

「鎮静剤、打ちます!」

細く鋭い針が、ベネディッタの静脈へと差し込まれる。

(やめて……)
(今、私は……)

言葉にならない叫び。
身体は抵抗できず、ただ感情だけが渦を巻いていた。

薬剤が流れ込む。
あっという間に、意識が重たくなる。

瞼が落ちる。
光が遠ざかる。
音が消えていく。

(――これ以上、誰かに……)

そして、ベネディッタの意識は――
再び、静かに、闇の底へと沈んでいった。
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