DYING MEMORY

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エピソード04:燃え上がる復讐心 -ベネディッタ-

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――2日後。

ベネディッタは、ふたたび意識を取り戻した。
重い瞼を持ち上げると、やけに室内がざわついていることに気づく。

人の気配。
誰かが慌ただしく走り回る音。
ナースコールの連打。
無線機から飛び交う指示。
…なにか、尋常じゃない。

彼女はまだ、しっかり身体を動かせない。
けれど本能で――"何かが起きている"と察した。

病院内が、妙に騒がしい。
そして、どこか…得体の知れない"恐怖"が漂っている。

(何が、起きてるの……?)

次の瞬間、病室のドアがバンと開いた。
そこに現れたのは、あの白衣のドクターだった。

彼は一瞬、ベネディッタの目が開いていることに気づき、
わずかに表情を緩めた。

「……ベネディッタさん。起きていましたか」

息を整えながら、彼はベッド脇に駆け寄った。
その顔には、隠しきれない緊張と、焦りが滲んでいる。

「実はこの病院で……黒いローブを羽織った集団がやってきまして」

言葉を選びながらも、ドクターは率直に続けた。

「我々は今、その対応に追われております」

廊下の外では、誰かの怒声や、金属音、
そして何かを叩き壊すような音が、遠くから断続的に聞こえてきていた。

ベネディッタは、まだ声を出せなかった。
けれど――ただならぬ空気は、はっきりと肌で感じた。

黒いローブ。
まるで宗教集団のような、不気味な存在。

(……なぜ?)

ここは、ただの病院のはずだ。
なぜ、そんな連中が押し寄せてきているのか――。

「安心してください」

ドクターは、かすかに震える手で、ベネディッタの肩にそっと触れた。

「あなたには絶対に、手を出させません」

強い意志を滲ませるその声。
だが、その目は……ほんの僅かに、迷っていた。

まるで、“自分でも、どこまで守れるか分からない”と悟っているように。

──そのときだった。

ドゴォン!!!!!!

鈍い爆音が、廊下の奥から響き渡った。
壁が揺れ、天井の蛍光灯が一瞬だけ明滅する。

「っ……!」

ドクターの顔色が一気に青ざめた。

「くそ、もう来ているのか……!」

ナースたちの叫び声。
患者たちの怯える悲鳴。
すべてが交錯するなかで、病院は、確実に“崩壊”へと向かっていた。

「ベネディッタさん、いいですか…!? 今からあなたを運ぶため、担架に移動させます!」

ドクターは即座に判断した。
すぐさま近くにいたスタッフたちに指示を飛ばす。

バタバタと担架が運び込まれ、
ベネディッタの身体を慎重に、だが急ぎながら持ち上げる。

彼女自身はまだ動けない。
なされるがまま、揺れる視界の中で、天井の蛍光灯がぐるぐると回っていた。

だが――そのとき。

「な、なんだ!?」

「いやっ、やめて!!!」

すぐ近くで、看護師たちの悲鳴が上がった。

振り向いた瞬間、ドクターたちの視界に飛び込んできたのは――
黒ローブを羽織った3人の男たちだった。



黒衣の集団は、すでに病院内へ侵入していた。
無抵抗の看護師を無理やり羽交い絞めにし、
彼女たちの抵抗を意に介さず、どこかへ引きずろうとしている。

「やめろッ!!!」

ドクターが怒声を上げた。
しかし、黒ローブたちは振り返らない。

その姿は異様だった。
異常なまでに無表情で、まるで感情を持たない機械のように淡々と動く。

(……違う)

ベネディッタは、体は動かなくても、直感だけは働いていた。

彼らは“人間ではない”。
いや、正確には――
"何かが、人間を模している"。

肌の色。
瞳の光。
手足の動き。
どこか、決定的に違う。

(あれは……)

血が、凍るような感覚だった。

担架を押していたスタッフたちも、一瞬、動きを止める。

その間にも、黒ローブたちは看護師を押さえつけ、
そのまま連れ去ろうと、廊下の奥へと進み始める。

「止めろ!!!」

ドクターが走り出そうとした――その瞬間だった。

『……抵抗する不純物、発見。 射殺。』

無機質な声。
まるで感情の欠片もない、人工的な音声だった。

黒ローブの男は、躊躇なく、手にしたサブマシンガンを構える。
引き金が引かれたのは、ほとんど反射のような速さだった。

バババババッ!!!!!!

銃声が、密閉された廊下に炸裂する。

ドクターの胸に、無数の銃弾が撃ち込まれた。
血が飛び散り、白衣が真紅に染まる。

「――がっ……!!」

言葉にならない声。
ドクターの身体が、崩れるように担架に覆いかぶさった。

その衝撃で――
担架は傾き、ベネディッタの細い身体は床に叩きつけられた。

「っ……!」

痛みが走った。
けれど、声は出せない。
身体は、まだ思うように動かない。

視界がぐらぐらと揺れるなか、
倒れたドクターが、自分に覆いかぶさるようにして動かなくなっているのがわかった。

(……そんな……)

理解が、追いつかない。

さっきまで話してくれた。
必ず守ると言ってくれた。
なのに、いとも簡単に――

黒ローブの集団は、こちらに向き直った。
無表情の仮面のような顔に、わずかな感情もない。

彼らの視線は、次に、ベネディッタに向けられていた。

『生存確認。』

『回収を開始する。』

ザッ……ザッ……と、規則正しい足音が近づいてくる。

(――いやだ。)

頭の中で、必死に叫んだ。

(来ないで……!)

動かない手。
動かない脚。
震える身体。
何もできない。

ただ、音だけが、どんどん近づいてきて――

(誰か……助けて……!!)

絶望と恐怖が、心臓を締め付けた。

その瞬間だった。

――ドォン!!!!!!

轟音が病棟を震わせた。

入院病棟の一角。
ベネディッタの視界の端で、壁が爆ぜ、火柱が上がる。

『ぐあああああああああああああっ!!!』

黒ローブの男たちが、爆風に巻き込まれた。
火炎が黒衣をなめ、彼らの身体をあっという間に焼き焦がしていく。

無機質だったはずの連中が、
苦しみもがきながらのたうち回る姿。

あまりにも――"人間臭い"。

それがかえって、異様な恐怖を煽った。

(な、なに……!?)

混乱するベネディッタのもとに、
黒煙が立ち込め、火災報知器がけたたましく鳴り響く。

カンカンカンカンカン――!!!

サイレン。
点滅する非常灯。
パニックに陥るスタッフたち。

病院全体が、地獄と化していた。

火災報知器の鳴り響く音。
割れるガラス。
燃え広がる炎。
助けを求める悲鳴。
……すべてが、もう元に戻らないと告げている。

(……このままじゃ、私も焼け死ぬ……!)

意識がはっきりしてきたぶん、
恐怖も、現実も、より鋭く突き刺さった。

助けは来ない。
あのドクターも、もう動かない。

(動かなきゃ……!)

ベネディッタは、
一切慣れていない新しい手足を使い、
必死に、床を這うようにして動き出した。

床に手をつく。
足を引きずる。

ぎこちない。
まるで、自分の身体じゃないみたいに、動きが思うようにいかない。

痛みが走る。
新しい神経が軋み、脳に悲鳴を送る。

それでも――

(生きたい……!!)

必死に、必死に、
ベネディッタは這い続けた。

熱風が背後から追いかけてくる。
焦げた匂いが、鼻を突く。

(こんなところで……死ねるもんか……!)



腕を伸ばす。
継ぎ接ぎの――自分のものではない、誰かの――その腕が、焼けるように熱を帯びる。

皮膚が焼かれる痛み。
神経が悲鳴を上げる。
それでも、止まらない。
止まれない。

(……この痛み……この命……)

(私が、生きてる証拠だ……!!)

涙すら乾いてしまいそうな熱気の中で、
ベネディッタは、必死に這い続けた。

火の手はすぐそこだ。
だが、それよりも胸の奥で燃え上がるものがあった。

怒り。
憎しみ。
そして――恐怖をも超えた、絶対的な「生きたい」という願い。

(あの黒ローブ……!!)

(きっと……きっと奴らが……!!!)

――私を、こんな身体にした。
――私から、何もかもを奪った。

血の味がした。
噛み締めた唇から、わずかに血が滲んでいることにも気づかない。

(……絶対に、生き延びてやる……)

(絶対に――)

ベネディッタの目に、炎越しに見えた。
病院の非常口。
わずかに開かれたその扉の向こうに、微かな外の光が差し込んでいる。

(……外へ、出る……!!)

その一心で、
彼女は、這い進んだ。

焦げた床。
崩れた天井。
焼けた書類や、割れたガラス片が散らばる廊下を、
血と汗にまみれながら、ただ前へ――ただ生き延びるためだけに。

――――――――――――――――――

這っていくうちに、
ベネディッタは――継ぎ接ぎの手足の使い方に、わずかながら慣れ始めていた。

最初は自分の身体じゃないみたいだった。
でも今は、痛みと引き換えに、ほんの少しだけ"掴める"感覚がある。

「……っ……はぁ……!」

荒い呼吸を繰り返しながらも、
彼女は確実に、前へと進んでいた。

やがて目に入ったのは――

封鎖されたエレベーター。

(……使えない……!)

燃え上がる非常灯。
非常用電源はまだ生きているが、エレベーターホールは熱気と瓦礫にまみれ、
とても動かせる状態ではなかった。

選択肢は一つ。

(非常階段……!!)

遠い。
しかも、自力で階段を降りるなんて、普通なら不可能。

けれど、そんなことは関係なかった。

(行くしかない……!)

目標を定めたベネディッタは、
這うスピードを一段と上げた。

手のひらを、指先を、床に叩きつけるようにして前へ前へ。

這いずる。
引きずる。
もがく。

血が滲んでも、止まらない。

一歩でも遠くへ。
一秒でも長く生きるために。

(私が……私が……!)

この身体で。
この命で。
この現実で――

(絶対に、生き延びる!!)

その叫びにも似た意思が、
確かに、ベネディッタの内側で弾けた。

そして。

その強烈な意思に、
継ぎ接ぎの手足が――応えた。

最初は震えながら。
次第に、確かな力を伴って。

(……えっ……?)

気づけば、
手が、しっかりと床を押していた。

腕が、身体を支えていた。

そして――

(……足……が……!)



ベネディッタの両脚――いや、移植された異物のようだったそれが、
彼女自身の意志を受け取り、ゆっくりと、力強く伸び上がった。

膝をつき、
片足を立て、
もう片方も地面を踏みしめる。

プルプルと震えながらも――

彼女は、立った。

「……ッ、あ……」

か細い声が漏れた。
それは、驚きとも、喜びとも、恐怖ともつかない、
混ざり合った感情だった。

誰かの、知らない誰かの、手足だったはずなのに。

今、この瞬間――
確かに"自分のもの"として、動いていた。

(できる……!)

ベネディッタの胸に、ほのかに灯る"希望"。

痛みも、恐怖も、忘れない。
でもそれ以上に、今は――生きるために歩かなきゃならない。

彼女は、ぎこちなくも、必死に非常階段へと向かって歩き出した。

足元はふらつく。
何度も転びかける。
それでも、彼女は立ち上がる。

(私は……生きる!!)

火災に包まれた地獄の中で。
ベネディッタは、確かに"前へ"進み始めた。

――――――――――――――――――

非常階段に到着したベネディッタ。

錆びた金属扉を押し開けると、
その向こうには、避難してきた看護師や患者たちが押し込められていた。

パジャマ姿の老人。
点滴台を引きずったままの中年男性。
泣きじゃくる小さな子どもと、それを必死で抱きしめる母親。

どの顔も、恐怖に引き攣っていた。

「おい、大丈夫なのかよ……!?」

患者服の男が、顔を青ざめさせながら叫ぶ。

「助けて……助けてよ……神様……!!」

誰かが、今にも泣き崩れそうな声で懇願する。

薄暗い非常階段。
鉄の手すりにはすすけた手形が無数についている。
階下からは、煙がじわじわと立ち上ってきていた。

ベネディッタは、
壁に手をつきながら、ぎこちない足取りでそこに立った。

周囲の視線が一瞬、彼女に集まる。

その身体。
継ぎ接ぎの手足。
火傷に近い傷を負い、血にまみれた姿。

まるで――この混沌の象徴のようだった。

(……ここも……安全じゃない……)

ベネディッタは直感した。

火災だけじゃない。
黒ローブたちは、まだこの病院内にいる。
もし、ここに押し寄せてきたら――

全員、間違いなく、殺される。

(早く……逃げなきゃ……!)

けれど。

階段の先――
下に降りるルートからは、
不気味な足音が、じわじわと近づいてきていた。

コツ、コツ、コツ、コツ――

規則正しいリズム。

普通の人間とは思えない、冷たく、狂気じみた気配。

(……まさか……!!)

顔を強張らせた誰かが、階段の下を指差す。

「……来る……!!」

その言葉と同時に、
非常階段に――"黒ローブ"の影が、ゆらりと現れた。

暗がりに浮かぶ、異様な集団。
そして、冷酷な機械のような声が響く。

『対象物、複数発見。 回収開始』

その言葉を合図に、
黒ローブたちは、ためらいもなく何かを投げ込んできた。

カシュッ――!!

鈍い音と共に、銀色の小さなカプセルが階段に転がる。

(……え?)

一瞬、誰もが理解できなかった。

だが次の瞬間、
カプセルから勢いよく白煙が噴き出した。

ブシュゥゥゥゥゥ!!!!

「げほっ……!!」
「うぐっ、な、なにこれ!!」
「目が……目がああああ!!!」

煙は瞬く間に広がり、
目と鼻と喉を猛烈に刺激する。

患者も看護師も、一様に咳き込み、視界を押さえてうずくまった。

それは、ただの煙ではなかった。

催涙ガス。

人間の無力さを、物理的に引きずり出すための、非人道的な手段。

(くっ……!!)

ベネディッタも、肺に焼けるような痛みを覚えた。

目が、喉が、ひりひりと熱い。
涙が止まらず、呼吸すらうまくできない。

足元がふらつく。
倒れそうになる。

その隙を狙うかのように、
黒ローブたちは――無表情に、一人一人に近づき始めた。

『回収開始。対象物、順次確保。』

腕を掴み、首を押さえ、
抵抗できない人間たちを次々と引きずり倒していく。

「やめろ!!!」
「助けて!! 誰かあああ!!!」
「いやだ、いやだぁぁぁ!!!」

叫び声も、咳き込みにかき消される。
絶望が、階段を満たしていく。

(マズイ……捕まる……!)

頭がぐらぐらする。
呼吸もままならない。
目も、まともに開けていられない。

それでも、
ぼやけた視界の隅で――

次々と黒ローブたちに捉えられ、
抵抗もできずに連れ去られていく人々の姿が見えた。

「たすけ……」

誰かが、弱々しく手を伸ばしてきた。

でも――

(構ってる暇なんて……!!)

ベネディッタは、震える足を動かした。

見捨てるように、
逃げるように、
階段脇の非常ドアを押し開け、別の部屋へと転がり込んだ。

バタン、とドアを閉める。
重い音が背中を叩く。

荒い呼吸。
胸の奥が、ずきずきと痛んだ。

(……今の私には……やることが!!)

心の中で、何度も何度も繰り返した。
言い訳のように。
自己弁護のように。

でも、
それでも、
胸の奥にはどうしようもない"罪悪感"が広がっていく。

(でも、私が死んだら……)

(何も、取り戻せない……!!!)

ベネディッタは、
手探りで部屋の奥へと進んだ。

暗闇の中。
ただ、目の前の“生”だけを、必死に追い求めながら。

――――――――――――――――――

逃げた先は――
病院のエントランスだった。

かつては、患者たちや見舞い客が行き交っていた広々としたロビー。
今は、割れたガラス片と、崩れた看板、吹き込む煙で満たされ、
まるで死者の街のようになっていた。

その中央で、ベネディッタは荒い息を吐きながら立ち尽くす。

出口は、すぐそこだ。
自動ドアは壊れ、開け放たれている。
その向こうに、外の世界が広がっている。

あと、数メートル。

(……行ける……!)

そう思った――そのとき。

『他にも対象がいるはずだ。探せ』

無機質な声が、エントランスに反響した。

振り返る。

暗がりの中から、
複数の黒ローブたちが、ゆっくりと歩み出してきた。

足音は一定。
感情も気配もない。
ただ、淡々と"獲物"を探すために動く機械のようだった。

(……もうすぐ、出口なのに……!)

ベネディッタは、唇を噛みしめた。

足は、まだふらつく。
肺は、まだ苦しい。
でも、ここで止まったら――間違いなく捕まる。

そして、あの"黒い群れ"の中に取り込まれてしまう。

(……なにか……なにかないの……!?)

必死に、目を走らせた。
ぐちゃぐちゃに壊れた受付カウンター。
倒れた案内板。
床に散らばる書類や、機材の残骸。

そして――

(あれ……!!)

転がった医療ワゴンの下に、
二つのものが、乱雑に散らばっていた。

ひとつは、
破れかけたファイルに挟まれた、数枚の紙。

そこには、見覚えのある名前が記されていた。

(私の……カルテ……?)

――義肢接合手術。
――ドナー提供元:L.R.Bausen
――適合率:54%
――精神影響:不明

(…バウゼン?)

どこかで聞き覚えのある名前だった。

頭が、ズキンと痛んだ。

今は、考える余裕がない。
でも――間違いなく、自分に起きたことが、ここに書かれている。

ベネディッタは、震える手でそのカルテを胸に押し当てた。

そしてもう一つ。

ワゴンの下に転がっていた、
小さな銀色の――医療用のメス。

細身で、鋭く、軽い。

(これなら……!)

今の自分でも、武器として握れる。

そして、何より――

(私は……!)

逃げるだけじゃない。
ただ怯えるだけじゃない。

(こいつらを……殺す!!)

胸の奥から、何かが突き上げる。
怒り。
憎しみ。
そして――生きたいという、どうしようもない衝動。

ベネディッタは、ぎゅっとメスを握り締めた。

その指先には、もう迷いはなかった。

呼吸を殺す。
足音を殺す。

じわり、じわりと、捜索を続ける黒ローブの背後へと忍び寄る。

相手は気づいていない。
無防備なまま、こちらに背を向けている。

そして――



(……死ね。……死んでしまえ)

ベネディッタは、心の中で呪いのように呟いた。

過去を奪った奴ら。
未来を奪った奴ら。
身体を、命を、心を――めちゃくちゃにした奴ら。

(死ね)

怒りも、憎しみも、恐怖も、
すべてを――この手に込めた。

次の瞬間、

ブスッ!!!

細いメスが、
黒ローブの首元に、深々と突き立った。

黒ローブは声ひとつ上げなかった。
体をピクリと震わせると、そのまま、力なく膝をつき、
血を垂らしながらぐらりと崩れ落ちた。

ベネディッタは、
その様子を、ただ黙って見下ろしていた。

胸の奥で、何かが砕けた。
何かが生まれた。

(……これが……)

(……"生きる"ってことなんだ……)

手にしたメスは、まだ震えていた。

でも、その震えは――恐怖ではなかった。

それは、
絶対に生き延びるという、
"意志"そのものだった。

(……もう迷わない)

(私は、生きる)

(そして――)

(私からすべてを奪ったやつら全員……)



(ぶっ殺してやる)



瞳に、
かつてないほど鋭い光が宿る。

身体は傷だらけだ。
呼吸は荒く、皮膚は焦げ、継ぎ接ぎの手足は軋んでいる。

けれど、
そんなものは、もはや瑣末なことだった。

魂だけは、
誰にも、何にも、汚されていなかった。

ベネディッタは、
メスをしっかりと握り直し、
ズタズタになった病院のエントランスを、ゆっくりと歩き出した。

出口は、すぐそこにある。

けれど――
彼女の戦いは、まだ始まったばかりだった。

一歩ずつ、血の跡を踏みしめるように前へ進む。

(逃げない……)

(怯えない……)

(立ち向かう)



焼けただれた空気の中、
ベネディッタの小さな影は、
誰にも止められない"狂気と覚悟"をまとって、病院と共に燃え上がっていた。
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