DYING MEMORY

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エピソード18:血の旋律 -カルロッタ-

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地下通路を、ゆっくりと歩く。
ざりっ、ざりっ、と乾いた音が、斧の刃から床へと落ちる血を撫でては吸い込む。
握りしめた両手の中指が、ぴくぴくと震えている。
だが、彼女は気にしない。痛みはもう、どこかへ行った。

「……ベネディッタ」

声に感情はない。名前というより、“呪文”に近い響きだった。
その次に続いた言葉は、もっと静かで――もっと重い。

「……ころす」

斧を持つその手に、わずかに力がこもる。
関節がゴリリと鳴り、皮膚の下で腱が軋む音がした。

壁を伝う灯りは薄暗く、まるで世界が彼女を歓迎していないかのようだった。
けれど、カルロッタの足取りは迷わない。

血の匂いが、自分の後ろからついてくる。
痛みの残滓、叫びの残響、吐いたもの、抜かれたもの、裂かれた皮膚――
ぜんぶが、斧の重みになっている。

一歩。
また一歩。

廃ビルの地下通路。冷気と錆のにおい。
遠くで水が落ちる音がする。

カルロッタはそのたびに、首を傾けて“音の正体”を探る。
聴覚はまだ生きている。むしろ鋭くなった気がする。
演奏者として培った感覚が、異様なかたちで研ぎ澄まされている。

「……シ……ファ……ソ」

 
地下通路に、音階のささやきが落ちた。
誰に向けるでもない、ただ“音”として漏れ出たそれは――さっきまで吹いていた戦闘曲の断片。
避難所で子どもたちの前で奏でた、エルデンリングの旋律だった。

斧を握る指先がわずかに動く。
それはクラリネットのキーを押さえるように――だが今、彼女の手にあるのは、音を刻む楽器ではない。
殺意を奏でるための、**“音色のない楽器”**だった。

 
次の瞬間、斧が振り抜かれた。

斬撃というには鈍すぎて。
薙ぎ払いというには静かすぎた。

ただ、リズム通りに振るわれた“一拍”。

 
ゴシャアッッ!!!!

血飛沫が破裂する。
肉が裂け、骨が砕け、黒ローブの胸元から脇腹までが“半音下がるように”開いた。
反対側にいた男は反応もできず、指揮棒に首を撫でられたように喉元を断たれて崩れた。

足元に倒れた体の中から、赤い水音が湧き上がる。

『ぐあっ……!!』
『この人間も不純物か……』

音。
うるさい。

カルロッタは一歩、濡れた靴底で前に出る。
斧を肩に担ぎ、目だけが前を睨む。焦点は合っていない。

「……じゃま」

口元が、ゆっくりと歪む。

「しね」

その言葉に、激情も怒号もない。
ただの命令文だった。
その瞬間――第二拍目が振り下ろされた。

刃は一直線に頭蓋を裂き、骨と脳を割る音がズブリッと響いた。
抵抗する声すら出ない。
男の身体がくにゃりと折れ、膝をつく前に命が砕けた。

その隣にいたもう一人が、顔を引き攣らせて後退る。
銃口を向けるまでの動作に、わずか1秒。だが――カルロッタにはそれで十分だった。

『激しい抵抗の確認。射殺』

冷淡な判断とともに、黒ローブがアサルトライフルを構える。
だが、遅い。

カルロッタはもう、振りかぶっていた。



ゴンッッ!!!!

鈍い音が空間を叩いた。
今度は刃ではない。
斧の側面――“打面”として使った金属塊が、頭蓋を真正面から潰した。

骨が沈む。
顔が潰れ、目玉が圧力で飛び出し、歪んだ口元が言葉の途中で止まる。

男の身体が、まるで中身のないマネキンのように崩れ落ちた。
血は飛び散らず、内側に沈んだ。

斧を肩にかけ直しながら、カルロッタの唇がまた小さく動いた。

「……ミ……レ……ド……」

唇が音をなぞるたび、斧が唸る。
それは斬撃ではなかった。
楽譜をなぞるような切断だった。
次々と現れる黒ローブの兵が、まるで指揮棒の指す音符のように倒れていく。

左から迫る者の首が跳ね、右から構えた銃が真っ二つに割れ、前方に走る者の背中が裂けた。

ザク、
ズブ、
ゴキィッ、
ビチャッ――

響く音すらリズムに変え、彼女はただ一つの旋律を地面に刻み続ける。

「……じゃま、じゃま……」

顔を歪め、喉を震わせる。
その声は泣き声に似ていた。
けれど、涙は出ない。もう流し尽くした。

そして――叫んだ。

「じゃますんな……ぜんいん、ぶっころしてやる!!!!!!!!!!」

その瞬間、空気の色が変わった。

カルロッタの脚が、床を砕く勢いで踏み込み、
斧が弓のように唸り、
目の前の敵を、内臓ごと断ち割る。

肉が裂け、骨が砕け、悲鳴と銃声が交差する中――
彼女だけが、一音一殺のコンダクターだった。

敵の血が彼女の肌を染めるたび、表情は狂気へと沈んでいく。
その目は何も見ていない。
ただ、“楽譜の続きを奏でる手”だけが動いていた。

――――――――――――――――――

地下通路は、血の赤で塗り潰されていた。
壁に飛び散った斑紋、床を流れる温い液体、内臓の切れ端が奏でる無音のざわめき。
誰もいない。
いや、“命を持ったもの”がいない。

そこに立つのは、斧を肩に担いだ、血まみれの少女。
身体も顔も、真っ赤な染料で塗り潰されたように濡れていた。

カルロッタは、ゆっくりとその場に腰を下ろす。
肉の破片がビチャと音を立てた。
それすらも、彼女には“素敵な音”に聞こえた。

「……あは、あはは。すごいきれい……!」

乾いた笑いが、誰もいない空間に響いた。
反響するそれは、もう人間の声ではなかった。
脳のどこかが熱で溶け、冷気と混じって生まれた“作品の感想”だった。

「わたし……げいじゅつ、だいすき……」

両手を広げ、赤く濡れた指を見つめる。
血が、肉が、音が、まだ指先に残っていた。
鼓動がある。震えがある。脳が焼けるように光っていた。

「おんがくも、びじゅつも……さいこう……っ」

顔を覆っていた髪がずり落ちる。
その下の瞳が見据えたのは、殺戮の果てに残された“美”の残骸。

「――あは、あははははははははは!!!」

笑いが、跳ねた。
口を覆うこともなく、喉から漏れ出す。
通路全体が美術館のように思えた。
奏でた音、浴びた血、描いた軌跡――全部がわたしの“作品”。

だが――その狂乱の芸術空間に、場違いな“足音”が割り込んだ。

ぴた、ぴた。
乾いた靴音が、血溜まりを避けるように地下通路を踏む。
カルロッタが背後を振り返る前に、男の声が届いた。

「……うわぁ、マジかよ……これ、あんたがやったの?」

その声は、場に似つかわしくないほど軽かった。
気怠げで、飄々としていて、殺気もなければ警戒もない。

カルロッタは斧を構え直すこともなく、ただ振り返ってその男を見つめた。

「……だれ?」

「誰かって? そりゃまあ……通りすがりの変人ってとこかな」

男は肩をすくめ、血の海を平然と跨ぎながら、
まるでコンビニで見かけた変な芸術作品でも見ているような顔で彼女を見た。

「いやぁ……ってか、それ全部ひとりでやったんだよな? いやすげぇよ。芸術っていうか……地獄絵図っていうか」

カルロッタの目が細まる。
その表情には、怒りも困惑もなかった。
ただ“理解不能な異物”を見つめる冷たいまなざし。

「……あんた、だれ?」

もう一度、問いが落ちる。
口調は平坦。けれど、地の底から這い出るような圧がこもっていた。

それでも男は笑った。

「見ず知らずの奴に自己紹介する義理ねーだろ、エロいおねーちゃん」

「……は?」

カルロッタの眉が、ぴくりとだけ動いた。

「いやだって……なにその格好。ブラにパンツで、しかも血まみれで斧持ってんだぜ?
正気じゃねぇ。てか正気だったら怖ぇ」

口元を吊り上げ、ニヤニヤと笑いながら、男は手をポケットに突っ込んだまま言った。

「つーか、そんなんでこっち来られたら……そりゃ俺でも“反応”しちゃうっての」

彼の声は軽い。軽いのに、どこかで「一線」を越えていた。
ふざけているのか、挑発しているのか――それとも本当に“わかってない”だけなのか。

そしてカルロッタの口が、ゆっくりと開いた。
目を細め、声を低く、低く、吐き捨てる。

「……ぶっころすね」

低く、重い言葉が地下通路を満たす。
カルロッタの腕がわずかに引かれ、斧が“打点”を捉えるために構え直された瞬間――

──ぶしゅっ。

男の懐から、唐突にガスが噴き出した。
白濁した煙が一気に広がり、視界がぼやける。

「なにッ……!?」

カルロッタが一歩引く。
けれど、もう遅い。
吸った瞬間に、肺が内側から鈍く沈んだ。

「んじゃ、おねーちゃん。ちょっとおやすみな」

男は涼しい顔でそう言いながら、ガスの中心を抜けて現れる。
口元にはマスクも何もない。まるで、自分だけは“効かない”ことを知っているかのように。

「コイツはね、特注の“強制睡眠ガス”ってやつ。効き目はすぐ。
下手に暴れると、気道にガツンと来るから気をつけて」

「……こ……んな……の……で……っ……!」

カルロッタが斧を振ろうとする。
だが、腕が上がらない。
頭が重い。視界がゆがむ。
斧の重さが、いつもの十倍にも感じる。

「悪いんだけどさぁ……おねーちゃん、めっちゃいい素材だから」


「捕まってくんね?」


その言葉に、カルロッタの目が揺れる。
背筋がぶるりと震え、足元から力が抜ける。
全身がぐにゃりと傾ぎ――そのまま、地べたに崩れ落ちた。

「……な、に……あんた……」

地面に倒れたまま、唇だけが動く。
焦点の合わない視線が、霞んだ男の顔を見上げる。

「あっ、そうだそうだ。やっぱ自己紹介しとくわ」

男はしゃがみ込み、彼女の顔に手をかざしながらニカッと笑う。



「ジェイソン・K・バウゼン。シクヨロ♪」

その名前に、カルロッタの顔がぴくりと強張る。

「バ……バウゼン……? あの……だいはんざいしゃ……?」

「お、知ってるんだ? やっぱそーいう扱いなのね。うーん、イメージ悪ぃなー。
じゃあそれっぽく振舞わないと……ダメか?」

くすくすと笑いながら、ジェイソンは立ち上がった。
床に横たわるカルロッタの髪に、つま先で触れる。

「…………だ、め……だ……」

最後の抵抗。
声にならない息。
だが――それでも、身体はもう動かない。

「そ。だめだったね」

ジェイソンはその場でくるりと背を向け、懐から小型の通信端末を取り出す。

「さてと。おねーちゃんは後続隊に任せてっと……」

「……で、次は兄貴と言われてるリベラートか」

薄暗い通路を振り返りながら、肩をすくめる。

「まぁ多分、あの村に隠れてんだろ」

通信端末を閉じ、ふらりと歩き出す。
その背中に、もう一度だけ呟くように付け加えた。

「……んじゃ、車もテキトーにパクって、会いに行くとしますかね」

そして。
血にまみれたカルロッタの斧だけが、通路にぽつんと取り残されていた。
まるで、ここに確かに“音楽が存在していた”証拠のように。

「いやーそれにしてもこのおねーちゃん、マジですげえいい身体してんなぁ。
めっちゃエロいし、今すぐにでもぶちヤりてえわ、ほんと。
彼氏クンもなんか死んでるっぽいし……事が済んだらヤっちまおうかな?」

――――――――――――――――――

目蓋が重い。
意識の底から、ゆっくりと浮かび上がる。

「……ん、……ぅ……」

乾いた喉が空気を吸い、微かに声をこぼす。
指先がぴくりと動いた。
次いで、目蓋がゆっくりと持ち上がる。

視界が、白い。

……違う。
“白い光”じゃない。
“白い空間”だ。

天井、壁、床、ベッドシーツ、照明──
すべてが、塗り潰したように白い。
異常なほど清潔で、無菌的で、人工的な白。

カルロッタは、瞬きもせず天井を見つめていた。
呼吸は浅い。心拍はまだ乱れている。
でも、意識は確かだ。

そして、気づく。

『Jより調達した素材C、起床確認』

無機質な声。
それに続くのは、生身の人間ではない──機械音声。

カルロッタの目の前には、フードを外した教団員たちが数名並んでいた。
男も女もいたが、誰一人“人間らしい感情”を顔に浮かべていない。
ただ黙々と、デバイスに指を走らせ、彼女の全身をデータでなぞっている。

そして気づく。
自分が……カプセルの中にいること。

周囲は透明な円筒。
ベッドのように思っていた床は、検体固定用の安定台だった。
四肢は接着されておらず、代わりに筋肉が動作しない。
神経信号が遮断されている。
目と脳と心臓だけが生きている。
そんな状態。

「……ぁ、……ぅ……っ」



喉が乾いて声が出ない。
声帯すら機能制限がかけられているのかもしれない。

『損傷箇所、応急処置済み。脳波安定』
『覚醒後の暴走兆候、現在なし』

『了解。これより生成を開始』

カプセル上部、無機質なアナウンスと共に、天井から数本のアームが降下する。
無音で、確実に。
それはまるで、“祈りの手”のような姿をしていた。

アームの先端が開く。
そこに備え付けられた細い注射針、光る端子、電極チップ。
それぞれがカルロッタの頭部を狙って、寸分違わぬ角度で接近していく。

(……せいせい……?)

カルロッタの思考がざわつく。
瞳は見開かれ、焦点が合わないまま天井を見つめる。
その白の世界が、“病的な光”を帯びているように思えた。

(なにを……するの……?
“せいせい”って……なに……?
わたしを、なおすの……? ちがう……わたしを……)

脳の芯に、微かな電流が走る。
感情のコアに触れるかのように、
“誰かの手”が、意識の中に差し込んできた。

(いや……いや……やだ……)

記憶がにじむ。
ベネディッタ。斧。嘔吐。爪。アバルト。血。
音楽。演奏。拍手。喜ぶ子どもたち。

あのとき……楽しかった。
あのとき……苦しかった。

でも……全部、“わたし”だった。

(……わたしを、けさないで……)

声が出ない。
叫びたくても喉は封じられている。

瞳だけが、涙を浮かべはじめる。
その涙さえ、カプセル内のセンサーが機械的に検知する。

『涙腺反応:正常。
感情切除における副作用と判断。作業継続』

(ちがう……!)

アームが降りてくる。
頭皮に触れる。
電流が走る。
思考が揺れる。

(わたしは……わたしで……!)

 
──だが、次の瞬間。

脳の奥、なにかが“逆流”した。

「……っぁ……!」

喉が、かすれた。
声帯制御が一瞬、抜けた。

目の奥に、“黒い火”が灯る。
感情抑制の前に、記憶のコアが発火した。

音楽。
斬撃。
ベネディッタの笑顔。
殺す。
殺す。
ころす。

(ころす……ころすころすころすころすころすころす──)

その瞬間、カプセル内で神経電圧が跳ね上がる。

『異常値検出。
脳神経反応:想定値を大幅に超過──』

カプセルの側面に、バチッと火花が走った。
制御パネルが一瞬、暗転。

カルロッタの目が、鋭く開く。
無感情ではない。
それは──“まだ壊しきれていない”目だった。

パネルに赤いアラートが点滅する。
数値が跳ね上がり、脳波の曲線が尖った殺意の山形を描く。

『……!? 止めろ、接続を切れ!』

黒服の男が叫ぶ。
だが制御が間に合わない。
アームはまだカルロッタの頭部に接触しており、
ナノチップが脳神経に繋がったまま──

そしてその“回路”が、
カルロッタの精神そのものに侵入していた。

 

(ころす)



次の瞬間、カプセルの中で何かが破裂した。

バチンッ!!!!

激しい火花。
頭部から走った電流が逆流し、カプセル天井部の機器が破損。
アームが軋みながら引き戻される。

カルロッタの身体が痙攣する。
だが、それは“苦しみ”ではなかった。
目が、覚めた。

 
「……っ、は……っはぁ……っ……ッ!!!」

喉から漏れた喘ぎ。
瞳孔は見開き、真っ直ぐ正面を睨んでいる。

ガコン。

カプセル内部の安全ロックが弾け飛ぶ。
樹脂シールドにひびが入り、
その次の瞬間──

バァンッ!!!!!!

内側からの蹴りで、カプセルが吹き飛んだ。
破片が壁を叩き、黒服のひとりが悲鳴を上げて仰け反る。

カルロッタが立っていた。

ボディスーツが破け、胸部の縫合跡が裂ける。
血が流れる。痛みが走る。

でも。
笑った。

「……ころす」

爪が剥がされた指先で、
彼女は近くの床に落ちていた破片──
ナノ接続端子の金属パーツを、ナイフのように掴み取った。

「おまえらぜんいん……」





「しねぇぇぇえええええええええ!!!!!!!!!!!!」

 






次の瞬間、彼女は跳んだ。
抑制の取れた肉体。
演奏者として鍛えた体幹と脚力が、音速のように響いた。

黒服の首筋に金属片が突き刺さり、
そのまま血が噴き上がる。

『実験体が暴走!封鎖を――』

叫ぶ前に、腹を裂かれる。
叫びは声帯ではなく、内臓から零れた。

カルロッタの動きは早い。
野生ではない。
“演奏”に似た殺しのリズム。

「ミ、レ、ド、シ、ラァ!!」

歌うように叫び、
その場にいた4人を、次々に切り裂いていく。

赤が、白の世界を塗り替える。

彼女の暴走は、
もはや“止める”という概念すら許さない。
白い部屋は、
再び──

“カルロッタという楽器”の音で満たされていった。

「なにごとだ!」

鋭く響いた声とともに、白い扉が開かれた。
血の匂いが充満するその部屋に、
躊躇いもせず踏み込んできたのは──中年の男だった。

カルロッタは即座にその姿へと顔を向ける。
そして──
見知った顔だった。

その男もまた、カルロッタを見て、眉を跳ね上げた。
混乱と驚愕が混じる視線が、彼女の全身を捉える。

「……あなた、もしかして」

一歩、にじるように前へ出るカルロッタ。
喉が震え、名前が漏れた。

「ヴァルターさん……?」

その声に、男の顔がこわばった。
白衣の裾が微かに揺れる。

「!? お前……カルロッタか……?」

まるで夢でも見ているように。
男は震える声で問い返した。

「……なんでここにいるの?」

カルロッタの声は、
音程こそ穏やかだったが、異様な静けさを孕んでいた。

ヴァルターは言葉を詰まらせ、
わずかに視線を逸らす。

「俺は……違うんだ。
カルロッタ、これは違う。俺はただ、ここの設備を管理してるだけで……」

「かんり? なにを?」

「研究の……進行具合を……その……」

「わたしを“素材C”ってよんでた。
『生成を開始』っていってた。
それを“かんり”してたの、あなた?」

「いや、それは──違う! 俺は反対していた!
俺は……もともと、君を助けたくてここに……」

「たすけたい? じゃあなんで、ひなんじょからこなかったの?」

「避難所……なんのことだ?」

ヴァルターのその問いは、
無知から来たものではなかった。
“知っていた上で、知らないフリをした”
──そんな不自然な“間”があった。

カルロッタの目から、一瞬で色が抜けた。
思考が、フリーズする。

「……は?」

声が、ひび割れた。
それは言葉ではない。疑念と怒りが結晶になった音。

「いま……なんていったの」

「……いや、その……カルロッタ、俺はその、事情を──」

「──“なんのことだ”って、いったよね?」

手が動いた。
金属片が手の中で回転し、逆手に握られる。

「わたし……あそこにいたんだよ?
あのちかのひなんじょで、ともだちとおもってたクソおんなにごうもんされて。
ないて、はいて、ちがとまらなくて。
それでもだれもたすけにこなかった。
ずっと、だれかをまってたんだよ。
ヴァルターさん、あなただって、ずっと……」

肩が震えていた。
言葉は絞り出すようだった。

「“なんのことだ”って……なんでいえるの……?
ほんとうに、しらなかったの……?」

彼女はもう、答えを求めてはいなかった。
ただ、その口から「嘘だった」と認めさせるだけ。

ヴァルターは言葉を失った。
それが何よりの証拠だった。

カルロッタの口角が、わずかに上がる。
それは、笑いではない。
絶望と理解の交差点でしか浮かばない、怒りの形。

その瞬間。
部屋の空気が凍った。

カルロッタの声は静かだった。
だがそれは──全てを諦めた人間が、怒りだけで心を繋ぎ止めている声音。

「……わかった」

ヴァルターが戸惑いの色を顔に浮かべ、わずかに首を傾げた。
だが、それも一瞬。
その言葉の真意が彼の耳に届いた瞬間──

「なんだ、カルロッタ?」

その“問い”が、
あまりに人間らしく聞こえてしまったことが、致命だった。







「……おまえ、にせものだね?」






今度は、間違いなく“殺気”が放たれた。
空気が裂ける音さえした。

カルロッタの瞳は、怒りではなく、
見抜いた者の冷徹な光でヴァルターを捉えていた。

「俺が……偽物だと!?」

「ほんものはひなんじょにいた。わたしをたすけた。
それに、あそこでえんそうもした。


わたし、なにをふいたか、わかんないでしょ?」


その一言が、すべてだった。
まるで斧より鋭い刃。
記憶という証拠。音楽という真実。

ヴァルターは一瞬口を開けたが、言葉が出なかった。
答えを探そうとして、探せなかった。

その沈黙に、カルロッタは静かに頷いた。

「やっぱり──おまえ、ぜんぜんしらないんだね」

“記憶”がない。
だから再現できない。
だからズレる。
どんなに姿かたちを模しても──中身が空っぽ。

「じゃあ、おしえてあげようか」

カルロッタは一歩、足を引いた。
斧を肩に担ぎ、深く腰を落とす。

「ツシマとエルデンリング、やったんだよね」

「くだらない!」

偽物が吠えた。
まるで正体を暴かれ、殻を破り捨てるように声が歪んでいく。

「お前の感情など! 記憶など! 無意味だッ!!
お前はただの器、生成の母体──
芸術だの演奏だの! クソほどの価値もないッ!!!」

「あっそ」

その瞬間、カルロッタの姿が溶けるように消えた。
いや、速すぎて目が追えなかった。

次にヴァルターの目が捉えたのは、
自分の頭上に振り下ろされる、血塗れの鉄の軌跡だった。

ズバンッ!!!

激しい斬撃音。
顔面が縦に裂け、骨が露出し、白い床に血が雨のように降り注ぐ。

「これがわたしの“いかり”」

もう一撃。
そしてまた一撃。
もはや姿かたちは残らない。
塗りつぶされた“嘘”が、芸術のように刻まれていく。

カルロッタの頬に、血が跳ねた。
だが、彼女はその血を拭わない。
冷えたように、ただ静かにそこに在る。

「そっか……」

唇がわずかに動き、ひとりごとのようにこぼれた声。
それは納得でも悟りでもない。
ただ、事実だけを受け入れる音だった。

「わたしも……にせものにされるところだったんだ」

視線が、血まみれの床に落ちた“それ”を見下ろす。
もはや人の形ではない赤黒い塊。
けれど、その中にあった“つくられたヴァルター”が、
避難所で出会った人物とそっくりだったことは、紛れもない事実。

金属片がゆっくりと肩から下ろされる。
重さが、現実に戻る。
斬るべきものは、もういない。

カルロッタは一度だけ深く息を吐く。
白い部屋。赤い血。

いま、その瞳に残るものはただひとつ。

破壊のための意志。

「ライフベージ……にせものつくる、クソのしゅうだん」

声は低く、乾いていた。
断罪の言葉。
口からではなく、魂の奥から滲み出た呪詛。

「アバルトは、かれしはこれについたクソやろう」

感情が震える。
それは愛の反転だった。
かつて想った男の名を、これほどまでに汚く罵ることができたのは──
本当に愛していたからだ。

「ベネディッタは、わたしをこうさせたクソビッチ」

憎しみの対象はもう一人。
かつて“仲間”と信じた女の名も、その舌先から突き落とされた。
友情も、絆も、もう二度と戻らない。
この女のなかには──もう、人間関係の余白など残っていない。

そして──

「いいよ」

その声は……なぜか、楽しそうだった。
笑っている。
泣きたくなるほどに楽しげに。

「わたし、ぜんいん、めちゃくちゃにぶっころす」

斧を片手にぶら下げて、
血の中を、にじむように歩き出す。
足音が、音楽になる。
狂気の四拍子。
斬撃の主旋律。
復讐のハーモニー。

そして──

ブオオオオオオオオン!!!

まるでそれが合図だったかのように。
施設全体に、低く唸るような警報音が鳴り響いた。
赤い光が点滅し、無機質だった廊下の壁が一斉に生命を持ったかのように警告を点滅させる。
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