タイトル『飛べ!南陽航空株式会社

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序章

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■南陽諸島沖

 東京から南南東約一〇〇〇キロに浮かぶ南陽諸島の沖。

 環境保護活動団体グリーンホエール職員の相内由紀は、船内の事務室でコーヒーを飲みながらその日のクジラの生態調査の結果をレポートにまとめていた。時刻は夕方6時を回った頃。七月とはいえ、そろそろ陽も陰り始めている。早めにレポートを終わらせて、雄大な夕陽を拝もうかと悦に入りかけたとき。
 ドカンと急に大きな衝撃を受け、カップのコーヒーがノートPCのキーボードにぶちまけられた。
「あっ。」
 慌ててコーヒーを拭おうと首にかけていたタオルを手に取りPCを見る。すると、液体がキーボードの上を左側に流れていく。
「!」
 船が傾いているのだ。机を両手で掴み足を踏ん張ってバランスをとる。数秒後、警報とともに船内放送が流れた。
「座礁です。速やかにライフジャケットを着け、救命ボートで脱出してください。速やかに・・。」
 天井の照明が一瞬激しく点滅するとぷつりと消え、オレンジ色の非常灯がぼんやりと周囲を照らす。
 考えるより早く体が動いた。救命胴衣が入っているボックスを破るようにこじ開け、頭から被る。そして紐を縛ると、廊下に飛び出した。サイレンが響く中、薄暗く狭い通路を出口に向かって歩く。船体が傾いているので、真っ直ぐ歩くのも困難だ。手すりに掴まりながら進み、なんとかたどり着いた出口の金属性の重たいハッチを押し開く。
 ビューと吹き付ける海風に水飛沫が混ざり、たちまち服が水浸しになる。まだ微かに太陽の名残があり、周囲が見渡せるが、すぐに漆黒の闇に包まれるだろう。恐怖心が身体を支配しそうになる。だが、この場面ではパニックになるのが一番危険だ。
 震える心を押し殺しながら外側の手すりを伝って前に進むと、制服を着た何人かの船員が救命ボートを下ろす準備をしている。別の出口からはグリーンホエールの仲間達も出てきた。視界が確保できるうちに、なんとかボートに乗り移ることはできそうだ。ただ、この時間は周囲に僚船も漁船もいなかったはずだ。太平洋のまっただ中に放り出されて、助かるのだろうか・・。



■江東区新木場・東京ヘリポート

「今日の遊覧飛行はこれでおわりだね。」
 レインボー航空役員の本郷健司は、フライトを終えたセスナのパイロットからの報告書類を受けとりながら返事をした。役員といっても社員数人の小所帯なので、自ら雑用もこなさなければならない。特に以前に大手航空会社で運航管理に携わった経験のある本郷は重宝されていた。
 ただ、本郷自身には忸怩たる思いもあった。
(本当にやりたかったのは定期便の運航なんだよな。こんなセレブ相手の遊覧飛行じゃなくて。まあ、会社が経営破綻したんじゃ贅沢もいえないか。業界から離れた仲間も多い中で、少なくとも航空分野に携わっていられるだけましかもな。)
 自嘲気味に誰にともなく呟く。
 ふと顔を上げると、事務所の外の廊下が何やらガヤガヤしている。多くの人が行き交っているようだ。
「何か騒がしいみたいだけど、何かあったの?」
 本郷は受け付け業務をしている女性に尋ねた。
「なんか、船の座礁事故みたいですよ。捜索と救援で、ここからも海保のヘリが飛ぶみたいです。」
 本郷は窓の方に駆け寄り、外を見た。海保の格納庫には煌々と明かりが灯り、大勢の職員達が慌てて離陸の準備をしているのが見える。
(漁船レベルじゃないな。もう少し大型の船か。しばらく慌ただしくなりそうだな。夜だから捜索も難航しそうだ。犠牲者が出なければいいが。)
 海上と空の違いはあれ、乗り物の事故には職業柄敏感になってしまう。しかも、航空機のことを英語でシップとも言うように航空業界では船舶由来の用語など共通点も多く、他の交通機関と比べても親近感や関心が高い。
(とはいえ、夜間ならうちに協力要請がくることはないだろう。念のため、明日朝は早めに動けるように手配だけはしておくか。)
 本郷は整備士にいつでも出発できる準備だけはしておくように指示を出し、家路に着いた。

 結果的には幸いにもこの準備が生かされることはなく、翌日の昼頃になって、全員無事に救助されたと報告を受けた。本郷はひと安心すると、自分の中の警戒態勢を解いて日常の勤務に戻った。そしてそのまま座礁事故のことは頭から離れていった。まさかその事故の関係者が後々本郷の人生にも大きく影響を与えてくるとは思いもせずに。



■南陽諸島・本島

「ばあちゃん、今帰ったよ。」
 国枝弘樹は実家の玄関の扉を開けた。二年ぶりの帰郷だ。船は週に一便しかなく、しかも所要は竹芝桟橋を出てから約二十四時間。証券会社で忙しい日々を送る弘樹は、長期の休みがとれるお盆の前後くらいしか帰ってくることができない。
 二十四時間あれば飛行機なら地球の裏側でも行けちゃうよ、と疲れた声で呟く。来るのはまだいいのだが、また同じ時間をかけて帰らなければならないのだ。
 飛行機があればと思うのは、島民や関係者皆の願いである。一方、空港を作ればある程度の環境破壊は免れない。空路開設の話はもう何十年も出ては消えを繰り返しながら、一向に進む気配が見えない。

「あれっ?」
 弘樹は訝しげに家の中を見回した。いつもならすぐに優しく答えてくれる祖母の返事が聞こえない。外出したのかとも思ったが、それにしては玄関の鍵も開けっ放しである。いくら田舎とはいえ、祖母はそのあたりはきちんとしていたはずだ。
 弘樹は嫌な予感がして、荷物を玄関に放り投げると居間の方に駆け込んだ。

「ううっ」
 今の畳の上に祖母が倒れてうめき声をあげている。
「ばあちゃん!」
 弘樹は祖母に駆け寄ると、声をかけながら携帯で救急の番号を押した。

 狭い町のことなので、すぐに救急車がやってきた。駆け付けた救急隊員は祖母の姿を見るなり、「むやみに揺すらないでください。脳溢血化もしれない。」と弘樹に言った。
 弘樹はそのまま救急車に乗って村の診療所に向かう。その間、仕事に出ている両親にも電話をかけて状況を伝えた。
 ものの数分で診療所には着いた。祖母は担架のまま診察室に運ばれていく。しばらくすると、近所のお土産物屋で仕事をしていた母がやってきた。


「ばあちゃん、どうね?」
「いや、まだ分からん。父ちゃんは?」
「漁に出てる。漁協から無線で連絡してもらったから、そんなにかからずに来ると思う。」
 母がそう応えたとき、医師の呼ぶ声が聞こえた。
「国枝さん。」

 母と診察室に入った。医師は少し難しい顔をしている。
「やはり脳溢血です。早く本土の病院に運びたいんですが…。」
 なぜか医師は語尾を濁している。
「何か問題があるのでしょうか?」
 母が医師に尋ねた。この島には診療所しかないので、大きな手術などはできない。緊急の患者が出た場合はヘリで自衛隊基地のある玄武島に移送して、そこから自衛隊の輸送機で運んでもらうしかないのだ。
「近海で船の座礁事故があったらしくて、捜索と救援でヘリが出払っているんです。一刻を争うのですが・・。」


 結局、祖母は駆け付けた父にも見送られながら翌日の明け方に息を引き取った。時間的には、ヘリがあったところで助かったかどうかは分からない。しかし、ヘリが救援に向かったのがグリーンホエールの船だったことを知った弘樹はもやもやするものが心に残った。
(漁船や貨物船の事故なら仕方ない。でも、あんな環境保護団体の道楽のせいでヘリがなかったなんて納得がいかない・・。)
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