タイトル『飛べ!南陽航空株式会社

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第三章 始動

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 東京でも桜の花が咲き始めたころ、それまで準備していた様々なことが動きだした。年末には弘樹も覚悟を決め、十年近く働いた証券会社を退職して南陽航空の役員として加わっていた。
 大きなターニングポイントになったのは、南陽側の空港問題の前進だ。隊の活動が優先という条件つきとはいえ、運航が開始された場合は発着地として自衛隊基地の施設が使えるという約束を取り付けた。元々緊急時などに飛行艇が離発着している場所だから、運航に関わる施設自体には問題がない。あとは民間人の動線と、基地外への旅客ターミナルの開設だが、乗客数を考えれば客船ターミナルよりもずっと小さい設備でことは足りる。
 この実現には、松永の尽力が大きかった。さすがに国レベルを動かすには、国会議員の力が欠かせない。大規模空港建設が発生しないという環境面からの攻めと、安全保障にも通じた松永の離島防衛にも寄与するという論理で与野党とも強く反対できない理屈を講じたのだ。国が動けば都も動き易い。それに、この方法なら都の負担は限りなく少なくて済む。
 島側の目処がたったところで、本土側の空港問題でも連鎖反応がおきた。もちろん裏で藤田さんが人脈を駆使して働きかけてくれたのが大きいのだか、こちらは民間主導だった。横浜の財界で一定の影響力を持つ港湾組合の会長が、千葉県側に空港を持っていかれることに対して強い対抗意識を燃やして立ち上がったのだ。これに中華街や元町の商工会などの中小の団体も追随する。そして、成田空港を擁する千葉県に対して民間の空港が無いことに劣等感を感じていた県議、市議の心情に訴えかける作戦で、徐々に議会の雰囲気を空港建設に持っていくようにした。
 議会に空路創設の機運が高まれば、さすがに日本で最大の人口を誇る横浜市と、全国第二位の人口を抱える神奈川県だ。財政的な問題はあまりない。もうひとつのポイントが、県知事が著名なニュースキャスター出身者だったことである。表に出るのが大好きな知事の虚栄心をくすぐるやり方で味方につけると、通常なら環境アセスメントなど取り掛かるまでに時間がかかる事業が鶴の一言でとんとん拍子に進んでいった。



■神戸・初飛行

 五月、渡辺さんからの連絡で事業はまた大きく前進した。飛行艇の旅客機タイプ試作機の完成だ。本郷を含めて三人は、神戸にあるM社の工場に向かった。

 新幹線を新神戸駅で降りると、駅前には渡辺さんが車で迎えに来ていた。
「工場まではちょっと遠いんで、来ちゃいました。満足のいく仕上がりになっていると思いますよ。」
 三十分ほどで、車は工場に着いた。工場は芦屋の近くの工業地帯にあり、そのまま海上に出られる設備も整っている。
 渡辺さんの案内で建物の中に入った三人は、まずその壮大さに驚いた。巨大な建物はいくつかのセクションに区切られ、数機の航空機が並行して製造されている。
「早速見てみますか?」
「はい、お願いします。」
  工場内の狭い通路を辿り、入り口とは反対側の扉から外に出た。
 工場の海側には広大な駐車場のようなエプロンがあり、右手はそのままスロープになって海中へと続いている。南陽でも見た飛行艇の誘導路だ。そのエプロンの中央に、ひときわ巨大な航空機が一機鎮座している。もちろん普段空港で見かけるような大型航空機と比べれば小さいのだろうが、間近でみると迫力が違う。しかし、外観はピカピカの新品という感じではなかった。
「さすがに未知数の事業で新造するわけにはいかなかったんで、既存の輸送機を改装したの。」
 渡辺さんが説明を加えた。
「とはいえ、機齢はまだ五年も経っていないし、運航実績もあるから逆に安心できるわ。内装はバッチリ旅客仕様にしてあるから。外観は、どのみち塗装し直すんだからあまり気にしないで。ところで、デザインはどうするの?」
 三人は思わず顔を見合わせてしまった。これまではそれどころではなかったというのが本音だが、そろそろ会社のロゴマークや期待のデザインを本格的に考えなければならない時期だ。急に現実味が増してきて、弘樹は少し身震いした。
 航空機の周りでは、数人の作業員が整備を行なっている。その周りには、なぜかカメラなどの機材を抱えた十人ほどのグループがいた。彼らの脇を抜けて、タラップを登って由紀たちは機内に入った。
 機内は真ん中に通路があり、その両側に二つずつ座席が並ぶ。配置としてはリムジンバスのようなイメージだ。シートは軽量化のために重厚感はないが、数時間なら十分に快適に過ごせるだろう。後方にはラバトリーと小さなギャレーもある。最後尾には小さな貨物室もある。安定した収入を支えるための重要な設備だ。
 本郷は細かく各設備をチェックしているが、由紀と弘樹はただ興奮してあちこちみているだけだ。
「では、座ってシートベルトを締めてください。」
「えっ。」
 みな驚いて言葉を発した渡辺さんを見つめた。同時に、タラップを上がって先ほど飛行艇の周りにたむろしていたカメラマンたちも乗り込んできた。
「期待どおりに驚いてくれてよかったわ。今からデモフライトを行います。メディアの人たちにも同乗してもらってね。これは我が社にとってもハレの舞台なので。」

「まもなく出発しますので、シートベルトを今一度ご確認ください。」
 機長がアナウンスをすると、それまでガヤガヤしていた機内が急に静かになった。それと反比例して、エンジンの音が大きくなってくる。機体はゆっくりと動き出し、そのままスロープを下って着水した。
 ぐらりと機体が揺れ、プロペラを回すエンジンの音が更に大きくなる。飛行艇はそのまま高速湾岸線の橋の下をくぐり抜けると、一気に加速した。それまでの波に合わせる船の揺れから、ジェットフォイルのような波を叩く揺れに変わったかと思うと十数秒で、ふわりと機体は空中に浮き上がった。
「うわっ。」
 思わず弘樹は声を漏らした。だが、それは弘樹だけでなく様々な場面に遭遇しているはずの記者たちも同様だった。
 機体はぐんぐん上昇していく。さすがに世界的にも評価の高い性能の飛行艇だ。滑走距離も短く、出発からこの高度に達するまでに数分しかかかっていない。安定飛行に移ると、記者たちはキャビンや窓の外の写真を撮り始める。中には動画を撮影しているカメラマンもいるようだ。いろいろ話しをしてみたかったが、プロペラ機の出す音は想像以上でなかなか落ち着いて会話するのは難しそうだ。話すのは着いてからにしようと諦め、弘樹は短い遊覧飛行を楽しんだ。
 
 三十分ほどのデモフライトを終え、機体はまた神戸の海へ帰ってきた。高度を徐々に落とすと、小さなショックのあとは波間を滑るように滑走していく。内海で波が穏やかなせいもあるだろうが、懸念していたような揺れや振動は無かった。そのまま飛行艇は海上を走り、やがて近づいた工場のスロープを登ってエプロンで停止した。
 初飛行の興奮に包まれたまま飛行艇から降りると、三人は応接に通され、しばらく待つように言われた。渡辺さんは先にメディアの取材を済ませてしまいたいようだ。
「さて、課題はどこにあったと思う?」
 渡辺さんを待つ間、本郷が聞いてきた。
「素晴らしかったです。揺れもほとんどなかったし。」
 由紀が答えて弘樹も頷くと、本郷はちょっとがっかりした表情になって言った。
「それじゃあ駄目だよ。一般人の感想になってる。我々は運航する側として、もっと批判的に見て、改善点があれば一緒に直していかないと。今回は我々がローンチカスタマーになるんだ。新造機の場合は、メーカーと運航する航空会社が一緒になって創り上げていくんだ。
 例えば、機内で会話ができたかい?」
「そういえば、確かにプロペラの音がうるさくて大きな声を出さないと聞こえなかったわ。」
「そうだよね。輸送機とか救難艇なら実用性重視でいいけど、旅客機ならある程度快適さも重要だよ。旅行に行くのに同行者と会話できなかったら寂しいだろ?」
「でも、防音にするのは大変じゃないんですか?」
「もちろん、費用も嵩むし重量も増えるから簡単ではないよ。でも、M社だってこの先機体を販売していきたいのなら、カスタマー側の意見も取り入れていく必要があるんだ。お互いに話し合いながら妥協点を探っていくのは、ローンチカスタマーの義務でもあるよ。」
「分かりました。できるできないは別として、気になったところは全部リストアップして整理しておきます。」
 由紀が弘樹と機内の状況を思い出しながら話をしてると、ドアをノックする音がして渡辺さんが入ってきた。だが渡辺さんはドアを閉めずに後ろを振り返って手招きをする。すると、先ほど飛行艇に同乗していた記者やカメラマンのうちの数人が、中に入ってきた。
「いい機会だから取材したいって。いいでしょ。会社を売り込むチャンスよ。」
「ええ、それは構いませんが、って、写真も撮るんですか? もっとちゃんとした格好してくれば良かった。」
 由紀は戸惑いながら答えた。元々は工場での機体の見学だけのつもりだったので、動き易いカジュアルな服装で来てしまったのだ。
「大丈夫ですよ。むしろその方が現場感があって読者受けするかもしれない。あとで機体の横でも撮らせてください。きっと絵になりますよ。いいでしょ?渡辺さん。」
 なるほど、そういう捉え方もあるのかと由紀は思った。
 記者は経済紙の大阪経済部と地元紙、それに航空雑誌の編集者兼カメラマンなどだ。由紀は会社設立の想いや経緯、事業計画などについて澱みなく説明した。これまでにも何度も経験してきたことなので、カメラマンのフラッシュが気になること以外は特に戸惑うこともない。時折技術的な質問が入ると、本郷が助け船をだす。
 由紀が得意そうに取材を受けているのを横目に多少の嫉妬を感じてしまった弘樹だったが、自分ならあそこまで流暢に対応できただろうかと自問自答し、彼女を社長に選んだ藤田さんの先見性に感心した。
 取材が終わると一旦渡辺さんは記者たちを見送るために外に出て行った。しばらくすると部屋に戻ってきたのだが、その際に記者とは別の男性を伴って入ってきた。
 応接卓を挟んで反対側に立った男性は名刺を取り出して挨拶をする。
「人事部長の神里と申します。」
 人事部長? 由紀は戸惑った。機体のリースや出資の話があるので財務関連の担当者が出てくるなら分かるが…。
「いや、驚かせてすみません。ひとつ相談がありまして。」
「はい、なんでしょうか?」
「御社がよければですが、こちらの渡辺をしばらく出向させたいと考えております。受け入れてはもらえませんか?」
 技術職ではないとはいえ、メーカーの社員を受け入れるのは整備部門が薄い、というよりほぼ無きに等しい会社としては願ったり叶ったりだ。
「弊社としても旅客機タイプは初めての開発になるので、実際に内部から運用に携わって問題点があれば随時フィードバックしてもらいたいんですよ。」
 由紀は左右に座った本郷と弘樹の顔を順に見てから力強く頷いた。
「こちらこそよろしくお願いします。」
 神里は、必要な書類だと言って社名のロゴが入った茶封筒を手渡すと、部屋を後にした。何のことはない、初めから受け入れられる前提で全て準備されていたのだ。由紀は渡辺さんと顔を見合わせて、くすりと笑った。
「これから改めてよろしくお願いします。」
 渡辺整備部長誕生の瞬間だ。

 渡辺は今回のデモフライトで洗い出された問題点の解決に目処を立ててから合流するためにしばらくは神戸に残ることになった。
 その日の夜、帰京する前に新神戸駅近くのレストランに四人で夕食をとることにした。
 席上で由紀が言った。
「みんなと協力して、だいぶ前進してきました。でも、まだまだ認可申請を出すところまで辿り着けていません。
 さらに大きな一歩を踏み出すために、会社の場所を移したと思います。今の登記上の住所は藤田さんの自宅で、実務はそれぞれの家で行っているような状態ですが、これからは営業体制なども整えていかないと。それにはどうしても立地のいいオフィスが必要です。」
「それは俺も感じていた。都心部にオフィスがあれば営業的には動きやすいよな。セールスを考えると旅行会社との連携も必要だろうし。」
「ただ、あんまり現場から離れるのもおすすめしないな。特に初期のころはいろいろ問題点も噴出するだろうし。」
「私はしばらく神戸と行ったり来たりになるから、新幹線か羽田へのアクセスがいいところがいいかな。」
「みんなの話をまとめると、横浜駅周辺かな。品川も候補にはなるけど、現場との距離感がね。電車だと二十分も違わないけど、やっぱり東京と神奈川だと心理的な距離ができてしまいそう。」
「だね。分かった。横浜駅の周辺で探してみるよ。」
 弘樹は財務担当として、固定費に大きく関わってくる分野は自分が担当するしかないと思った。
「営業体制は…。」
 由紀は周りのメンバーを見渡して言った。
「当面は私が中心になるしかないみたいね。早く営業担当重役を迎えられるようになりたいな。」
「そうすると、残りの課題で一番難しいのはパイロットだな。」
 本郷の言葉に、みなさっと目を逸らして俯いてしまう。分かってはいたが、触れたくなかった部分だ。これまでは体制が整っていないと避けてきたが、現実に機材が曲がりなりにも完成してしまうとそうも言っていられない。
「定期運航するなら最低限四人、できれば五人確保しておきたい。」
「一機なのにそんなたくさん必要なんですか?」
 由紀が素朴な疑問を口にした。
「パイロットは操縦士、副操縦士の二人乗務が規則だ。一人だと何かあったときにそのまま事故に直結してしまう。それに、年数回の健康診断と定期訓練も必要だし、連続勤務時間にも制限がある。これは法律で決まっていることだから、個人が頑張ってすむことじゃない。ギリギリの人数だと、一人が風邪をひいただけで欠航になってしまう。
 渡辺さん、M社からパイロットも出向させられませんか?」
「うーん。ちょっと難しいと思います。もともとM社にいるのはテストパイロットだし、定期便みたいに毎日運航する訳じゃないから人数が少ないの。」
「そうか、難しいな。自社養成なんてできる設備も予算もないしな。となると、自衛隊からリクルートするしかないか。」
「そうですね。そもそもこの機体を運用しているのが自衛隊と海上保安庁くらいしかないから、現役のパイロットとなるとどうしてもそこになるわね。訓練施設も自衛隊なら持っているし。」
「とはいえ、絶対数が少ないからなかなか難航しそうだな。そんなに好待遇が提示できるわけでもないしな。」
「そうですね。一人二人ならともかく、四、五人となると固定費がかなり嵩んじゃいますね。」
 弘樹が財務的な立場から補足した。
「俺も前の会社とかにも当たってみるよ。でも、飛行艇の操縦経験者なんかなかなかいないよな。」
「海外からリクルートできないかしら。この機体でなくても、飛行艇自体はいろんな国で運用されてるんだから、訓練するにしてもその方が早いんじゃないかな。」
 由紀がNGO時代の海外体験を元に言った。
「それは確かにそうだな。同じ固定翼機って言っても海上に着水するのはまた違った技術が必要そうだし。ところで、どこかあてはあるのかい?」
「…。」
 パイロットの問題解決は、運航には不可避だ。実際、大手航空会社でも人員不足により大量に欠航が発生したケースもある。問題の重要さがわかっているだけに、食事の会場は重苦しい雰囲気になってしまった。由紀も弘樹も、出てきた食事に手はつけるが味など全く感じないまま機械的にただ口に運ぶだけだった。
「まあこの場で悩んでも解決しない。それぞれ自分で出来ることを探ってみよう。」
 自分から切り出した話題で場を重くしてしまった責任を感じ、本郷がその場を締めた。しかし、昼間の体験飛行の興奮はどこかに吹き飛び、帰りの新幹線の中でも三人はほとんど会話のないまま東京へと戻った。



■自衛官

 パイロット問題が解決しないままだが、事業は少しずつ進展していた。まず、横浜の空港施設建設だ。地元財界が協力してくれたことで、候補地の具体的な選定が進んだ。海上の滑走帯は根岸沖になるが、陸側には既に製油所の桟橋やヨットハーバーがあるため設置は困難。反対の磯子側に狙いを定める。機体は満席でも三十八人乗りなので、貨物を考慮してもターミナルビルはさほど大きなものはいらない。エプロンも乗降と旋回ができて海へ降るスロープがあればよく、格納庫についても重整備はM社の工場で行うことになっているのでそこまでの広さは求められない。ただ、将来的に二機保有することを考えて拡張できる余地だけは残しておきたかった。
 地代については、ターミナルビルの運営を全て任せるという条件で最初の五年間は無償とした。ターミナルとはいえ、既存の倉庫を改装したものだが、近年ではLCC専用ターミナルなど簡素なつくりのものも増えているので、さほど抵抗感はないだろう。
 施設の話が進むのに比例して、パイロットの確保ができない由紀の焦りは大きくなっていった。とりあえず不定期でM社のパイロットが手伝ってくれることにはなったが、とても人数が足りないし、そもそも事業用の免許を持っているわけではないので、そちらの手当も行わなければならない。考えられる伝手を探り、大学院時代の同期で自衛官に知り合いがいる友人に訳を話して紹介をお願いした。

「久しぶりね、由紀。だいぶ社長の貫禄がついてきたんじゃない?」
「からかわないでよ、真衣。こっちは真剣なんだから。」
 しばらく疎遠にしていても、再会すればすぐに学生時代の関係に戻れる。やはり同窓はいいなと思いながら、由紀は真衣の隣に座った男性を見た。ピンと伸ばした背筋と、隠しきれない鍛えられた肉体から、彼が真衣が紹介しようとしている自衛官だとすぐにわかった。
 男性は由紀の視線に気付くとすっと立ち上がり、軽く会釈をしながら言った。
「海上自衛隊一等海佐の大沢です。」
 筋骨隆々の人物を由紀はイメージしていたが、想像に反して大沢はきびきびとした動作の中にも物腰の柔らかさが感じられ、好感を持つことができた。
「こちらの高田真衣さんからおおよその話は伺っています。パイロットを探していると。」
「はい。他の部分では大分話が進んできているのですが、死活的な部分であるパイロットの目処がたっていなくて。」
「飛行艇ですよね。正直、現実的には簡単ではないです。まず、空自と違って海自自体にパイロットの数が多くはない。船乗りならいっぱいいるんですが。その中で飛行艇となると、更に絞られてしまいます。仮に行きたいという人がいても、ただでさえ定員割れしている中から簡単には送り出せないのが現状です。」
「やはりそうですか。」
 由紀は落胆を隠せず俯いた。そんな由紀を気の毒に思ったのか、大沢は続けた。
「何人か退役して民間のパイロットになった人もいるから、声をかけてみますよ。でも、あまり期待しないでくださいね。」
 大沢の優しさに、由紀は思わずほろりとしてしまった。一佐ということはそれなりの年齢なのだろが、普段から節制している身体はそれを全く感じさせない。
「ありがとうございます。今は一人でも多く人材を確保したいと思っているので助かります。」
「あとはそうだな。君、英語は大丈夫?」
「あ、はい。国際NGOで働いていたので、特殊な分野とかでなければ。」
「なら、彼らでもいいかもな。今現在、飛行艇を開発している国は日本以外にカナダとロシアがあるんだ。」
「はい、それは導入機材検討の時に調べました。結局、メンテなどの課題から日本製にしたのでが。」
「じゃあ話が早いね。ロシアだと言葉の問題もあるし、アビオニクス自体がだいぶ違うから適応が難しいけど、カナダの機材ならある程度近いし、言葉も英語で大丈夫。開発国だけあって運用機材数も多いから、当然飛行艇のパイロットもたくさんいるよ。規定なんかも共通化されているから、もし人材がいれば馴染むのも早いんじゃないかな。」
「ということは、どこか心当たりがあるんですか?」
「伝手と言うほどではないけど、繋がりがなくはない。こちらも当たってみますね。」
 由紀は泣き出さんばかりに席を立つと、大沢の手を握りしめた。
「ありがとうございます。本当に何から何まで。」
 顔をくしゃくしゃにして話す由紀を、真衣は横で少し呆れた目でながめていた。



■すれ違い

 弘樹は、前職の元同期で広告代理店に転職した三好に横浜の駅ビルにある喫茶店で会っていた。ミッションは、会社のウェブサイトの作成だ。パイロット問題が解決していないことは分かっているが、全て揃ってから準備してからでは遅い。手元に潤沢な資金があるわけではないので、運航の準備が整ったらすぐにでも営業を開始する必要があるのだ。そのためには予約システムを備えたウェブサイトの整備は欠かせない。
「グーグルで検索して見つけた会社に連絡してみたら、概算で二千万円だって。しかも、詳細な仕様を確認して見積もりを作るのに一五〇万くらいかかるらしい。そんなに高いものなの?」
 三好慶子は鼻先でフンと小馬鹿にしたように笑って答えた。
「それで、さらに月額の管理費で百万くらいとられるんでしょ。システム屋の考えそうなことだわ。」
 三好は昔から軽く人を見下すような話す癖があるが、その優秀さは誰もが認めるところだったので、弘樹も一目置いていた。実際、同期ではトップレベルの営業成績をおさめていながら三年ほどでさっと大手広告代理店に転職してしまったほどだ。だが、表面上のとっつきにくさとは裏腹に困った人を放って置けない優しい面があることも同期会や新人研修をともにした弘樹は知っていた。
「システム屋さんはどうしても完璧なものを作ろうとするからね。何か他のネットワークとか予約システムと接続したりすることを考えてるの?」
「いや、別に。うちのフライトの予約だけ。」
「じゃあスタンドアローンなシステムでいいわけだ。国際線とかのグローバルなネットワークと繋げるならちょっと面倒だけど、便あたり僅か数十席の予約でしょ。システム屋さんじゃなくて、ウェブ屋さんに聞いてごらん。たぶん十分の一でできるから。デザインもそっちの方がカッコいいし。」
「なんでそんなに違うの?」
「うーん。根本的な設計思想の違いかな。システム中心だと、クライアントの要望を細かく聞いてそれに応えられるような構造を開発しようとする。逆にウェブ屋さんならユーザーの見やすさとか使いやすさを第一に考えて、裏の予約システム部分は既存のパッケージで適したものを持ってきて当てはめる。
 どちらが良いというものではないけど、話を聞く限りあなた達の会社にそこまでのシステムは必要無いと思う。路線も一本だけで、乗り継ぎとかもないわけでしょ。料金体系もシンプルみたいだし。それくらいなら、交通系の複雑なシステムをベースにするより小規模なホテルとか店舗の予約システムをベースにした方がいいと思う。事業が拡大したら、その時に拡張を考えても、二百万なら諦めもつくでしょう。」
「うーん。諦められるかは置いといて、参考になったよ。確かにそんな大仰なシステムは割に合わないよな。結局、その費用も最終的には運賃に跳ね返ってくるわけだし。」
 弘樹は慶子に感謝の念を伝えた。すると慶子はつっと身を乗り出してきた。
「ところで、社長さんとの関係はどうなってるの? かわいい子なんでしょ?」
「えっ、いや、彼女とはビジネスパートナーだし、今は社長と役員の関係だし…。」
 これまで意識したことが無いとは言わないが、あえてその感情は遠ざけるようにしてきていたので改めて聞かれるとしどろもどろになってしまう。
「仕事の話は終わりにして、そこのところもうちょっと詳しく聞きたいなー。弘樹君の奢りで。二軒目行きましょ。」
 慶子はいたずらそうな目つきで弘樹を見ると、そのまま腕を引っ張るように店を出た。

 真衣と別れて自宅に戻る途中、横浜駅の雑踏で由紀は偶然に店から出てくる弘樹を見かけた。あっと声をかけようとしたとき、その横に弘樹と同じくらいの年代の女性がしなだれるように腕を掴んでいるのを見てしまった。
 由紀は上げかけた手を引っ込めて、コートのポケットにいれた。
 なぜか胸がざわついた。
 弘樹との間に何か特別なことがあるわけではないし、ただのビジネスパートナーで今は社長と部下の関係だ。嫉妬なんかではない。弘樹が誰といようと、プライベートなことは関係無い。一生懸命そう考えようとしてしまっていること自体、意識している証拠なのかも知れないが、この場はそれら全てを押さえ込んで、由紀は振り返り元来た道に戻った。



■横浜・新オフィス

 新しいオフィスが開業したのは、その年も暮れに入ったころだった。クリスマスのデコレーションで華やかな駅前から少し離れ、郵便局と崎陽軒の間の道を数分進むと小規模な雑居ビルが数軒立っている。その内のひとつだ。洒落たオフィスビルではないが、駅からの距離と家賃の安さで決めた物件である。販売は基本的にはオンラインで行う予定なので、このオフィスに一般のお客さんが来ることはない。であれば、見た目よりも価格と立地が大事だ。とはいえ、あまりみすぼらしいのも会社のブランド価値を下げてしまうので、極力シンプルにしてコストを抑えながらも、人を呼んでも恥ずかしくない程度にはした。その分、財務担当である弘樹の心の中は不安でいっぱいだったが。
 オフィスで関係者を呼んでささやかなながらも開所式を行ったのだが、由紀の態度がどこかよそよそしいのに弘樹は気づいた。声をかけても返答がそっけない。ここの開設は弘樹が中心になって行ったので、労いの言葉とは言わないがもう少し評価してくれてもいいのではと弘樹の方も不機嫌になってしまった。

 オフィスが開業したことで、営業面では格段にやりやすくやなった。いくつかの旅行代理店とも販売契約の下交渉が進む。神戸での試乗会から追いかけてくれた新聞社がオフィスの開所に合わせて改めて由紀に取材を行い、横浜版の紙面とはいえ大きな写真入りで記事にしてくれたことも大きな反響があり、認知度の向上に貢献した。一方で、有名になったことで怪しげな営業電話や出資話が頻繁にかかってくるようになり、それに対応するのが弘樹の日課になってしまった。
 そんな中でも、大口の信頼できる出資がいくつか動いていた。いずれも事業免許取得が条件となるが、経営上欠かせない取引先だ。取締役会の席上で、弘樹は状況を整理しながら説明した。
「一番の大口は、M社さんです。出資額は二億円。機材のリースからなにからお世話になってますが、M社としても広告塔としてしっかり働いてもらいたいという意図がありますので、片務的なものではありません。ただ、いずれにしても追加で三億出資してくれた藤田さんに次いで二位の株主となります。
 続いて、横浜商工会議所。港湾組合が中心になって動いてくれましたが、港町の新たな活性化として期待してくれています。出資額は五千万円。
 その次が、丸山運送。貨物の一括取り扱いが条件ですが、ノウハウが無い我々としてはむしろありがたい提案です。出資額は二千万円。
 最後が、本郷さんの古巣でもある帝国航空。出資額は五百万です。」
「大手の割には出資額が随分少なくない?」
 神戸からオンラインで参加していた渡辺が当然の疑問を呈した。それに対しては本郷が答えた。
「敢えてそうしてもらった。航空会社の参加は、我々にとっては信頼度を向上させる上でものすごく大きな価値がある。一方で、同業であるだけに強い議決権を与えると主導権を握られて、独自性が保てなくなる。それに、大手が絡むとどうしても柔軟性やスピード感に欠けてしまうことがある。批判しているわけではなく、会社の仕組み上やむを得ないからな。」
 これは大手企業での勤務経験のある弘樹と渡辺にはよく理解できた。
「だから、名前では協力してもらうが実情はインキュベーションセンターの予算の枠内で決裁できる範囲での出資に留めてもらったんだ。」 
 由紀はまだ会社の形もできていないころに訪れたインキュベーションセンターでいろいろとレクチャーをしてくれた面々を思い出して、胸が熱くなった。

 年が明け、三が日が過ぎた頃、弘樹は南陽の鳥谷から連絡をもらった。島側の施設整備が進められそうだとのことだ。陸揚げの設備については既存のものの利用契約ができれば良いので、必要な設備はターミナルになる建物に事務所と待合室、それに手荷物の保安検査場だ。小さくても空港なので、金属探知機などの機器が必要になる。これは当面レンタルでまかなうことにした。できることならすぐにでも飛んで行って現場を確かめたところだが、それができないからこそこの事業を始める意義があるのだ。

 一方で、パイロット問題はなかなか解決しない。
「便数を減らして、できる範囲で飛ばしましょうか。今確保している人数だと、週二便くらいなら大丈夫です。」
「うーん、それはあまり得策ではないな。まず、その便数の収益ではリース代も払えないし、即時性が無いから船との差別化が難しくなってしまう。旅行者がスケジュールを組むにしても、柔軟性が著しく削がれてしまう。貨物としても、毎日届かないんじゃあ高い輸送費を払って航空便にする意味が薄れてしまうよ。
 だから、飛ばす以上は最低でも週四便、できれば五便にしたい。もちろん理想は毎日だが。」
 本郷の意見に由紀はまた頭を抱えてしまった。
「でもまあ、週二便でも確約できるなら許可申請はできるかな。まず事業許可をもらわないことにはその先の諸々の申請もできないし、人を集めるにしてもその方が説明しやすいだろう。」
「そうですね。そうしましょう。」
 由紀は少し希望か見えたように顔を上げた。切り替えの速さが由紀の特技でもある。
「ところで、最近国枝とケンカでもしたのか?」
「うっ。」
 本郷の指摘に、思わず言葉が詰まった。さすがに身近で接していれば、この微妙な距離感にも気づくだろう。
「いえ、特にケンカとかしたわけでは無いです。何もないですよ。」
 それは事実でもあった。具体的になにか話した訳でもないし、何と言われても明確に答えることはできない。ただ、胸の中がもやもやしているだけだ。
「そうか。それならいいけど。許可申請となると、また膝を付け合わせて書類の準備とかしなけりゃならないからな。」
 本郷はそう言って、教師が生徒を見るような視線で由紀の顔を見た。こういったときの本郷の大人の余裕がある対応はありがたい。
「はい。大丈夫です。一応、社長ですから。個人的な感情は仕事には持ち込みませんので。」
 複雑な想いはあるが、ともかく認可をうけて運航が開始するまでは一切の感情を封じようと由紀は決心した。
 結局、わだかまりがあったことを自ら告白したようなものじゃないかと本郷は苦笑するしかなかったが、一方で少なくとも経営に影響を与えるようなことは今後ないだろうと安心もした。



■書類との格闘

 本郷が予言したように、それからはまさに膝を付け合わせての申請書類との格闘だった。幸い、二〇一〇年代以降はLCCの参入も多くあるので事例には事欠かない。といっても、大手の系列ではない完全な独立事業体としての成功例がさほどある訳ではなく、しかも飛行艇での旅客運送という形態自体は初めてのため、苦労は並大抵ではない。感情を持ち込まないと本郷に宣言した由紀だったが、実際にはそんな宣言がなくても感情が入り込む余地がなかった。
 航空局、司法書士事務所、インキュベーションセンターなどを駆けずり回り、最後の三日ほどはオフィスに半分泊まり込むような感じで書類をまとめていく。どちらかというと大雑把で力技が得意だが同時にアイデアマンでもある由紀に対し、証券で培った緻密さで根拠となる数値をまとめていく弘樹はいいコンビだった。いつしか由紀は弘樹に対して、同志としての信頼感が芽生えていた。
 冬の寒さが緩み始めた頃、ようやく申請書類がまとまって、由紀は弘樹と東京航空局に出向いて申請を終えた。実際には許可が下りてからもやらなければならないことは山ほどあるが、ともかく一段落ではある。
「お疲れ様。」
 オフィスへの帰りの道すがら、由紀は弘樹に声をかけた。
「それに、ありがとう。」
「いや、お礼を言われるようなことじゃないよ。社長もほとんど寝てないんじゃない?」
「大丈夫。体力には自信があるから。でも、こんな時くらい、社長じゃなくて名前で呼んで欲しいな。」
(相内さん? 由紀? 前は何て呼んでたっけ?)
 弘樹の方も戸惑ってしまった。理由も分からずぎこちなかった期間と、その後の嵐のような期間を経て由紀との距離感が分からなくなってしまったのだ。名字で呼ぶのはあまりにも他人行儀だし、名前を呼び捨てにするのも躊躇する。
「由紀…ちゃん。」
「ぷっ。何それ。でも、悪くないかも。これからプライベートではそう呼んでね。」
 微妙な距離感から無理矢理捻り出した呼び方だか、近すぎず遠すぎずちょうどよかったのかもしれない。
「由紀ちゃんか。」
 由紀もくすくす笑っている。久しぶりに、二人の間のわだかまりがとれたような気が弘樹はした。
 
 オフィスに戻ると、本郷が声をかけてきた。
「おつかれさん。あれ、何かいいことあった?」
 二人の表情を読んだかのような本郷の言葉に、由紀と弘樹は思わず顔を見合わせてしまった。
「とりあえず、申請は無事受理されました。あとは審査の結果待ちですね。」
「そうだな。でも、まだまだやることはいっぱいあるぞ。運航管理施設検査の申請とか、運航規定・整備規定の認可申請とか。」
「あと、まだパイロット問題も解決してませんね。」
「…。」
「そっちの方は進展ないのかい?」
「友人に紹介してもらった自衛隊のパイロットの方が、カナダの伝手をあたってくれるって。」
 由紀が答えると、本郷は複雑な表情をした。
「なるほど、確かに飛行艇の人材は豊富かもな。ただ、海外からだとこの機材の訓練費用以外に就労ビザの問題とか、英語での就業規則の整備とか、雇用契約の準備も必要だな。うーん、そのあたりのことになるとあんまり詳しくないな。かなりの専門性が求められるぞ。」
「そっか。そうですよね。パイロットの確保ばっかり考えて、そこまで思い至りませんでした。やっぱり国内で探した方がいいのかな。」
 由紀が弱気になると、弘樹がフォローした。
「いや、間違ってないと思うよ。国内だけじゃあ飛行艇のパイロットの絶対数が足りて無いんだから。これはお金とか労力で解決できる問題じゃない。でも、総務人事の専門家とか外国人雇用のノウハウを持った会社は必ずあるんだから、そっちを探す方が合理的だと思う。お金がかかるかも知れないけど…。」
「ありがとう、弘樹。最後は財務担当の本音がちょっと出ていた気もするけど、確かにあなたの言う通りね。」
「パイロットじゃないけど、外国人雇用のノウハウならM社にあるはずだから、人事部にいる同期にあたってみるわね。」
 横で聞いていた渡辺が応えた。こういったときに、様々な分野でスペシャリストがいる大企業の人材ネットワークは大きな力を持つ。
「お願いします。ようやく光明が見えてきた気がします。」
 由紀は安堵の表情を浮かべた。
「立て続けで悪いけど渡辺さん、整備規定と運航規定の方もお願いできるかな。」
「ええ、わかってます。整備規定の方はこちらでまとめられると思いますが、運航規定については本郷さんも協力してくださいね。」
「もちろんだ。運送約款も私が担当しよう。あと、大事なのは運賃・料金の設定だな。会社の存続には、ある意味ここが肝になるぞ、国枝君。」
「はい、この間自分なりに、業界の興亡史を調べてみましたから。高過ぎればもちろん売れないけど、安売りすれば会社の経営が傾くだけじゃなく、マーケットそのものを破壊しかねない。どうしても原油高とか、パンデミックとか、外部要因による不確定要素は拭えないけど、何通りもシミュレーションをしてプランを考えてみました。ただ、パイロットが確保できて毎日運航することが前提ですので、そこは了承してください。」
「わかってる。どのみち、そうしないと採算ラインには乗らないだろうからな。」
 本郷が答えると、つぎに由紀が聞いてきた。
「マーケットが壊れるってどういうこと? 経営が傾くのはわかるけど。お客さんがいっぱいくれば、観光地は活性化するんじゃないの?」
 それに対して、弘樹はこれまで調べてきた事例を紹介する。
「まず、分かりやすいのはオーバーツーリズムの問題だね。特に南陽諸島みたいにもともとキャパシティが少ないところに大挙して観光客が訪れたら、宿泊とか飲食店に大きな歪みができる。キャパを増やそうにも、元々あまり人口も多くないんだからな。それよりも問題なのは、一度価格を下げてしまうと、市場自体に安いイメージがついてしまって今度は値上げができなくなってしまうことなんだ。誰だって、イチキュッパで行けてたところが急に五万円になったら行こうと思わないだろ? 冷静に考えれば、飛行機だってホテルだってそんなに安い値段でできる訳がない。でも、一度安いと市場に認識されると余程のことがない限り人々の意識を変えるのは難しいんだよ。結局、採算が取れなくなってホテルは格安ツアーの受け入れをやめ、航空会社は路線から撤退する。観光市場そのものが消滅しちゃうんだ。かと言って、魅力に見合わない高い設定にしたら誰も来ない。だから、価格設定は本当に重要なんだ。」
 本郷の前で聞き齧った知識ひけらかすのは少し気恥ずかしかったが、由紀と渡辺は感心した表情で弘樹を見ている。それが弘樹には嬉しかった。
 価格設定については引き続き弘樹が中心になり、本郷や旅行会社の意見も取り入れなが進めることにして、その日のミーティングは終了した。



■カナダ・バンクーバー

 申請から許可が出るまで、通常は数ヶ月かかる。実際に乗客を乗せての運航が始まるまでは一切の収入は無い状態なので、全ての資金は持ち出しだ。だから、許可がおりてから運航開始までの期間は極力短くしたい。そのためには、この数ヶ月間の準備が極めて重要だ。万が一許可が降りなかったらと考えると不安になりモチベーションを保つのが難しくなるが、ここまできたら勢いで乗り切るしかないと由紀は皆に発破をかけ、鼓舞し続けた。
 大沢から連絡を受けたのは、そんな最中だった。

「相内さん、来週バンクーバーに行けますか?ちょっと急だけど、何人か話を聞いてくれそうで。」
 最重要課題でもあるパイロット問題だ。由紀は二つ返事で了承した。
「ただ、申し訳ないが私は外せない予定があって行けないんです。キーマンには話を通しておくから大丈夫だとは思いますが。それと、改めて英語版の資料を用意しておいてください。」
 由紀は早速オフィスでバンクーバー行きの話をした。当然、本郷か弘樹が同行してくれるものと思っていたが、以外にも返事はノーだった。
「経費の問題がある。行きたい気持ちはあるけど、今は少しでも節約しなくちゃならない。それに、ホームページの制作が佳境で動けない。」
 と弘樹。
「審査中の件で航空局から問い合わせがあったらすぐに対応しなければならないから、私は残らざるを得ない。運航を含めた事業全般だから、国枝君一人では荷が重いだろう。」
 と本郷。
 どちらの言い分も尤もだ。せめて渡辺さんでもと思ったが、彼女の方は神戸で機体の最終仕上げと整備規定の準備でこの場にいない。由紀は引き下がらずを得なかった。
「当日はリモートでサポートするから。考えようによっては、渡辺さんも参加できるから機体の技術的なことにも応えられてよかったかもよ。」
 弘樹の慰めとも言えない慰めが、せめてもの救いだった。

 NGO時代に何度も海外に出向いてミーティングに参加したことがあったが、今回の様に一人で相手のホームに乗り込むのは初めてだった。しかも、社長という肩書きと失敗できないミッションという重圧を背負ってだ。いつも前向きな由紀も弱気になり、飛行機が着陸態勢に入ってバンクーバー国際空港に向けて高度を下げ始めると、プレッシャーから気分が悪くなってきた。
 飛行機がランディングし、ターミナルに向けてタクシーウェイを走行していると、窓から本郷の古巣である帝国国際の機体が見えた。日本らしさを象徴したその尾翼のマークを見ると、まだ入国してもいないのに帰りたくなってくる。由紀は不安を押し殺し、無心のまま検疫、入国審査を経て預けた荷物を取りにターンテーブルに向かった。
 ブルッとスマホが振動した。ローミングに切り替えた端末にフライト中に受信していたメッセージが着信したのだ。まだ荷物が出てくるまでは時間がかかりそうだったので、由紀はハンドバッグからスマホを取り出した。
 真っ先に目に入ったのは、弘樹からのメッセージだった。
[そろそろ到着する頃だろうから、最新のメッセージになるように直前に送ってみた。
 今回は一緒に行けなくてごめんね。もっとも、あんまり英語が得意な訳じゃないからいっても役に立たなかったかも(笑)
 不安だと思うけど、由紀ちゃん(笑)なら大丈夫。がんばれ!]

 その下には、本郷と渡辺からの励ましのメッセージも続いていた。由紀は目頭が熱くなり、その場で俯いて少し立ち止まった。
「大丈夫?」
 由紀の様子を見て、近くにいた空港のスタッフが英語で話しかけてきた。
 一瞬、由紀は何を言われたか分からず戸惑ったが、ここはカナダだと思い出すと我に帰り、頭の中を英語に切り替えた。
「大丈夫です。ありがとう。」
 たったそれだけのことだか、思考を切り替えられたことで落ち着きを取り戻し、流れてきたスーツケースをピックアップした。

 まだ春には遠いカナダは芯から冷える寒さだった。由紀はコートの襟を立ててマフラーを巻き直すと、ダウンタウンに向かうバス乗り場へと歩いた。社長の出張なのだから、本来ならビジネスクラスに乗ってそこそこのホテルに泊まり、移動もタクシーとしたいところだが、懐具合に加えて円安物価高を考えると贅沢は言えない。だが、幸いにもNGO時代に途上国の安宿などにも泊まった経験がある由紀には星無しのホテルでも大きな問題はなかった。
(むしろ弘樹の方が、こんな出張には耐えられなかったかもね。)
 そう考えると、優越感でまた少し気分が軽くなる。
 フライトは午前中の到着だったので、由紀はホテルにアーリーチェックインして身支度を整えた。鏡を見て自分の両手で両頬を叩き、気合いを入れる。スーツに着替えると、一端のビジネスパーソンに見える自分を由紀は少し気に入っていた。仲間たちにこの姿が見せられないのが少し残念だ。
 準備が終わると、由紀はホテルを出た。まだお昼少し前なので、今から軽く昼食をとっていけば午後二時の約束にはぴったりだ。多少の時差ぼけによる疲労感は残るが、空気の冷たさと緊張で眠気は感じなかった。

 顔合わせの会場は、市内にあるレンタルの会議室だ。相手の事務所に行くのでは由紀が気後れするだろうし、由紀の宿泊先がビジネスミーティングを開けるようなホテルでないことを聞いていた大沢がアレンジしてくれた。
 会議室のあるビルの受付けにくると、大柄だが人の良さそうな男が近づいてきた。
「君がプレジデントのミス・アイウチか。ミスター・オオサワから聞いていたイメージどおりだからすぐ分かったよ。おれの名前はマティアス。飛行艇のパイロットのインストラクターをやっている。」
「ユキ・アイウチです。アイウチは言いにくいと思うので、ユキと呼んでいただいて構いませんよ。ところで、ミスター・オオサワからはなんて聞いていたんですか?」
「それはトップシークレットだ。じゃあ行こうか。」
 これは帰国したら大沢を問い詰めねば、と思った由紀だったが、おかげでずいぶんと緊張がほぐれたのだった。
 ミーティングルームに入ると、そこには年齢も性別も様々な五人の男女がいた。マティアスを含めて、この六人がとりあえずは興味を持ってくれた面々ということだろう。
 由紀はひと通り挨拶を終えると、PCをセットして東京のオフィスに繋いだ。壁に設置された大型モニターに、わずか一日だが懐かしい見慣れたオフィスと仲間たちの顔が現れる。東京時間は翌日の午前七時なので、みなずいぶん早起きして集まってくれたのだろう。若干眠そうなのは、この際目をつぶることにした。
 中に、意外な顔があることに由紀は驚いた。
「大沢さん?参加してくれたんですね。予定の方は大丈夫ですか?」
「やあ。さすがにこの時間にミーティングは入りませんよ。カナダまで行くのは無理だけど、オンラインなら時間は取れるからアドレスを聞いて私だけ自宅から参加させてもらいました。」
 リモートとはいえ、ミーティングに大沢が参加してくれるのは由紀にとってこの上ない僥倖だった。ミーティングは、その大沢とマティアスが旧交を暖めて合うことから始まったので、和やかな雰囲気だった。
「ミスター・オオサワの紹介ならチャレンジしてみても面白いかな。不安なところもあるけど、ダメなら帰ってくればいいだけだし。」
 パイロットたちの中で最年少に見えるエリオットが言った。周りも大体同意するように頷いている。四十代と思しき唯一の女性パイロットのエマが続けた。
「そうね。なんかワクワクする話よね。ただ、契約金がちょっと少ない気がするわ。こんなので生活していけるのかしら。」
 由紀夫たちにとっては痛いところだが、こればかりは仕方がない。弘樹が拙い英語で回答した。
「これでも日本の年収水準からすると、低くはないです。物価を考えれば、生活に困ることはありません。事業が軌道に乗って便数を増やせれば、昇給も可能と考えます。」
「なんかこう、もうちょっとインセンティブがあればな。極東までいくんだから。」
 立派な髭を蓄えたスティーブが言うと、これには本郷が答えた。
「極東って言うけど、バンクーバーから見たら西だな。それは置いといて、年一回の里帰りの航空券でどうだい? ただし残念ながら現状ではエコノミーだが。ビジネスクラスにする場合の差額は自己負担で。」
「なるほど、エコノミーというのは気になるけど、まあ良いプランね。私はいいと思うわ。」
 エマが早速同意してくれた。エコノミーの航空券であれば、時期にもよるが出せない額ではない。それでまとまるならと弘樹は安堵した。
「ところで、経営は大丈夫なのかい?こっちも仕事を辞めてくんだから、行って早々に破産じゃたまらん。ミスター・オオサワ、会社の人ではなく君の客観的な意見が聞きたい。」
 パイロットのリーダー的存在でもあるマティアスが大沢に話を振った。予期していなかった指名に大沢は一瞬たじろいだが、ウェブカメラの位置を調整すると弘樹たちにも分かりやすい綺麗な発音でゆっくり答えた。
「まず、私は経営の専門家ではないから、可否について断言することはできない。しかし、事前ヒヤリングを経た上で行政機関が申請を受理したということは、最低限の水準は超えていると言える。また、地元の経済界と一部の政治家の支援も受けている。そして何より、彼らには情熱がある。たから、私は彼らを信じる。君たちだけにリスクを背負わせるのも忍びないので、相内さんたちが許せば私も一緒に参加しようと思う。」
 由紀は大沢の話の途中から涙が止まらなくなった。鼻水を啜りながら、皆の顔を見回す。マティアスを含め何人かは、腕を組んで頷いている。あとで考えれば、タイミングはともかく話の運び方として大沢とマティアスが仕組んでいた気もするが、このときはそこまで考える余裕はなかった。
 大沢の話の効果で、結局六人のうち四人が日本行きを承諾してくれた。一応、機材や設備を見てから最終的な判断を下すということだったが、大沢を含めて五人のパイロットの目処がたったことで一日一便の運航に必要な最低限のパイロットの数を確保したことになる。
「これからよろしくね。」
 エマがそっとハンカチを差し出してくれた。ぐちゃぐちゃの顔を拭くのは気が引けたが、あとで洗って返そうと由紀は涙を拭った。

 翌日お昼過ぎのフライトで、由紀は帰国の予定だった。とんぼ返りになってしまうが、ゆっくり観光をしている余裕は今の由紀には無い。日本行きを決めたパイロットたちの中からは、マティアスだけが先行して同行することになった。
「予約はどうされたの?こんなに急でよくとれたわね。」
 由紀が聞くと、マティアスはいたずらそうにウインクをしながら
「前から予約してた。あとで経費として精算するからよろしく。エコノミーだから安心してね。」
 と答えた。なんのことはない、初めからそのつもりだったのだろう。その日夕食はマティアスとエマに誘われて、由紀は束の間の休息を満喫した。
 ホテルに戻ると、由紀は着替えもそこそこにベッドに倒れ込んで寝入ってしまった。慣れているとはいえ、やはり英語でのミーティングは日本語の何倍も神経を使う。それに加えて、時差と交渉がうまくいった安堵感が混ざり合って限界がきたのだ。
 目が覚めると、外はもう明るくなっていた。時計に手を伸ばすと、もう八時である。由紀は慌てて身支度を整えた。

「よく眠れたかい?」
 ロビーに降りると、スーツケースを抱えたマティアスが待っていて、声をかけてきた。
「おかげさまで。昨晩のディナーはありがとうございました。もう出発しますか?」
「そろそろね。ワンブロック先の乗り場からエアポートリムジンで行くのが便利ですよ、マイボス。」
「ボス?」
「お気に召さないですか? じゃあプレジデント?」
「もっと嫌だわ。ユキでいいのに。」
「さすがにそれはちょっとフランクすぎるな。プレジデントは日本語でなんて言うんだい?」
「社長だけど。」
「わかった。これからはシャチョウと呼ぼう。」
「うーむ。まあ、ボスよりはいいかな。」
 マティアスはスマホを取り出すと、メッセージを送り始めた。シャチョウという呼び方をエマたちにも共有しているようだ。由紀は苦笑するしかなかったが、強く否定するほどでもない。そのままパイロットたちからの呼び方が決まってしまった。

 帰国するとすぐに、由紀は本郷と横浜の施設を見に行った。建物の内装などはこれからだが、基本的な陸揚げ施設は九割がた完成している。
「これなら航空局の点検でもなんとかなりそうだな。」
 本郷がひと通り施設のチェックを終えて言った。
「そうみたいですね。旅客ターミナルの方は保安設備さえしっかりしていれば最悪プレハブでもいいですし。」
 国際線とは異なり出入国審査や税関の設備は不要なので、ターミナルビル建て替えの間に仮設施設で運用することは他の空港でもよくあることだ。島側は既存の施設を活用するので、設備面で問題になることはないだろう。
「マティアスはどうしてる?」
「来日するとすぐに、大沢さんと訓練の打ち合わせのために神戸に飛びました。」
「そうか。でも、彼が協力してくれて本当に良かったな。いろんな面で橋渡し役になってくれそうだ。」
「本当に。でも、ちょっと申し訳ない気もします。幹部なんだから、そのまま残っていれば待遇もうちよりいいでしょうし、退官後も安泰だったと思うと。」
「だな。それだけに、なんとしても成功させないと。」
「はい!」



■横浜・新オフィス

「大変。サーバーがパンクしそう。」
 三好からの連絡で、弘樹は飛び起きた。
「とりあえず、回線増強しておく。」
「分かった。今落とすわけにはいかない。費用のことはあとでなんとか考えるから、今は打てる手を打ってくれ。」
 まだ予約システムを実装していないため、最低限のスペックでとりあえず会社案内だけ乗せていたホームページだ。想定外のアクセスが集中したらすぐにオーバーフローしてしまう。
 その日、東京航空局から事業許可が降りたというニュースが流れたのだ。それまで懐疑的だった周囲の視線も、運航が現実味を見せたことで流れが変わった。同時に、取材の依頼なども殺到した。広報担当など考えてもいなかったので、とても捌ききれない。三好がなりゆきから少し手伝ってくれてはいるが、とても手が足りない。しまいには、藤田まで出社して電話受けをする始末だ。
「この歳になってフルタイムで働くとは思わなかった。」
 そういう藤田だが、年齢を感じさせない卒の無い対応に加えてテキパキと他のメンバーに指示まで出していた。藤田の慧眼で由紀を社長に据えたらことが功を奏し、メディアの取材記事も大き目な写真入りで掲載されることが多く、否が応でも注目度は高まっていった。

 弘樹は三好を引っ張り込んで広報業務を手伝ってもらう一方で、様々な提携契約書の締結に向けて動いていた。まず手始めに、丸山運送との貨物輸送契約だ。旅客だけでは不安的な収益を分散させて安定化させる意味からも、これは必須だった。続いて、南陽汽船との相互補完の契約だ。汽船とは一面ではライバルだが、気象条件や急なメンテナンスで一方が運航できないことがある。そんな時に、条件によっては相互に相手側に輸送を代替してもらうための契約である。当然その場合該当の収入は減少するが、顧客目線で考えるとリスクを減らせる上に旅行自体がキャンセルにならなくなるので、長期的に見れば双方にメリットがある。
 更に、自衛隊施設の利用契約、磯子の施設の利用契約、保安検査設備のリース契約、空港スタッフの採用面接から雇用契約と、やらねばならないことは枚挙にいとまがない。
 エマたち他のパイロットも来日し、M社で訓練に入る。彼らはしばらくは神戸暮らしだ。
 磯子の施設にも給油設備が整い、ようやく空港としての機能ができあがった。ここは製油所なども近く、燃料の補給には都合がいい。
 メンバーたちは毎日。嵐のような日々を過ごしていた。由紀は取材対応など公の場に呼ばれることが多く、なかなかオフィスに戻れずに本郷や弘樹とも会えない日が続いた。
 オフィスにも人が増え、手狭になってきた間はあるが、費用的な問題もあるし初期の注目度が下がれば混雑も落ち着いてくるだろう。弘樹は一部の業務を空港のプレハブでこなせるように手配した。とはいえ、人手が足りないのでコンピュータの配線などは自分でやらなければならない。なんとか形を整えると、必要な書類を抱えて弘樹は本社のオフィスに戻ることにした。
 平日の夜十時過ぎ。駅前ではあるが繁華街からは少し離れたオフィスの周辺は、この時間になると人通りは少ない。たまにすれ違っても、駅に向かう人ばかりで逆方向に歩いているのは弘樹くらいだ。疲れた足取りでエレベーターを降りる。さすがにこの時間は皆帰宅していて、オフィスは真っ暗だ。鍵を開けて中に入ると、弘樹は自分の席の周辺だけ明かりをつけた。
 無人の夜のオフィスの雰囲気は独特だ。常時稼働している一部のPCから漏れる明かりと、ファンの動く低い音、さまざまな電子機器のパイロットランプが灯す小さなLEDの明かりだけがここがオフィスである証であるかのように控えめに主張している。他のフロアの他社も皆退社したようで、静まりかえっている。昼間の喧騒との対比が大きく、一瞬幻想の世界にいるのかと錯覚してしまうほとだ。
 弘樹は磯子から持ってきた書類を片付けると、PCの電源をいれメールをチェックした。今日はすぐに切り上げるつもりで、急ぎの件だけ返信を済まそうと作業を始めた。
 ふと、自分以外誰もいないはずのオフィスの明かりが瞬いた気がした。ビクッとして振り向くと、エレベーターホールが明るくなってチーンと音がし、扉が開く。出てきたのは由紀だった。
 誰もいないと思っていたオフィスの一角に明かりが灯っているのをみて、由紀も驚いた。
「あれ、まだいたの? もう帰ったかと思ってた。」
 そう弘樹に話しかけてきた由紀の顔には、疲労が隠せないほどたまっていた。
「ああ、磯子からの戻りにちょっと寄っただけで。このメールを返したら帰るつもりだった。それより、大丈夫? かなり疲れて見えるよ。」
「あなたもよ。ちょっと鏡で自分の顔見てみたら? 土日も無く仕事してたでしょ。」
 由紀に言われて、弘樹は思わず自分の顔に手をやった。目の下のクマと、ざらつくヒゲの感触で、見なくても自分の表情は想像できる。
「ふー。」
 お互い、顔を見合わせて力無く笑った。
「社長はどうして?」
 弘樹は気遣うようにたずねた。
「最近外ばっか出てて、全然戻れてないから。リモートでも大体の仕事はできるけど、手紙とかFAXとか未だに少しあるしね。それに、ここが私たちの家みたいなものだから、たまには戻らないと。」
「そっか。外向けの仕事を全部押し付けてるみたいで申し訳ないな。」
「ふふ。何をいまさら。役割分担だし。弘樹は弘樹で裏方の仕事いっぱいしてくれてるでしょ。私にそれをやれって言われても、無理だったと思う。」
「確かに、逆の立場だったとしてあんなに人前で取材受けたりとか俺には絶対無理だったよ。それより、コーヒーでも飲むかい?」
「うん。ありがとう。思いっきり甘くして。」
 そういえば、由紀はあまりコーヒーが得意ではなかったなと思いながら、弘樹は給湯室で二人分のカップを準備し、由紀の方には砂糖とミルクをたっぷり入れた。公の場に出れば、コーヒーを出される機会も多いが、由紀の性格からすればそんな素振りは見せずに飲み干しているのだろう。そんな由紀のことを慮ると、弘樹は鼻の奥がツーンと熱くなるのを感じた。

「どうぞ。」
 小さな応接用のソファーに座った由紀の前に、弘樹は甘々のコーヒーを置いた。
「ありがとう。」
 由紀はコーヒーを一口啜った。甘すぎたかとも思ったが、疲れた身体は糖分を欲していたのかおいしそうに飲んでいる。弘樹は立ったままカップを手に持ち、そんな由紀を見下ろしていた。
 弘樹の視線に由紀が気づいた。
「そんなところに立ってないで、こっちに座りなよ。」
 由紀が座る位置をずらして、弘樹が座れるスペースを開ける。応接セットなのだから、もちろん向かい側にもソファーがあるにもかかわらず、自分の隣を示したのだ。弘樹は戸惑いながらそのスペースに腰を下ろし、気まずさを隠すように聞いた。
「何か用があったんじゃないの?」
「そうなんだけど、弘樹の顔みたら安心しちゃったのかしら、明日でいいやって思えてきた。」
 そう言うと、コーヒーカップをテーブルに置いて目を閉じ、深くソファーに背をあずけた。
 しばらくすると、寝息のような息遣いが聞こえてきて、隣に座っていた弘樹の方にもたれかかってきた。よほど疲れていたのだろう。自分のホームに戻ってきて、緊張の糸が切れてしまったのだ。動くに動けなくなってしまった弘樹だか、そんな由紀の寝顔を見つめていると、これまで感じたことが無かった愛おしいという感情が急に生じてしまったことを認めずにはいられなかった。
 三〇分も経った頃だろうか。弘樹も蓄積していた疲労のせいか、うとうとしていた。肩越しに由紀の温もりを感じ、できればそのままずっといたいとぼんやりとした頭で考えていた。
 静寂を破ったのは、由紀のスマホへの着信音だった。ビクッと跳ね起きた由紀は、寝ぼけ眼で電話にでると、二言三言話すと電話を切った。
「まったく、マスコミの人たちは業務時間って概念がないのかしら。明日の取材の確認だけど、メールでもいいのに。」
「まあ、ニュースは二十四時間動いてるからね。」
「それより私、寝ちゃってたみたい。ごめんね。」
「俺もうとうとしてたけど。それにしても気持ち良さそうに寝てた。」
「まさか、私の寝顔みてたの? 信じられない。許せない。」
「そんな、勝手に自分から寝ておいて。パワハラだ。」
「そっちはセクハラじゃない。」
 言い合いながらも、表情は二人とも笑顔だ。
「ありがとう。ちょっと活力を取り戻せた。」
「それはお互い様だよ。そろそろ帰ろうか。」
「そうね。明日もあるし。」
 二人は電気を消し、鍵を掛けるとエレベーターで降りてビルをでた。
 横浜駅で由紀と別れて、弘樹は一人電車の中でふと考えた。あのまま由紀の電話が鳴らなかったらどうなっていたのだろうかと。



■運航テスト

 新緑の頃。いよいよ機体の改装が完了し、運航経路と施設のチェックのために一番機が来浜することになった。マティアスらはまだ事業パイロットの免許取得前なので、パイロットは大沢、コパイ(副操縦士)はM社のテストパイロットが務める。機内には、渡辺とメンテナンスを担当するM社の技術スタッフが同乗してくることになっていた。
 磯子の空港には、由紀や弘樹ら会社のメンバーと、埠頭を管理する港湾組合の幹部たちが揃って西の空を見つめている。
 ターミナル建屋の管制室で航空無線を通じて大沢と交信していた本郷から、間もなく到着すると弘樹に合図があった。弘樹は皆にそれを伝える。初飛来だか、テスト飛行であることと緊張感から現場は静まりかえっている。

 澄み渡った西の空に、一瞬の煌めきが見えた。少し経つと、四発のプロペラエンジンが風を切り裂く重低音が響いてくる。機影は徐々に大きさを増し、塗装したばかりの真っ白な翼に陽光が反射する。そのまま期待は弘樹たちの上空を高度を落としながら一度旋回し、沖まで行って向きを変えた。そして更に高度を下げ、水飛沫をあげながら、スムーズに穏やかな海面に着水した。そのままゆっくりと海上を進み、空港のスロープへと進む。
 この機体は水中でもランディングギアの出し入れが可能なので、そのままスロープを上って空港のエプロンまで自走することができる。そのため、陸揚げ用のクレーンの設備も不用で乗客も地上で乗降することができ、安全性が高い。更に整備の面でも格段に楽な設計になっている。
 飛行艇は重低音を響かせながらエプロンを進み、所定の位置に止まる。徐々にプロペラの回転音が弱まり、やがて完全に停止した。数秒間の静寂のあと、誰からともなく拍手が沸き起こる。弘樹も由紀も自然と目頭が熱くなった。
 拍手の中、大沢を始めとするクルーたちが扉を開けて降りてきた。だが、この日のハイライトはここから南陽までのフライトだ。空港での動線や設備の確認を済ますと、同乗してきたM社の整備員が機体の点検を行い、給油を済ませて離陸の準備を行う。この先は弘樹たちも同乗する予定だ。本郷だけは、運航管理と管制業務のために横浜に残ることになった。

 整備と給油が終わった機体に、弘樹と由紀は乗り込んだ。藤田さんと渡辺、M社の整備員も同乗している。今回は運航確認のためテストフライトなので、記者などは呼んでいない。南陽まではM社のパイロットが機長で、大沢がコパイを務める。
 全員が着席してシートベルトを締めると、エンジンの音が高まる。パイロットがブレーキを解除するとカタンと小さな振動があって、機体が動き出した。そのままエプロンを進み、スロープに差し掛かると身体が少し前のめりになる。だが、神戸で乗ったときとは異なり旅客用のシートになっているので安定感はある。更に進むと、身体がふわりと浮かぶ感じがした。進水したのだ。そのまま滑走できる位置まで移動して、管制の指示を待つ。羽田に近いこの場所は、風向きによっては高度を下げた旅客機の航路とも干渉しかねない。また、伊豆諸島付近では調布飛行場から飛来する離島への定期便も考慮する必要があるだろう。本郷以外にも管制できる人を育てるのが次の課題だと由紀は思った。
「ナンヨーゼロゼロワン、クリアードフォーテイクオフ。」
 管制の声を聞き、パイロットがエンジンの出力を高める。風を切るプロペラの音がひときわ大きくなり、飛行艇は水上を滑走し始めた。積載重量にもよるが、この機体の最短離陸距離は僅か三〇〇メートルほどだ。今回の飛行では貨物なども積んでいないので、機体はすぐにふわりと飛び上がった。そのままぐんぐんと高度を上げる。巡航速度は時速約五〇〇キロ。南陽諸島までは二時間半ほどのフライトになる。飛行艇が十分な高度に達して水平飛行に移ると、機内はほっとした安堵の空気になった。由紀がシートベルトを外して立ち上がると、機体後部に設けられたギャレーに向かう。
 据え付けられたばかりのギャレーの設備はピカピカだ。長距離を飛ぶわけではないのでオーブンなどのホットミールを搭載する設備はないが、飲料や軽食程度であれば積み込むことはできる。由紀は棚から紙コップを人数分出すと、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して注いだ。それをトレーに載せて、キャビンに戻る。客室の広さから、カートは必要ないという判断だった。可能な限り、重量は少ない方がいい。
 水を配り終えると、由紀はトレーを持ったまま自席に戻ってシートベルトを締めた。
「乗務員の応募状況はどう?」
 渡辺が隣に座った由紀に聞いた。
「経験者中心に募集してるんですが、あんまり芳しくないです。やっぱり、新しい会社ってことと、乗務したことがない機体なので、訓練をやり直さなければならないことがネックみたいです。」
「そっか。最悪私たちが訓練受けて乗務する?」
 言葉では冗談めかしているが、目は半分真剣だ。
「二時間半くらいならサービスなんか無くてもいいんだけどね。新幹線で大阪まで行くくらいの時間でしょ?」
 通路を挟んで反対側に座っていた藤田さんが納得いかないように口を挟んだ。
「ええ、サービスだけなら私もいなくていいと思います。ですが、このサイズの飛行機だと保安要員としての乗務員が必須なんです。定員二〇名以上の場合は五〇席につき一名ですね。端数は切り上げなので、この機体では一名必要です。どちらかと言うと、サービスは二の次ですね。」
「なるほどね。じゃあ女性にこだわる必要もないのね。」
「はい。募集でも特に性別の条件は設けていません。ただ、経験者となると日本の場合圧倒的に女性が多いので、結果的にそうなってしまいます。」
「未経験じゃ難しいかしら。私も昔は憧れたのよね。」
 藤田さんが微笑みながらそう言ったので、由紀は一瞬返事に困ってしまった。
「乗務員の搭乗資格は機種ごとに異なるので、結局経験者であっても訓練を受ける必要があるのは同じです。ただ、経験があれば基本的なタスクは同じなのですぐに業務に従事できるレベルになると思います。」
「なるほど、難しいものね。」
 二人が黙り込んだところで、窓側に座っていた渡辺が声を上げた。
「社長、見て見て。すごい。」
 由紀が身を乗り出して渡辺に半分おおいかぶるように、指さされて窓から外を見た。
 晴れ渡った冬の澄んだ空気の中、紺青の海面に島が浮かんでいるのが目にはいる。打ち寄せる波で白く縁取られた海岸線に囲まれ、濃い茶色と深い緑の森が混ざる。円錐系の山の頂からは煙が上がっていた。海際の滑走路が視界に捉えられ、進行方向には一回り小さな島も見える。島の形状と飛行時間からすると、伊豆諸島の三宅島だろう。一般的なジェット旅客機よりも巡航高度が低いので、島影もより近く、はっきりと見える。その吸い込まれるような美しさに、由紀は思わず息を飲んだ。
 (この景色が見られるのなら、私も訓練を受けて乗務してもいいかな。)
 職責上できないことは分かっているが、そう思わずにはいられない光景だった。

 飛行艇はそのまま順調に飛行を続けてた。八丈島の東を過ぎると、その先は南陽までしばらく何も島影が見えない海上を一時間ほど飛ぶ。その間に由紀たちはフライト中のサービス順や動線、非常時の対応等のシミュレーションを行い、課題が見つかる度にマニュアルを書き換えていった。コパイの大沢も時折顔を出し、パイロットの視点からのアドバイスを加えてくれる。徐々にマニュアルとしての厚みが増してくるが、実際に旅客を乗せて運用してみれば、また違った課題もでてくるだろう。これはあくまでも第一歩に過ぎないのだと由紀は自分に言い聞かせた。

「まもなく着陸体勢に入ります。座席に着いてシートベルトをお締めください。」
 機長のアナウンスが聞こえた。皆が自分のベルトを確認する。機体が降下し始めたのが、体感でも分かる。高度を下げた左手に、いくつか岩礁が見える。航路は島の西側から左旋回して空港のある湾内にはいるので、客席からでも、もうすぐ南陽本島の島影も視界に捉えられるはずだ。
 機体が最終着陸体勢にはいる。窓から見える海面がみるみる近づいてくる。飛行艇なのだから着水するのは当たり前なのだか、それでもその瞬間は少し怖い。弘樹は座席の肘掛けを心持ち強く握った。
 軽いショックのあと、機体の揺れが飛行機から波に揺られる船のそれになり、海面上を空港へと進む。そのままスロープを上り、飛行艇は南陽への初飛行を終えた。
 タラップを降りると、南陽の亜熱帯の日差しが弘樹たちを迎えた。駐機場には、鳥谷たち役場の面々が見学にきている。ここから、機体の整備は渡辺らに任せて旅客動線の確認だ。基地の施設を借用しているため、敷地内にターミナルを設けることはできない。そのため、用意されたマイクロバスで基地外の建物まで送ることになる。乗客が満員の場合は一度に乗り切れないので、二往復することになる。その際、エプロンを歩き回られるのは保安上も問題があるので、機内で待機だ。ターミナルの建物は基地の外すぐなので、十分もあれば往復できるだろう。荷物に関しては、丸山運送が貨物と合わせてターミナルまで運んでくれることになった。
 一台だけのチェックインカウンター、レンタルの保安検査用金属探知機、トイレ、数台の長椅子が並んだだけの簡素な建物は、二階に小さなオフィスがあるだけで、売店も何も無い。ゆくゆく経営が安定してくればお土産店くらいは誘致したいところだが、整備が終わればすぐに折り返しで横浜に戻るので当面は仕方ないだろう。一日あたりわずか数時間の業務のためにこちらの事務所にも人を常駐させなければならないと考えると、費用の面で弘樹は頭が痛くなった。その窮地を救ってくれたのは鳥谷だった。
「なあ鳥谷。こっちで短時間だけ働いてくれそうな人いないか? 運航管理者はこっちで準備するしかないけど、チェックインとか保安検査だけでも。」
「毎日あるんだろ? 日中の数時間だから中途半端で難しいよな。よっぽど待遇が良いなら別だけど。」
「そんなに出せるわけないだろ。メリットは自社機で本土に行きやすいことぐらいだな。」
「うーん。そもそも生産年齢人口自体が少ないからな。むしろ本土の若い人で、島で働きたい人の方が多いんじゃないか?」
「働きたい人はいるかもしれないけど、この仕事だけじゃ生活できないからなあ。」
「鳥谷さん、何かいい方法ないかしら。」
 由紀が何かを訴えてるような目で鳥谷を見つめる。この視線に鳥谷は弱い。
「そうだなあ。俺の一存じゃあ決められないけど、たとえば村の観光課の臨時職員みたいな形で雇って、ターミナル内に観光案内所のブースみたいのを作ってもらうのはどうだろう。フライトがある時は出発客の手続きとか保安検査を手伝ってもらって、到着客には観光案内業務をしてもらうとか。こっちとしても、人件費の一部を負担してもらえるならありがたいし。」
「本当?ありがとう、鳥谷さん。頼りにしてます。」
 由紀の感謝の言葉に少し照れながら鳥谷は答えた。
「いや、まだ決まった訳じゃないし、これから稟議を通さないと行けないし。そもそも来てくれる人を募集しなきゃならないし。
 でも、航空路線は島の悲願でもあるから、なんとかなる気がします。とりあえず私に預けてください。」
「なんか、俺の時と姿勢が随分違わないか?」
 弘樹が不満気に言った。
「そんなことないって。僻むなよ。」
 鳥谷に言われて少しムッときた弘樹だったが、問題が解決に向けて進むなら仕方ないと諦めた。

 ターミナル側の人員の問題はとりあえず鳥谷たちに任せるとして、保安検査機器のテストを終えると弘樹たちはまたマイクロバスで空港へと戻った。
「渡辺さん、どうですか?」
 由紀はバスを降りると、機体の前でチェックシートに記載をしている渡辺に大きな声で話しかけた。エンジンが掛かっている機体の側では、大きな声でないと聞こえないのだ。
「問題なし。バッチリです。」
 渡辺が両手で大きな輪を作りながら答えた。
「すぐにでも出発出来ますよ。せっかく来たんだから、一泊くらいしたいところだけど。」
「それはまた次の機会にね。これからいくらでもありますよ。」
「そうね。じゃあそろそろいきましょうか。」
 実際の運航でも、細かい整備や備品の搬入は磯子側で済ませ、南陽では給油と簡単な機内清掃、基本点検だけですぐに折り返す計画になっている。由紀たちは再び飛行艇に乗り込んだ。
「せっかく来たのにご両親に挨拶しなくて良かったの?」
 今度は弘樹の隣に座った由紀が聞いた。
「まあ、テスト飛行だしね。この短時間のために仕事を中断してきてもらうのも悪いし。」
「それもそうね。これからも来る機会は多いでしょうし、定期便が就航したらゆっくりきましょう。ご両親に挨拶もしたいし。」
「?」
「いや、深い意味じゃなくて、この間泊めてもらったお礼よ。」
「あ、ああ。」
 後ろの席で二人の会話を聞いていた渡辺がくすくす笑っている。行きに比べると、点検項目は少なくなっているので機内もだいぶリラックスしている。管制の許可を受けると、飛行艇はエンジンの音を高めて動きだした。そのままスロープを下りて着水すると、湾の外に向きを変えて一気に加速し、ふわりと飛び上がった。



■CA

「私、子供の頃スチュワーデスになるのが夢だったんだよね。あ、今はキャビンアテンダントっていうのか。」
 弘樹とウェブサイトの打ち合わせを行なっているときに、突然三好慶子がそう言った。
「国際線に乗務して、英語を使って、子供心にかっこいいなあって思ってた。」
 なかなか思い通りにいかない客室乗務員募集のページを修正しているときの話だ。
「今からでもなれるかな?」
「えっ。まあ、訓練を受ければなれないことはないと思うけど。」
「相変わらず煮え切らない返事ね。あなたが採用する側じゃないの。」
「まあそうだけど。うちは国際線じゃないよ。」
「今インバウンドでどれだけの外国人が来てると思ってるの? 世界遺産の南陽に行きたいと思ってる外国人はいっぱいいるわ。だから最初からコストが掛かっても英語版も作ったんでしょ。」
 確かに、三好の言う通りだ。今時、国内だからといって日本語だけできれば良い状況ではない。特に観光に関わる分野では、英語はもはや基本であり、さらに韓国語や中国語を準備していることも珍しくない。
「目指すのはいいけど、体力的に今からじゃキツくない?」
「何言ってるの。アメリカじゃあ六十代七十代のCAも珍しくないわよ。」
「収入も今より下がると思うけど、いいの?」
「まあ今のところ独り身だし、特に生活に困ってるわけじゃないから。サイトの管理者も必要でしょ。乗務しないときはそれもやったげる。いつまでも役員がちまちまサイトを弄ってるような会社じゃ先が思いやられるわ。」
 そこまで言われて、弘樹に断る理由はない。とりあえず、慶子は自分で作ったページに自分で応募をした。

 結局、客室乗務員の応募は慶子を含めて三人だけだった。うち一人は、本郷が昔の伝手で経営破綻の折に退職して主婦をしていた人物だ。だが、現役時代はチーフパーサーまで務めた経験があり、訓練計画の中心を担ってくれた。この計画の内容から実施状況まで航空局の審査対象になるので、気は抜けない。乗務員としての基礎訓練や座学は帝国航空に委託し、実際の運航機材を用いた実践的な訓練は神戸~横浜~南陽を結ぶテストフライトに同乗しながら行う。三好はその合間にもウェブサイト更新などを手伝ってくれた。

 一月ほどたって諸々の準備が整うと、航空局の検査が始まる。以前に受けたのはあくまでも事業許可であり、この検査に合格しないと実際の運航はできない。諸規定に関しては本郷の尽力もあり体裁は整っているが、実際の運用面で規定通りに行われているかが厳密にチェックされる。安全に関わる分野なので当然といえば当然だか、これを乗り切らないことには実際に航空券を販売したり旅客を輸送したりできないのだ。最後の難関である。検査が予定通りに進まないと日々の収入が入ってくるのがそれだけ遅れるので、資金繰りに厳しい会社ではショートしかねない。南陽航空も例に漏れず、ある程度のスポンサーがいるとはいえ半年一年ともつ様な状況ではなかった。
「見通しはどうですか?」
 横浜のオフィスで、審査全般をカバーしている本郷に弘樹が訊ねた。
「大きな漏れは無いと思うが、何せ突貫工事だったからな。是正措置の指摘くらいで済めばいいが、何か根本的な問題が見つかると大変かもしれない。資金の方はどうだ?」
「あと二、三か月であれば大丈夫ですが、それ以上長引くとだんだん厳しくなっていきます。審査が完了して運航することが確定すれば、新たな融資も受け易くなりますが。」
「だろうな。まあこちらはなんとかしてみるよ。二度目の破綻なんて経験したくないからな。それより、そっちは検査が通ったらすぐに航空券を販売できるように準備に万全を期してくれ。スタートダッシュ、特に初便の搭乗率は会社のイメージ戦略としても大事だからな。」
 本郷はそう言って弘樹の肩を力強く叩いた。
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